『元聖女』は『元天才魔術師』に拾われる 3
住む場所が確保されればあとは職場を探すだけだ。住み込みの職場が見つかるまでお世話になれるのならば、こんな良い話はないけれど。
「流石にそこまでお世話になるわけには……っ」
「ああ、もしかして俺がファティアに手を出すかもって思ってる?」
「手……? て……て……手!?」
「ははっ、ててててって、何」
若い男女が同じ屋根の下。手を出すといえば、ファティアが数時間前危機に陥った状況のことをさすわけだが、ライオネルに関してはそういうことを一切警戒していなかった。
熱は下がったはずだというのに、ファティアの顔は火がついたように熱くなる。
「心配しなくても変なことはしないよ。誓っていい」
「そこはあまり心配してなかったのですが……」
「そうなの?」
「はい」
(だってこんな格好良くて、元魔術師だった人が私なんかにそういう気が起こるはずないもの)
ファティアは美しいエメラルドグリーンの大きな瞳にくるんと持ち上がった長いまつ毛、小さな鼻に小ぶりでぷっくりとした形の良い唇、顔も小さく──所謂美人の部類に入る顔立ちをしている。
しかし孤児院時代から満足の行く食事を取っていなかったことに加えて、ここ数日の野草と雨水の生活で身体はよりやせ細り、ガサガサとした肌になり、髪の毛もバシバシに軋むようになり、美しさは影を潜めていた。
「まあ、それなら良いけど」
「けどその……本当に良いんでしょうか? お世話になってしまっ──」
──コトン。
ファティアの言葉を掻き消したのは何かが落ちる音だった。
ファティアとライオネルは、揃って音がしたキッチンの方に振り向くと、林檎が床に落ちているのを視界に捉える。
(林檎だ……美味しそう…………)
男たちに襲われそうになったり、熱で倒れたり、知らない部屋で寝ていたり等々。
この短時間に色々なことがあったものの、赤く熟した林檎に、ファティアはここ数日常に空腹だったことを思い出した。
「…………食べる?」
「えっ」
「じっと見てるから。もしかしてお腹空いてる?」
そう言ってライオネルは立ち上がると、林檎を拾うだけでなく、キッチンに行って大きな袋を手に取り、元の場所に戻ってきた。襲われかけたときに持っていた袋と同じだろうか。
袋を広げて中身を見えるようにすると、ファティアの前にずいと差し出した。
「落ちた林檎は後で洗うとして、先にどれか食べる? まだ林檎はあるし、他にもそのままで食べられるものばっかりだよ」
「……食べ物までいただくなんて……」
「俺も食べるから一緒に食べよう。 余らせてもあれだし。ね」
「……っ、ありがとう……ございます……!!」
空腹を意識してしまったが最後、目の前に食べ物があるのに我慢なんて出来るはずもなく、ファティアは袋にそっと手を伸ばす。
林檎にチーズ、パンにハム、ドライフルーツ等々。ライオネルが言うようにそのままで食べられるものばかりである。
「では、パンを頂いても……?」
「うん。どうぞ召し上がれ」
──ぱっくん。もぐもぐ。
腐ってもいない、ロレッタの食べかけでもない、薬草の苦味もない。
空腹も相まってか、何の変哲もないパンがこの世で一番美味しいと思いながら、ファティアは貪りつく。
美味しさやライオネルの優しさに、目頭が熱くなるが、ファティアはここで泣いたら心配をかけてしまうと必死に耐えた。
「美味しい……美味しいです……っ」
「…………。他のもあるし、お腹いっぱいになるまで食べな。飲み物も入れてくる」
それから温かいミルクまで入れてもらい、ライオネルと一緒に林檎を食べた。
そのままでも食べられる食材ばかりを買っていたこと、用意してくれた林檎が歪な形をしていたこと、使用感のないキッチンから、ライオネルは普段料理はしないのだろうと悟ったファティア。
頭を下げながらご馳走様でしたとライオネルに告げると、続け様に口を開いた。
「失礼ですが……ライオネルさんは普段お料理は?」
「全く。買ってきたものそのまま食べてる」
「なるほど……。その、本当にお世話になっても良いのでしたら、お料理でなら役に立てるかもしれません」
「! 本当? 俺全く出来ないから凄く助かる」
「は、はい! お任せください……っ!」
孤児院生活が長いファティアは家事の一通りは完璧にこなせる。洗濯だって掃除だって朝飯前だが、その辺りはおいおい決めるとして。
ファティアは少しふらつきながらもベッドを降りると、ひんやりとする床に足を付けて姿勢を正し、深く頭を下げた。
「少しの間、お世話になります。住み込みで働けるところを見つけたら直ぐに出ていきますので!」
「…………。観光じゃなかったの?」
「あっ……! その! レアルの街を見たらしばらく働いて住んでみようかと!」
「…………。あんな目にあったのに?」
「ハッ!!! いやその! 街の外れ以外は治安が良い街ですし!!」
「ふぅん」
含みのある「ふぅん」だった。
顔を少し上げてちらりとライオネルを視界に捉えれば、少し気だるげな垂れた瞳でじーっと見られている。
(絶対怪しまれてるよね……何で観光なんて言っちゃったんだろ)
家を追い出されたことを隠すにしても、仕事を探しに来たと伝えておけば良かったものを。
ファティアは窺うような瞳をライオネルに向けると、ライオネルは片側の口角を少しだけ上げた。
「分かった。そういうことにしておこうか、とりあえず」
「………………」
「いつか話せるときが来たら話してね」
「すみません……ありがとうございます」
(嘘をついてるのは分かってるのに詮索しないでくれるんだ……なんて優しいの……)
とはいえいくらなんでも優し過ぎはしないか。相当な世話好きなのか、お人好しなのか。
どちらにせよ、ライオネルという人間が優し過ぎて損をするのではないかと心配になってくる。
「私が言うのもあれですが、いつもこうやって人助けを?」
「襲われそうな子を助けたことはあっても、泊まって良いよって言ったことはないかな」
「……! じゃあ、どうして……」
「かなり訳ありそうだし……あと……元魔術師として元聖女は放っておけなかったから、かな。元、仲間だし」
「元、仲間……」
天然なのか、少しずれた回答だったが納得したファティアは「分かりました」と返事をすると、これからの生活のことに頭を切り替える。
「あの、ライオネルさん」
共に暮らすにあたってのルールなど話しておいたほうが良いことは沢山あるだろう。
そう思ってファティアが声をかけたときだった。
「…………うっ」
「ライオネルさん…………?」
突然苦しむようにして蹲ったライオネルに、ファティアは膝を折って顔を覗き込む。
真っ青な顔色、額には大量の汗をかき、何だか呼吸もしづらそうにしている。
これは只事ではないとどうにかしなければと思うものの、ここがライオネルの家だということしか知らないため、下手に動けない。
「ライオネルさん! 大丈夫ですか……っ!」
「だい、じょ……ぶ、寝れば…………治る、し、慣れてる、から」
「慣れてるって…………」
(こんなとき、聖女の力があれば……)
そうは思っても、淡い光の粒が出てくることはない。
その反対に、ライオネルの身体には黒い闇のような粒が纏い始め、ファティアが目を見開いた瞬間、ライオネルはカクンと意識を失ったのだった。
読了ありがとうございました。
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