恐れられた教頭
1
正午を過ぎ、多くの人が食事を終えて眠くなり始めた頃、覆面パトカーで二人の刑事が住宅街を駆け抜けて事件現場へと向かう。緊張感が漂い始める車内で、運転をする加野に先輩の飯島が、厳かな面持ちで事件について話し始める。
「加野、事件の概要を説明してくれ。」
「はい、先輩。通報によると、被害者は高校の教頭先生で、給湯室で休んでいるときに何者かに襲われたとのことです。」
「給湯室で襲われた?」飯島の鋭い眼光が加野に向けられる。
「はい、真昼間にそんなところで事件がおこるとは・・・」
「加野、それはおそらく犯人は・・・」
「はい、まだ断定できませんが、おそらくは学校関係者かと・・・」
「ピンポーン。たぶんそうだろうな。」
「先輩、やめてください。覆面のパトランプで遊ばないでください。」
「いや、大丈夫だこれくらい。それで学校関係者はまだ全員学校にいるのか?」
「はい、誰も外に出ていかないように、玄関にはすでに警官を配置しております。」
「よし、犯人はまだ中にいるぞ、きっと。」
「はい、先輩、現場についたら、まず何をやりましょうか。」
「そうだな、まずは学校で可愛い子を10人集めてくれ。」
「なにを言っているんですか!そんなことやってたら、いつかバレて免職になっちゃいますよ?」
「ハッハッハ!ピンポーン!その通りだな!」
「だからパトランプで遊ばないでください!」
「よし、学校に着いたぞ!いっちょ真剣にやるか!」
昼休み真っ最中の時間帯で、生徒たちの活気のある声が学校のいたるところで飛び交っており、事件が発生したとは思えない様相である。飯島たちは事前に言われていた通り、職員室用の玄関付近へと車を停め、待機していた先生の下へと向かう。
「あなたが担当の刑事さんですか?」茶色のズボンに白のワイシャツ姿の少しふくよかな体型をした男性が声をかける。国語教師の富村丈彦は穏やかな印象を与える一方で、目つきが悪く、飯島たちを睨んでいるようにも見える。
「はい、私が刑事の飯島です。それと加野と申します。それであなたは?」
「私は教師の富村です。」
「富村先生ですか。あなたが教頭先生を襲ったんですね?」
「ええ?違いますよ!わたしじゃありません!」
「先輩!駄目ですよ、いきなり犯人に仕立て上げたら!富村先生ですね?すいませんでした、ちょっと早とちりなところがありまして。早速、現場の方に案内してもらえますか?」
「・・・わかりました。どうぞこちらへ。」
突然の飯島の暴挙に驚くも、富村は二人の刑事を2階の職員室へと案内する。
「事件が起こったのは給湯室と聞いておりますが。」
「はい、勝里教頭先生が襲われたのは給湯室です。その給湯室に入るには職員室を通らなければなりません。こちらに来てください。」
職員室に入ると、中央から右側に職員用の机が4つの島に分かれて並び、その4つの島の奥に一回り大きな机が、すべての島を統括するかのように君臨している。
先生方の好奇と不安の視線をものともせず、飯島はじろりと職員室の中を見渡す。
「給湯室はこちらです。」
富村先生は職員室を入ってすぐ左隣にあるドアのついた部屋を指さす。ちょうど職員室のドアの真横にあるのだが、腰の高さ程度の棚が並んでいて遠回りしないと入れないようになっている。
3人は腰棚をUの字にぐるっと回って左隣の給湯室に入って行く。
「教頭先生は3時間目の途中から4時間目が終わるまで、この椅子に座っていらっしゃいましたが、先ほど救急で運ばれました。」
富村先生の説明を聞きながら給湯室の周りを確認する二人。部屋に入ってすぐにやや大きめな椅子と長机、本棚や雑誌コーナーがこぢんまりと用意されており、先生たちのくつろぎのスペースになっていることが伺える。右側を見ると、畳が敷いており、四角いテーブルと座布団が用意されている。水洗い場もあり、コップや皿などもそろっている。左側は壁で、隣は廊下のはずだが、通じる道はなさそうである。
「教頭先生はいつもこの椅子に座って、向こう側を向いて雑誌などを読まれるのが日課でした。今日もいつものように雑誌を見ているのだなと思っていたんですが、3時間目から入っていて、一向に出てこないもので、4時間目を過ぎてお昼になっても出てこなかったものですから、気になって部屋に入ってみると、教頭先生は気絶していたんです。」
「気絶していた?」飯島の眉間が険しくなる。
「はい、椅子に座ったまま、ぐったりとしていまして、顔をのぞくと頭から血が流れていました。それに近くには血の付いた灰皿がありました。それで急いで警察と救急に連絡をしました。」
「結構な出血でしたか?」
「そこまでではありませんが、普段、血が流れているところなど見たことが無かったので、本当に驚いてしまいました。血が頭から首元に流れていくような・・・け、刑事さん!」
富村は飯島を指さして驚きおののく。
「血が!刑事さんの胸に!Yシャツに血がべったりついています!」
「何?!血だと?」飯島も驚き、自分の胸を確かめる。
「おお、これは…お昼にハンバーグを食べた時のケチャップだな。」
「・・・」
「えー、それで、発見されたときは富村先生一人だけですか?」
「はい、そうです。教頭先生がいつも以上に給湯室に籠っていらっしゃって、おかしいなと思い・・・」
「富村先生の席はこの給湯室から近いのですか?」
「いえ、私の席はちょうど反対側、一番離れた列の机です。」
「そうですか?もっと近くの席の先生は気がつかなかったんですか?」
「3時間目と4時間目の両方で職員室にいたのが私だけだったので。近くの席の先生方は、3時間目の早い時間帯から給湯室に入っていたことを知らなかったものですから。」
「そうですか。それでも、教頭先生は4時間目の時間はずっと給湯室にいたわけじゃないですか?十分に長い時間だったと思いますが、気がつかなかったのでしょうか。」
「それは・・・たぶん、教頭先生に気を使ったのだと思います。ほら、この部屋はドアに小窓がついていて、外からでも給湯室に人がいるかどうかわかるんですよね。一番近い列の先生方には、おそらく教頭先生の後ろ姿がしっかりと見えていたと思いますよ。」
「富村先生の席からも見えますか?」
「いえ、私の席からでは、小窓自体は見えても、中までは全く見えないですね。」
「そうですか?富村先生の席は・・・」
飯島は小窓に近づき、職員室側を覗いてみる。
「私の席はあれです。あの一番奥の左側の。」
「あれが先生の席ですか。小窓から見ることが出来ますね。」
「はい、ここからであればですね。私の席からはこの教頭先生が座っていた椅子や姿は全く見えません。」
「確かに、あの席からじゃあ、この椅子の位置までは見えないでしょうね。」
「刑事さん、私を犯人だと思っているのですか?
「いえ、あくまで形式的なことです。事件の概要を知るうえで、状況を把握しているまでのことです。3時間目に教頭先生が給湯室に入るところを見たとおっしゃっていましたが?他に見た方はいますか?」
「ええ、社会の河下先生も教頭先生が給湯室に入るところを見ています。3時間目に職員室にいたのは私と河下先生だけです。」
「そうですか。それで、教頭先生が入ったあとに給湯室に入った人はいますか?」
「いえ、それが・・・誰も入っていないんですよ。3時間目に教頭先生が入ってから、他の誰も出入りしていないんですよ。だからなおさら驚いてしまいまして・・・」
「誰もいない?トイレに行った間に誰かが入ったとか考えられませんか?」
「はい、それもありません。私の席は一番離れていますが、給湯室側を向いていますので、ここで誰か出入りするかはよく見えるんです。ここに入るためには、見ての通り、腰棚をUの字に通らないといけません。その間を隠れて通るなんて無理ですね。4時間目は私を含め、4,5人職員室にいてその間、誰も給湯室に出入りしていないことを他の先生方に確認しています。」
「では、その間、誰も給湯室に近づいていないということですか?」
「・・・いえ、用務員さんが近くにいたのを目にしています。教頭先生が給湯室にはいってから少し経って、気がついたら用務員さんが腰棚の奥から出て来たんですよ。」
「あれ?そうですか。先ほど誰も見ていないとおっしゃっていましたが・・・」
「はい、ドアは誰も出入りしていません。用務員さんは腰棚の奥側にある来客用の応接間付近を掃除していたんじゃないですかね。確認はしていませんが・・・」
腰棚の奥、つまり給湯室の前には、テーブルをはさんでソファーが2つおいてあり、簡易的な応接間となっている。
「そうですか。わかりました。有難うございます。富村先生、最後に一つ。誰か教頭先生を憎むような方はおられませんでしたか?」
「・・・いえ、わかりません。」
「先生自身は教頭先生に嫌なことをされたことはあったりしましたか?」
「私自身は・・・まあ、あまりないですけど・・・」富村先生の目線が下を向き、程なく新聞が置かれている棚に当てられる。
「こんなところに国語辞典が置かれていますね。」飯島は富村の目線が行き着いた先の物を指さす。
「ええ。この国語辞典には教頭先生からの嫌な思い出がありますね。」
「休憩中でも国語辞典を読んで勉強してなさい、とか言われたんですか?」
「いえ、違いますね。この国語辞典で君をどつけば、少しはマシな教師になるのかなと言われたことがありましてね。」
「それは酷い言われようですね。教頭先生のセリフとは思えません。それで実際に良くなったんですか?」
「おかげ様でねって、刑事さん。そんなわけないでしょう?実際には殴られていません。」
「そうですよね。すいませんでした。お話を聞かせていただき、有難うございます。我々はしばらくここで状況を調べておきますので、先生はご自身の席にお戻りください。」
富村先生は給湯室を出て、自分の席に戻る。部屋に残った飯島と加野は部屋の状況を確認し始める。
「3時間目に教頭先生がこの部屋に入られてから、4時間目の終わりに富村先生が入るまで、誰も出入りしていないということですよね。」
「富村先生の言うとおりであれば密室事件ということになるな。」
飯島は改めて辺りを見回す。
「左側の壁、つまり廊下とのつながりのあるドアはない。職員室からしか入れないようになっている。窓は・・・」
二人は靴を脱いで座敷に上り窓に近づく。
「外に昇り降りできるものはなく、梯子でもないと登れない。左右の部屋の窓は遠く離れていて行き来は難しいだろう。上は・・・教室か?あそこからならロープで降りてくることも出来ない訳ではないか?」
「外から丸見えで非常に目立ちますけど、一応、痕跡がないか調べておきましょう。」
「他にテーブルは・・・」飯島は座敷中央に置いてある長方形の木製のテーブルに目をやる。
「コーヒーカップとソーサーが1つだけ。これに凶器に使われたと思われる灰皿があったということか。」
置いてあるコーヒーカップに目をやると、中には何も入っておらず、飲み物が入っていた痕跡すら感じさせなかった。
「このコーヒーカップはおそらくそこのシンクで洗ったものなのだろう。」
「はい、指紋は何も検出されていないとのことです。」
「何も?教頭先生の指紋も出ていないということか?やはり誰かがこのコーヒーカップを洗ったということだろう。」
「一体何のためでしょうか?」
「調べられては困るものがあったのだろう。ひょっとして眠らされていたのかもしれない。・・・さて、ここで隠れることが出来そうなところはなさそうだな。」
「あのロッカーはどうでしょうか?」加野は部屋に入って右隣にある一つのロッカーを指さす。
「いや、さすがに小さすぎるだろう。中に何が入っている?」
「はい、・・・ちり取りやバケツ、洗剤や雑巾ですね。」
「そうか、わかった。窓の周囲を調べてみる必要があるが、やはり内部犯の可能性が高いな。関係する先生方、それに用務員さんに聞き込みをしていこう。」