第2話 なんだこれ、チャンスか?
自分の周りが貞操逆転世界になってしまった。
なんだこれ、チャンスか?
友達こそ人並みにいるけれども、今の今まで全く女子との縁がなかった俺。見た目も中身も地味オブ地味でこれといった特徴はない。
無論、彼女などできたことはない。
でも貞操逆転世界となれば話は別。
こんな普通な俺が普通に過ごしているだけで、女の子の方からアプローチをされるようになるかもしれないのだ。
そうすれば、ついに俺も童貞卒業が――
熱が下がり、明日学校に復帰できることになった俺は、まるで遠足の前日のようにワクワクしながら眠りについた。
※※※
翌朝。俺は朝食を摂り、部屋で制服に着替えていると、母がノックもせずに入ってきた。
「ちょっと朝陽あんた、また――」
ドアを開けて着替え途中――具体的に言うと、肌着とパンツしか身に着けていない状態――の俺を見るなり、何が文句を言いたげだった母親の言葉が止まる。
「……? 母さん? どうしたの?」
「ちょ、ちょっと朝陽……着替えてるなら着替えてるって言いなさいよ」
「……いや、だっていつも着替えてるとかお構いなしに入ってくるじゃん」
「そ、そんなことしないわよ! というか、男ならそれくらい恥じらいを持ちなさい! はしたないじゃない!」
母親はなぜか恥ずかしげに俺を叱る。
まあ、こうなるのも無理はないのかもしれない。
貞操観念が逆転する前の世界(便宜的に以後、『元の世界』とする)で置き換えると、女子高校生の娘が着替えていて下着姿の時に、父親が部屋にズケズケと入ってくるようなものだ。
それなら父親は間違いなくうろたえるだろうし、なんの恥じらいも持っていない女子高校生はお叱りを受けるだろう。
なるほど……これが貞操逆転世界ってことか。あんまりうかつに肌を見せるのは良くなさそうだ。
俺はとりあえずわざとらしく恥ずかしがって母親を牽制し、着替えをさっさと済ませた。
いつも通りの時刻に家を出ると、最寄り駅へ足を運ぶ。
ホームについて電車が入線してくると、またしても俺は違和感に気がつく。
「……うわ、やっぱりあるんだ、『男性専用車両』が」
元の世界でのこの電車は、痴漢防止対策として通勤通学の時間帯は女性専用車両が設けられていた。それがそっくりそのまま男女逆転したのだから、当然のごとく『男性専用車両』が存在している。
ふと、その男性専用車両に目をやると、元の世界の住人である俺からしたらむさ苦しくてしょうがない地獄絵図が繰り広げられていた。
「うわあ……あの車両、サラリーマンのおっさんばかりじゃないか……てか、年齢層高くないか? 俺と同年代くらいの人、あんまり乗ってない気が……?」
思わずひとりごとで感想を述べてしまった。それくらいショッキングな映像だった。
絶対あの車両には乗らないぞと心に決めた俺は、男性専用車両には見向きもせず普通の車両に乗った。
痴漢の逆――『痴女』と表現されているのだが、そういう人はやっぱり結構いるらしい。
駅や車内のポスターにも痴女防止啓発のものがたくさんあった。
しかし、さすがにキャッチコピーが『痴女、アカン』だと、韻を踏んでないから締まりが悪い。もっといいコピーライター捕まえてこいよ。
そんなことをぼんやり考えながら、俺はつり革に捕まり電車に揺られる。
乗客が増えてきて人口密度が高まってくると、誰かから尻を触られていることに気がついた。
あれ? もしかしてこれ……痴女ってやつ!?
俺、そんなに狙われやすい感じなのか?
尻を触る手は意外と優しい手つきだった。強烈に揉んでくるのかと思ったら、まるで羽根箒のようにふんわりとしていた。
これ、女性が触ってきているのだとしたら、ちょっとしたテクニシャンかもしれないなどと考えてしまう。そうこうしているうちにその手はだんだんと尻から股間にポジションを変えてくる。
同時に何か背中には柔らかいものが当たる。
考えるまでもない、これはまごうことなきおっぱい。それも、なかなか大きい。
一瞬チラッと犯人のご尊顔を見ることができた。
二十代後半から三十代くらいの女性、スーツを着ているので会社員だろう。なんか興奮気味の息遣いも聞こえてくる。
間違いなく痴漢……ではなく、痴女されているということを俺は自覚した。(『痴女される』という言葉の使い方が合っているのかは不明だが)
これを元の世界で置き換えると、女子高校生がアラサー会社員の男に下半身を触られ、イキリ勃ったイチモツを身体に押し付けられ、興奮した鼻息を吹きかけられているという状態になる。女子高校生の立場を想像するだけで、めちゃくちゃ気持ち悪い。
しかし元の世界の住人である俺にとっては、これはちょっとしたおもしろイベントである。
アラサー女子が自分に興奮して下半身を触ってきながらおっぱいを押し付けているのだ。女性経験のない俺にとってはなかなか刺激的な体験だ。
このままちょっと犯人の勢いに流されてもいいかなと思っていたが、残念なことに学校の最寄り駅に到着してしまった。
犯人は俺が降りるとわかるとスッと手を引いて、何事もなかったようにどこかへ消えていく。
ちょっと惜しいことをしたかと思ったが、悪い気はしなかったし、なんだか面白かったので良し。この一件は終わり。めでたしめでたし。
……の、はずだったのだが。
「この人痴女です! うちの高校の男子のことずっと触ってました!」
電車の扉が開いてホーム人が降りていくとき、あたり一体に女性の叫ぶ声が響いた。
俺はその声の方を振り向くと、うちの高校の制服を着た女子生徒が、痴女の犯人と思われるアラサー女を逃がすまいと腕を握っていた。
その女子生徒には見覚えがあった。
端正な顔立ち、美少女という言葉を宛てがっても違和感のない可愛さ。
校則ギリギリ(多分アウト)であろうアッシュブラウンの髪には、ゆるくウェーブがかかっていてちょっと大人っぽさがある。
制服もまあまあ着崩していて、生徒指導に見つかって怒られる姿を見かけたこともある。
痴女を捕まえたのは俺と同じクラスにいる一軍中の一軍女子、外ヶ浜凛々亜だった。