『元聖女』は『第二王子』の危機を救う 1
おそらく、レオンたちに集まるパーティー参列者たちが、早く余興が見たいとか、聖女様の力を見られるのが楽しみとか、そんなことを口にしたのだろう。
貴族たちからより支持を受けるために、レオンが余興のタイミングを速めたのは想像に容易かった。
(けれど、一体どういうことなの……!? 聖女の力を披露するならば、この場で誰かが怪我をしなければならない……。その人物として狙われるのは、アシェル殿下ではなかったの……?)
アシェルを見たところ、レオンの高々な宣言に驚いてはいるものの、怪我をしたような様子はない。
アシェルの周りに不審な動きをしている者も見受けられず、ファティアは困惑した。
「ファミナ……! 見つかって良かった……!」
「……!? ライ……お兄様……っ」
こちらに走ってきてくれたライオネルに驚き、一瞬ついライオネルと呼んでしまうところだった。
彼の偽名をライだと決めたアシェルに感謝しつつ、ファティアはライオネルに「先程のご令嬢は?」と問いかけた。
「彼女には悪いけど、レオン殿下の宣言を聞いて、適当にあしらって逃げてきた」
「そ、そうでしたか……。それにしても、これはどういうことなんでしょう……」
「……分からない。ただ、現時点では様子を見るしかないね」
アシェルが無事で、レオンにおかしな動きはない。
ハインリを含む魔術師や騎士たちも警戒態勢を強めているはずだから、今ファティアたちができることはなかった。
「そう、ですね……」
ファティアはライオネルの判断に頷いて、再び壇上に上がったレオンたちに視線を向けた、その時だった。
執事の一人と見られる男性が、小さなナイフを手に壇上に上がる。
レオンの指示だからなのだろう。その様子に、レオンやロレッタが驚いている様子はない。
「一体なにを……」
レオンは左腕の袖を捲ってから、右手でそのナイフを受け取る。
そして、参列者に向けて、大きな声で宣言した。
「ロレッタの聖女の力の一つ──治癒魔法を皆に披露するため、今から私が自分自身の腕を傷付け、彼女に治癒を施してもらう! ……ロレッタの力は本物故、怖さなどない!」
「レオン様のお怪我は、必ず私が治してみせますわ……!」
第一王子であるレオンが自らの身体を傷付けるなんて、暴挙に等しい。
だが、参列者たちはどうしても聖女の力を目にしたいのだろう。
興奮した様子で、レオンたちを注目している。
対してファティアは、より一層瞳に困惑が滲んでいた。
(レオン殿下は、アシェル殿下を傷付けるつもりはなかったの!? 自分に怪我を負わせ、聖女の力を披露するつもりだったってこと……!?)
ライオネルも同様に考えているのだろう。眉間にしわを寄せ、怪訝な顔をしながら、ポツリと呟いた。
「……全ては考え過ぎだったのか……?」
「その可能性はありますが、今はなんとも……。けれど、アシェル殿下が無事ならそれに越したことは──」
「きゃーーーー!!」
ない、と続くはずだったファティアの言葉は、女性の劈くような叫び声によって掻き消された。
声の方向を見れば、その主は膝から崩れ落ちたリーシェルの姿がある。
「……! お兄様、あれは……っ」
そして、そんなリーシェルの視線の先には、呼吸が乱れ、両手で喉を押さえながらもだえ苦しむアシェルの姿があった。
「……っ、アシェル殿下……!」
「お兄様、待ってください……!」
貴族たちを避けながらアシェルのもとに走っていくライオネルを、ファティアも必死に追いかける。
(さっきまでおかしな様子はなかったのに、どうしてアシェル殿下が……!)
二人がアシェルとリーシェルの側に着いた頃には、既にレオンやロレッタ、ハインリや他の護衛たちも複数人集まっていた。
その人物たちに差し置いて前に出るわけにはいかず、ファティアはライオネルの背中を優しく叩いて彼を落ち着かせ、動向を見守った。
「一体何があったのだ! どうしてアシェルが倒れている! リーシェル嬢、近くにいたそなたなら分かるだろう!?」
レオンがリーシェルを責めるような声で怒鳴る。
リーシェルは目にいっぱいの涙をためて、弱々しく首を横に振った。
「分かりません……っ、突然、苦しみだして……倒れてしまって……!」
リーシェルがそう答えると、彼女の次に真っ先にアシェルに駆け寄ったハインリがしゃがみ込み、外傷がないことを確認する。その後、アシェルの口元に顔を寄せた。
「……っ、この匂いは……! アシェル殿下はもしかしたら、何者かに毒を盛られたのかもしれません……!」
「毒だと!? 解毒方法は! 宮廷医はどこにいる……!?」
レオンがそう叫ぶと、すぐさま宮廷医は到着し、苦しんでいるアシェルを診る。
しかし、宮廷医は「申し訳ありません……」と眉尻を下げた。
「アシェル殿下の症状からして、なにかしらの毒であることは間違いありませんが……種類がなにかを特定するには、時間が必要です……。申し上げにくいのですが、毒の種類が分かる頃には……アシェル殿下は、もう……」
「そんな……っ、アシェル様ぁ……!」
「リーシェ、ル……っ、ぐ……っ」
アシェルがそっと手を伸ばし、リーシェルはその手を縋るように掴む。
愛する人の死を待つことしかできないなんて、まるで地獄だ。
「──私なら……アシェル殿下を救えるかもしれません。試してみても、いいですか……?」
──俯いたファティアがライオネルだけが聞こえるような小さな声で問いかけた時だった。
「ロレッタ……! そなたの聖女力で、我が弟──アシェルの命を救ってくれないか……!?」
レオンはロレッタの両肩を掴むと、アシェルを助けてくれと懇願したのだ。
そんなレオンの様子に胸打たれたのか、パーティー参列者たちも次々と「聖女様お助けください!」「聖女様のお力が必要なんです!」と、ロレッタに対して声を上げた。
「え、ええ! お任せください……!」
一瞬バツ悪そうな表情をしたロレッタだったが、レオンや参列者たちの勢いに気圧されたのか、強がったような表情で、彼らの願いを受け入れた。
その瞬間、会場の心は一つになったように見えた。聖女──ロレッタの聖女の力は、この瞬間のためにあるのだと、皆がそう思ったことだろう。
「──えっ」
けれど、ファティアには一瞬見えてしまったのだ。
参列者たちが高揚し、ロレッタが膝を床につけて魔力を練り上げるために集中する中、俯いたレオンがこれでもかと口角を上げて、厭らしい笑みを浮かべているところを。
「な、なに、今の……」
そんなレオンの形相に、背筋がゾクゾクと粟立つ。
怯えながらポツリと呟いたファティアの一方で、ライオネルはギロリと睨み付けていた。
「……今の顔、ファミナも見えたの?」
「! お兄様も、ですか……?」
「ばっちりね。……やっぱり、さっきまでの心配した様子は、演技だったみたいだね」
低い、低いライオネル声。彼の怒りがビリビリと肌に伝わってくる。
そんな中、ファティアは視界の端には、逃げるようにして会場を後にする執事の姿を見えた。彼は先程レオンにナイフを手渡していた人物だ。
ちらりと見えた男性の顔は真っ青で、酷く怯えているように見えた。
(あの人はおそらく、レオン殿下側の人間……。もしかして、レオン殿下の命により、あの人がなんらかの方法でアシェル殿下に毒を盛った……? だから、騒ぎに乗じて逃げているの……?)
証拠がない中であまりこんなことは考えたくはないけれど、それなら執事の表情や行動の辻妻は合う。
レオンのアシェルに対する心配が嘘だと分かった今、その可能性は低くはないだろう。
「お兄様、今──」
「……! 分かってる。伝達魔法で、ハインリの脳に直接伝えるよ」
ライオネルはそう言うと、一瞬で魔力を練り上げて目を閉じる。
そして直後、ハインリはハッと瞠目してから、部下たちに「会場から逃げた執事を必ず捕らえなさい!」と指示をした。
(凄い……。魔法ってこんなこともできるのね……って、そうじゃなくて!)
未だ治癒魔法を発動することなく、魔力を練り上げようと集中しているロレッタを、ファティアは訝しげな表情で見つめた。
(いくらなんでも、発動が遅すぎない……?)
ファティアはかなりの時間、魔力を練り上げる修業を続けている。
そのため、誰でも簡単に魔力を練られるものだとは思っていないが魔力量が少ない人──ロレッタのような人ほど、魔力を練り上げるのは容易だというのは、紛れもない事実だというのに。
「ロレッタ! まだ治癒魔法は発動しないのか……!」
「そ、そろそろですわ、もう少しで、きっと……!」
「きっと……?」
ロレッタの言葉に引っかかりを覚えたのはファティアだけではなかったのだろう。
多くのパーティー参列者がロレッタの能力に、少しずつ疑いを持ち始めた、そんな時だった。
「いきます……!」
ロレッタはそう言うと、両手のひらをアシェルの胸辺りに向ける。
「さあ……! ロレッタよ! そなたの力を見せてくれ……!」
いよいよだというように、レオンは興奮の眼差しでロレッタとアシェルを見下ろし、参列者たちは奇跡の瞬間に立ち会えることに息を呑んだ。
「どう、して……?」
「ぐっ、ぁぁ……っ」
というのに、ロレッタの震えた声と先程までと変わらぬアシェル唸り声だけが、静寂に包まれた会場でやけに響いた。
淡い光の粒は一切現れることはない。
──それは、ロレッタの聖女の力が発動しなかったという証明だった。




