『元聖女』は家を追い出される 2
「無能はこの家から、出ていきなさい!」
「えっ。出て行って良いんですか!?」
ファティアにとって、それは青天の霹靂だった。
ファティアは別に好き好んでザヤード子爵家に来たわけではない。
当初は貴族の養女になることで、孤児院を豊かにすることができるかもと期待に胸を寄せていたが、『元聖女』となったファティアに両親が力になってくれるはずはなかったのだ。
「そうよ! 無能は家を出ていきなさいって言ってるの!」
ファティアはおもむろに顔を上げた。エメラルドグリーンの瞳には僅かな希望を宿している。ペンダントを奪われてからというもの、瞳に一番輝きが差した瞬間だろう。
母の形見さえ返してもらえるのならば、ファティアはいつだってここを出て行きたかったから。
「お父様とお母様は、あんたの聖女の力がいつかは回復するかもって一応家に置いておいたみたいだけど、私が殿下と婚約するならもうあんたは用済みなのよね。次期妃以上に価値のあるものなんてないし。……もうかれこれ一年は無能じゃない『元聖女』さんは。利用価値さえないのよ、あんた」
「分かりました……! ペンダントさえ返していただければ、私は今すぐにでも出ていきますから」
聖女云々はもはやどうでも良い。元聖女だと馬鹿にされようが無能だと罵られようが、ファティアは別に構わなかった。
家を出たら苦労することだってあるだろうが、この家でこの先も虐げられるのに比べたらずっとマシだ。
(孤児院は一度出たら戻れない規則だから……子どもたちのことは心配だけど街に働きに行こう。お金が溜まったら孤児院には服や食べ物を寄付して……それから……)
これで今の生活とさよならできる。ファティアは心の底から喜んだ。
けれど何が一番嬉しいって、ペンダントが返ってくることだ。そのためにファティアは、今までロレッタの命令に全て従ってきたのだから。
ファティアは地面にぺたりと座り込んだまま、物乞いのように、両手のひらを上にしてロレッタに手を伸ばした。
「仰ってましたよね……? この家にいる間、毎日土下座をして頼み込むなら返してくれるって……っ! 命令にも全て従いました……! 今すぐ家を出ていきますから、そのペンダントを──」
「返してください」と口にするはずだったファティアだったが、その言葉が発せられることはなかった。
ワインレッドの口紅を引いたぷっくりとした唇がにんまりと弧を描き、同じくワインレッドの瞳が厭らしく細められたからだ。
──それは、ファティアが絶望に直面したとき、ロレッタが必ず見せる笑みだった。
「そんなこと言ったかしら?」
「え……? 待ってくださ──」
「全く覚えがないわあ〜。あんたの記憶違いじゃない?」
(何……? 何を言っているの……?)
どれだけ無様だろうと悲しかろうと痛かろうと、ファティアはこの日のために、家を出る日のために──母の形見を取り戻すために耐えてきたというのに。
いくらなんでもあんまりだと、ファティアは下唇を噛み締めながら立ち上がった。
「そんなはずありません……! 約束したじゃないですか……っ! 返して……っ、お母さんの形見なんです……!! 返してください……!」
「っ、ちょっと!! 誰か来て!!!」
ロレッタは治癒魔法を使うことは出来るが、他属性──水、火、風、土の属性の魔法を扱うことは出来なかった。つまり魔法で攻撃してくることはない。
それを知っているファティアは、感情に任せて一か八か、ロレッタの首あたりに手を伸ばしてペンダントを奪い取ろうとするのだが。
「どうしたんだいロレッタ!!」
「何をしているのファティア!! 早くロレッタから離れなさい!!」
王太子との婚約の話をしようとロレッタの部屋に入ろうとしていた両親は、ファティアがロレッタに掴みかかっている姿に一目散に駆け寄った。
父は二人を引き剥がすと、思い切りファティアの顔を拳で殴りつける。
「ぐはっ……!」
「ロレッタに何をしている!! 恩知らずめ!!」
ファティアが殴られた痛みで地面に倒れ込むと、母はロレッタのことを労るように抱き締めている。
その腕の中でロレッタはニンマリと微笑むと、ファティアにしか見えないようにべっ、と舌を出した。
「……酷い……っ、酷いです……!」
「酷いのはお前だファティア!! ロレッタから言われなかったのか!? さっさとこの家から出ていけ!! せっかく聖女の力があるから院長に高い金を払ってやったのに……すぐに無能になるわ回復もしないわ。挙句の果てにロレッタに暴力だと!? 恩を仇で返しやがって……!!」
──トゴッ!! と今度は思い切り腹部を蹴られ、ファティアは痛みで、芋虫のように体を丸めて顔を歪める。
この場でロレッタが嘘をついたからと説明しても意味はないことを、ファティアは良く知っている。
もう力づくでどうこうすることも出来なくなり、ペンダントは諦めて家を出るしか選択肢はないのだ。
ファティアは痛みに耐えながらふらふらと立ち上がると、お腹を押さえながら出口へ向かって歩いていく。
ドアノブに手をかければ「あ!」と何かを思い出したようにロレッタが声を上げた。
「そうそう、ファティア、忘れ物よ!」
「えっ」
(もしかして……ペンダント……?)
最後の最後に慈悲を与えてくれるのかもしれない。
ファティアが少しだけ期待して勢いよく振り向くと、小ぶりのトランクが投げつけられた。
体にぶつかり、よろけながらもファティアはそのトランクとロレッタの顔を交互に見る。
美しい赤い宝石の付いた母の形見は、ロレッタの首元にあるままだった。
「ペンダントだと思った? ざーんねん。でもこれは餞別よ? あんたがこの家に来てから着ていた服! 使用人たちに詰めさせたわ! 聖女の力が無くなったあんたのものなんて置いておいたら縁起が悪いわ? 私まで聖女の力が無くなっちゃいそ──」
「それでしたらそのペンダントも……!」
食い気味に話すファティアに、ロレッタはこれ以上ないくらいにニンマリと微笑む。
「これはだめよ。だってあんたの大事なものなんだもんね? だから、だーめ。ふふっ」
赤い宝石が綺麗だとか、このデザインが好きだとか、そんな可愛らしい理由ならどれほど良かっただろう。
ただ単にファティアの大事なものだから。それを奪われたファティアの歪んだ顔が見たいから。ただ、そのために。
「…………っ」
──ガチャ! と思い切りドアノブを開けると、ファティアはトランクを持ち、部屋を出る。
零れ落ちそうになる涙を堪えながら、屋敷の外へ飛び出した。
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