二話
「ねえ、ねえ、主。次の願いは? なんでも言って?」
通りを歩く私の横に張り付いて、男は声をかけ続ける。
私はそれを無視して歩いた。
けれど、いくらもしないうちに足がもつれる。
空腹で力が入らないのだ。ぐぅとお腹がなる。
通りに軒を連ねる屋台から肉の焼ける香ばしい匂いが漂っていた。
「美味しそうだねえ。主、お腹すいてない?」
私は思わず頷いていた。
「なら、願いなよ」
男を恐ろしいと思うのに、空腹には勝てなかった。
「ご、ご飯がほしい……です」
「まかせて」
ぱちんと指を鳴らす。すると、服と同じように影の中からきつね色の串焼きに肉が現れた。
香しい匂いがなんとも食欲をそそる。
「どうぞ」と手渡されたその肉を、礼を言って受け取り、口を開ける。
「お母さん。僕のお肉が消えたぁ」
背後から聞こえたその声に私はびくりと震えた。
「何言ってんだい。急に消えるわけないだろう。落としたのかい? それとももう食べたのかい? 嘘をつく子は飯抜きだよ」
手に持った肉をまじまじと見つめる。
それから、目の前に笑顔で立つ男を見上げた。
「こ、この肉って?」
「ちょっと拝借した」
「この服も?」
「もちろん。あ、洗濯済みだから心配しないで」
なんてことだ。
男はどこかから物を引っ張ってきているらしい。
私は振り返ると、子供の手をとった。
「こ、これ、あげる!」
ぽかんと大口を開ける子供に無理やり串焼きを握らせると、走ってその場を去った。
人混みをかき分け、角を曲がり、その場にずるずるとくずおれる。
「どうして返しちゃうかなぁ。もう限界なんでしょ?」
男は私の隣で壁に背を預け、呆れ顔だ。
「そうだけど、だからって、人のものを、それもあんな子供の……」
そこまで言って、ふと思いついた。
あの子供から串焼きを取り上げるなんてできない。
でも、取っても心が痛まない人がいるじゃない。
「わ、私を、召喚した糞爺の食事を持ってきて!」
「仰せのままに、主」
男は大仰に礼をとる。
頭をあげたとき、その手には銀の皿が乗せられていた。
皿の上には肉汁したたるステーキと芋料理。
「サービスでカトラリーもつけといたよ」
その言葉通り、反対の手にはフォークが握られている。
どうせならナイフも……
「あ、肉は僕が切ってあげるね。主が食べやすいように。はい」
はい、の一言でサイコロ状に肉が切れた。
「ありがとう」
私は夢中でご飯を食べた。
男はそんな私をただにこにこと笑って見ていた。
「ねえ、次は? 主を召喚したこの国に復讐するでしょ? 業火に沈めようか? それともみんなみーんな切り刻もうか? さっきの肉みたいに」
私は両手で口を押さえた。
食べたばかりの食事が戻ってきそうだったのだ。
「い、いい。それより、宿に泊まって、体を清めたい」
「了解。じゃあ、宿の人間を始末して、主のものに」
なんでそうなる!
私は今にも鳴らされそうな男の手に飛びついた。
「ちがうから! お世話してくれる人がいないと困るし、普通に泊まりたいだけ!」
「でも、宿に泊まるのならお金がいるよ?」
たしかに。
「それなら、あの糞爺の財布からお金抜いて」
「お安い御用」
男が指を鳴らす。
ポケットの中がずしっと重たくなった。
恐る恐る手をいれ、そこにある平べったくて丸いものを一枚掴んで取り出す。
「金貨だ」
「それ一枚で、この街で一番いい宿に十泊はできるよ」
ポケットはまだかなりの重量がある。
「ありがとう……」
そう言うと私は歩き始めた。
「主、一番いい宿は向こうだよ。ほら城の近くの」
「いい、普通の宿で」
「えー」
何やら不満げな男を無視して、通りを歩く、道中で服を売っている店を見つけると立ち寄り、着替えを購入してお勧めの宿を聞いた。
体を清め、食事をとり、清潔な服に着替えて、暖かい布団で寝る。
それがこんなに幸せなことだとは思わなかった。
一晩ぐっすり眠ると正常な思考がもどる。
私は笑顔の男に願った。
「元の世界に帰りたい」
「残念だけど主。それは無理だね」
「あなたに無理なら、糞爺にやらせる。私を元の世界にもどすように言って」
この恐ろしいほどの力を持つ精霊なら、彼らを脅すのはたやすいはずだ。
しかし、男は肩を竦める。
「もともとね、帰る方法なんてないんだよ。あいつらの召喚は一方通行さ」
「そうなんだ……」
思ったほどショックを受けなかったのは、薄々そんな気がしていたから。
その日は宿でぼおっと窓の外を眺めて過ごした。
男はやれ「願いことは?」とうるさいけれど、無視した。
翌朝、私は宿を出ると、旅の支度にとりかかった。
帰れないなら、ここに用はない。
街道を歩く私の後を男がついてくる。
「旅にでるの? なんで? どうして?」
「どうせなら、あちこち見て回ろうと思って」
軍資金はたんまりある。
足りなくなれば、また糞爺の財布から拝借しよう。それとも、次は一度しか顔を見たことがない王様のポケットマネーでも狙おうかな。
「それよりさ、国をのっとってみない? 僕の力なら城のやつらを細切れにできるよ?」
なぜそんなにサイコロステーキを量産したがるのか。
「いい」
首を横にふると、男はつまらなさそうに頭の後ろで腕を組んだ。
「すればいいのに、復讐。いきなり召喚されて、それまでの生活奪われて、腹がたたない?」
腹は立つ。絶対に許せないとも思う。けど、切り刻みたいとは到底思えなかった。ましてや市井の人々は関係ない。
「そうだ、糞爺の夕食どきになったら、食事とってきて」
三食かっぱらって死なれては大事な財源その1がなくなってしまう。だから一食だけでいい。
「主の望みなら」
恭しく礼をして見せながら男は不満そうだった。