『元聖女』は『元天才魔術師』と作戦を立てる 1
アシェルとリーシェル、ハインリが訪問してきた日から、約一ヶ月が経ったとある日の午後のこと。
ファティアは頭の上に本を載せた状態で、スタスタとリビングを歩いていた。
「ファティア、一ヶ月前とは見違えるくらい、姿勢も歩き方も良くなったね。それに、余裕が出てきたからか、顔も強張ってないし」
「本当ですか……!? リーシェル様の教えのおかげですね……!」
リーシェルにレッスンを受けた日から一日もサボることなく、ファティアは美しく歩くための練習をこなしていた。
その成果が出たのだろう。
ここ数日はヒールの高い靴を履いて歩いても体がブレることがなく、美しい姿勢もほぼ無意識に保てるようになった。
リーシェルに『これができたら合格よ』と言われていた、本を頭の上に乗せた状態での歩行も成功し、これなら婚約披露パーティーで悪目立ちせずに済む。
「もちろんリーシェル様の教え方も上手かったんだと思うけど、一番凄いのはファティアでしょ。毎日頑張ってたもんね」
「いえ……! アシェル殿下のご友人という形でパーティーに参加させていただくんですから、頑張るのは当然です!」
「……そこまで頑張れるのは、当然のことじゃないんだけどなぁ」
ライオネルは微笑しながらそう言うと、ソファから立ち上がる。
そして、ライオネルはファティアの傍まで歩くと、彼女の頭に手を置いて、よしよしと撫で始めた。
「とにかく、お疲れ様。ファティアがなんと言おうと、ファティアは偉いよ」
「そ、そんな……! 本当に褒められるようなことでは……!」
「はは、強情。俺のためだと思って、今は素直に褒められててよ。……ね?」
「……っ」
蕩けてしまいそうな優しい笑みを向けられて、ファティアの胸はキュンと音を立てた。
(ライオネルさんが、優しくて……格好良すぎる……! こんなふうに見つめられたら、す、す、す……って、だめ!)
自分ではライオネルに相応しくないからとか、特別な感情を抱いてはいけないと、これまで何度も思ってきた。
いや、厳密に言えば、今だってそう思うこともある。
……けれど、今はなによりも、聖女の力を取り戻すこと、そしてライオネルの『呪い』を解くことに集中しなければとファティアは思うのだ。
(この気持ちは、一旦胸の奥にしまっておかなくちゃ)
もしも、ネックレスが取り戻せたら。
もしも、ライオネルの『呪い』を解くことができたら。
その時は──。
(きちんと、自分の気持ちに素直になろう)
ファティアはそう決意したのだが、未だに頭を撫で続けてくるライオネルに、いつまでこの感情を隠し通せるのかと不安になった。
──同日の夜。
夕食後、少しの時間魔法の修業をしたファティアは、お風呂に入った。
体を清め、手足の先までしっかりと全身を温める。それから、この家で暮らすようになった当初にライオネルが買ってくれたネグリジェに袖を通した。
「えへへ、やっぱり、何度見てもこのネグリジェ可愛いなぁ」
ファティアは浴室を出た直ぐ傍にある鏡越しに、身に着けているネグリジェを見つめた。
ファティアの瞳を少し淡くした、エメラルドグリーン色の、もこもことした生地。
胸元もしっかり守られ、丈も足首まであって温かい。
ウエストは白いリボンで少し絞られていて、このリボンに施されている花の刺繍がまた可愛らしい。
ファティアはこのネグリジェがとてもお気に入りだった。
「ライオネルさん! お風呂いただきました……!」
そのため、いつもよりもるんるんとした足取りで、脱衣所からリビングへと向かい、ライオネルにそう声をかけた。
「うん。ちゃんと髪は乾かした?」
いつもよりラフな装いのライオネルが、ソファに浅く座り、背もたれに凭れかけて問いかける。
ファティアはライオネルに後ろ姿を見せて、乾いた髪の毛をアピールした。
「はい! この通り、問題ありません!」
「はは、なら良かった」
ライオネルはそう言うと、おもむろに立ち上がり、キッチンへ向かった。
「作戦会議さ、お茶でも飲みながらやらない?」
婚約披露パーティーまで後十日足らずということで、ファティアとライオネルは夕食時、どうやってネックレスを取り戻すかの作戦会議を後でしようと約束を取り決めていたのだ。
「良いですね……! けれどライオネルさん、それなら私が淹れますから、休んでいてください」
「だーめ。毎日ファティアは家事に魔法の修業、歩行のレッスンまでやってるんだから、今くらい休憩して」
「でも、ライオネルさんだって……!」
家事は料理以外は分担してくれているし、魔法の修業にも付き合ってくれている。
それに、師匠と弟子の関係とはいえ、今ファティアはライオネルの家に居候させてもらっている状態だ。
そんな彼に、こんなふうにお茶を淹れてもらうだなんて悪い気がする、のだけれど。
「で、では、ありがとうございます……!」
「うん。座って待ってて」
こういう時に素直に甘えると、ライオネルは何故か、とても嬉しそうに目を細めるのだ。
ファティアはそのことを知っているので、あまりしつこく「でも」とは言えず、大人しくソファに腰を下ろした。
「ファティア、はいどうぞ。温度は大丈夫だと思うけど、一応火傷しないように気を付けてね」
「はい。ありがとうございます」
その後、ファティアはライオネルからティーカップを受け取ると、少しずつそれを口に含む。
この鼻に抜ける香りからして、ハーブティーのようだ。
ミルクが入っているため、ハーブの独特な苦みが中和されていて、とても飲みやすい。
「美味しいです……!」
「ほんと? 良かった」
(確かこのハーブティーって、疲労回復の効果があるんだっけ……)
お茶を淹れてくれることしかり、そのお茶の効果しかり、ライオネルの優しさには何度も感動してしまう。
ファティアは、自分の隣でティーカップに口を付けるライオネルを見つめる。
そして、もう一度「ありがとうございます」と礼を伝えたのだが、その時とあることに気が付いた。
「ライオネルさん、髪の毛湿ってませんか……?」
「そう? 一応拭いたんだけどね」
ボタボタと雫が垂れるほどではないが、毛先がやや束になっている程度には濡れているように見える。
普段、ライオネルの髪の毛は青みががった黒色だが、濡れていると真っ黒に見えるから不思議なものだ。
「だめですよ! 乾かさないと! 風邪を引いてしまいますから」
「そんなに軟じゃないから大丈夫……って、『呪い』のせいとはいえ、何度も倒れてる奴に言われても説得力ないか」
「ちょ、ちょっとだけ……?」
ライオネルを軟弱だと思ったことはないが、確かに彼の言う通り、説得力には欠ける。
素直な感想を伝えれば、ライオネルは「あはは」と笑い声を上げた。
ファティアもつられて笑みを浮かべたが、ライオネルに対する心配が消えることはなく──。
(あ、そうだ!)
そんな時、ファティアはとある名案を思い付いた。
(これなら、ライオネルさんも付き合ってくれるかも……!)
ファティアは急ぎティーカップをテーブルに置くと再びライオネルに向き直った。
「一つ提案があるのですが、良いですか?」
「どうしたの?」
「お風呂に入る前に魔道具で余計な魔力を吸収したばかりなので、修行の一環として、ライオネルさんの髪の毛、私が魔法で乾かしても良いですか?」




