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赤い瞳の魔女

 かつてのことを全て思い出せるほどの時間を要して、湖までやってきた。

すぐに、荷車に載せてある水袋を取り出す。水に棲む魔物の胃袋と外皮を使って作られているので、こぼれたりする心配がない。それを5つ使い、大きな風呂桶いっぱいの水を汲む。十分な量が溜まったら、それらを荷台に戻す。

1つ1つが重いので、5つ積むとなると、本当に大変だ。俺は、脚が悪いのでなおのこと。

 いっそ、逃げ出してしまいたい。だが、顔にも、首にも、手にも、生きている脚にも、俺が人間ではないことを示す刺青がはいっているため、逃げても全く意味がない。しかも、この刺青は呪符の役割も持っており、俺の体が『主人の不利益になる行為』を取ろうとすれば、たちどころに自由を失う。当然、一応はその財産であるこの体を故意に傷つける行為も含まれる。一度試そうとしたが、だめだった。

「よし…」

 袋を全て積むと、行きよりも格段におもくなった荷台をひいて、戻らなければならない。億劫だが、戻らなければ…。

必死に、荷台と自分の脚を引きずって進む。そんな俺を嘲笑うように、陽はくれていく。王家の入浴時間が近づいているのはもちろん、魔物が発生しやすくなる。急ぎたいが、上手く急げない。そんな時に限って、生きている方の脚を挫いてしまい、進むのがますます苦痛になる。

何もかもが嫌になりかけたその時、何かの影が、飛びかかってきた。

 魔物だ。赤紫の体と血のような瞳の狼に似た姿の魔物が、仰向けの俺の腹に乗って、ヨダレを垂らしている。このまま食い殺してほしいものだが、呪いのかかった体は、生きようと抵抗してしまう。

───何してるの?

 遠くと近く、両方で同じ人間が話しているような…奇妙な女の声。人間のそれではないと、すぐさま分かる。

その声を睨みたいのか、狼は俺から目線を外す。その隙をついて、大きな体を突き飛ばした。柔らかい毛で覆われているにも関わらず、死体のように冷たい体は、本当に気味が悪い。

四つん這いでその場から逃げようと努力したが、無理だった。自室など、人目のないところでは、こうやって移動しているので自信はあったが、やはり、生まれつき四足の相手には勝てなかった。背中を踏み潰され、今度こそ、全く抵抗ができなくなる。

────仕方ないわね。

 大袈裟なため息をついた例の声は、先程よりも近くで聞こえた気がする。と、思っていると、質量を持つ風らしきものが俺の頭上を通り抜けた。直後、背中が軽くなる。急いで起き上がると、狼は消えていた。代わりに、奇妙な生き物が、すぐそばに立っている。

真っ黒で巨大で毛むくじゃらな台形の体に、猫にも狼にも見える耳、身長ほどある長い腕と耳より短い脚が生えた生き物。大きな赤い瞳は猫に似ているが、その周囲には、蜘蛛と同じように小さな目が幾つかついている。不気味だが、どこか愛嬌もある姿に困惑して、固まっていると、先程遠くから聞こえたのと同じ声が「あ」と呟く。と、謎の生き物は、どろどろと溶けていく。

そして現れたのは────

「ヴィーラ?」

 白ではなく黒の髪、青ではなく赤の瞳。色はまるで違うが、その顔は紛れもなく、俺が遠い昔に…死へ、この森へと追いやったはずの、ヴィーラだ。

いいや、そんなはずはない。きっと、あの頃に、アレを食った魔物が、その姿を模倣しているんだ。そうに違いない。

「あなた、私を知っているの?」

「ちがう、知らない。お前なんて…」

「そっかぁ」

 子どものように不貞腐れる顔は、いつも仮面のように同じ笑顔しかできなかったあの女とは、まるで違う。ふわふわと、体が浮いた状態で話しているのではないかと思う声も、鉄でできた定規のように固く冷たく真っ直ぐすぎたそれとは大きく異なる。

「なぜ、俺を助けた」

「あなたを助けたというのは、あんまり正確じゃないわ。彼は、この森の決まりを破ったから」

「決まり?」

「ニンゲンを食べてはいけないの」

 その言葉で、俺は自嘲した。

「俺は、人間ではない」

「そうなの?」

 首を傾げた女はしゃがみ込み、俺の顔を覗き込む。近くで見ると、ますますアレに似ていると感じるが、同時に恐ろしく顔が整っているのを思い知る。また、白い頬…奇妙な生き物の姿をしていた時には蜘蛛の目があった辺りに、赤い刺青らしきものが見えた。

「な、なんだ…?」

「匂いは、全然ニンゲンだけどなぁ?」

 俺の言葉に納得ができない様子の女は、腕を組んで首を傾げる。

「お前がどう思おうが、関係ない。人間の世界において、俺は人間ではない」

「うん?よく分かんないけど、とにかく、この匂いの生き物は、みんなニンゲンで、食べちゃいけないの」

「その割には、ここへ来て帰れなかった人間も、少なくないぞ?」

「守らないヤツが増えてるんだよ、最近。聖剣の力が弱まってるのかなぁ」

「そうなのか?」

 聖剣とは、王家の始祖だった英雄が使っていた剣であり、国を魔物から守る結界の核となっているものだ。王族は、その聖剣の守り人という側面も持つ。その力を失わないための予防として『聖なる湖』の水を風呂に入れて浸かる。

「うん…なんでだろう?知ってる?」

「そんな訳ないだろ」

「そっかー」

 呑気な声を出す女の向こうに、星空が見えていることに気づき、血の気が引く。

「どけ!」

「何?どうしたの?」

「うるさい!早く帰らないとまずいんだよ!!」

「そうなの?」

「そう言ってるだろ!」

「じゃあ、送っていく。これ…持ってきたやつ?」

「送るって、どうやるんだよ」

「こう」

 先程の奇妙な生き物に戻った女は、無駄に長い腕で俺の体を持ち上げ、荷台に下ろす。困惑していると、なんとそれが宙に浮く。

「な!?」

「つかまっててね」

 そういうと奇妙な生き物に、コウモリのような羽根が生える。そして、それを使って、夜空に向かって飛んでいく。

「ぬぅわあああああああ」

 ちなみに、俺は、昔から高いところが嫌いだ。

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