三話
旅は快適だった。
なにせ自称最強の闇の精霊がいるのだ。毎日最低一回は熱々の豪華な食事もとれる。
召喚されてから2ヶ月あまり、城から出たことのない私にはすべてが新鮮だった。
エメラルドグリーンの湖に、夕焼けのようなグラデーションの羽を持つ水鳥、大空を舞う龍。
「はー、すごい。龍とかいるんだ」
「あの蛇のどこがすごいわけ? 僕の方が断然すごいんだけど」
龍を褒めたら男の気に障ったらしい。
その日は一日中、龍という生物がどれだけつまらないか、自分がどれだけすごいかを聞かされた。
煩かったので、はいはいと適当に頷いておいた。
「そういえば、精霊って見かけないね。普段は姿を現さないものなの?」
男と旅を始めてそろそろ一月になる。
イモとミミズと楓と銀杏といったように複数の精霊を使役できた召喚者もいたらしいから、もしかしたら男以外の精霊に出会えるのではないかと思ったのだが、さっぱり見かけない
余程私は精霊に好かれていないのだろうか。
「大抵の精霊は僕が怖くて近寄ってもこないよ」
嫌われていたのは私ではなかったらしい。
2ヶ月間祈っても祈っても、精霊が現れなかったのってもしかして……
そう考えかけてやめた。
たとえそうだとしても、もう関係ない。
どうせ元の世界には戻れなかったのだから。
順調な旅が一月と二週間続いたころ、私は初めての峠越えを経験することになった。
これまでは比較的王都から近い平野内をうろちょろしていたのだが、山の向こうが見てみたくなったのだ。
街道沿いにある宿で、近頃盗賊が出るからやめた方がいい。護衛を引き連れた商隊を待った方がいいと強く言われた。
盗賊と聞き怖気付いたけど、
「僕がいるんだから、大丈夫にきまってるでしょ」
という男の一言でそれもそうか、と出発することにした。
峠越えはきつかった。
ここを本当に荷物を積んだ商隊が通るのかというような難所の連続だ。
幾度も「僕に願いなよ。運んであげるよ」と言われたけれど、そんなことをしては旅の醍醐味が半減してしまう。
朝にしか咲かない花の群生地の微かな香りに、疲れた足を色とりどりの小石が沈んだ小川に浸したときの爽快感。どれも自分で歩かなければ、気づきもしなかっただろう。
小さな感動を繰り返し発見しながら、そろそろ麓も近くなったころ、異変を察知した。
前方から聞こえる斬撃の音、そして悲鳴。
近くの岩の上に登って確かめる。
馬車が一台と馬が数頭見えた。
その周りで幾人かの人が剣を切り結んでいる。
馬車を守る男が三人と、それを取りかこむ、盗賊らしき男たちが十人弱。悲鳴は馬車の中からきこえていた。
三人の男は健闘していた。だが、数で劣勢のうえ、馬車を守りながらではやはり無理があるらしい。
じわじわと追い詰められていくのがわかった。
「ねえ、お願い。あの馬車の人たちを助けて」
私は男に願った。
しかし、男は首を横に振る。
「主、その願いは叶えられないな」
「どうして!?」
男の力なら盗賊など一瞬だろうに!
「理由は簡単。僕は主のため以外には力を使いたくない」
私は唖然とした。私を主と言いながらなんと自由気ままなことか。
「私のためならいいんだ?」
「勿論。帝国の皇帝の首でも、東の果ての蛮族の長の首でも、主を召喚した国の王の首でも。主が願えば思うままに」
「わかった」
言質をとると、私は岩から飛び降りる。
「え? ちょっと、主!?」
背後からすっとんきょうな声が聞こえる。
盗賊の一人が走って近く私に気がついたところで、足を止める。
ポケットから金貨が入った袋を取り出すとそれをふるってみせた。
先日、王と召喚を進言したとかいう重鎮の財布から拝借したばかりで、財布は潤っている。
じゃらんじゃらんと金貨がぶつかる音がする。そういえば「サービスだよ」と、宝石も混じっていたっけ。
「ちょっと! そんな小汚い馬車を襲うより私を襲ったほうがよっぽど実入りがいいと思うんだけど!」
なんせ王冠についていたらしい宝玉も入っているから。
「ああ?」
「なんだ、この小娘」
盗賊たちは突然現れた私に怪訝な顔をする。
「まあ、いい。ついでだ。ああ、殺すなよ。楽しみが減る」
頭らしい男の一言で、二人の盗賊が近寄ってくる。
私は大きく息を吸い込んだ。
「きゃー、襲われるー! 助けてー!」
「は? なんだ、こいつ。いかれてんじゃねえのか?」
勇ましく飛び出しておきながら悲鳴をあげる私に、盗賊どころか、馬車を守っていた三人の男まで呆気にとられていた。
「主。その悲鳴はわざとらしすぎるよ」
いつの間にか隣に立っていた黒ずくめの男が脱力したようにため息をつく。
「私のためなら力を使ってくれるんだよね?」
「そりゃそうだけどさぁ。なんかこれは違うというか……」
「さっき、そう言ったよね!?」
ぶつぶつと文句を言う男に畳み掛ける。
男は掌で顔を覆うと、「わかったよ」とつぶやいた。
「主の仰せのままに!」
その一言で盗賊たちが昏倒する。
「どうする? 刻む? それともまた最果てに飛ばしとく?」
盗賊のアジトが見つかれば、盗まれたものが見つかるかもしれない。
それにいつの間にか盗賊がいなくなるよりは、捕まったと確認できた方が安心だろう。
私は首を横にふり、馬車を守っていた男に声をかけた。
「あのー。盗賊たち、見張っとくんで、兵士を呼んできてもらえますか?」
馬があるのだ。それほど時間はかからないだろう。
「ああ、一人応援を呼びにいったから、すぐに戻ると思う」
護衛らしき金髪の男は剣を鞘にしまうと、あとの二人に盗賊たちを縛るように言い、手をさし出す。
「助かったよ。まさかこんな麓近くまで降りてくるとは思わず油断していた。君たちがいなかったら危なかったよ」
「いえ、どういたしまして」
出された手を、黒ずくめの男が取る気配がまったくないので、代わりに握手しておいた。
「姫様!」という悲鳴が聞こえ顔を向けると、馬車の扉が開いて小さな女の子が飛び出してくるところだった。
クリーム色のドレスにピンクの髪。
ピンクの髪とかあるんだ。
珍しい髪色に見入っていると、小さな姫はスカートをつまんでお辞儀をする。黒ずくめの男に向かって。
「とてもお強いのですね! 貴方が先ごろ召喚された異界の方ですか? まるで、まるで世界を滅ぼしかけたという古の闇の精霊の使い手のようでした!」
どうやら男が精霊だと気づいていないらしい。
あと、龍を褒めた時に、自分は世界を滅ぼしかけたって話してたの、誇張じゃなかったんだ……
「姫様! 闇の精霊使いは狂気に呑まれた忌むべき存在。そんなものと同等に扱われては失礼ですよ」
金髪護衛の叱責に姫は顔を曇らせる。
「申し訳ありません。あまりにお強かったので。決して同列に扱おうとしたわけでは!」
あれ? これ、黒ずくめの男が闇の精霊で、私が主だってバレたら詰むんじゃない?