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境界線上の魔王  作者: 羽山一明
第六章 『次と原点を探す旅へ』
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6-27 別離の時

 診療台の代わりに並べられたふたつのソファに、ふたりの王族が横たわっていた。その間に立ち、両の手のひらを輝かせながら、セイジは懸命に治療を続けていた。

 その行為に意味はあるのか、それは本人ですら定かではない。

 ただ、この場で黒い魔力に冒されたものを診た経験のある人間は他になく、また、治癒魔法を使える、という点でも唯一無二であった。


 聖騎士は孤独である。それゆえに、聖騎士に足る力を得たものは、資格を取得する前後で治癒魔法を叩き込まれる。魔法を使えないとはいえセイジも例外ではなかったが、セイジ自身、当初はこの風習に懐疑的であった。


『治療を要する怪我をした時点で、治癒魔法を行使するに足る条件から逸脱する』


 戦闘用とはまったく方向性の違う種類の魔法であるうえに、深くは専門医相当の知識を求められる。そんなことのために時間を割くのなら、怪我をしないための防護魔法などの修練に心血を注ぐべきだろう。と、思っていた。

 実際に、魔力を得てから先、彼の地で役立ったものは戦闘に類する魔法ばかりであり、マリーとともにめったなことでは怪我をしなかったため、率先して治癒魔法の技術を磨くことはなかった。


――それが、このざまだ。


 自嘲が魔法に出てしまったか、手のひらの光がひとつ大きくゆらめいた。

 魔力が、足りない。

 補給剤を取りに戻ろうか、と思っていた矢先のことで、手持ちはもうふたつしかない。異常ひとつないおれが、ただ魔力を取り戻すためだけに使うためのものじゃない。


「おい」


 なお力を込めようとしたセイジの肩を、声と裏腹にそっと叩く手があった。少年のような容姿のノインが、その外見に不釣り合いな憂慮をたたえて佇んでいた。


「気を落とすな。そもそも、貴様がことの発端という確証はどこにもないのだからな」


 ゆっくりと振り返ったセイジが、肩と目線をおおきく落としてうなだれた。半開きになった口から、荒々しい呼吸が言葉を押しのけて飛び出した。


「貴様は聖騎士という肩書にこだわりすぎているようだが、すべてを護ることなど、我々龍ですらかなわぬこと。ひとりに多くを求めてよい道理など存在せん」

「…………」

「非常の時に揮うべき力は、身に繰り返し浸透させた力だけだ。力の大小だけを追求し、裁量を見失い、護るどころか周囲もろとも破滅した例を、私はこの目で幾度も見てきた。可能性を過信するのは若さゆえ致し方なかろうが、歴史に学ばぬ愚者に名を連ねるため、足掻いているのではないだろう?」

「……それは、そうなんだけど……」

「貴様は出来過ぎる。実力も加減も底知れぬ。ゆえに誰も、貴様の力と意思を止められん。それは誰の所為でもない。しかし、貴様が捨て身のままに一線を越えた瞬間、貴様自身の努力もすべて水泡に帰す。それを胸と脳裏に刻みつけろ」


 セイジが反論できずに俯いていると、ノインがふたたびセイジの肩を掴み、引き寄せ、体を入れ替える。ゆったりした動作であったのにもかかわらず、慌てて足を踏みしめる動作が、蓄積されたセイジの疲労の重さを如実にしめしていた。


「わかったら休息をとれ。あとは私が引き継ぐ」

「引き継ぐ……って、治癒の魔法、使えるのか?」

「見て覚えた。そうでなくとも、今の貴様よりよほどましだ」

「いや、いくら龍でも――」


 食ってかかろうとしたセイジの腕を、マリーがぐっと引き留めた。振り返ったセイジに向けて、嗜めるように首を左右に振って、静かに口元を結ぶ。

 言葉にしないあらゆる感情を物語る、静かに輝く緋色の瞳に射止められて、セイジはふたたび肩を落とした。マリーの腕にぽんと手をあてて、大丈夫だ、と小さく呟く。


「……悪い、助かる。あとは頼んだ」

「謝礼はいい。寝ていろ」

「私からも言わせて。ありがとう、ノイン」

「…………ふん」


 背を向けたままのノインが、返答がわりに鼻音をたてた。にべもなく、かざした手のひらに治癒魔法を練り始める。

 怒らせてしまっただろうか。と、落胆したセイジの隣にあらわれたレベッカが、意味ありげな笑みをこぼした。


「あら。あらあら……柄にもなく照れちゃって」

「……なんや、そいつ恥ずかしいから顔合わされへんなってんか?」

「そうよぉ。かわいいでしょ?」


 所在なさげに座り込んでいたポーラが、ややわざとらしく場に乱入した。

 レベッカ同様、字面だけを見ればただの軽口のようであるが、貼り付けたような声と表情が、平静を演じきれていなかった。心の均衡を保つための、それは儀式的な動作であったのかもしれない。

 今は安らかなふたつの寝息が、いつ牙を剥くであろうか。照準をあわせたその焦点に不安を覚えるのは、ヒトも龍も同様であった。


 辿々しい会話がいよいよ途切れる頃合い、重々しく軋んだ扉をするりとくぐり抜けて、退席していたレオンとレフィリアが舞い戻ってきた。重なった視線を突き刺す一同に先んじて、荒々しい吐息とともに声を絞り出す。


「午後の公務は繰越にした。親父の体調が芳しくないのは事実だしな」

「間に合わせだがな。しかし、どのみち陛下ご自身が――」


 レフィリアの補足は、だが、半ばで行き先を失った。肩を並べたレオンとともに、目を見開いて硬直すると、一同の視線が自然とそれを追って、身を起こした国王ジーンへと突き刺さった。


「おい……」


 訝しげなノインの二の句を、その頭を撫でて封じると、鮮やかな金髪をぐしゃぐしゃにしながら立ち上がる。身に向けられる視線もどこ吹く風で、自席に取り残されていたグラスを手にとり、ひと息のうちに飲み干した。


「レオン、水くれ。口ん中が鉄くさくてかなわん」

「……おれのグラス、まだ口つけてねえから」


 呆れたような、わかっていたような。複雑な表情を浮かべるレオンをよそに、ジーンは喉を鳴らしてもう一杯を流し込んだ。


「あぁ……よし。随分と、手間と時間を浪費させてしまったようだな。悪い」

「陛下、お体のほうは……」


 乾いた唇で口火をきったのは、治療をほどこしたセイジであった。たった今、さらに増したであろう心労を背負う挙動は、むしろこちらが治療を必要とする様相である。

 

「大事ない。どうせ言い出せぬゆえ黙っていたが、レオンが産まれる以前よりこのような体なのだ。得体は知れぬが、それ以上はなにもない」

「……なんで、こうなるってわかってて黙ってたんだ?」

「潮時であろう。いつまでも言えぬ言えぬと繰り返すばかりで、お前は納得したのか?」

「…………」


 無言を紡ぐばかりのレオンの目の前で、ジーンは垂れた血をいきおいよく拭って、不敵な笑みを浮かべた。


「むしろ、黒い魔力と()()に関わるものを調べるため、おれの体を試金石にしてもいっこうに構わんぞ」

「親父、それは……」


 あまりにも莫大な代償をともなう提案に、レオンが絶句をもって同調を拒絶した。声どころか、身じろぎひとつ生まれない空間に、どかりと椅子に座り込む物音だけが、やけに軽快に響いた。


「なに、単なる口封じが目的ならば、おれはとうに墓の中だ。おれの知る知識や経験に含まれる禁忌さえ触れ回らなければ、今後も看過してくれるだろうよ」

「黒い魔力という言葉に反応せんということは、やはり()()()が正式な名称なのだな」

「そうであろうな……ああ、それとセイジよ。クリスが影響を被ってああなったのであれば、おれの影響のほうがはるかに大きい。気に病むでない」

「……はい。お気遣い、ありがとうございます」


 その声に気が抜けたのか、ふらついていたセイジがぐらりと重心を揺らした。あわてて体を支えたマリーが、国王が横になっていたソファへとその手を引いた。


「黒い魔力とは、存外、普遍的な存在であるのかもしれぬな」


 耳目を寄せる呟きを発したノインが、レベッカとレオンを呼び寄せた。天に向けた手のひらのうえに、小さな魔力の光をともしてみせる。


「ただの魔力を浮かべてみろ。精錬せずにな」


 思わず視線を交わしたふたりは、だが素直に手のひらに意識を集中させた。レベッカは赤みのかかった乳白色、レオンは若草色を帯びた蒼白。そしてノインは、群青色の輪郭に彩られた、半透明の球体。それぞれの手を、それぞれの魔力が彩った。


「……見ての通り、魔力に対する影響は、生育した環境、当人の才覚、そしてヒトであれば血統にも依存する。同様に、持ち得る性質も異なる。黒い魔力は、その特異性こそあれど、単にこれらの一角を占めるだけのものという見方もある。私の見立てでは、持ち主の魔力を増幅、もしくは変質させる性質をもつもののように思えるのだが」


 もし、そうであるのなら――と、ノインが手の光を握りつぶすようにかき消した。朧気に目を開いていたセイジの鼻先へと、振り返りざま、勢いよく指をさししめした。


「貴様の場合、まずはその莫大にすぎる魔力を制御する修練から始めるべきだ。どこか人里離れた、適当な僻地にでも赴いて、黒い魔力とともに自身の魔力を知ることだな」

「人里? 境界線のむこうじゃダメなのか?」

「駄目だ。あの壁を越えると魔力の変化も気取れん。連絡手段も限られるだろう」

「……敵襲に備えて、か」


 不足を埋めたレオンの言葉に、ノインが満足げに首肯を返す。

 会話の焦点が、残る議論の的であった龍の襲撃への対処へと、流れるままに繋がりつつあった。


「ふむ。であれば、西方だな」


 ひとり座り込んでいた国王が、卓上に広げられていた地図のうえを目と指でなぞった。つられて集まった面々が、思い思いの逡巡を紙上に交錯させた。そのうちのひとつ、静観を保っていたヘイゼルの視線が、ある一点で訝しげに留まった。


「そこの、×印が書かれている村はなんですか?」


 小首を傾げつつ、ポーラの頭上から伸ばした指の先。西方の国境を南北になぞる山脈と、東西をつらぬく公路。その交点から南東の位置に描かれていた、田畑と水車小屋のようなシルエットが、真っ赤な×印で上塗りされていた。

 それを目で追ったセイジとマリーが、同時に肩を震わせた。次いで目視したポーラが、机に乗りかからんばかりの勢いで目を輝かせた。


「あ! 前ちょっと言うてた、あたしらの新拠点か?!」

「……いや、そこは廃村だ」

「復興させたらええんちゃうん? 森も川もあるし、何より山の麓ってのがええ。何かあかんの?」


 言い渋るレオンに向け、ポーラが意図的にはやし立てるような追い打ちをかけた。肩を落としたレオンに変わって、ジーンが大きな吐息とともに口を開いた。


「その一帯は戦場跡でな、ラフィアの国土と似た状況にあるのだ。いまだ滞留する魔力の強さゆえ、常人の立ち入る領域ではない」

「ああ……地形も歪曲してるからな。どのみち大規模な土木工事が必要になるだろうよ」

「土木工事なら、セイジを派遣すればいいだろう」


 会話を切り上げようとするふたりに向けて、頬杖をついたノインの眼光がひらめいた。青白い光をたたえた瞳が、『隠し事はやめろ』と、無言の圧力をかけている。


「滞留している魔力も、私の封印魔法で解決すればいい。セイジの修練とラフィア住民の移住先問題を一纏めにできるのだ。この上何が不満なのだ?」

「…………」


 責め立てるようなノインの言葉に、息苦しい沈黙がつづいた。視線を落としていたセイジが、拳をぐっと握りしめて顔をあげた。


「……やるよ」

「おい、セイジ……!」


 顔を顰めたレオンと、ゆっくりと首をふるセイジ。両者に視線の橋を渡していたノインに、マリーがそっと耳打ちをした。憂慮に沈む唇がそっと離れると、ノインはみじかく『そうか』とだけ呟いた。


「レオ兄、おれ、もっと強くなるよ。黒い魔力も自分の魔力も使いこなして、次こそみんなを守ってみせるから」

「はは……お前、今以上に強くなる、って、いよいよ世界でも守るつもりか……?」

「おれたちが憧れてた聖騎士って、そんな感じじゃない?」


 事も無げに、笑顔でそう言い切ったセイジに、レオンは改めて肩を落とした。肺から絞り出すような長い溜息をついて、勢いよく顔をあげる。燭台の火を反射した金色の頭髪がきらめいて、その隙間からのぞいた瞳を輝かせた。


「送別は、豪勢にするからな」

「期待してるよ。それじゃマリー、早速準備を――」

「待て。行くのは貴様と私だけだぞ」

「……えっ?」


 意気揚々と振り返ったセイジの声色が急転し、垂直に落下した。


「襲撃に備えると言ったばかりではないか。貴様とマリーを同行させるのは戦力分配のうえで許容できない。龍の狙いは貴様だろうが、奴らが王宮に狙いを定めないとは限らんのだからな」


 嗜めるようなノインの言葉に、セイジは思わずマリーと視線を重ねた。音もなく見開かれた紅緋色の瞳が、内心をしめすかのようにゆっくりと揺れ動いていた。

 出会って以降、片時も離れたことのなかったふたりへの、それは別離の宣告であった。

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