1-3 ヒト科の客人
白銀の万年雪を冠する峰々が、視界の両端いっぱいに連なっている。
何度か入山したことがあったが、ありのままの自然が広がっているのにもかかわらず、生命の気配は不自然なほどに感じられなかったことが印象的だった。麓に暮らす種族に遠因があるのかもしれないが、環境保全に勤しむ活動家ではないので、追求はしていない。
その種族は、麓を隠すように広がる針葉樹の森をくぐり抜けた先に、ひっそりとは形容しがたい巨大な集落を築き上げていた。
「それで、結局おれは何をすればいいんだ」
語尾に、大きなくしゃみが続いた。時折吹き下ろす山頂からの風は、水を氷に変えるほどには至らないものの、十分に肌寒い。
この集落の主は、鬼人族という有数の好戦的な種族だ。
生まれ持った鋼の皮膚、人間の数倍はあろう膂力、そして最大の特徴は、頭部から伸びる大小さまざまな角である。言い換えると、それ以外の外見的特徴はおおむね人間と大差はない。
人の世に『健全な精神は、健全な肉体にのみ宿る』という言葉があるが、それを体現するような習慣を守り続けており、彼らの価値観で判断するならば、強きは正義であり、大義なのである。
したがって、彼らの日常に戦闘の二文字が刻まれない日はない。挑み、挑まれ、己の武を誇り、相手の技量を讃え、血を吐き、泥を啜りながら、肉体と精神を鍛え続ける。
そんな種族が、他種族を、それも強者を集落に迎えたらどうなるだろうか?
「その子を止めてほしいのが半分。もう半分は、会えばわかると思うよ」
何度説明を要求しても、要領の得ないことを繰り返す依頼人の案内に従って、赤茶けた土肌がひろがる通りを奥へと突き進んでいく。
日中の往来にもかかわらず、閑散とした雰囲気に包まれる家屋に気味の悪さを覚えた。
「廃墟みたいになんの気配もないんだが……」
「仕事で不在か、単に寝てるか。それ以外は、だいたい観戦しに行ってるんじゃないかな?」
戦闘狂、ここに極まれり。
そんな奴らが助力を要請するようなものと相対させられることに、わずかな高揚を覚えて、あわてて内心で否定する。
「ほら。あの角を曲がった先だよ」
頭の上の案内人が、はじめて案内らしいことをしてみせたが、ここまで近づくと、魔力の流れでおおよそのことは把握できる。
居合わせる人数。場の空気。力強く折り重なる鬼人の赤い魔力。
そして、白露のように透き通る魔力の気配。おそらくその持ち主こそが、この集落を訪れた流れ者だろう。
角を曲がると、おおよそ想像していた通りの光景が広がっていた。言い方を変えると、光景をのぞくすべては想像の斜め上であった。
「立てよ! まだやれんだろ! 頑張れよ!」
「お前はそんなもんじゃねえだろ! 死ぬまで意地見せてみろ!」
「…………」
果たして、これを熱気と呼んでいいものか。
角を曲がる前から耳に飛び込んできた、大音量の歓声。聞き取れるものはまだましなほうで、わけもわからず咆哮しているほうが多数の有様だ。筋骨たくましい観戦者たちが、押し合いへし合い、身振り手振りを交えながら、全力で自己表現をしている。
すさまじく暑苦しい。助けを求めるようにマリーの様子を窺うと、氷のような鉄面皮がいかにも居心地の悪そうな渋面を浮かべていた。
「……リーゼ、悪い。やっぱお前らの種族苦手だわ」
「いや、ボクは鬼人族じゃなくてただの鳥類だから。一括りにしないでおくれ」
子飼いのわりに淡白な奴だ。
離れて歩いていたマリーが、なお距離をあけて諦観の姿勢をみせる。特に意味のない叫び声があがるたび、顔の随所が引きつっているあたり、やはり苦手なのだろう。悪いことをしたが、場違いがひとりではこの空気には耐えられそうになかったので、連れてきて正解だった。
「それで、この戦いが終わるのを待てばいいんだな?」
「そうね。あそこに割って入るのは嫌だろうから、上から見てみるよ」
直後、地響きに似たにぶい低音が辺りに響いた。はためいたリーゼのさらに頭上を飛び越えるようにして、巨体の鬼人が宙を舞った。落下地点に立っていたマリーが、苦々しげに荷物を下ろした。
またしても、にぶい音が響いた。小柄なマリーの倍はあろう男の体が、マリーの手のひらの上で力なく横たわっていた。
「気絶してますね」
何事もなかったかのように、マリーは手首を翻した。あわてて駆け寄った男たちが、男の体を担いでいった。
その背中を視線を追っていくと、近くの家屋の軒下に、同じようにやられたのであろう、鬼人が何人か寝かされていた。
「セイジ!」
名を呼ばれて、振り返る。観客の波を掻き分けて姿を現したのは、どちらかといえば華奢な体格の鬼人であった。
呼ばれた当人よりも速く反応してみせたのは、リーゼであった。空中でひと鳴きして、あらわれた男の肩へと急降下した。子飼いである自覚は残されていたようだ。
「使いご苦労だった、リーゼ」
濃い橙黄色の瞳を輝かせてリーゼを労ったこの男は、若くして族長の補佐を務めるキースという鬼人だ。
「キース。久しぶりで随分と急な呼び出しだな」
「ごめん、ごめん。だけど、最後には君に頼らないといけない問題だからね」
「あん? なんだ、どういうことだ?」
止まぬ歓声に埋もれてしまったのか、それとも聞こえないフリをしたのか、キースは問いかけを無視して踵を返した。
身を引いて道をあけた観衆たちが、様子を窺うような視線を浴びせかけながら、口々にざわめいている。
もうどうにでもなれ、とキースの後を追うと、なぜかマリーも後ろをくっついてきた。独りになりたくないのはお互い様のようだ。
「あなたが最後のお相手?」
開けた人混みの先、キースの背の向こう側から、快活そうな女の子の声が聞こえてきた。
「いいえ。私ではありませんが、幕は下ろさせていただきますよ」
「随分な自信ですわね。生憎ですが、あの方にお目通りするまでは、わたくしは――」
随分と聞こえのいい前置きをしてくれたキースの肩をつかんで、毅然と構えた女の子の前に姿を晒した。
直後、乾いた金属音が狭い空間にこだました。みじかい悲鳴をあげて取り落とされた剣にひと目もくれず、その子はまっすぐに地を蹴った。
走り寄り、眼前で立ち止まる所作にすら気品が散見できるその姿は、もはやこの距離では見紛えるはずもない。先日、人間界で監視をしていたばかりの、王女クリスティアがそこにいたのだ。ヒト型の流れ者、という時点で勘付けなかったあたり、本調子でないことを自覚したところで、もはや事態は避けられない。今更になって能動しはじめた思考を責めていると、王女が意を決したように口を開いた。
「セイジさま……ですね?」
「お……はい」
王族から敬称をつけられるような名は持ち合わせていないはずだが、勢いにやられて咄嗟に返事をしてしまった。二の句を継ぐわけでもなく、真正面からじっと見つめられた挙句、気のせいかかすかに瞳を潤ませているようにも見えて、変な汗が滲み出る。
背面に、マリーのものであろう突き刺さるような視線を感じていると、クリスティアが腰にさげた袋から何かを取り出して、手のひらに乗せた。装飾のほどこされた箱のなかに、見覚えのある貴金属がおさまっている。
「あの、これ、お探しではないかと」
逡巡は、一秒にも満たずに衝撃に変わった。両手で体中をまさぐるが、目当ての感触が指先に感じられない。
「おれの首飾り、か……?」
自分が今、血の気が失せるという表現そのままの表情をしていることが容易に想像ができる。届けられてはじめて、国王陛下に賜った聖騎士の証である首飾りを失くしたことに気がついたのだ。
伸ばした手を包むように渡してくれたクリスティアの手のひらを握り返して、謝礼を述べようとした。が、なぜかその手がいつまで経っても離れてくれない。
「その、謝礼とは申しませんが、ひとつだけお願いしてもよろしいでしょうか?」
「え? あー……」
今にも泣き出しそうな顔で言い寄られる。視線を逸して助け舟を求めたが、キースは別の鬼人に呼び立てられて、人混みのなかに埋もれてしまった。マリーに至っては、音もなく近寄ってきて、背を指先で小突いてくる。泣きたいのはおれのほうだ。
「ダメですか?」
反対の手も握りしめたクリスティアが、なお体を寄せてくる。思わず上半身を仰け反らせると、マリーがぐっと押し返してきた。物理的な逃げ場は残されていないようなので、観念してクリスティアに向き直った。
「わかりました。私にできることならば、相応の謝礼はいたします」
彼女自身の持つ魔力の色のような、透き通った笑顔を浮かべて、クリスティアは赤みがかった瞼をぬぐった。マリーはというと、手綱を握るかのように、いまだに袖にしがみついている。予断は許されないようだ。
しかし、というより、何を要求されるのやらまるで想像がつかない。従者になれとでも言われたときのことを考えて、頭のなかで風魔法の詠唱陣を思い浮かべた。
どこまでも後ろ向きなセイジの思惑を、クリスティアは文字通り両断した。取り落とした剣を拾い上げて、その剣先をセイジへと突きつけたのだ。
「では、これも何かのご縁ですので、お手合わせ願いますわ!」
にわかに、群衆がざわついた。
それに反して、セイジの反応はごく軽微なものであった。ぴくりと眉を動かして、脇からそっと剣を差し出したマリーを手振りで制した。手を握られることに動揺する一方で、剣を向けられて嬉しそうに応じるあたり、他人を戦闘狂呼ばわりする資格はなさそうである。
「魔法は、使っても?」
「はい。セイジさまのお好きなように」
「……わかりました。いつでもどうぞ」
持ち上げた指の動きをなぞるようにして、空中に紫色の魔法陣が浮かび上がった。
セイジの微妙な表情の変化に気がついたのは、付添人のように斜め後方からやりとりを眺めていたマリーただひとりであっただろう。わずかな逡巡ののちにひらめいた瞳が、ろくでもないことを思いついた時と同じ色に輝いている。
荷物をおろしたマリーが、なにかに備えるように身構えた。その脇を、ひとりの鬼人が息を荒げて通り過ぎた。
「いかがなされましたか?」
剣を構えたまま動かないクリスティアを見て、セイジは構えをといた。その肩を勢い良くつかんだ人影があった。
「セイジ……!」
キースであった。色の濃い肌が、ひと目でわかるほどに蒼白になっている。伸びた腕が、身をよじって振り返ったセイジの肩から力なく剥がれ落ちた。
「鉱山だ。いま、族長が……」
「落ち着け。どうした、なにがあった?」
「……カオスが、出た」
異変を察知して駆けよったクリスティアが、すさまじい悪寒を覚えて足をとめた。
聞き及んだことのないはずの言葉の意味を本能が感じ取ったのか、それを耳にしたセイジが瞬間的に放った殺気に気圧されたのか。いずれにせよ、待望していた仕合が強制的に中断させられたことには違いなさそうだった。
「場所はどこだ。逃げ遅れはほかにいるか?」
「第……第二坑道で、族長がひとり……」
肩をつかまれたキースの目は、焦点を保っているのが不思議なほどに、色彩を失っている。
クリスティアたち人間から見て、鬼人は魔物や怪物などと呼称すべきものに分類される。格上であるクリスティアに対して肉体のみで挑むことをよしとするような種族の、それも上から数えたほうが早いであろう者が、敵前逃亡を図ったのだ。
「大丈夫だ。おれが必ず連れ戻す。お前はみんなを安心させてやってくれ」
振り返ったセイジの視線上に、待っていたかのようにマリーが佇んでいた。視線を交差させて、どちらからともなく笑いあった。
「すまん、行ってくる」
「はい。またあとで」
差し出された剣を受け取って、セイジはどこかへと背を向けて、風を連れて去っていった。慌ただしく変化するその光景をただ力なく眺めることしかできなかったクリスティアに、振り返ったマリーの笑顔が向けられた。
「お久しぶりです、クリスティア姫。ご息災でなによりでした」
「いえ。こちらこそ、部下ともどもお助けいただいておきながら、何ひとつ謝礼らしいこともできずにごめんなさい。ところで、この騒ぎはなんですの?」
「その質問にお答えするには、先にお尋ねしなければならないことがあります」
「え?」
問い返したクリスティアの瞳に、深い紅色に沈んだマリーの瞳の色が映り込んだ。
「あなたは、セイジを人の世に取り戻しに参られたのですか?」
「それは……」
言葉と相反して、答えを封じるような声と圧迫感を覚えて、クリスティアは口に出しかけた言葉を飲み込んだ。鬼人族たちをねじ伏せたクリスティアが、鬼人族の半分ほどの体躯の少女に確かに圧倒されたのだ。
「国を背負う立場としては、肯定いたします。ですが」
「……ですが?」
「わたくし個人としては、セイジさまのご意思を優先いたします」
「納得のいかない理由だったとしても、ですか?」
それまで淡々と言葉を紡いでいたマリーの語尾が震えた。ふいに踏み出したクリスティアに、力強く肩を掴まれたのだ。
「セイジさまは、無意味なことをなさるようなお人ではありません」
「お言葉ですが、それは信用ではなく盲信ですよ」
「盲信でもしなければ、独断、単身でこの地に足を踏み入れるはずがないでしょう?」
数手前の、答えを探るような不安げな声が嘘のような、それは晴れやかな回答であった。
肩に当てられていたはずのクリスティアの手は、いつのまにやらマリーの両手をしっかりと握りしめ、逸らしかけていた目はむしろ嬉しそうな輝きを帯びていた。
唐突に詰め寄られて半開きになったマリーの口が、満足げな笑みを浮かべた。
「……ふふふ。あなたは本当に、セイジに入れ込んでいるのですね」
「ええ、もちろん。わたくしが長年の目標にしていた、剣の師のような方ですから」
マリーは魔法が使えない。ゆえに、魔力の流れで場の空気を察することはできない。それでも、眼前の騎士が本心から発言していることは疑いようもなかった。
「ごめんなさい。あなたを試すつもりはなかったのですが、少し意地が悪かったですね」
「試すというのは、その……『カオス』と呼んでいたものについて、でしょうか」
「はい。騒動の原因であり、セイジが人の世へと戻らない理由のひとつでもあります。詳しくは……」
ことが済んでから、と言いかけて、マリーは声を飲み込んだ。
腰に下げていたクリスティアの剣が、かたかたと音を立てて震えている。クリスティア本人も自覚していないであろう未知への恐怖心が、平静を装った表情の下で確かに揺らめいていたのだ。ただひとつ、その目だけが煌々とした光を灯して、マリーを正面から見据えていた。
「……詳しくは、セイジの話をしてからにいたしましょう」
「え?」
「お互い、彼の知らない身の上話があると思うのです。よい機会ですし、どうでしょうか」
今ここで、相対するものについて教えたところで、漠然とした恐怖心を具体的なものにしてしまうだけである。それならば、少しでも彼女の緊張感を緩和させるほうが、いくらか建設的であるというものだった。
「……是非に、お願いいたしますわ!」
セイジの名を持ち出したマリーの判断は概ね正しかった。改めて握り直したクリスティアの手は暖かく、好奇心が恐怖心にまさったであろう成果が垣間見えた。
もっとも、そのような人間でもなければ、この地に足を踏み入れる役目は務まらないのだろうが。
「さ、参りましょうか、クリスティア姫」
「はい。あ、ええと……」
つづく言葉を察して、マリーは荷物を地面に下ろし、スカートの端をつまみあげて優雅に一礼した。
「ローズマリーと申します。どうぞマリーとお呼びくださいますよう」
「クリスティアですわ。近しい方にはクリスと呼ばれておりますから、どうぞそのように」
くすりと笑いあったふたりは、荒涼とした風景を彩るように、金と銀の長髪を翻して歩き始めた。




