エイリアン開封
「先輩っごちそう様っす!」
一足先に店外へ出た後輩たちはお礼を言いながらピッとお辞儀をする。
その姿を雛岸希莉香はやや複雑な目で見つめ、先程会計の際に受け取ったつり銭とレシートを長財布にねじ込む。
「いえいえ」
そう返したものの、何となく自分でも左の口角だけピクついているのを感じる。ずれた度の強いメガネをかけ直した。
駅へ向かう交差点の信号待ちで、うまかったすねーとしきりに繰り返す後輩たちの横に並び、ふと空を見上げた。
そびえ立つビルの隙間から妙に綺麗な満月の見えるこの夜、雛岸希莉香33歳は人生で初めて後輩に食事を奢った。
「…なあんて事があったんですよ、先週」
希莉香はぐびっとグラスに入ったシードルを一口飲む。りんごの風味と酸味、そして柔らかい炭酸が口の中をすっきりさせてくれる。
一番好きな酒なのだが、特に高級という訳でも無いのにあまり置いている店を見かけないのが難点である。
「へえ。そんなに特別な事かな」
料理を作る手を止めずに話を聞いているのは、希莉香の行きつけであるこの小さなフレンチイタリアンの店・ガブの店長、梶田誠だ。
希莉香の座るカウンター席を含めて、店はウッド調のインテリアと暖色の照明で統一され、そのセンスの良さを表している。
「うーん…私、今まで後輩って言うのが居たこと無くて。先週の子達も社内プロジェクトで一緒になっただけで。あまり後輩って思ってなかったんですよね」
「成程ね。でもまあ今年に入って役職も付いたんでしょ?当然と言えば当然だよね」
主任だっけ、と言いながら両手でペッパーミルをぐりぐりとしながら皿に振りかける。
「奢るのが嫌だったわけじゃないんですよ?ただその心の準備が出来ていなかったと言うか」
はい、とカウンター越しにパテ・ド・カンパーニュと彩りの見事なピクルスの盛り合わせを渡してくれた。自家製で味は勿論上手いのだが、盛り付けが美しいところも希莉香がこの店を気に入る理由の一つである。
ガブのパテ・ド・カンパーニュはやや厚切りで、肉の触感をしっかりと感じられる。それが仕上げにかけられたオリーブオイルと合わさってコクが増すのだ。
食べ慣れているのに、ナイフで切って一口食べると希莉香はその美味しさに今日も唸ってしまう。粗びきされたブラックペッパーとピンクペッパーが口の中で弾けていいアクセントだ。
希莉香はさらに一口、シードルを口に含めて堪能しながらグラスをぐるぐると揺らす。考え事をしながら話すと何故か手元を動かしてしまうのが彼女の癖だ。
「もう私は人に奢る立場になったのかって思ったら・・・なんか急に窮屈な気がして」
誠は布巾で両手を拭きながら、少し微笑む。
「ちょっとだけ責任ある立場になっちゃったな、みたいな?」
「そうかも。好き勝手“上”の人たちに文句言えてたのに、私ももう”上“側に片足突っ込んでる立場なんだって…ようやく実感した」
「まあね。新入社員からしたら10年目の人なんて大先輩だからねえ」
「ですよね!よく考えたら私が入社したての時も、10歳上の人なんてほぼ上司と同じ扱いしてたなって」
「今より昇進したいとかは無いんだ?」
誠の言葉に、希莉香はうーん、と首を傾げる。
「正直、考えた事もありませんでした」
うんうんと誠は頷く。
「気持ち、少し分かるよ。僕も似たような気持ちを感じて会社辞めてこの店始めたし」
「え、そうだったんですか?」
「管理職にならないかって言われて、嫌だなって思っちゃったんだよね。別に仕事自体は好きでも嫌いでも無かったけど」
その頃を思い出しているかのように、誠の目は遠くを見つめる。
「会社とか部下に対して責任を負える自信が無くてさ。それでコマちゃんとずっと夢だったお店始めるかって」
我儘で無責任なんだよね僕は、と誠は笑った。コマちゃんとは誠の妻、梶田こまちの事である。
「いらっしゃいませ」
丁度、他の客が入ってきて誠はその対応に入った。
希莉香はピクルスを口に運ぶ。
(我儘で無責任か・・・)
その言葉は、しっかり自分の店を切り盛りしている誠よりも、特に目標も無く生きている自分の方が当てはまるだろう、と希莉香は思った。
しばらく食べることに集中している間に、店には次々と客が入って来る。
小さな店内は賑やかになり、いつの間にかこまちが店の奥から出てきて、希莉香に軽く会釈をした後すぐに誠と二人で忙しく店を動き回る。二人はとても慣れた手つきで料理から配膳までを、僅かな会話だけでスムーズにこなしていく。
今日はもう退散しよう、と希莉香は残りのパテ・ド・カンパーニュとシードルを腹に収め、メガネをかけ直すとガブを後にした。
(少し飲み足りないな)
今日は会社を定時で上がって電車に飛び乗り、すぐにガブに入った。それでも明日は週末なので今日はまだまだ時間がたっぷりある。
それに加えて、希莉香には特別楽しみにしている事があった。
(エッグマン劇場版映画が配信されるから・・・観ながら飲み直そう)
希莉香は子供の頃からいわゆる特撮戦隊モノのヒーローが好きだった。仕事にも慣れ、少し余裕の出て来たここ数年は、特に熱心に番組を視聴したり、グッズを購入したりしている。
希莉香はコンビニに寄ると、白ワインのソーダ割りを一本だけ買った。
(いつの間に宅飲みもするようになったもんな・・・大人になったもんだ)
少し冷たい夜風が火照った頬に心地良く、ビニール袋を手に、アパートに向かう足取りは軽い。
アパートの階段を上り、部屋の前でカギを開けようとすると、ドアの向こう側から猫のチョロミの微かな鳴き声がする。
いつも出迎えてくれる愛猫の姿を妄想し、希莉香は大きな笑顔でドアを開けた。
「チョロミさーん!ただいまっ」
足元にすり寄ってくるチョロミを抱き上げようとするが、チョロミはするりとその腕をすり抜けていく。出迎えはしてくれるが、抱っこは厳禁なのだ。
「チョロミさん・・・」
すぐに部屋の奥へ戻ってしまうチョロミを追うように、エッグマンのルームシューズに履き替えると自分も中へ入る。
古いが少し広めの1DKは、キッチンがしっかり2口コンロを置けるサイズなのが気に入っていた。キッチンにはミニテーブルとイスも置ける余裕がある。
キッチン横のスペースにあるチョロミの皿へ餌をやると、チョロミはすぐにカリカリと食べ始めた。
玄関からキッチンを通るとベッドルームがある。机とソファ代わりにも使用しているベッド、そして小さめの本棚にはエッグマンを中心とした歴代戦隊モノに関するフィギュアなどのグッズが綺麗に並んでいる。そして壁にはエッグマンの大きなカレンダー。
希莉香はメイクを落とし、部屋着に着替えた。とても近眼なのでメガネは寝る直前まで外せないが、会社の時とは違うメガネに付け替える。エッグマンのイメージカラーに似た、やや赤みのある黄色のメガネフレームだ。
机に置いてあるノートPCを開き、買ってきた酒を置くと動画配信サービスから早速エッグマンの映画を見つける。
序盤から、派手な爆破シーンを背景にエッグマンが登場する。これまでのエッグマンの活躍を説明する、あらすじのような展開である。
(くう・・・やっぱりシリーズ初、5人じゃなくて孤高のヒーローなところが最高に良い・・・)
そのかっこよさに惚れ惚れしながら酒を口にし、ふと思い出した。
(そうだ、まだ高級カニ缶食べてなかった。つまみにしよっ)
タラバガニを詰めたというそのカニ缶は、先月輸入食品の店で目に留まり買ったものである。特別な日に食べようと置いていたのだが、エッグマンの映画をもう一度観られる日以上に特別な事は無いだろう、と希莉香は立ち上がる。
画面はそのままにし、鼻歌を口ずさみながらキッチンへ向かう。
(どこ置いたっけ…ここか)
台所の上にある棚を開けた。
そのカニ缶は、あまり見た事のない不思議なデザインのラベルが付いている。どこか外国語のような読めない文字が印字され、その上に簡潔に日本語で【高級たらばがに】と書いたシールが貼ってあるのだ。
棚からカニ缶を取り出そうとしていると、チョロミが近づいてくる。
「これは猫缶じゃないよー」
それでもついてくるチョロミを伴って部屋に戻ると、画面ではエッグマンが悪の親玉ヘビー伯爵と対峙していた。
椅子に座り、その様子を食い入るように見ながら手元のカニ缶を開けようとプルタブに指を掛ける。まだ期待しているチョロミも机の上まで上がってきた。
「パカッ」
缶を開けた瞬間、
「!?」
ものすごい光が缶から溢れてきた。
チョロミが短く鳴いて慌てて机の下に潜る。
「なっなに?」
眩しすぎて咄嗟に目を瞑る。
希莉香は思わず缶から手を放してしまった。
缶はそのまま強い光を放出しながら足元を縦に転がり、反対側の壁にぶつかると、逆さになって倒れた。同時に、缶から発せられた光が消える。
一瞬だけ、静かになる部屋。
「今の何だったの・・・」
部屋中に、希莉香の鼓動が響いているのでは無いかというくらい体が脈打っている。
そろそろと缶に近づく希莉香を、チョロミも机の下から不審げに見守っていた。
裏返った缶をそのまま持ち上げて見る。すると、少しだけ開封した隙間から何かが少しずつ出てきた。
最初にそれは、先ほどより控え目に発光した、スライムのようにどろどろと形の無いものだった。
しかし希莉香が缶をゆっくり上げるにつれ、少しずつ形作られていく。
靴、ズボン、シャツ、腕、そして・・・なんと人間の顔。
赤い瞳と目が合うと、希莉香は幽霊に出くわしたかのように叫ぶ。
「ぎゃああああっ」
いや、幽霊の方がまだ得たいが知れているかもしれない。
完全に腰が抜け、座り込んでしまう。
缶から出てきたのは、少年だったのだ。
「うるせえな、騒ぐなよ」
ふう、と妙に生意気な少年はため息をつく。見た目は14歳程度に見えるが、その赤い髪と瞳のせいだろうか、何故かやたらと圧を感じる。
「なになになに!?あなた誰っど、どうやってコレに・・・」
手に握りしめた缶と少年を交互に見て、しきりに如何にか状況を理解しようとする希莉香の努力は、今のところ報われていない。
不敵な笑みを浮かべて、いつの間にか希莉香の顔目前まで迫ってくる。
ひいっと希莉香はまた小さな悲鳴をあげた。
しかしそんな様子を気にも止めず、少年は
「これは返してもらう」
と言って希莉香の手から缶を奪い取り、ベリベリとラベルを剥がした。するとその下には、地球を模したようなロゴマークが現れる。
少年はおもむろに缶を自らの左耳に当てた。
缶からシュルシュルと何かが伸び、まるでカチューシャか片耳だけのヘッドホンのような形になる。さらに小さなアンテナのようなものも缶の横から飛び出した。
「レポート」
少年が呟くと、彼の目の前にA4サイズ程度の電子画面が現れる。
「こちらβ。潜在的提供者と接触成功。任命書の作成を」
「スキャンを開始します」
どこからともなく機械的な声が聞こえ、今度はアンテナから緑色の光が放たれると、希莉香の足元から頭までを照らしていく。
希莉香は腰を抜かしたまま、その様子をぽかんと見ているしかない。
「完了しました。任命書を作成します」
少年が見つめる画面には、何かのデータようなものが映し出されている。その内容に満足したように少年は頷く。
「ひとまず問題なさそうだ」
「あ、あの・・・そろそろ説明してもらえるかな?」
ようやく少し落ち着いた希莉香は、よろよろと椅子や机に手を置いてなんとか起き上がる。
ふむ、と少年は顎に手をやる。
「俺はプレセぺ星団アライアンス部門アース課のメンバー。つまりお前から見たら宇宙人」
「ぷ、ぷれ・・・?」
全く話についていっていない希莉香を他所に、彼は続ける。
「雛岸希莉香。たった今、お前がドナーとしての適合性がある事が判明した」
「ドナー?」
少年の目の前にあった画面の色が変わり、そこには大きく【HERO OF THE EARTH】の文字が映し出された。
「よって地球防衛任務に協力してもらう。お前は今日からヒーローオブジアースだ」
「ヒ、ヒーロー?」
「ああ、俺と一緒に他の宇宙人による地球侵略を阻止するヒーローとして活躍してもらう」
希莉香は大きく瞬きを何度かすると、少年の言葉を頭の中で反芻する。
(エイリアン・・・侵略・・・防衛・・・ヒーロー・・・)
「‥ええええっ!?」
一瞬の沈黙の後、希莉香の叫びが響き渡る。
(なんだか大変な事になってしまった・・・)
楽しそうな少年を前に、希莉香は途方に暮れるしかなかった。