『元聖女』は『元天才魔術師』に拾われる 1
服のベタつきもなく、雨風もなく、心地よい温度の室内。
四肢をどう動かしても草や地面とは違った柔らかくて滑らかなシーツの触り心地に、いつまでも眠っていたくなる中、ファティアは重たい瞼をゆっくりと開く。
薄目を開けて首を左右に動かして確認すれば、シンプルな作りの部屋だった。
目に映るのは大きな黒いソファに、使いやすそうなキッチン。部屋はさほど大きくはないが、掃除が行き届いている。
(ここは一体……どこなの……)
疲れているのは勿論、寝起きということも相まってファティアは上手く思考が働かない。
とりあえず起きなければともぞもぞと上半身を起こせば、対面型のキッチンの奥からひょこと顔を出した青年に、ファティアは大きく目を見開いた。
「あ、起きた? おはよう」
「お、おはようございます…………?」
「俺のことは覚えてる?」
「は、はい! その、助けていただいてありがとうございます」
男たちから魔法で助けてくれた青年の姿に、ファティアはほっと胸をなでおろす。
「ここは俺の部屋ね。いきなり倒れたからとりあえず連れてきた。熱もあるみたいだけど、起きて大丈夫?」
「それはご迷惑をおかけしました……すみません……。熱は下がったと思います。だいぶ楽になりました」
どうやらここは青年の部屋らしい。家具などを見る限りはおそらくここで一人で暮らしているのだろう。
あまりジロジロと見ては失礼かもと、ファティアは再び青年に意識を戻すと、そういえばと気が付いた。
「ローブ、脱いだんですね」
「そりゃあ俺の部屋だしね。あ、コーヒー飲める?」
「運んでいただいた上にコーヒーなんていただけません……っ」
「俺が飲みたいから付き合ってくれると嬉しいんだけど」
「っ……何から何まですみません、ありがとうございます」
「いいえ」と、そう言って少しだけ笑った青年は手早くコーヒーを準備すると、カップを二つ持ってベッドの近くまで歩いてくる。
一度テーブルにそれを置いてから、椅子をベッドの横に移し、再びカップを持つと椅子に腰掛けて、片方のカップをファティアに手渡した。
「はい。熱いから気を付けなね」
「ありがとうございます」
おずおずとそれを受け取ったファティアは少しだけ息を吹きかけて冷ますと、ゴクリと喉を潤す。
ミルクが入っているようで飲みやすく、身体の芯から温まる。ほぉっと、息を吐き出した。
「名前は? 聞いても良い?」
歳は二十歳を少し超えたくらいだろうか。ローブの下にシンプルな白いワイシャツと黒いスボンを身に纏った青年が、ファティアに問いかけた。
「ファティア・ザ…………ファティア、です。ファティアと申します。改めて助けていただいてありがとうございます」
おそらく、養子から抜ける手続きはまだ受理されていないだろうからザヤードの姓は名乗れるのだが、時間の問題だろうとファティアはザヤードの名は口にしなかった。
深く頭を下げると、青年が「ファティアね」と繰り返すようにその名を呼んだ。
「俺の名前はライオネル・リーディナント。ライオネルで良いよ」
「ライオ、ネル様」
「様はいらない」
助けていただいた恩人に砕けた呼び方をするのはどうかと思ったものの、ここは素直にいうことを聞くべきかと、ファティアは「ライオネルさん」と呼び直した。
「うん。その方が良い。……それで、ファティアはあのトランクを持ってどこから来たの? 街の人間じゃないよね?」
ファティアが訪れた街の外れは、レアルの中で唯一治安が著しく悪いと言われている場所だ。街に住む人間が一人で、しかも若い女性ならことさら行くはずがない。
そのことを理由にファティアはどこから来たのかと問うライオネルに、ファティアは口を開いた。
「ザヤード領です」
「…………服の汚れとか靴のすり減り方から察するに、まさか徒歩で?」
「はっ、はい! その、歩いて観光に……!」
「………………」
(私のバカ! 歩いて観光には流石に……)
ライオネルのぽかんとした顔に、ファティアはやらかしたと背中に冷や汗が流れた。
ザヤード領から、ここベルム領までは、馬車か馬で移動するのが一般的だ。若い女性が一人で歩いてくるなんて余程のことがないと有り得ない。
それこそファティアの身なりがきちんとしているとかなら、観光に来たというのもあり得る話だったが。ファティアの姿は誰が見ても家出少女にしか見えないだろう。
しかし、ファティアはライオネルに家を追い出されて、ということは言うつもりはなかった。
男たちから助けてくれ、家にまで運んで寝かせてもらい、温かいコーヒーまで入れてくれるような、そんな良い人──ライオネルにファティアは、余計な心配をかけさせたくなかったのだ。
(……って、あれ? ちょっと待って?)
ふと違和感に気が付く。ファティアは自身の服を見ると、不思議そうに瞬きを繰り返した。
「あの、ライオネルさん。私ってどれくらい寝てましたか?」
「四時間程度だよ」
「……その間に、服が自然乾燥した、ということですか……?」
途中で雨が上がったとはいえ、ファティアの着ていたワンピースは滴るくらいに濡れていた。
だというのに、ワンピースはカラカラに乾き、布団が湿っている様子もない。
ファティアの疑問に、ライオネルはしれっと答える。
「風魔法で水を飛ばした。髪の毛も乾いてるはず」
「言われてみれば……! 髪の毛も濡れてませんね! ってそうじゃない……! そういえばライオネルさん、さっきも魔法を使ってました、よね?」
「ああ、うん。言ってなかったっけ? 魔術師なんだよね」
「魔術師…………!」
ここメルキア王国で魔術師と名乗れるものはそう多くない。
国家最難関の試験を受け、それに合格したものしか魔術師とは名乗れないのである。
魔術師になれば将来は安泰でエリートコースまっしぐらだとロレッタが話していたのを、ファティアは聞いたことがあった。
「凄いお方だったんですね……」
「そんなことない。厳密には元魔術師だから」
(元……?)
引っかかりを覚えたものの、深く聞くような間柄ではないのでファティアが詮索することはなく、冷めてしまう前にコーヒーをごくごくと飲み干していく。
全て飲み終えてカップを胸の前辺りで両手で持っていると、ライオネルも飲み干したようだった。
そんなライオネルは立ち上がると、ファティアの手からカップをするりと奪い、テーブルへと空になったカップを二つ、静かに置いて口を開く。
「俺の話は一旦おしまい」
そう言ったライオネルは、ファティアのエメラルドグリーンの瞳をじっと見つめながら、ゆっくりと歩く。
ベッドに片膝を乗せ、両手をついたライオネルはずい、とファティアに顔を近付けた。
「──ファティア、君は何者? その身体から漏れ出している魔力は何?」
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