第20話 迫る影、付きまとう不安
いつも読んでくださって本当にありがとうございます。
第20話は、小さな平穏にじわりと滲む“不穏”。東の森の異常、謎の一団、そしてノヴァが初めて踏む「実戦」の土。地面に“何か”を埋めていた彼らは誰なのか――ノルルア自由都市群の影を、ぜひ見届けてください。
ノヴァが加藤雄介の日記と「知識」の本の研究に没頭し始めてさらに時が過ぎたある日、ステラ村に不穏な影が忍び寄っていた。あの日から、ノヴァは7歳、ユーリは11歳、ルナは9歳になっていた。
その日の昼下がり、村の自警団詰所。父であり自警団団長でもあるロランドのもとに、一人の団員が慌ただしく駆け込んできた。
「団長! 大変です! 東の森で、怪しげな人影を見ました! それも、複数です!」
団員の報告にロランドの顔から笑顔が消える。東の森は村の重要な食料源であり、普段は魔物の類も少なく、村人が安心して立ち入れる場所だ。そこで人影とは、尋常ではない。
「何人だ? 詳しく話せ。」
「は、はい! 薄暗い森の奥で、はっきりと確認できたのは5人。いずれも顔を隠していて、どうも旅の者というよりは……何かの目的を持って潜んでいるような、そんな雰囲気でした。」
ロランドは腕を組み、深く考え込んだ。この平和な村に、そうそう不審者が現れることはない。魔物の討伐なら冒険者ギルドに依頼があるはずだ。となると、何か良からぬ企みがあるのかもしれない。
「よし、ガルド! 行くぞ。」
ロランドは自警団副団長のガルドに声をかけた。ガルドは歴戦の戦士で、ロランドの右腕とも言える存在だ。そして、ロランドは午前中の練習を終え休憩がてら部屋の隅で本を読んでいたノヴァに目を向けた。
「ノヴァ、お前も来い!」
「え? 俺もですか?」
7歳のノヴァは少し驚いたが、すぐに状況を察した。父の顔は真剣で、何かただならぬ事態だと悟った。ロランドがノヴァを連れて行くのは、彼の特異な能力を信頼しているからに他ならない。この一年、ギュンター卿の厳しい指導を受け、ノヴァの剣術は目覚ましい進歩を遂げていた。幼い身体からは想像もつかないほど精密で強力な剣技は、もはや父ロランドと同等か、いや、時にはそれをも凌駕するほどだ。それに加えて、全属性に極親和を持つ魔法の使い手であるノヴァは、この村でギュンター卿を除けば、まさに最強の存在となっていた。唯一の欠点は、実戦経験の少なさだけだ。
「ああ。お前の魔法と剣があれば、どんな相手でも対処できるだろう。それにこういう時にこそ、お前の力が村の役に立つ。経験を積んでおけ。」
ロランドの言葉に、ノヴァは表情を引き締めた。村のためなら、ためらう理由はない。
「分かりました、父さん。」
こうしてロランド、ガルド、ノヴァの3人は、東の森へと調査に赴いた。ロランドは長剣を、ガルドは戦斧をそれぞれ手にし、ノヴァはいつものように腰にショートソードを差している。もちろん、魔力を込めれば、そのショートソードは硬度と切れ味を増し、並の鉄剣を凌駕する武器となる。
森に入ると、昼間だというのにひんやりとした空気が肌を刺す。木々の葉が風に揺れる音が、一層の静けさを際立たせていた。しばらく警戒しながら進むと、突如、茂みの中から巨大な影が飛び出してきた。
「グルルルルル!」
体長2メートルを超える、毛並みの荒々しい大型の熊の魔物だ。鋭い爪を振り上げ、咆哮を上げながら3人に襲いかかってくる。
「くっ、いきなりか! ノヴァ、下がっていろ!」
ロランドが即座に長剣を構え、ガルドも戦斧を振り上げる。しかし、彼らが動くよりも早く、ノヴァがすでに一歩前へ踏み出していた。
「問題ない、父さん!」
ノヴァは冷静にショートソードを構える。熊の魔物は、その巨体に見合わぬ速度で突進してきた。ノヴァは、魔物の動きを筋肉や重心の動きより先読みし、その軌道を瞬時に見切る。同時に、ショートソードに風属性の術式魔法『プロケッラ』のルーンを魔力で刻み込むイメージを生成し、剣に一時的に付与した。刃先が、目に見えない風の膜で覆われ、空間を切り裂くような鋭い音を立てる。
ノヴァが魔物の突進に合わせてショートソードを水平に一閃する。その一撃は、熊の魔物の腹部に深く食い込み、切り裂いた。魔物は、断末魔の叫びを上げる間もなく、巨体を揺らして地面に倒れ伏す。
「なっ……!?」
ロランドとガルドは、呆然と立ち尽くした。たった一撃で、しかもあの大きな熊の魔物を、7歳のノヴァが倒してしまったのだ。ロランドはノヴァの成長を日々感じていたが、ここまでとは想像もしていなかった。
「ノヴァ……お前、いつの間にそこまで……!」
ガルドも驚きを隠せない。ついこの間まで、幼い子供だったノヴァが、今や自分たちを凌駕する力を手に入れている。彼の魔法と剣術の腕前は、すでに村の誰もが認める「最強」の域に達していることを、改めて思い知らされた瞬間だった。
「これで時間を取られずに済みましたね。先を急ぎましょう。」
ノヴァは涼しい顔でそう言うと、倒れた熊の魔物から魔石をはぎ取ると再び森の奥へと足を進めた。ロランドとガルドは、互いに顔を見合わせ、苦笑しながらノヴァの後を追う。
さらに森の奥へ進むと、枯れ木がまばらに生い茂る開けた場所に出た。そこで、目的の人物たちを発見した。5人の人影が、地面に何かを書き込み話し合っているようだ。彼らはフードを目深にかぶり、顔を隠している。警戒心が強く、一目でただ者ではないとわかる。
「見つけたぞ! 何をしている!」
ロランドが声を上げると、5人は一斉にこちらを振り返った。そのうちの一人が、素早い動きで地面に埋め込んでいたものを回収し懐にしまう。
「村の自警団か……厄介な。」
一人の男が低い声で呟くと、残りの4人が身構えた。彼らの手には、この世界ではあまり見慣れない、奇妙な形状の武器が握られている。
「尋問する! お前たち、ここで何をしていた!」
ロランドが剣を構え、ガルドも斧を高く掲げた。ノヴァは二人よりも少し前に出て、いつでも魔法を使えるように魔力を高めている。
「残念ながら、おとなしく捕まるつもりはない。」
リーダー格らしき男がそう言うと、残りの4人が一斉に飛びかかってきた。ロランドとガルドはそれぞれ二人の男と対峙する。残りの一人、リーダー格の男がノヴァに向かってくる。
男は目にも留まらぬ速さで迫ってきた。その動きは、まるで訓練された獣のようだ。ノヴァは、その動きから剣術ではない、別の武術の気配を感じ取った。
「っ!」
ノヴァはとっさにショートソードを構え、相手の攻撃を受け止める。ガキン、と硬い音が森に響き渡った。男の武器はなたを大きくしたような武器で見た目以上に重く、ノヴァの小さな体では受け流すのが精一杯だった。
しかし、ノヴァのショートソードはびくともしない。ノヴァ自身の魔力強化が最大限に発揮している。
ロランドとガルドも、それぞれの相手と激しく剣を交わしている。彼らもまた、かなりの手練れだった。自警団員を名乗るにはあまりにも異質だ。
ノヴァは男の攻撃を捌きながら、隙を窺う。彼は、この男の動きに、どこか見覚えがあるような、ないような……そんな奇妙な感覚を覚えた。しかし、その正体を探る間もなく、男は素早い動きで距離を取り、別の二人を援護するように動いた。
「撤退するぞ! これ以上は無駄だ!」
リーダー格の男がそう叫ぶと、5人は素早い連携でロランドとガルドの隙を突き、森の奥へと逃げ去っていく。彼らが向かったのは、東の森のさらに先、ノルルア自由都市群へと続く道だ。ミルウェン王国とは思想も統治形態も異なる、活気に満ちたしかし危険な地域。そこに逃げ込んだとなれば、ロランドたち自警団では追うことはできない。
ロランドとガルドは、不意を突かれ、取り逃がしてしまったことに悔しそうに歯噛みする。
「くそっ、ここから先はノルルア自由都市群の領域だ。逃がしてしまったか!」
「申し訳ありません、団長! まさか、あそこまで手練れとは……」
ガルドが悔しそうに言う。ノヴァは逃げ去る人影をじっと見つめていた。あの男たちただの盗賊ではない。何かの目的を持って、この村に現れたことは間違いない。そしてリーダー格の男の動き……ノヴァの心にある疑念が芽生え始めていた。
「父さん、ガルドさん。あの人たちただの冒険者や盗賊じゃない。訓練された何らかの組織の人間だ。それに……あの動き、どこかで見たような……」
ノヴァは、まだ7歳ながらも、その言葉には確かな重みがあった。彼の目は、逃げ去った男たちが残したわずかな痕跡を追っていた。
土にわずかに残る奇妙な足跡。それはこの世界のどの武術にも属さない、独特の踏み込み方を思わせるものだった。まるで前世で目にした、特殊部隊の訓練を思わせるような……。
ノヴァの疑念が、彼らの背後にある大きな陰謀の存在を示唆していた。ノルルア自由都市群。自由と混沌が入り混じるその地から来たのか、あるいはそこを拠点としているのか。村の平穏が今、脅かされようとしていた。
お読みいただきありがとうございました。
安全と言われた森に熊級、地面に残る刻線、そして統率の取れた撤退――“日常”の皮膚の下で何かが動き始めています。ノヴァは強くなったけれど、強さに比例して不安も大きくなる。次回からは、残滓の調査と村側の備え、付与魔法の実戦運用(刻印の持続・素材差)の検証を掘っていきます。
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