『元聖女』は『第一王子』に脅される 1
──話は少し遡る。
ライオネルがレオンの専属魔術師と交戦していた頃、ファティアはぐわんぐわんと揺れる感覚を覚えながらも、目を覚ました。
「ここ、は……どこ……?」
カーテンが締め切られているため、やや薄暗い。頭が気持ち悪くてもう一度眠ってしまいたかった。
そんな中でファティアは、必死に辺りをキョロキョロと見渡した。
「これ、ベッド……? つまりここは寝室……?」
えらく座り心地の良い場所に座っていると思ったら、どうやら大きなベッドの上にいるみたいだ。
触り心地の良いシルクの枕の、同じシルクのシーツ、緑色の生地に金色の刺繍が施された天蓋は、この部屋の持ち主がかなりの身分であることを示している。
「どうして私がこんなところに……って、そうだ……。私さっき……」
たしかに先程まで、ファティアはレオンが所有する別荘の玄関あたりにいた。
そうした玄関扉が開いてロレッタが現われ、突然彼女が持つ手鏡の中に吸い込まれたのだ。
おそらくその時、意識を手放したのだろう。
「つまりここは、手鏡の中の世界……? それとも、どこかに飛ばされたの……?」
どちらにせよ、そんなことができるのは魔道具だろう。
しかし、魔道具は貴重なもので、限られた人しか手に入れることができない。
「ロレッタの身近にいて、魔道具を入手できる人なんて、そんなのレオン殿下くらいじゃあ……」
もしもその考えが合っているのならば、休んでいる場合じゃない。
未だに脳みそが揺れている感覚で気持ち悪いが、早くこの場から逃げ出さなければ。
(それに、ライオネルさん……っ、ライオネルさんはどうなってるの……!?)
ファティアは状況把握をそこそこに、急いでベッドから降り、出入り口と思われる扉へと向かう。
──しかし、その時だった。
「やあ、お目覚めか? 聖女様。そんなに急いでどこに行こうとしているんだ?」
ガチャリと音を立てて入室してきたのは、ファティアの予想通り、レオンだった。
笑顔を張り付かせているその表情には恐怖しか覚えず、ファティアは何歩か後退る。
「……っ、レオン、殿下……」
「ああ、そんなに怯えないでくれ。突然のことで驚いているだろうから、きちんと説明してやろう」
「ここは、どこなのですか」
ファティアがそう問いかけると、レオンは上着のポケットからロレッタが持っていたものとそっくりの手鏡を取り出した。
「ここか? ここは王宮にある私の部屋だよ。ロレッタが持っていた手鏡は魔道具で、私が持っている手鏡との間を転移することができてね。……瞬間的に移動する弊害として身体に多少の負荷がかかるはずだから、今は立っているのがやっとだろう?」
「……っ」
手鏡に対する謎や、その持ち主、現在地は分かった。
しかし、三半規管が乱れているからか、レオンの言う通り立っているのがやっとで、彼の背後にある扉から逃げだすのは叶いそうになかった。
「まあ、一旦座ったらどうだ? 私はそなたと話がしたくて、ここに呼んだのだ。言うことさえ聞けば悪いようにはしない」
「そんなことよりも、ライオネルさんはどうなってるんですか……っ、彼は無事なんですか……!?」
おそらくレオンならば、あの別荘にライオネルが来ることも予想済みのはずだ。
離れ離れになったライオネルのことが心配でそう質問を投げかければ、レオンはニヤリとほくそ笑んだ。
「今頃死んでるんじゃないか?」
「……え」
「そなたが、ここに送られたのを確認次第、私の手駒である魔術師たちにライオネルを殺すよう命じてあるからな。この前街でライオネルに会った時は、思いの外強力な魔法を扱えるものだから驚いたが、流石に腕の良い魔術師の三人が相手なら、負けることはないだろう」
「……っ」
たとえ『呪い』があろうと、ライオネルがとんでもなく強いことをファティアは知っている。
けれど、相手もまた実力者だというレオンの言葉が正しいのであれば、ライオネルが無傷で済むとか考えづらかった。
それこそ、レオンが言うようにライオネルが負けるなんて言うことも──。
「……いえ、ライオネルさんは、絶対に負けません」
「ほう? なんの根拠があって言っているのだ?」
ファティアは魔術師ではないし、敵の強さが分からない以上根拠なんてない。ただ……。
「私はライオネルさんを、信じていますから」
迷いのない翡翠色の瞳をレオンに向け、ファティアははっきりそう告げる。
すると、レオンは不快だと言わんばかりに頬をピクピクと引き攣らせた。
「……そうかもとは思っていたが、お前、ライオネルのことが好きなのか?」
「……っ、はい。そうです」
「…………そうか」
するとレオンは顎に手を当てて考える素振りを見せると、再び厭らしく口元に弧を描いた。
「それならなおのこと、ライオネルには死んでもらわなければ困るな」
「……!?」
「私とそなたの未来に、奴の存在は間違いなく邪魔になるだろうからな」
「み、らい……?」
レオンのその言葉により、以前ライオネルが『レオン殿下は確実に王位につくために聖女だと思われるロレッタを婚約者に添えた』という言葉をファティアは思い出し、背筋が凍った。
「そう。さっき話があると言っただろう? それが聖女であるそなたと、この国の第一王子である私の結婚についてだ」
レオンはテーブルに手鏡をゆっくりと置くと、ファティアの方に向かって歩いてくる。
「い、嫌です……っ、貴方と結婚なんて、絶対に嫌……っ」
ライオネルを『呪い』で苦しめ、今は殺そうとしているレオンの妻になんて絶対になりたくない。
ファティアは首をフリフリと横に振りながら後退っていた、のだけれど。
「残念だが、もう逃げ場はないぞ」
背中にはひんやりとした壁。目の前にはレオンの姿。
逃げ場をなくしたファティアの手足は冷たくなり、瞳には絶望が滲んだ。
「素直に私の妻になると誓え! そうすればこの国で一番権力を持つ女になれるんだぞ? ドレスに宝石、欲しいものはなんだって手に入る……!」
「そんなものはいりません……! 私をここから出してください……!」
その瞬間、ファティアは必死に魔力を練り上げると、風魔法でレオンの胸辺りに衝撃を加える。
かなり弱い魔法だが、レオンの体勢を崩すことには成功したので及第点だろう。
ファティアは人に対して攻撃魔法を放つのにかなりの抵抗があったが、この時は無我夢中だった。
(ここから、逃げなきゃ……っ)
それからファティアはふらつく自分の体にムチを打って、扉に向かって必死に走る。
(よしっ、もう少し……!)
しかし、後ほんの少しで扉に手がかかるという頃だった。
ファティアは追いかけてきたレオンに髪の毛を思い切り捕まれた。
「いたっ……!」
「お前、聖属性魔法以外も使えたのか……! 将来の妻だからと優しくしてやれば、つけあがりやがって……! クソ……!」
「きゃぁぁ……!」
レオンは汚い言葉を吐き捨てると、ファティアの髪を思い切り掴んだまま、ベッドの方に歩いて行く。
それから思い切りベッドにファティアを投げつけると、レオンはそんな彼女に馬乗りになり、胸ポケットからとあるものを取り出した。
「おい、これをよく見ろ」
「……!? それはお母さんの形見のペンダント……っ」




