『元聖女』は『元天才魔術師』と買い物に行く 4
「ライオネル、さん……?」
あと一口。最後のひと口で食べ終わるはずだった苺のムースの味が一瞬で忘れてしまうほどの衝撃が、そこにはあった。
片手は腰に回され、もう片手は後頭部あたりに回され、力強く抱きしめられたファティアの弱々しい声が、ライオネルの耳に届く。
「ライオネル、さん、あの」
返事がないのでもう一度呼びかけると、ライオネルが少しだけぴくりと反応を示す。
身じろぎをしても、離してくれる様子はないようだった。
「ファティア、今朝も言ったけど」
「は、はい」
しかし話してくれる気はあるらしい。
理由も分からず突如として抱き締められたファティアからしてみれば、それだけで少し気が楽だった。
相槌を打ってから、ファティアはライオネルの言葉に耳を傾ける。
「今のままで十分ファティアは可愛いよ。確かに細身だけど、初めて会ったとき程じゃないの、自覚ない?」
「……多少はマシかもしれませんが……」
「うん。もしまだ気にしてるならこれからもっとゆっくりしてご飯もいっぱい食べたら良い。作れない俺が言うのは何だけど、手伝うくらいはできるし」
「…………っ、ライオネルさん、何でそんなに優しいんですか……っ」
(この人は……優し過ぎる)
聖女の力があると言っても、今は治癒魔法を使えない。
聖女には『治癒』と『浄化』ができるとハインリが言っていたが、『浄化』とは何なのかも全く分かっていない。
修行のたびにライオネルが『呪い』によって痛い思いをして、少しでも楽になればと手を握ることしかできない。
──何一つ、返せていない。それなのにライオネルは優しくて、褒めてくれて、励ましてくれて、隠し事も無理に聞かないでいてくれる。
ファティアの目の奥が熱くなる。そしてそれは、じんわりとライオネルの白いシャツを濡らした。
「なん、にも、返せてないのが、申し訳ないです……っ」
涙と同時に溢れてしまったファティアの本音に、ライオネルは静かに頭を振る。
「そんなことない」
「……!」
そして、間髪入れずに返ってくるライオネルの言葉に、ファティアは僅かに目を見開いてからライオネルの言葉を待った。
「結構、俺はファティアに救われてる」
「えっ」
「少しだけ俺の話を聞いてくれる?」
頭上から、そう問いかけられたファティアが、小さくコクリと頷く。こんなときだというのに、耳の近くにあるライオネルの心臓の音が心地良いのはどうしてなのだろう。
ライオネルはファティアを強く抱きしめたまま、平坦な声色で語り始めた。
「前に、ファティアの髪を乾かしたとき、幼い頃から魔法が使える人が周りに多いって言ったこと覚えてる?」
「はい」
「それは家族のことで……自分で言うのも何だけど、うちは魔術師のエリートの家系なんだ。だから魔法が使えるのは当たり前で」
魔法が使えることが大前提の家ならば、確かに弱い魔法で褒められることなんてなかっただろう。
容易に想像できたファティアは、ライオネルの腕の中で小さくコクコクと首を縦に動かす。
「ほんと魔法にしか興味のない家族だったからご飯は食べられるなら良いだろって、パンをそのままとか野菜を丸かじりとかばっかだったし、魔法の実験とかもしてたから人を入れたくないとかで家政婦を雇ってもいなくて、家が荒れることもあったから俺がよく掃除してた。洗濯もね。有り難いことに俺は魔法の才能がそれなりにあったから、修行以外に割ける時間があったし」
簡単に作ったご飯でも、ライオネルは心底喜んでくれたのは、家庭でそういうものが出たことがなかったからなのだろう。
料理ができない割に洗濯や掃除ができるのは、家を清潔に維持するためにやっていたのだという。
「まあだけど、魔法第一主義の家で育ったからなのか、俺自身がそうなのか……やっぱり俺にとって魔法は大切で──だから『呪い』の影響で魔力が激減したことも、魔法を使ったら激痛が走ることも、結構堪えた。自暴自棄になって魔法を乱発して、毎日呪いの痛みに耐えるのもそろそろ辛かったし、そんな俺を見てるハインリにも何だか悪くて……魔法から離れようと思った」
だから魔術師の資格も返納し、団長の地位も退いたのだという。現時点では保留扱いだが、ライオネルは魔法が大切だからこそ、『呪い』が解ける目処がつかない現状が辛かったのだ。
だからライオネルは、魔術師として多くの功績を残したために与えられた屋敷からも離れ、街の外れに一人で暮らしているのだという。
どこかにフラフラと行ってしまいそうなライオネルに、この家を与えたのは第二王子らしい。以前は別の人間が住んでいたらしいが、今は空き家なのでずっと住んでも良いからと。
外観に比べて中が綺麗なのも、料理をしないライオネルの割にキッチンに道具が揃っていることにも、ファティアはようやく合点がいった。
「けどファティアを助けたときに久しぶりに魔法を使って、服を乾かしたり、髪の毛を乾かしたり、魔力吸収をしたり──ファティアが喜んでくれたり、凄いっていってくれたり、驚いてるのを見て、魔法を覚えたてのときの気持ちを思い出した。呪いはきつかったけど、ファティアが手を握ってくれるから本当にだいぶマシだし、実は今は呪いの痛みがそんなに怖くない」
「…………?」
「呪いのときはファティアから手を握ってくれるでしょ。あれ結構嬉しいんだよ」
「……なっ」
ライオネルにそんなふうに言われて、心臓が高鳴らない人なんて居ないのではないか。これは普通の反応なのだ。
ファティアはそんなふうに思いながらも、今更ながら抱き締められていることもあってか、全身がじんわりと熱くなってくる。
甘くて恐ろしい魔法にかかったような、そんな感覚だった。
「つまりね、ファティアには十分返してもらってるよ。ありがとう。……あ、それにいちいち反応が可愛いってのもあるな。そんなファティアを見れて役得。それに──」
「!? ……っ、もう、分かりましたから……!」
「本当? 分かってくれたなら良かった」
その時ようやく、ライオネルの腕の力が緩む。
ファティアはライオネルとの間に手を入れて少しだけ距離を取ると、その瞬間に顎を掬われて反応できなかった。
ライオネルの垂れた瞳と、バチッと絡み合う。
「あ……」
「泣き顔も可愛いけど、ファティアはやっぱり笑ってる方が可愛いよ」
「か、か、か、かわっ……!」
「うん。照れてる顔も可愛い。あ、そういえば」
いつの間にやら平常運転のライオネルに、ファティアは気持ちが追いつかないでいる中で、必死に心を落ち着かせる。
そんなファティアの気持ちを知ってか知らずか、ライオネルはテーブルへと視線を残した。
「ファティア食べかけだったよね、ごめん。はい、あーん」
「えっ」
スッとライオネルに握られたスプーンが口元に近づいてくる。
ぷるんっと程よく固まった苺のムース──最後のひと口がそこには乗せられていた。
「行儀悪いけど最後のひと口だから食べちゃいな。それで一緒に片付けして、ゆっくりしよう」
「自分で食べ──んんっ」
「美味しいね。ファティア」
口を開いた瞬間突っ込まれてしまえば成すすべはなく、ファティアはもぐもぐと咀嚼してからごくんと飲み込む。
最後のひと口は、砂糖を入れすぎたのかというくらい、酷く甘い味がした。
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