『元聖女』は『元天才魔術師』と作戦を立てる 2
ファティアの提案に、ライオネルは一度口をぽかんと開くが、すぐに表情を緩めた。
「そんなふうに言われたら、呑むしかないよね。俺はファティアの師匠だし」
「それじゃあ……」
「うん。よろしく」
ライオネルの返答に、ファティアは満開の花のような笑顔を見せて、拳をギュッと握り締めた。
作戦会議は髪の毛を無事乾かせた後で問題ないだろうから、早速開始しなければ。
「私、精一杯頑張ります……!」
(やったわ! これでライオネルさんが風邪を引く心配もなくなるし、学んだ魔法で役に立てる! 頑張らないと……!)
そう決意したファティアは、隣に座るライオネルの方向に体を捻って、早速魔力を練り上げる。属性は、火と風だ。
魔道具で余計な魔力をある程度吸収しておけば、二つの属性が同時に発動できるほど、ファティアは成長していた。
(複数の属性の魔法のバランスを調節するのは難しいけれど、それほど威力が高くない魔法なら、なんとか……!)
髪の毛を乾かす程度の温風は、風が八、火が二の割合で魔法を発動するとちょうど良いはず。
それを意識しながら、ファティアはライオネルの髪の毛に右手をかざし、魔法を出した。
一方で、左手をライオネルの髪の毛を軽く梳かすように動かせば、彼は目を瞑って、ふにゃりと口元を緩ませた。
「良いね、これ」
「本当ですか……!?」
「うん。温度も強さもちょうど良いし、ファティアの手も気持ち良い」
「そ、それは良かったです!」
まさか手の動きまで喜んでもらえるとは思っていなかったファティアは驚いたが、それよりも彼の役に立てた嬉しさのほうが大きかった。
ファティアは一旦魔法を止めて立ち上がると、ソファの座る位置を移動し、まだ乾かせていない側のライオネルの髪の毛に手をかざす。
「……あーー。ほんとに気持ち良いね。ファティア、もっと」
「ふふ、もう少しで乾いてしまいますよ?」
ライオネルが強請ってくる姿がとんでもなく可愛らしさに加え、彼の少し癖のある柔らかい髪の触り心地の良さにファティアの頬はこれでもかと緩んだ。
(……なんだか得した気分)
元はといえば、ライオネルに対する心配からの行動だったのに。
(こんなに幸せで良いのかな……)
まるで、映画のワンシーンを見ているような穏やかな時間に、ファティアはそんなことを思う。
(……とはいえ、ライオネルさんと過ごす日々は毎日が幸せなんだけどね)
一緒に食事をしたり、時折おやつを一緒に作ったり、ライオネルのお勧めの本を読んでその感想を話したり、魔法の修行に付き合ってもらったり、こうやって穏やかな夜を過ごしたり。
「ライオネルさん、いつもありがとうございます」
「……? どうしたの急に」
急に礼を言ったため、ライオネルは不思議そうな顔をしている。
ファティアが「どうしても伝えたくなって」と軽く笑いながら話すと、ライオネルは目を擦りながら口を開いた。
「礼を言いたいのは……こっちこそだよ……。ファティアには、いつも、感謝……してる」
「ん……? ライオネルさん、もしかして眠たいですか?」
ライオネルの話し方はいつもよりゆっくりで、少し舌足らずだ。
髪の毛を乾かされて気持ちが良いと言っていたし、目を擦っていることからも、睡魔が襲ってきたと見て間違いないだろう。
「ん……ちょっと、ね」
「それなら、もう髪の毛は乾かし終わりましたから、ベッドに行きましょう? ね? 作戦会議は明日でも構いませんし」
瞼が落ちかけているライオネルは、「うん」と言うが、立ち上がる気配はない。
「ライオネルさんー! 寝ちゃだめですー!」
だから、ファティアは大きい声を出してライオネルを起こそうとしたのだが、次の瞬間、思いもよらぬことが起こった。
「ファティア……ごめん、限界かも……」
ライオネルの体は徐々に倒れ、なんとファティアの太腿の上を枕代わりにしたのだ。
「えっ、えっ!?」
「はは……この服、もこもこしてて、気持ち良いね……」
ファティアの体と反対方向を向いたライオネルは、頬に感じるネグリジェの質感に顔を綻ばせる。
──そう。このネグリジェはとても気持ち良い。見た目はもちろん、このもこもことした手触りも堪らない……というのは一旦置いておいて。
「ラ、ライオネルさん、なにを……!」
「んー……? 膝枕……? ちょっとだけ、だめ?」
視線だけでこちらを見ながら甘えた声色で話すライオネルに、ファティアは一瞬言葉を詰まらせた。
「……っ、だめって、そんな、聞き方……!」
ライオネルが少し動くだけで、その振動は太腿に伝り、彼の頬の温もりがはじんわりとネグリジェ越しに感じられる。
距離感、温もり、夜ということも相まって羞恥心が募り、ファティアは心臓が口から出そうだった。
(き、緊張が……!)
ライオネルとは手を繋いだり、抱き合ったりしたことはある。その度に、胸がドキドキした。
それに比べれば、膝枕は直接肌が触れ合うことはない。
なによりライオネルは眠たいのだ。これは致し方のないことなのだからと、ファティアはそう思おうとしたのだけれど、それは無理だった。
「や、やっぱり、だめです……!」
そう宣言したファティアは、半ば無理矢理立ち上がろうと足に力を入れる。
しかし、ゴロンと寝返りして真上を向いたライオネルに、「絶対……?」と問いかけられたファティアは、起立するなんてできなかった。
「す、少しだけなら……良いです……」
尻すぼみな声で許可をするファティアに、ライオネルは満足げに目を細めた。
「……ありがとう。ファティアは優しいね」
「……そんな、ことは……! あっ、でも、恥ずかしいので顔は見ないでください! あっちを向いてください! あっちを!」
頰を朱色に染めたファティアは、必死な様子で正面を指差す。
膝枕は良いにしても、見つめられるなんて耐えられないからだ。
だというのに、ライオネルはファティアの頼みを聞くことなく、髪の毛にそっと手を伸ばしてきた。
「……!? な、なにかゴミでも付いてますか!?」
「ううん。つい近くにあったから、触りたくなった」
「な、ななな……!? というかライオネルさん眠気は!? なんだか元気じゃありませんか!?」
先程からライオネルの目がしっかり開いている気がして、ファティアは苦言を呈した。
「バレた? ほんとに眠かったんだけどね。……ファティアの太腿に顔を乗せた瞬間、ドキドキして目が覚めた」
「……っ!?」
頰のみならず、顔全体を真っ赤にしたファティア。
しかし、この時のライオネルの言動はまだ序の口だったのだとファティアは痛感することになる。
というのも、ライオネルがクスクスと笑みを零してから、「可愛いなぁ」と呟いた直後のことだった。
「……ほんと、良い反応するね。じゃあ、こっちを触ったらどうなるのかな」
毛先に触れていたライオネルの手がずいと伸ばされ、ファティアの唇に優しく触れる。
(え? え?)
ファティアはなにが起こっているのかをすぐには理解できず、目を素早く瞬かせる。
その隙に、ライオネルはファティアの唇を親指の腹で優しくなぞった。
「……唇、柔らかいね。ほんと、可愛い……」
「……!?」
ライオネルの発言によって、ファティアはようやく状況を理解した、のだけれど。
(ライオネルさんに、くち、さわられてる……? くち? そもそもくちって、なんだっけ? あれ? これはゆめ? ゆめってなに?)
羞恥心が限界突破したことによって混乱状態に陥ったファティアの目は、グルグルと回り始める。
さすがにまずいと思ったのか、ライオネルはすぐさまファティアの唇から手を離して太腿の上から起き上がると、何度も「ごめんね」と謝罪したのだった。




