「この世は夢と欲望に満ち溢れている」
この世に生きる動物や人間達にはそれぞれの欲望や夢が満ち溢れている。
その幾つかを対比列記してみた。
セミの子は言いました。
「こんな暗闇の世界から早くお外に飛び出して何処までも空を飛んで思い切り鳴き叫びたい」と。
それがその子の夢なのでした。それを聞いた上級生達は口を揃えて答えます。
「駄目だよ、ボク。順番て言うのがあるんだからさ。だってお前はまだ一年生じゃないか。早い早い、ちゃんと7年生になるまで待ちな。そしたらお前もこの地底王国学校の卒業を迎えられるさ」と。
その言葉にいつもセミの子は切なく寂しい思いに浸り、これからもずっと続くであろう地中の暗闇の生活を考えると憂鬱な気分になりました。
それでも月日は着実に流れ、翌年には2年生となり、最上級生達は満面の笑みの中で卒業を迎えました。卒業生達は装備を整えて外の世界へと昇っていきます。その先輩達を見送るとき、「誰でも良いから此処へと戻って来て外の世界の様子を聞かせて下さい」と、頼んではみましたがその卒業生達は口を揃えて答えます。
「言い伝えによれば外の世界は正にパラダイス!。余りにも愉しい暮らしなので今までにこの暗黒の世界に戻ってきた者は1人も居ないんだよ。だから、多分俺達も誰も戻ってきやしないのさ」
そうなのです。外の世界の事は「噂」の言い伝えに過ぎず、真実の姿を知っている者はこの「地下の学校」には誰も居ないのです。
やがてセミの子は成長していき後輩達も沢山出来ました。下級生達が
「早く外の世界を観たい」と言うと、
かって先輩達から自分が言われた言葉で答える日々を過ごしました。
そんな生活を続けて、いつしか時も経てセミの子も7年生となりました。地下の世界にも春が訪れ、段々と暖かくそして暑くなり、やがて「盛夏」となりました。そう、卒業のシーズンが近づいて来たのです。学校内もいよいよ慌ただしくなってきました。セミの子は卒業の為、躰に堅牢な鎧を纏い準備も整いました。そして……
ある日の夕方、号令と共に皆が集められ、いよいよ地上へと上がる説明と卒業の儀式を終えて、地面へと昇り始めました。昇ると言うよりは、這いつくばって自分の手の力だけでひたすら土を掻き分けていきます。とても筋力や体力が必要で大汗をかきながら少しずつ地表が近づいて来ます。途中、邪魔な岩石などもあって何故堅牢な鎧が必要なのかも理解しました。苦労も有りましたが、やっとの事で地上へと這い上がる事が出来ました。
外の世界は、未だ夜中の薄暗い時間でしたが、暗闇で生活していたセミにとってはとても眩しく新鮮なものでした。天は高く、月明かりと満天の星がキラキラと輝く美しい世界でした。セミの目は少しずつ慣れてきて、そばに生える樹木によじ登りました。そしていよいよ「大人になる儀式」の始まりです。
それまで身を包んでいた硬い殻を背中から突き破り、中から折り畳んで仕舞ってあった華麗な衣装を取り出して思い切り拡げて行きます。躰の変身が進んで行きます。身体を真っ直ぐに伸ばしその湿っていた衣装が乾いてくると、ピンと張って硬くなり、綺麗な柄も浮き出てきます。その衣装とは「羽根」の事でした。
「羽根」が完璧に乾いたら儀式の完了です。セミはそれを少しだけ動かしてみました。そしてようやく白んできた辺りの明るさの中、自分でもその衣装は綺麗だなと思いました。
やがて、それまでに見たことの無い明るさに包まれ朝日が昇ってきました。その強い光に目は眩みますが、慣れてきたところで旅立つ時が来ました。大人の姿にすっかりと変わったセミは羽根を拡げて大空へと思い切り飛び立ちました。
吹く風に乗って上空から観る外の世界は、それまで想像してきたどんな世界より遙かに雄大でした。空は限りなく高くて青く澄み、野山は緑に溢れています。セミは愉しくて仕方有りません。兎に角思うがままそこいら中に飛び回りました。
ひとしきり飛び回り、流石に息が切れてきたので、セミは目に付いた大きな木の枝に掴まり、思い切り羽根を擦って悦びを表し鳴き出しました。「ミーン、ミンミン」と、自分でも驚く程綺麗な音が奏でられました。そして間もなく遅れて地上へと出て来た同級生達の鳴く声も辺りから聞こえ出しました。お互いに応えるように一緒に鳴きます。その音は、共鳴して音楽のように緑の大地に響き渡ります。セミは愉しくて夢中で泣き続けました。それは、夜が明けてから日が暮れるまで続きました。太陽の陽射しが強い時間は木蔭を転々と移動して、陽射しが弱くなれば陽当たりの幹を好んで止まり、鳴きました。
数日ほどそんな夢中で愉しい日々が過ぎた頃、可愛いセミが近くに寄ってきました。彼女は鳴くことは出来なかったけれども、そのセミの鳴き声が余りにも魅力的だったので近寄りセミの側を離れません。そして、そんな純真な娘に惹かれセミは恋に堕ちて結ばれました。セミは人生の絶頂期を迎えていました。
しかしそんな幸せな時間はとても短く過ぎ、セミは間もなくとても疲れやすくなり急に力が衰えてきました。鳴く声も段々と短く途切れがちになり、木々に掴まる力も衰えてきて、ある時地面にポトリと落ちました。年老いて寿命が尽きようとしているのです。セミは飛び上がろうと土の上で藻掻きますが、もう飛び立つ力はありませんでした。
「こういうことなのか。先輩達が、誰一匹も帰って来ないのは」
セミはセミの一生の無常さを悟りました。しかし、気持ちは晴れ晴れとしています。
「短い生涯だったけれど、その最期の時をこんな楽園で過ごせて、恋も出来て子孫も残せた。僕は充分に幸せだったな」
セミは感慨深い気持ちの中、子供の頃暮らした土の香りに包まれながら、静に生涯を閉じて土に還って行きました。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
シャケの子供は意気盛んでやんちゃ坊主でした。山の遙か奥地の偉大なる河の源流部に有る故郷の綺麗な池を旅立ち、偉大なる河を下り、遙か遠くにある大海原へと出て、勇敢に未知の敵との闘いを勝ち抜いて立派な大人になり、数年後は故郷へ錦を飾り戻ってくるのが使命だと強く心に決めていました。
ある日、いよいよその日がやって来ました。池の先輩住人である多くのサクラマスに囲まれるなか、数万匹もの仲間たちと一緒にスタートして水流に乗って下って行きます。最初は穏やかだった流れは、次第にスピードを上げて行きます。途中で幾度も襲った激流に呑まれたのか仲間達は少しずつ減ってきました。苛酷な旅の予感がよぎります。
そんな激流部を過ぎると、川幅は急に広くなって流れも穏やかになりました。やがて下流へと近づくと、今度は上空から鳥達が襲ってきました。逃げるようにして河口へと辿り着くと、今度は別の鳥達が襲ってきました。命辛がら逃げ通すと、いつの間にか河口を出て海へと入り、水は塩辛くなっていました。今度は波が自分達を襲ってきます。その波の流れに逆いながらも、離岸流を上手に捕らえて泳いで行きます。
少し沖へと出るといつしか水の濁りは消えて、海はとても広くて何処までも青く澄んでいました。しかし景色に見とれている暇はありません。今度は上空を飛び交う沢山の海鳥達が襲ってきました。シャケの子は海の深くへと潜り逃げましたが、今度は海中にいる大きな魚が大群で襲ってきました。仲間は沢山捕まってしまい食べられてしまいました。なるべく皆で固まって一緒に逃げましたが、半分以上のものは命を落としました。噂では聞いていましたが、自然界で生き抜く競争の厳しさを目の当たりに見て、大きなショックと悲しみに襲われましたが、そんな心境に浸っている間も有りません。ただ、沖へ沖へとひたすら泳いで向かいました。
すると間もなく、外洋へと向かう海流の速い潮に乗ることが出来て、無事に大海原のど真ん中に達しました。それでも何処にでも難敵は居るもので、やっと生き延びた仲間の更に大半がシャチ等に食べられて行きます。そんな恐怖と隣り合わせの日々や体験が成長する緊張感を覚えました。数ある修羅場を幾度も潜り抜け、野生の厳しい弱肉強食の世界の中で、自らはより弱きものを食して闘い抜いて立派で精悍な大人に成長しました。
時は流れ、数年後いよいよ故郷へと還る時がやって来ました。生き残った仲間は僅かに100匹程度。サケはいつしか皆のリーダーになっていました。皆でお互いに良く頑張ったと励まし合いながら「さあ、故郷へ戻ろう」と先導します。大海を乗り越え、再び故郷の河の河口へと戻ってきました。これからが最期の闘いです。河口へと入り河を上り始めました。とても懐かしい匂いがしています。でも、感慨に浸る余裕は有りません。川を遡上するのは流れに逆らうので、下るときより遙かに体力を使うのです。河口からしばらくは穏やかな流れでしたが、途中で「堰」と呼ばれる大きな段差が有り、大勢の仲間達が昇る事が出来ずに苦労していました。勢いを付け力強く泳ぎますが、1度では昇り切れません。何度もチャレンジして、僕はようやく昇る事が出来ましたが、躰は傷だらけです。仲間の多くがチャレンジするものの昇れず体力を使い果たして流されて行きました。
でもその仲間たちを振り返る余裕は有りません。その後もひたすら上流を目指していきます。流れはどんどんと急になり、その上に途中の淀みでは、沢山の熊が自分達を待ち構えていて襲ってきます。それでなくても少なくなった仲間達は捕らえられて食べられて行きます。そして、やっとの思いで最上流部の故郷に辿り着いたのは、僅か数匹ばかり、皆の躰はもうボロボロな状態でした。
故郷の入り口では海へと下らなかったサクラマスの姉さん達が、迎えてくれました。
「良く頑張ったねー」と、労いの言葉を掛けられます。勇敢に戻ってきた僕達は皆のヒーローなのです。それでもノンビリしては居られません。僕達には最後の仕事が残されています。そう…子孫を遺す事です。その為に僕達はひたすらに泳ぎ闘い、帰ってきたのですから。
間もなくサケは側を泳ぐ可愛いメスと結ばれ、最後の仕事も無事に終えました。ホッとしたのも束の間、急速に躰から力が失せていきます。そして泳ぐことも出来なくなりました。「せめて、子供達の顔を見てから逝きたい」とは思ってもその願いは叶いません。それがシャケの一生の宿命なのですから。
遠くなる意識の中で、闘ってきた日々の思いが走馬灯の様に頭の中を流れ、感慨に浸りながらシャケは穏やかに息を引き取ります。そしてしゃけたちは再び川の流れに任せて下流へと流れ去っていきました。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
アフリカに住むマサイの若き男は言った。
「牛が一頭欲しい」と。
それがその青年の口癖だった。それが叶えば部落で1番の金持ちになれる。男の頭の中は、常に牛の事で一杯だった。
ある時、隣の村の酋長から、娘の縁談の申し入れがあった。過日行われた年に1度の部族全体の祭りで自分を見初めたらしい。その女は大して美人でも無かったが、村1番の金持ちで、嫁入りに牛を三頭貢ぎ物として持たせると聞き、男は喜んで結婚を承諾したのだった。部族のもの達がみな集まり盛大なお祭が開かれ、男はその牛の一頭を捌き参加者全員にご馳走を振る舞った。皆は大層悦び男を讃えた。
そして、男は部落一の金持ちに成った。男は満足げに言った
「俺は金持ちだ。なんて幸せ者だろうか」と。
それから1年程過ぎた頃、男はこう口に漏らした。
「牛がもう1頭欲しい」と。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ブータンに住む12才の少女は、親に将来の夢を語りました。
「私は、15才になったら街で開催される国王様主催の年に1度のお祭に出掛けて、そこで素敵な男の子に出会ってその人のお嫁さんになるのよ」
と、いつも呟いていました。
彼女は、それはそれは奥深い高地に囲まれた渓谷の村に住んでいたため、まだ街へと出掛けたことが有りません。なので、15才になれば参加が許されるそのお祭に出掛け、街を観て歩く事を夢見ていたのでした。
その彼女が14才になったとき、その山奥の村にも電気が引かれ、間もなく、国王様からお許しが出て、一日に夕方の二時間だけ、テレビで国営放送番組が観られる事になりました。そして、その娘の家にも小さなモノクロテレビがやって来ました。
放送開始初日、夕食の準備を早めに整えて食卓の前に置かれたそのテレビが点くのを家族全員でワクワクしながら待ちました。そして、いよいよブータン初のテレビ番組がスタート!画面に映ったのはそれまで見たことが無かった首都の街並みや外国の景観でした。彼女は勿論の事、家族全員が驚きの余り、口をポカンと開けたままで、食事をすることさえ忘れるほどでした。
その夜は興奮の余りに家族全員が寝付けずにいました。翌日から、毎日夕食の時間となるとテレビ放送が流れました。毎日内容の違う番組の中で色々な街の賑やかな様子や外国の異文化が紹介され続けたのです。その全てが新鮮で、未知な事ばかりでした。少女は、この世界はとても広くて、山だけでなく「海」というものもあるということ、地上を移動する乗物は馬車だけでなく、自動車やバスそして電車が有る事、海の上は船が世界を股に掛けて走り回り、空では鳥のように飛行機が人を乗せて飛ぶと言うことも知りました。
そして、その少女はとうとう15才になりました。そしてお祭の前両親に将来の夢を語りました。
「私は大人になったら飛行機に乗ってアメリカに渡って大学で勉強して医者になりたい」と……
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
若き戦闘機のパイロットの夢は「如何に多くの敵機を撃ち落とすか」と言う事だった。それが仕事であり、課せられた任務である。そう考えているのは俺だけじゃない。仲間達も同様だし、敵国のパイロットも同じ筈だ。多くの敵機を堕とす数で上官からの評価は上がり、位は上がり勲章も得られる。その為に、俺達は日々、厳しく辛い訓練にも耐え、体力や筋力、それに精神力を鍛えている。
それだけではない。戦闘機の操縦は技術がものを言う。なのでパイロットは、「職人」でも有る。職人である以上は毎日が修業の日々でもあり、ひたすらテクニックも磨いている。その鍛錬はシミュレーションでは身につかなく実践で身に付けるものなので1度戦闘機で飛び立てば何時でも真剣勝負の命懸けだ。実戦で1度でも失敗したり、或いは敗退つまり、相手に撃たれてしまえば一巻の終わり…パイロットは死ぬだけだ。そして全てがジ、エンド。その先は何も無い。
なので毎日強気で生きる。心配や悩み事などする暇はない。勝負の舞台は「遣るか遣られるか」の空中戦、お互いに命を懸けている。勝っても負けても後悔は絶対にしない。最も、死んでしまえば後悔など出来るはずもないが…。今日も気合いを入れて出撃する。そんな日々が運良く長く続いて数多くの敵機を攻め堕とせば、いつか人は「祖国の英雄」と呼んでくれるだろう。「もしも…」とか「万が一…」等は一切考えない事だ。その時点で既に負けている。ましてや「相手のパイロットにも家族が…」等という気持ちがよぎるくらいならば、飛行機を降りるべきだろう。
俺の生きる場所など地上には何処にもない。生き続けるのも、死ぬのも空中なのだ。飛行機に乗り続けている間はひたすら前や上を向く。俺のパイロット人生は連戦連勝のバラ色さ。そして、たった1度の負けまで続く。その1敗が、パイロットとのおさらばのときさ。そして、例え自分が死んだとしても、直ぐに代わりの野郎が補充されて、闘いの日々はひたすら続いていく。途切れたり終わることは永遠に無いのさ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
出世に欲が眩む者達は、常に生きる価値をステイタス性に求めていく。小さな頃から成績は常にトップであり続け無くては満足出来ない。名門幼稚園から小学校、中学校、高校へと進んで一流大学の一流学部へ入り、その中でもトップクラスのエリート集団に属して無くてはならず、その中にいても更にトップを目指す。「内容」より「体裁」「形」に拘る。2番になるだけで敗北感を味わう。1番以外が大嫌いなのだ。
そして、学府の卒業が近づいていよいよ就職ともなると、難関である高度なテストをうけ資格やスキルに拘る。一流企業や国家の役人、或いは社会的ステイタスのシンボルとなる職種
~医者、パイロット、弁護士、会計士といった~
を選びたがる。
でも、そこからが本当の社会における競争の始まりなのだ。選抜された選りすぐりのエリートばかりの世界の中で篩にかけられて更に他の人よりも上に行くことを考える苛酷な競争なのである。そして他の誰よりも早く認められ、ポジションの向上を目指す。
その中には醜い学閥間の争いに巻き込まれて日々強迫観念に浸る中でひたすら競争を続けて行きます。ある人は、トラップを仕掛けられ、競争から蹴落とされてしまうかもしれません。そうならないようにと、自らトラップを仕掛ける人も居ます。自分が失脚させられたら最後、その競争のトラックには2度と立てません。日の目を浴びる事も無いのです。1度でも「負け組」になると出世の芽は絶たれます。なので勝ち続け無くてはならないのです。そしてその競争を勝ち抜け、頂点に立てるのは僅かな者だけ。運も無くてはならないのです。
もし、実力もあり運をも持ち合わせて頂点に立てたなら、「権力」という武器を手に入れられます。そして1度その権力を手にすると、それを護るために大抵の者は徹底した保身に走ります。その地位を脅かす者達や気に入らない相手を徹底的に打ちのめし排除しようとします。
そして、行き着く場所は、僅かな人は全ての権力を手に入れ、安泰な場所で安穏とした日々を送るか、たいていの者は不完全燃焼の中、程々のポジションを手に入れて、いつしか顔も心も険しい形相となって幸せ薄い人間となるか、はたまた大きな挫折感を味わった後、亡霊のごとく生活していくなど、その生涯で心の安らぎを得られることなく「幸せって何なのだろう」と答えを得られることなく彷徨いその一生を終える事になります。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
金の亡者は、いくら金を持っても満足することはありません。心のベースは、吝嗇家であり、入って来る物は拒まず、出て行こうとするものには執着心を持って拒みます。
人は生まれてきて、スタートラインには余り差は有りません。当初の欲望とは人並みのものです。初期の生理的欲求は安全、集団所属と段階を上がりますが、社会的評価を求めるステージに入るとより分化が進みます。それが、単なる暮らしの豊かさではなく、物欲の先の「金銭的」な欲求が以上に強くなってくると、それはエスカレートしていきます。例えば、最初は単に「車」が欲しいと思います。安易な国産車が手に入ると、次にはより高級或いは高性能な自動車が、次にはベンツ、次はベントレーといった勝手にイメージ付けられたステイタス性のある外車を乗り回す様になる。
住まいにしても、知名度の高いエリアのアパートメントに住む。次にはグレードアップを図る。ペントハウスに移る。それらを手に入れると更に欲は膨らんで都心の一等地の広大な土地を手に入れ邸宅を建て、海外のリゾート地に別荘を持ちますが、そこまでしても心は充たされません。資産が億単位になれば、世界の富豪達を意識して更に数十億、数百億円に増やす事を目指し、クルーザーや自家用ジェット機を手に入れ諸外国へと出掛けます。そうして、知り合う人達が資産家だらけになると更に刺激を受け
「まだまだ敵わない人がこの世には大勢居る」と一兆を超える資産を目指し、希少価値を求める。美術品のコレクターとなったりして、オークションで高額な絵画を手に入れる。その内地球だけでは飽き足らず今度は天体の土地を買ったり「宇宙旅行」を目指したりします。欲しいと思える物を殆ど手に入れ尽くすと、いつかは物欲に飽きそして次には人を手に入れようとする。金の力でものを言わせて全ての者をひれ伏せさせ様とする。それだけのお金が有ればどれだけの人が人間らしく普通に生きられるのでしょうか。地球上の半数以上がまともな食生活など送れずに飢えている事を知っているのか…
いや、見ることは無いのでしょうね。下の事は。ただ、ひたすらに上の世界を見ている人なのですから。
そもそも、人が生きてゆくのに、何故お金が必要なのでしょうか?。「通貨」という公設の価値基準の存在、それ自体で何が出来る訳ではない。その数値で何かに交換出来るという代物です。
それを1人掻き集めて山にして、というよりも今はその実態すらない架空の数字のみが一人歩きする。その数字で、何を買い、何を手に入れたいのか?ビジョンは何処へと向かってゆくのかさえ見失ってゆく。
そうか!違うんだ。お金に取り憑かれた者はもう、お金を何に使うという概念は存在しないんだ。ただその数字を多くする、桁が増えていく事が楽しみなんだね。そして世界中の誰よりもお金を集め、「俺が1番」という栄誉と気分を味わうためだけにお金を集めて、そのお金を死んでも尚誰にも渡したくないと、奪われたくないと思う中で死んでゆくのですね、きっと……
そんな大金を手に入れることが無い人間には、理解不能な世界、価値観なのかも知れない。
人の夢とか欲望って………
「洗練を突き詰めれば、簡潔に到る」
~レオナルド・ダ・ヴィンチ~