『元聖女』は『第二王子』に驚愕する 4
◇◇◇
現在、ライオネルは椅子に腰掛けながら、アシェルやハインリと共にとある光景を見ていた。
「ファティア様! 背筋を伸ばして! 視線は遠くに! 歩幅は小さく!」
「はっ、はい……!」
ライオネルたちの目に映るのは、リビングのひらけたスペースで、リーシェルがファティアの歩行指導を行っている姿だった。
ファティアは先程まで履いていた靴から、以前ライオネルに買ってもらったヒールのある靴に履き替えて挑んでいるが、とうやら苦戦しているようだ。
「ファティア様! 背筋が曲がっていますわ! やり直しです! それに、いくら当日は魔法でお顔が変わるとしても、表情はファティア様本来のものが反映されます! にこやかに!」
「は、はい!」
──というのも、事の発端は数分前。
リーシェルがファティアにレッスンを勧めたことが始まりだった。
婚約披露パーティーには、多くの貴族が参加する。
それも、第一王子の婚約披露パーティーとなれば、来賓たちの質も高く、皆が当たり前のように貴族教育を施されている。
そんな中、長らく孤児院で過ごし、ザヤード子爵家の養女になってからも、まともな貴族教育を受けられていないファティアが婚約披露パーティーに参加したらどうなるか。悪目立ちするのは想像するのは容易だろう。
事情があるにせよ、ファティアはアシェルの友人として参加するのだ。
そのため、最低限の姿勢や歩き方、表情くらいはマスターしなければ、アシェルに恥をかかせることになる。
ということで、リーシェルはファティアのレッスンを行うために、今日わざわざ来てくれたらしい。
(ファティア、大丈夫かな)
少し歩いてはリーシェルに指摘を受けるファティアを、ライオネルは心配そうに見つめる。
本来、パーティーに参加するならば、貴族の名前を覚えたり、言葉遣いや食事のマナー、その他諸々の所作のレッスンも行う方が良い。
しかし、婚約披露パーティーまで残り一ヶ月と少ししかない。リーシェルがこの場に来られるのが今日しかないこともあって、美しい姿勢や歩き方だけでもファティアが身に付けられるよう、リーシェルの指導には熱が入っていた。
「ファティア様! 遠くです! 歩く時は遠くを見るのですわ!」
「はいっ、リーシェル様……!」
「また! 背筋が曲がっていますわ! もう一回!」
「はい……!」
リーシェルの指導についていくファティアは大変そうだけれど、どこか楽しそうにも見える。
(ファティアは学ぶことが好きだからな。……とはいえ、本当に偉いな)
術師団の団長だった頃、ライオネルは度々パーティーに出席することがあった。
貴族出身ではなく、人混みをそれほど好まないライオネルは乗り気ではなかったけれど、アシェルに出席するよう命じられたら、従うほかなかったのだ。
(まあ、そのおかげである程度の所作や、貴族との関わり方は学んだけど)
ライオネルからしてみれば、その学びは不可抗力の成果だった。
だから、なんにでも前向きに学ぼうとするファティアの姿は、ライオネルには眩しかった。
(……ファティア、頑張れ)
ライオネルはフッと口角を上げて、慈しむような目でファティアを見つめる。
すると、そんなライオネルを見たアシェルは、悪戯好きの少年のようにニヤニヤと口元を緩ませた。
「ライオネル、まだファティア嬢に気持ちは伝えていないのか?」
「はい……?」
ファティアとリーシェルには聞こえない程度の小さな声でそう尋ねるアシェルに、ライオネルは顔を顰めた。
(このお方の察しが良いところ、どうにかならないかな)
なにをきっかけに気付いたかは知らないが、どうやらアシェルには、ライオネルのファティアへの好意はバレてしまっているらしい。
直接的な言葉はなかったけれど、アシェルのニヤニヤした表情からして間違いないだろう。
「うっ、ゔん……!」
「…………」
わざとらしく咳払いするハインリも鬱陶しい。顔を真赤にしながらも、チラチラこちらを見てくる姿も。
「……ハァ」
堪らず、ライオネルから溜め息を漏れる。
この場を黙秘でやり過ごしたいが、ハインリはまだしもアシェルがそれを許してくれないだろう。
(仕方がないな)
ライオネルはファティアを見つめながら、小さく口を開いた。
「ファティアは今は母親の形見を取り戻すことで頭がいっぱいのはずです。そんな彼女の邪魔はしたくないので、ペンダントを取り戻したら、ちゃんと伝えるつもりです」
「……へぇ。美しいと有名なご令嬢や人懐っこい部下から告白されても、一切靡かなかったお前がね。……ま、応援するよ」
誂うような表情から一転し、嬉しそうに微笑むアシェル。
「私も応援しますよ……!」とキリッとした表情を見せるハインリ。
そんな二人の様子を視界の端に捉えたライオネルは、照れくさそうに下唇を噛むと、おもむろに立ち上がった。
「お茶のおかわりを準備してきます」
ライオネルがそう言うと、続いてハインリも立ち上がった。
「それでしたら、私も手伝います……! これでもお茶を淹れるのはなかなか得意でして!」
「因みにお前のおかわりはないよ、ハインリ」
「なんでぇぇ!?」
それから、ライオネルはハインリと共にキッチンに向かい、紅茶のおかわりの準備をし始めた。
「……全く、喧嘩するほど仲が良いってね」
ライオネルたちの様子を見てアシェルはそう呟くと、次はファティアとリーシェルを視界に収める。
「……うーん」
そして、愛おしい婚約者ではなく、ファティアをジッと見たアシェルは、悩ましい声を零したのだった。
「ファティア嬢……。どこかで見た気が……。どこだったかな──」




