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私不適合社会  作者: 古寺清吾
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生きているのは死ぬ方が辛く面倒だから。

 まえがき 三途の川のほとりで


「私なんてこの世に生まれてこなければよかった」などと親の前で口にすれば反感を買うだろう。時には涙を流させてしまうかもしれない。だが、私にしてみればこの言葉は別に間違っていない。この世は苦行なのだから。子供に苦しんでほしい親がいれば別の話だが、生後数秒の我が子に憎しみを抱く親がどれほどいようか。親は子供の幸せを願いながらこの世という苦行へと招待するのである。


 苦行を強いられる子供は可哀想だ。親のエゴにより生きたくもない人生を生きねばならないのだから可哀想だ。

 そして私も可哀想な子供の一人である。大学生を子供と表現するのはいかがなものか、とも感じるが、親様の言い分によると「親にとって子供はいつまでも子供である」とのこと。


 これから私の話をする。可哀想な私という子供の話を。


 その前に、私は生意気で人を小ばかにする大バカ者である。それ故に読者諸君を不快にさせてしまうかもしれない。冒頭で謝っておくことにする。ごめんなさい。



 一、風呂


 プールという授業をご存じですか。僕はプールが嫌いです。なぜ泳がなければならないのでしょうか。というより、なぜ泳げなければならないのですか。私の住んでいるこの内陸部が明日から海に変わるからですか。どうせ今年も補修者になるなら授業を見学したいです。補修で苦しむのに授業でも苦しむなんてもううんざりです。僕はわがままな子供でしょうか。


 僕がプールを嫌うのにはそれなりの理由があります。僕は五歳の時、初めて溺れるという経験をしました。海でも川でもありません。風呂です。湯船に浸かるとき、誤って足を滑らせてしまったのです。湯船にドボンした僕は溺れました。正確に言うと溺れかけたのです。人は15センチ程度の深さでも溺れるそうです。15センチの湯船はどこの風呂を覗いてもありません。ご存じのとおり湯船はある程度の深さを持っています。五歳が溺れるには十分な深さです。湯船に投身にした僕は必死に上を目指しました。その結果何とか溺れずに済みましたが、それがトラウマとなり、水際が人一倍苦手になったのです。


 言いたいことはまだあります。僕は湯船の中で仰向けになり、天井を見る形でおぼれかけました。そのとき僕の目に映ったのは水面に揺れる笑顔の家族です。僕がこんなに必死なのにどうして笑っていられるのか意味不明です。そしてこの光景も僕の中で得も言われぬ大きなショックとなり、小学生になった今でも鮮明に思い出せます。(大学生になっても覚えていますよ。)


以上、僕がプールを嫌う理由です。


先生、それでも泳がないとだめですか。


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