『元聖女』はトラブルに立ち向かう 1
それは、いつもと同じような朝だった。
お互いに身支度を整えて、朝食を食べ、ひと通りの家事を一緒に済ませる。
しかし。いつでも修業が始められるように、ハインリに送ってもらった魔導具で少量の魔力を吸収していると、ライオネルから告げられたのはいつもと同じ言葉ではなかった。
「今日はデートに行こう」
「えっ」
「少し遠いけど王都まで行ってみようか」
「えっ」
「……? 王都は嫌?」
(いや、そっちじゃなくて)
ファティアは驚きのあまり声が出ずに、瞬きを繰り返すことしか出来ない。
ライオネルはそんなファティアに少し意地悪な顔をして距離を詰めると、ファティアの横髪をそっと耳にかけながら、姿を現した小さな耳に顔を寄せる。
そして、色気を少し孕んだ優しい声色で囁いた。
「デート、行こう?」
「…………か、か、か、か、買い物、では!?」
「違うよ。俺はデートに行きたい。ね、行こう?」
「…………っ」
こんなふうに言われて、断れる人がいると言うなら見てみたい。
そう思いながら、ファティアは赤くなった顔を両手で覆い隠しつつ、コクリと頷いた。
落ち着いた琥珀色のワンピースに着替え直したファティアが王都に辿り着いたのは、デートに誘われてから二時間ほど後のことだった。
「今日のワンピースも可愛いね。似合ってる。それに髪の毛も結んだの? 可愛い」
「……あ、ありがとうございます」
デートではなく買い物だから、と思おうとしても、ついつい格好に気合が入ってしまう。
普段は下ろしっぱなしか、後ろで一括りにしかしない髪の毛も、今日は自分でできる最大限可愛い髪型のハーフアップにし、案の定可愛いと褒めてくれるライオネルにファティアは困り顔だ。
(ライオネルさんの可愛いはそれなりに聞いてきたつもりだけど、何だか今日は一段と凄いというか、なんというか……)
最近では、ライオネルがファティアを可愛いと褒めるのは日常茶飯事だ。
毎回照れてしまうとはいえ、多少は免疫が出来てきたかなと思っていたのだが、今日は凄い。
全身から、可愛い、という感情がひしひしと伝わってきて、ファティアは居た堪れない気持ちになる。
(道行く女性たち……ライオネルさんの隣を歩くのが私ですみません)
相変わらず女性よけのためのローブとフードを纏っていても、チラチラとこちらを見る女性たちの視線に、ファティアはそんなことを思う。
「ファティア、とりあえず歩こう。気になるものがあったら遠慮せずに言うこと。分かった?」
「は、はい。分かりました」
「ん、良い子だね。それじゃあ行こう」
そうしてしれっと手を繋がれ、慌てふためくファティアにライオネルは小さく笑う。
垂れた目がいつにもまして楽しそうに細められ、手だけでなく全身から汗が吹き出しそうだ。
もちろん、何を言っても繋がれた手が離されることはなかったけれど。
そうしてファティアはライオネルの隣を歩きながら、初めての王都を目に焼き付けていく。
見たことのない食べ物、最先端のファッション、広場には大道芸人がいたり、露店も数多く立ち並ぶ。
王都には頻繁に騎士団が巡回をしているそうで、警備が手厚いため、あまり問題も起こらないらしい。
「ファティア、あっちの露店も行こう。なんか美味しそうなスイーツが売ってる」
「はい、行きましょう。……何だかライオネルさん、いつもよりテンションが高いですね?」
目を光らせてウキウキしている様子のライオネル。
食事をしているときもいつも幸せそうだが、今日はその比ではない。
しかしファティアは次の瞬間、投げかけた問いかけに後悔することとなる。
「そりゃあ、ファティアとデートしてるんだからこうなるでしょ。楽しいね、ファティア」
「…………っ」
(楽しいです、楽しいです、けど……!)
あまりにも幸せそうに言うライオネルに対して、ファティアはいっぱいいっぱいになってしまい、コクコクと頷くことしか出来ない。
気の利いたことを一つも言えない自分にファティアが若干自己嫌悪をしていると、ライオネルはすっとファティアの頭に手を伸ばし、ポンポンと柔らかく叩いた。
「大丈夫、分かってる。ファティアも楽しいって顔に書いてあるし」
「えっ!? 顔に……!?」
「うん。それにさっきだって行きたい店があったからグイグイ俺の手を引っ張ったでしょ。あれ可愛かった。もう一回やって」
「〜〜っ、もうやりません……!!」
(私そんなことしてたの!? 完全に無意識だった……!)
ファティアは繋がれていない方の手で目一杯顔を隠す。
羞恥心でぐちゃぐちゃになった顔を、見せられるはずなかった。
──だって、見せたら。
「その顔も可愛い。よく見せて?」
「……っ、ご容赦を……!」
手を絡め取られ、晒されてしまう自身の表情に対して、ライオネルが可愛いと言うことなんて火を見るよりも明らかだった。
どうやら今日のライオネルは、何をしても、どんな顔を見せても、可愛いと言うらしい。
ファティアは今日は可愛いと言われる前提で過ごさないと心臓が持たないと覚悟を決めて、デートの後半を過ごすのだった。
しかし楽しくてドキドキするデートの最中、ファティアはとある問題に直面することになる。
それはファティアが、一人でベンチに腰掛けているときだった。
「あの子……迷子かな……?」
ライオネルが珍しく手を離してきたと思ったら少しだけ一人で買い物をしたいというので、ファティアはもちろんですと頷いたのが少し前のことだ。
「絶対にここから動かないように」と言われ、広場にあるベンチに腰掛けたファティアだったが、目の前で一人でウロウロしている男の子の姿が視界に入る。
大体四歳から五歳くらいだろうか。身なりも綺麗なので、訳ありで一人でいるという感じではなく、キョロキョロと辺りを見渡していることからも、間違いなく迷子だろう。
(助けたほうが良いかな……)
とはいえ、ファティアが王都に来たのは今日が初めてなので、何処かに案内するにしても役に立たない。
変に話しかけてこじれるくらいならば、別の誰かが少年に気がついてくれるのを待っていたほうがいいのかも知れないとも思ったのだが。
「ふぇっ……お母さ、どこぉ……っ」
ポロポロと涙する少年を見て、ファティアは勢いよく立ち上がった。
(私が助けなきゃ……!)
一人で心細く、誰かに助けを求める気持ちは、ファティアが一番よくわかっている。
一人でザヤード邸を飛び出し、知り合いもいない街に来て、男たちに襲われかけ、その時助けてくれたライオネルの存在が、どれだけ有り難かったか。
ファティアはライオネルのように華麗に助けてあげることはできないかも知れないけれど、少なくとも気持ちに寄り添ってあげることは出来る。一人にさせないことはできる。
ファティアは少年のもとまで歩くと、腰を曲げて目線を合わせた。
「大丈夫? 迷子かな?」
「う、ん、お母さん、いなくて……っ」
「そっか。寂しいし、怖いよね。お母さんきっと探してるから、ここにお姉ちゃんと一緒に居てくれないかな?」
母が生きていた頃、もしも迷子になったらその場から動かないようにと言われていたファティア。
しばらくこの場に留まり、母親があまりにも来ないようならば王都を巡回している騎士に声をかければ良いだろうかと思っていた。
「うん……! 分かった……!」
「良い子だね。それじゃあ一回座ろうか──」
「あっ! お母さん……!!!!」
「えっ」
少年と手を繋ぎ、ベンチに座ろうとしていたときだった。
少し離れた距離にいる女性を指差し、少年は思い切り走っていく。
少年の声が聞こえていないのか、それとも見間違いだからなのか、その女性は路地に入って行ってしまった。
「っ、ちょっと待って……!」
「お母さんだ! お母さんがいたんだ……!」
本当に母親ならば良いが、これで間違いだった場合が問題だ。
少年が路地で一人きりになってしまうのはどう考えても避けたほうが良いと、ファティアはライオネルに「絶対にここから動かないように」と言われたことに対して内心謝罪をしながら、少年を追いかけて行く。
(この子、足、速い!!)
ファティアが中々に運動のセンスがないので足が遅いというのもあるのだが、人混みを避けながらの移動は小柄な少年のほうが有利だったのだ。
それでもやっとのことで、路地に入った少年を見失わずに済むことができたファティアは、肩で息をしながら少年を見やる。
泣きそうな顔で振り返ったところを見ると、どうやら見間違いだったらしい。
「えーーん!! お母さんじゃなかったぁ……!!」
「大丈夫……! お母さん絶対探してくれてるからね……!」
お菓子や玩具なんてものは持っておらず、残念ながら励ますことしか出来ない。
それでも自分にやれることをやろうと、ファティアは少年の手を繋いで元いたベンチの辺りまで戻ろうとすると、「ファティア?」と名前を呼ばれて目線を少年から声の主に移す。
「────どう、して」
「どうしてはこっちの台詞よ! 何であんたがここに……! それにその姿……」
そこには、信じられないと言いたげな目で、ギロリと睨みつけてくる──ファティアの一番大切なものを奪ったロレッタの姿があったのだった。
読了ありがとうございました。
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