『元聖女』は『元天才魔術師』と出会う 1
庭掃除をするために用意された薄汚れた靴を履き、小さなトランクを持ってザヤード邸から飛び出したファティアの足は、フラフラと歩き始めた。
孤児院時代から満足な食事を与えられていなかった細い体に、しとしとと降る雨が容赦なく降り注ぐ。靴と同様に薄汚れたグレーのワンピースを着たファティアは、それでも足を止めなかった。
(お母さん……ペンダント取り戻せなかった……頑張った、んだけど……ごめんね…………)
孤児院では金目になりそうなものは没収されるので、絶対に見つからないように身に着けていた。
──それを僅かな間に奪われるだなんて、気を抜いていたのだろうか。
間違いなく盗んだロレッタが悪いというのに、精神状態がボロボロだったからか、ファティアは自分を責めた。
(とりあえず街……街に行かないと……働かないと生きていけない……)
しかし涙を流す暇もない。
ロレッタ曰くトランクには服が詰められているというが、服だけでは全く生活ができないのだ。
お金は勿論、寝床に食事、働き口。今のファティアにはそれらが全てなく、頼れる人もいなかった。
ここで母の形見さえあれば、気分だけは晴れやかだったというのに、それさえ叶わなかったのが現実だ。
現実に絶望し、足が止まりかけたとき、ファティアは、はたと母の言葉を思い出した。
『貴方には苦難が訪れるかもしれないけれど、このペンダントがきっと貴方を守ってくれるわ』
『私の最愛のファティア──』
『ファティア……幸せになってね。お母さんの最期のお願いよ』
──ポタポタと、雨粒が前髪から頬へ、次に顎を伝い、地面に落ちる。
代わりに泣いてくれているのだと思うと、この雨も悪いことばかりではないとファティアは思った。
「だめ……落ち込んでても……ペンダントは返ってこない。──生きるために、今は街に行く。うん、そうよ、頑張れ私」
◆◆◆
ザヤード邸から孤児院を超え、大きな街に辿り着くのには五日かかった。
その間ファティアは孤児院時代に実践で得た知識を使って野草を食べ、連日降りしきる雨で水分を取ることで飢えを凌いだ。
毎日二時間程仮眠を取るだけで歩き続けたファティアの身体はボロボロで、野草でお腹を膨らますのだって限界があった。
歩くときは雨に晒されて体は冷え、いくらトランクにある乾いた服に着替えても全く意味は成さないので、結局開いていない。休憩するときの椅子代わりでしかなかった。
──そんな中で歩いた五日間。
ようやく目的地のザヤード領の隣の領、ベルム領の中で一番栄えた街──レアルに辿り着いた。
ファティアがレアルに来た理由は二つだ。
まず一つはザヤード領から一番近い他領だったこと。孤児院だけでなく、ザヤード領は街も含め杜撰な管理で、まともに働ける場所が少なかったので、ザヤード領に留まる選択肢はなかった。
もう一つは母と数ヶ月滞在した街だったからだ。
記憶はあまりないけれど、全く知らない土地よりは多少覚えがあるだろうという安心感があった。
活気に溢れ、子供ながらに良い街だなぁと思った記憶がファティアの中に微かにあった。
雨が上がり、光が差して来たこともあって、ファティアの中に僅かな希望が生まれた。
──はずだった。
「嬢ちゃん一人かぁ?」
「へへっ、今日はこの子に決まりだなぁ」
街を詳しく見ようと、街の外れを歩いているときだった。
服はツギハギで血色が悪く、悪臭漂う男たちがロレッタとはまた違うニタニタとした笑みを浮かべ、ファティアを取り囲んだのである。
(これは……まずい……!)
孤児院で口酸っぱく言われたのは『お前たちは恵まれている』という言葉だ。
あのときはこの環境のどこが恵まれているのだろうと思っていたが、今になってファティアはようやく分かった。
少なくとも孤児院にいる間は、こういう厭らしく、舐めるような目で見られることはなかったのだ。
勿論引き取り手がお金さえ払えばファティアたちに拒否権がなかったが、目の前の男にはそんなお金はないだろう。
ファティアが幼い頃、見目が綺麗な女子は、裕福そうな男性に引き取られることが多かった。感覚的にファティアはその意味を理解できた。
聖女の力が覚醒したこともあってファティアの未来は少し違ったものになったけれど、果たしてどちらが幸せだっただろう。
母のペンダントを持ちながら金持ちの玩具になるか、ペンダントをロレッタに奪われ苛められながらも、体は清いままか。
──ペンダントもなく、複数の男たちに囲まれているファティアは、今日が人生で最悪の日だと確信した。
「いやっ、触らないでください……!」
「仲良くしようーぜ嬢ちゃん! そのなり見たら俺たちと大差ねぇだろ? 可愛い顔してっから俺たちが満足したら良い店紹介してやっから」
「久々の上物だな……こりゃあ楽しみだ」
「いやっ! やめてぇ……!!!!」
どんどん人気のない路地に連れ込まれていくファティア。
五日間歩き続けた影響もあって細い足に力は入らず、ファティアのエメラルドグリーンの瞳には影が差す。
(だめ……逃げられない……っ)
先程まで雨が降っていた影響か、人の姿はない。
大声を出しても誰にも届かず、雨風に晒されたことがたたってか、このタイミングで悪寒までしてきて、身体に力が入らなくなってきた。
絶体絶命とはこのことを言うのだろう。ファティアは、絶望的な状況に、もはや涙は一滴も出なかった。
(もう……諦めようか…………)
ロレッタにペンダントを奪われなければこんな目にはあわなかったのか。
そもそも貴族の養女になったことが間違いだったのか。
それならば聖女の力が発動したことこそが、この不幸の始まりだったのか。
(けど……怪我が治ったときの皆……嬉しそうだったな……ありがとうって言われて、私……確かにあのとき、幸せだった)
ファティアの瞳に一瞬光が宿る。
(最期のそのときまで、諦めちゃだめだ。頑張れ、私)
ファティアは目一杯、息を吸い込んだ。そして。
「助けてぇぇぇ!! 誰かぁぁあ!!」
──そう、これ以上ないくらいの大声で、叫んだときだった。
「何してるの」
「…………!」
コロコロと転がってきた林檎が、コツン、とファティアの足元で止まる。
「良いとこなんだから邪魔すんなよにぃちゃん!」
林檎が転がってきた方向を見れば、漆黒のローブを纏い、左手に食材を詰め込んだ大きな袋を持った青年が立っていた。
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