『元聖女』は家を追い出される 1
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「お願いします……母の形見なんです……! ペンダントを返してください……!」
「毎日毎日言われた通り土下座して──あんたって本当に惨めよね」
床に額に擦り付けて懇願するファティアは、一切顔をあげることなく、ただひたすらに「返してください」「お願いします」と口にする。
キラリと光る赤い宝石の付いたペンダントを首にかけ、汚物を見るような目で見下ろすロレッタにファティアの言葉が届くこともなく。
ロレッタは艶々としたダークブラウンの髪の毛を耳にかけながら、思い切り足を振り下ろした。
「っ……!! お願い……しま、す……かえし、て……」
「しつこいわね! このペンダントだって私みたいな高貴な聖女に付けてもらうほうが幸せよ!」
「…………」
「何? 自分が聖女だって言いたいわけ?」
「いえっ、違います……! 聖女かどうかは別にどうでも良くて……! 私はただペンダントを──」
「どうでも良い? まだ調子に乗ってるようね!」
「違っ──」
ふんっと鼻息を漏らして、憤怒しているロレッタに、これまでファティアは何度額を地面につけて頭を下げたことだろう。
唯一母の形見であるペンダントだけは、どうしても奪われたままにしたくなかった。
──ファティア・ザヤード。
メルキア王国の西部にあるザヤード領地を治める領主兼、子爵の養女である。
現在十七歳で、約一年前にザヤード子爵家の養女として迎えられた。
それまでは六歳の頃から孤児院で暮らしていたが、メルキア王国で一番管理が杜撰な孤児院だと言われており、劣悪な環境での生活は酷いものだった。
食材は腐りかけのものしか運ばれず、量も孤児たちの全員の腹を満たすには到底足りない。
衣服の支給もなく、擦り切れたものを着るのは当たり前どころか、服を着られるだけ有り難いと思いなさいと言われる始末だった。
寒さや暑さに抗うすべもなく、風邪を引けば看病どころか折檻部屋へと連れて行かれ、『呪い』を払うなどと言って叩かれる。助けようとすれば同じ目にあわされるので手出はできず、生きていくには孤児院の方針に従うしかなかった。
ファティアはそんな孤児院で十年過ごし、孤児としては年長者になっていた。
母のおかげで字の読み書きはできるので、仕事は見つかるだろう。そろそろ孤児院を出て働きたかったファティアだったが、酷い環境の孤児院に子どもたちを残して行くのが気がかりだった。
これからどうしようかと思っていると、それは突然だった。
『ファティアお姉ちゃん凄い! 傷が治っていくよ!!』
『なに……この力…………』
傷ついた子どもたちを見てどうにかしてあげたい。ファティアがそう思ったとき、突然淡い光の粒が自身を纏うのと同時に、子どもの怪我をした足や腕も光の粒が包み込み、傷が見る見るうちになくなっていくのだ。
もちろん見た目ではなく、痛みもなくなるようで、それらは紛れもない『治癒魔法』だった。
『治癒魔法』は聖属性魔法の中の一つであり、聖属性魔法を扱えるのは『聖女』だけだと言われている。
そして、ファティアが『聖女』だということは孤児院の院長に伝わり、ファティアは直ぐにザヤード子爵家の養女となった。
ファティアは孤児院育ちで魔法に対しての知識がなかったので、自身が『聖女』だと知ったのは少し後のことだ。
『治癒魔法』は貴重だから買われたのだろうというくらいの感覚的で、このときファティアは、子爵家の養女になれば少しは融通を効かせてもらい、孤児院を豊かにできるかもしれないと考え、希望に満ちていた。
──けれど現実は、そう甘くはなかった。
「無能は引っ込んでなさいよ! 『聖女』はファティア、あんたじゃなくて私なんだから!」
ファティアがザヤード子爵家の養女に入ってすぐ、両親と義妹のロレッタの前で『治癒魔法』を披露したのは記憶に新しい。
素晴らしい能力だと言われ、暖かな食事に清潔な部屋、専属のメイドを付けてもらい、何不自由のない生活が始まった。
──しかしそれは、一週間と保たなかった。
『あれ? 治癒が出来ない……』
ファティアが養女になって五日目のことだっただろうか。
誰かに教わったわけではなく、感覚的に聖女の力を使っていたファティアは聖女の力が使えなくなるという事態に対応ができるはずもなく。
『どうして……? 何で……っ!!』
昨日までまともに使えていた聖女の力──淡い光の粒が現れないのだ。治癒魔法を発動するときにお腹のあたりがかあっと熱くなるような感覚があったのだが、その兆しもない。
魔法が何たるかを誰かに教わったわけでもなく、聖女に纏わる本を読んだこともなかったファティアにはお手上げだった。
しかしその日を境に、聖女の力どころか一般的な魔法さえ使えなかったロレッタが、急に治癒魔法──つまり聖女の力が使えるようになったのである。
(あの日……聖女の力が使えなくなった日から、ペンダントが無くなったのよね……)
湯浴みのために外した僅かな間に、無くなっていた母の形見のペンダント。
ファティアは必死に探したが見つからず、ロレッタが隠すように身に着けているのを発見したのは数ヶ月後のことだった。
「分かりました……分かりましたからお願いします……とても大切なものなんです……! 聖女様お願いします……! どうか私に返してください……!」
それからファティアは、毎日ロレッタに土下座をして返してくださいと懇願している。
というのも、ロレッタがペンダントを身に着けているのを発見したその日、返してほしいと頼んだときのことだ。
『この家にいる間、毎日土下座をして頼み込むなら返してあげても良いわ。それに、私の言うことには絶対服従よ? 下僕よ、下僕! 分かった? 『元聖女』さん』
悪魔のような笑みを浮かべてそう言ったロレッタに、ファティアはコクリと頷いた。
その日からは孤児院にいるときよりも地獄だった。
食事はロレッタが食べ残したものを床に落とされ、それを食せと命令された。水浴びも月に一度しか許されず、ロレッタが何か気に食わないことがあれば殴る蹴るは当たり前の日々。
ザヤード子爵とその妻は実娘の方が可愛いのはもちろん、聖女の力に目覚めたロレッタのすることに口を出すことはなかった。
力がなくなった元聖女はお荷物なだけで庇ってくれるはずはなかったのだ。
使用人たちの中には「やりすぎだ」「可哀想」とファティアを哀れに思う者たちがいたが、子爵家の実娘で聖女の力を扱えるロレッタに逆らえるはずがなかった。
そうして今日も今日とて、土下座をして懇願するファティア。
一度は無理矢理奪い返そうかとも思ったが、少しその素振りを見せただけで、ロレッタは大声を上げてことは大事になり、その日は両親からきつい折檻を受けることになった。
痛みに耐える最中、わざわざその様子を見に来てニンマリと微笑んだロレッタの表情に、ファティアが恐怖を覚えたのは言うまでもない。
人が苦しむ姿を見て笑みを浮かべるロレッタに対して、逆らえば次は殺されるのでは、とさえ思った程だ。
ロレッタは「ハァ〜」とわざとらしくため息をつく。
ファティアは頭上から聞こえるそれに、土下座をしたまま全身をびくりとさせた。
「実は私ね、聖女としてこの国──メルキア王国の王太子殿下との婚約を結ぶことになったの」
「…………?」
急に何を言い出すのだろう。ファティアは理解ができず、とりあえず「おめでとうございます」と口にした。
「お父様とお母様も大層喜んでて……もちろん私も! だって未来の王妃よ王妃? 凄いでしょう?」
「は、はい。凄いです……おめでとうございます」
「それでね? 良い考えが思いついたんだけど!」
読了ありがとうございました。