嘘の中には嘘を
静かな教室に夕日が差し込み、机の木目を飴色に染めた。
「話って何、琴」
声の方へ向けば、教室前方の入り口に、体操着姿の友人が立っていた。部活終わりだからか、頬は上気し、高く結いあげた髪はわずかに乱れている。私は自席から立ちあがり、彼女──彩夏に向けて視線を尖らせた。
「分かってるでしょう。学校の七不思議のことよ」
「ああ、この前、遊びで作ったやつ? あれがどうしたの?」
この中学、新設だから七不思議とかってないよね、と言い出したのは彩夏だった。どうせなら作ってみる? と言われ、私も面白そうと同意した。そうやってふざけながら、嘘の七不思議を作ったのが二週間前。
ひとつめ──三階北階段の踊り場の鏡は、異界に繋がっている。
ふたつめ──夜の第一体育館では、バスケットボールがひとりでに跳ね続けている。
みっつめ──誰もいないはずの廊下に、走り去る足音が聞こえる。
よっつめ──図書館には、読んだら死んでしまう呪いの本がある。
いつつめ──放課後の教室で背後からの声に返事をすると、魂が学校に囚われる。
むっつめ──プールに花を供え続けないと、プールの水が真っ赤に染まる。
ななつめ──七不思議の本当の意味を知ると、不幸になる。
その場限りの冗談で終わるはずだった七不思議が、今や全校中の噂になっていた。
「あの嘘の七不思議、広めたの彩夏でしょう」
「はあ、何のため?」
彩夏がゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。
「朱夏ちゃんのため、じゃないの?」
私が口にした名前に、彩夏が表情を歪める。
私と彩夏は小学校が同じで、彩夏の妹の朱夏ちゃんも一緒に、よく三人で遊んでいた。
「ああいう噂話って、色んな人に広まるほど、信じる人が増えるほど、真実味が増すじゃない?」
私たちよりひとつ年下の朱夏ちゃん。私たちが中学生になるのを羨ましがっていた朱夏ちゃん。
「だから彩夏は、嘘の七不思議を広めることで、七不思議を本当のことにしたかったんじゃない?」
交通事故で死んでしまって、中学生になれなかった朱夏ちゃん。
「何でそれが朱夏のためになんの?」
彩夏の言葉に被さるように、無人のはずの廊下を足音が駆け抜けていく。
「七不思議のみっつめ。誰もいないはずの廊下に、走り去る足音が聞こえたら、それは登校中に交通事故で亡くなった女子生徒の霊が、学校を彷徨っているからだ。あれ、最初に言い出したの彩夏だったよね」
「覚えてないや」
「彩夏が本当のことにしたかったのは、みっつめだけじゃないの? 他の六個はそれをごまかすためのフェイクじゃないの」
「だからさあ、何であたしがそんなことしなきゃいけないのよ」
「……言ったじゃない。嘘を嘘の中に隠すため。そして、嘘を真実にするためよ」
私は彩夏を、そして彼女の隣の人影を凝視する。
「彩夏は朱夏ちゃんを、中学に通わせてあげたかったんじゃないの?」
姉に寄り添うように佇む、中学のセーラー服を着た朱夏ちゃん。彼女の肌は、夕日に照らされうっすらと透けていた。
「中学生になれなかった朱夏ちゃんを、彩夏は七不思議の力を借りて中学生にしてあげたかったんでしょう」
「……朱夏の願いが叶ったのなら、それでいいじゃん」
「ちゃんと成仏させてあげようよ。私も朱夏ちゃんを本当の妹みたいに思ってた。だから彩夏の気持ちも分かるよ。でも、幽霊として学校に縛りつけておくなんて、朱夏ちゃんのためにならない」
私の説得に、けれど彩夏は哄笑する。棘のある声。彼女こそが、化け物のようだった。
「勘違いしてるよ、琴は。他の六個の七不思議だって、ごまかすためのフェイクなんかじゃない。ちゃんと使い方も考えてる」
「何よ、何する気なのよ」
「ねえ、琴ちゃん」
「だから、何⁈」
──あ。
琴ちゃん、と朱夏ちゃんはいつも私を呼んだ。いつの間にか、彩夏の隣から、朱夏ちゃんの姿が消えている。そして今の声は、私の後ろから聞こえなかったか。
《七不思議いつつめ。放課後の教室で背後からの声に返事をすると、魂が学校に囚われる。》
彩夏は朱夏ちゃんを中学生の幽霊にしたいんだと思っていた。だけど、それだけじゃなかった。彩夏は、朱夏ちゃんを本物の中学生にしようとしてる。私の体を奪うことで。
「琴ちゃん、何でわたしを殺したの?」
冷たい腕が、私の首に回される。
だって、朱夏ちゃんが悪いのだ。「お姉ちゃんは意地悪だから、琴ちゃんがお姉ちゃんならよかったのに」って言ったくせに。それなのに、「私と彩夏のどちらの方が好き?」と登校中に尋ねると、「うーん、やっぱりお姉ちゃんかな。何だかんだ姉妹だし」なんて言うから。
──嘘吐き!
感情が弾け、私は思わず朱夏ちゃんを車道へと突き飛ばしていた。
私は悪くない。嘘を吐いた朱夏ちゃんが悪い。
逃げたいのに体が動かない。すぐに何も見えなくなる。聞こえなくなる。真っ暗闇だ。
そうして私は思い出す。
《ななつめ。七不思議の本当の意味を知ると、不幸になる。》