『元聖女』は『元天才魔術師』と作戦を立てる 3
「ご迷惑をおかけしました……」
──あれから、約三十分後。
ようやく冷静さを取り戻したファティアは、申し訳なさそうに眉尻を下げるライオネルに対して、頭を下げた。
「ううん、俺がやり過ぎた。ごめんね。もう大丈夫? 頭グラグラしたりしない?」
「は、はい! 全く問題ありません……!」
「そっか。……良かった」
黒い革の大きなソファ。隣に腰掛けるライオネルはホッと胸を撫で下ろしたようだが、一方でファティアは頭を抱えた。
(いくら恥ずかしかったとはいえ、そのせいで目が回るなんて思いもよらなかった……)
ライオネルが離れてくれたことと、少し時間を置いたことで今はなんともないが、彼に余計な心配をかけてしまったことが、心の底から申し訳ない。
それに、もう一つ懸念があった。
(膝枕に加えて、突然唇に触られたからものすっごく緊張したし、恥ずかしかった。……でも、嫌じゃなかった……んだけど……)
嫌悪感から目を回したのだと、ライオネルに誤解されてはいないだろうか。
不安がこみ上げてきたファティアは勢いよく顔を上げる。
そして、ライオネルと目を合わせ、誤解を解くことにした。
「そそそそ、その! 目が回ったのは、決して嫌だったからではありません……! 恥ずかしさが体に影響を及ぼしたといいますか……! とにかく、勘違いしないでほしいんです……! あ、でも、また唇を触る機会がある場合は、事前に言ってください! 心の準備が必要なので……!」
必死の形相で伝えると、ライオネルの顔がみるみるうちに赤く染まっていく。
はて? とファティアが素早く瞬きを繰り返した。
すると、ライオネルは片手で顔を隠すようにして、溜息を漏らした。
「……自分の理性が強いことに、これほど感謝したことはないね」
「え?」
「いや、なんでもない。事前申告制ね、了解」
ライオネルはそこでこの話を終えると、別の話題を切り出した。
「少し遅くなっちゃったけど、婚約披露パーティーのことについて、作戦会議しようか」
「そうですね……!」
むしろ今夜の本題はそれだ。ファティアは姿勢を正して、ライオネルの言葉に耳を傾けた。
「アシェル殿下のおかげで、俺たちは仮の身分を得て、顔も変えた上で婚約披露パーティーに参加できる……っていうところまでは良いんだけど、問題はペンダントだよね」
「ロレッタがペンダントを着ける確証もありませんしね……」
「それに関しては俺たちではどうしようもないから、一旦着けていた場合の時のことを考えよう」
ライオネルの言葉をきっかけに、ファティアは思考を働かせる。
まず、パーティーに参加をすることさえできれば、他の招待客に紛れてロレッタに近付くこと自体は可能だ。
とはいえ、パーティーの最中にロレッタから無理矢理ペンダントを奪えば、間違いなくファティアはその場で拘束されるだろう。
それ以前に、そんなことをしたらアシェルの名前に傷を付けることになるため、実行できるはずもなく。
「大勢の貴族の前で、ロレッタにバレずにペンダントを取り戻すのは、中々難しそうですね……」
ファティアは顎に手をやって、悩ましい声でそう話す。
続いて、ライオネルが口を開いた。
「……うん。風魔法でペンダントのチェーン部分を切って、床に落ちたところをすかさず回収するっていう方法なら思い付いたけど……なしかな。バレる可能性は高いし、ファティアのお母さんの形見だから、できるだけ傷付けたくない」
「ライオネルさん……」
そんなことまで考えてくれるなんて、どれだけライオネルは優しいのだろう。
ファティアはライオネルに、感謝の眼差しを向けた。
「ま、なんにせよ、簡単な方法はないってことだね。けど、可能性はゼロじゃないから、当日までゆっくり考えていこう」
「はい……! あ、でもライオネルさんは、ペンダントのことよりも、アシェル殿下のことを気にかけてあげてください。大切な方なんでしょう?」
以前ファティアは、ライオネルからアシェルとの関係を軽く聞いた。
──数年前。
ライオネルが天才魔術師として名を馳せ始めた頃、ライオネルを第一魔術師団の団長にしようという声が多く上がった。
当時の第一魔術師団団長がかなり高齢になっていたこともあって、ライオネルを後押しする声は日に日に大きくなっていった。
しかし、全ての魔術師がライオネルを良く思っているわけではなかった。
貴族出身の魔術師の中から、平民に団長は務まらないと、批判する者が現れたのだ。
ライオネルは出世欲が強い方ではなかったけれど、自分が魔術師の団長になることで、団員たちの一部が仕事をボイコットしたり、団員同士の連携が乱れることに危機感を抱いたらしい。
しかし、そこでライオネルの不安を解消したのが、アシェルだった。
アシェルは第二王子として、ライオネルが団長になることを後押しし、団員たちにライオネルの実力、必要性を説いたらしい。
人柄が良く、周りからの信頼の厚いアシェルがそう言うならと、ライオネルを批判していた団員たちの声は徐々に無くなっていった。
ライオネルが団長に就任してから、大きな問題は一つも起こらなかったらしい。因みに、色々とハインリも協力したようだ。
(そのことをきっかけに、ライオネルさんはアシェル殿下に感謝し、団長と第二王子という立場以上に、親交を深めていったのよね)
ライオネルにとってアシェルは、ただの第二王子ではない。
おそらく、友人のように思っていて、大切な存在の一人なのだろう。
「……うん、ありがとう。俺自身のためにも、この国のためにも、アシェル殿下を失うわけにはいかないから、気を引き締めないとね」
そう言ったライオネルの目には覚悟が宿っている。
(……ライオネルさんはきっと……)
もしもパーティーにアシェルの命を狙う不届き者が現れたら、ライオネルは躊躇なく魔法で敵と交戦するのだろう。
その数時間後に、自分が『呪い』で苦しむなんて考えずに。
(大切な人のためなら、苦痛にだって自ら飛び込む。その気持ちは分かるけれど……ライオネルさんが苦しむのは、やっぱり嫌だな……。あ、そうだ! それなら私が魔法でアシェル殿下をお守りすれば良いんじゃ!?)
自分の能力がライオネルの実力に程遠く、彼の代わりになれないことをファティアはよく分かっている。
だが、ひょっとしたらファティアが魔法を使うことで、ライオネルが魔法を使わずに済むかもしれない。
それが叶わずとも、ライオネルの手助けをできるかもしれない。
「ライオネルさん! パーティー当日は、魔力吸収を行ってから参加します! 何も起こらないに越したことはないですけど、いざという時は私も戦います」
「……! ありがとう、ファティア。心強いよ。けど、無理はしないようにね」
「はい!」
ライオネルに許可ももらえたことだし、パーティーまでの間に、魔法の修行により一層励まなければ。
「それと、念の為にあれも行っていこうと思います。……これこそ、使う機会がないに越したことはないですが……」
ファティアが手にしたそれを見て、ライオネルはハッと目を見開き、次の瞬間には悟ったような表情を見せた。
「……うん。アシェル殿下のことはもちろん、ファティアの今後のためにも、使う機会が訪れないことを祈るよ。……でも、ごめんね。いざという時は──」
──そう。これはライオネルの言う通り、いざという時のためだ。
ファティアはそう自分に言い聞かせる。
婚約披露パーティーが無事に終わることを祈らずにはいられなかった。




