『元聖女』は『第一王子』に脅される 2
真っ赤な魔石の付いたペンダントを乱雑に掴むレオン。
ファティアはそんなレオンに対して、困惑の表情を見せた。
「どうしてレオン殿下がそれを──……」
「ロレッタからこのペンダントについて話は聞いた。これはそなたの母の形見で、是が非でも取り戻したいものだとな」
「…………」
だから返してあげよう、なんて都合の良い展開にならないことくらい分かる。
ファティアは窺うような表情で問いかけた。
「このペンダントを、脅しの材料に使うおつもりですか……?」
「ふはははははっ!! それは語弊があるぞファティア! 私は脅しなんてしない。ただ……交換条件を提示したいだけだ」
交換条件と言えば聞こえは良いが、この状況でそんな言葉を言われても好意的に受け取れるはずはなく、ファティアは眉間にシワを寄せる。
一方レオンは再び主導権を握れたからか、愉快と言わんばかりに薄っすらと目を細めた。
「そなたと紙面上結婚することは容易い。しかし、私に要らぬ反抗心を持たれては面倒なんでな。……私との結婚はもちろん、絶対服従を誓え! 私が聖女の力を使えと言ったら必ず使うんだ。ああ、もちろん、口だけでは信用ならんから、後で魔法を介した服従契約を行う。それと、ペンダントを返すのは入籍が済んでからだ」
手に持つペンダントをこちらに見せつけるようにしながら、レオンはそう話す。
元々このペンダントはファティアのものだというのに、あまりに酷い条件だ。
(これならもう……無理矢理ペンダントを奪い返したほうが──)
レオンは多少傷付くかもしれないが、ここまで来たら背に腹は代えられない。
ファティアが魔力を練り上げ始めた、その時だった。
「ああ、そうだ。少しでも怪しい動きをすれば、その瞬間にこのペンダントを壊してやる」
「……なっ」
「魔法で抵抗しようなどと、思わないことだな」
「……っ」
ライオネルのほどの魔法の腕前があったなら、こんな脅しに屈することなく攻撃し、速やかにペンダントを奪取できたことだろう。
けれど、ファティアはいくら魔法が使えるとしても、細やかな魔法の調節や技に関してはまだまだだ。
(ペンダントを壊されるのだけは、絶対にだめ……)
ファティアは唇を噛み締めてから、魔力を練り上げるのをやめた。
「……で、どうするんだ? 条件を呑むのなら……このペンダントは返してやってもいい。どうせライオネルは死ぬんだ。あいつのことなんて忘れて、私に身を委ねるだければいい。な? 簡単だろう?」
レオンはそう言うと、ぐいとファティアに顔を近付けた。
「さあ、言うんだファティア。私の妻になり、絶対服従を従うと」
「……っ、私は……」
当初、ペンダントを取り戻したかったのは、これが母の形見で、思い出の品だったから。
このペンダントさえあれば、どんな辛いことが起きたって、前を向いて生きていけると信じていたから。
──けれど、今はどうだろう。
ペンダントを取り戻したいと願った時に、脳裏に浮かんだのはライオネルの顔だった。
(ライオネルさん……)
ここでレオンの要求を突っぱねたら、二度とペンダントは戻ってこないだろう。
けれど、ファティアが聖女として活躍することもできなくなるため、ライオネルに『呪い』をかけて苦しめたレオンに、余計な力を与えないことはできる。
そうしたら、役立たずだと捨てられるのだろうか。
それとも、騙したとして処罰されるだろうか。
どちらにせよ、ファティアはそんなこと怖くはなかった。
ただ──。
(ペンダントがなかったら、私が聖女の力を復活させることができなかったら、ライオネルさんの『呪い』を解いてあげられない……っ)
過去にライオネルは、魔法が好きだと言った。
第一魔術師団に脱退届を出したことは平然と語っていたけれど、その実は悲しんでいたに違いない。
当たり前のように使えていた魔法が弱体化して、その魔法を使うと『呪い』による苦痛を味わうことになるなんて、ライオネルにとってどれほど辛かっただろう。
それがこれからずっと続くなんて、残酷過ぎる。
だから──。
「……分かりました。ただ、私からも条件を足させてください」
「……なんだ。言ってみろ」
ファティアは大きく息を吸い、呼吸を届けてから条件を口にした。
「アシェル殿下の婚約者のリーシェル様を私の教育係にしてくれませんか?」
「……? 何故リーシェル殿なんだ?」
「私は平民出身なので、王族は疎か貴族のいろはについても何も分かりません。ですから、アシェル殿下の婚約者をされているリーシェル様ならその辺りは完璧かと思いますので、彼女に教えを請いたいのです。……お願いします」
ファティアの本音は、少しだけ違った。
もちろん、どうせ教えを請うなら顔馴染みのリーシェルが良いと思ったのは確かだが、一番はそうではない。
「……ふむ。なるほどな。まあ確かに、そなたは私の妻として人前に出る機会が増える。教育もそうだが、実際のパーティーなどでサポート役がいるから、リーシェル殿ならぴったりか。よし、その条件なら呑んでやろう」
「あ、ありがとうございます……!」
ファティアがリーシェルを選んだ一番の理由。それは──。
(良かった……! これで、ライオネルの『呪い』を解ける可用性がかなり高まった……!)
──そう。全てはライオネルの『呪い』を解くため、彼にこれからの人生を幸せに生きてほしいからだった。
(リーシェル様なら、アシェル殿下やハインリさんはもちろん、ライオネルさんとも連絡が取れるはずだし、多少のことなら協力してくれるはず……!)
どれほどファティアに自由が与えられるのかは分からないが、リーシェルとさえ繋がっておけば、ライオネルと接触が図れ、彼の『呪い』を解く機会が訪れるかもしれない。
ファティアは、ライオネルを好きだという感情よりも、少しでも彼の『呪い』が解けるかもしれない道を選択したのだ。
(ライオネルさんのことは、大好き。……だからこそ、『呪い』から解放されて、幸せになってほしい)
人生は長い。そんな中で、ファティアとライオネルが共に過ごした時間はほんの僅かだ。
きっと直ぐに、ファティアのことは忘れるだろう。
魔術師として充実した日々を送り、どこかのタイミングで運命の人と出会い、結婚し、子どもが生まれ、いつか、ファティアの存在なんて頭の隅にもなくなって──。
(……それで良いの? 本当に?)
ファティアは、ライオネルに沢山、沢山……数え切れないくらい助けてもらった。
彼との日々はまるでお菓子のように甘くて、何事にも代えがたいほど、幸せだった。
だから、次は自分がライオネルを助けるのだと、幸せにするのだと思っていた、けれど。
(私の選択で、ライオネルさんは幸せになれるの……?)
ふと過った疑問と同時に頭を支配したのは、ライオネルの屈託のない笑顔。美味しい美味しいと言いながらご飯を駆け込む幸せそうな表情。
男たちに襲われそうになった時は、『呪い』が発動するのを恐れずに、当たり前のように助けてくれた。
弟子にしてくれて、ご飯も、居場所も、温もりも、魔法の知識も与えてくれた。
街でロレッタとレオンに捕まりそうになった時は本気で怒り、守ってくれた。
パーティーの際にライオネルに一人で逃げてと言ったら、彼は絶対に守ると言って、一緒に逃げてくれた。
一人で別荘に向かうと話した時は、そんなのだめだと言って──。
(そうだ、あの時ライオネルさんは……)
『でも俺は、怪我をしたり、『呪い』が発動したりするよりも、ファティアが危険な目にあったり、こうやって側にいられなくなったりするほうがずっと嫌だし、苦しい』
そうやって、言ってくれていた。とっても嬉しかった言葉なのに、どうして今の今まで忘れていたのだろう。
(私が選ぼうとしていた道は、ライオネルさんを一番傷付けるものだったのに……っ)
時に、自己犠牲が美しい時もある。ファティアがライオネルのことを思った気持ちは本物だし、それ自体は間違っていないのだろう。
(……けれど、方法が違った。私はライオネルさんの側にいたい。これからも彼と共にいるために、足掻かなきゃいけなかったんだ)
ファティアの翡翠色の瞳からポロッと涙が零れ、それは頬を伝って耳を濡らす。
それはまるで、宝石のように美しい涙だった。
「すみませんレオン殿下。……私やっぱり、ライオネルさんとの未来を諦められないみたいです」
「は?」
一か八か、魔法でレオンに反撃を試みようと、ファティアは魔力を練り上げる。
ライオネルから習ったことを思い出して、レオンがペンダントを壊す隙を与えないくらいに、速い魔法を──。
「絶対に、諦めない」
そう口にしたファティアが、手のひらに魔法を宿した、そんな時だった。
「──ファティア……!!」
「ライオネルさん……?」
「……!? 何故お前が生きて──」
手鏡から姿を現したライオネルは次の瞬間、風魔法を発動してレオンに放った。




