4-4 彼女と彼等の使命
簡素なつくりの広間に、高低音の入り混じった歓声がこだました。ラフィアの住人たちにとって、久しく目にする機会のなかった色彩豊かな食卓は、険しい旅路がひと段落した実感そのものであった。境界線の決壊から先、文字通り孤立無援で質素な暮らしを続けてきたのだから、むしろ当然ともいえよう。
「マリーちゃんは料理も達者なんですのね……」
クリスが心底感心したような吐息をこぼした。息巻いて炊事場に乗り込んだまではよかったが、料理とは手際である、と言わんばかりのマリーに気圧され、小間使に終始することとなった。
「むこうでは野営も珍しくないですし、そんなときは食事くらいしか楽しみがありませんから。さすがにこれだけの人数分は……初めての経験でしたけど」
言いながら、マリーは結っていた長い髪をほどいて、煩わしげに頭を二、三回ほど振った。流した横目に、片付けを終えて佇みながら、広間のほうをちらちらと窺っているクリスがうつりこんだ。
「クリス、先に行ってください。私はもう少しかかりますから」
「いえ、せっかくですから待ちますわ」
「せっかく、と言うのなら、尚更行ってあげてください。みなさんと食事を一緒にできるのは、これが最後かもしれませんし」
ふわりと口角をあげたマリーに射止められて、クリスは照れ隠しのようにふと目線を外した。
「セイジさまもそうですけれど、わたくしを甘やかしすぎですわ。わたくしだって……」
「年上の言うことは聞くものですよ。さ、冷めないうちにどうぞ」
「え? え? 年上って――」
背を押された勢いのまま、解答の得られない問いかけを残して、クリスは炊事場から出ていった。
「これが最後……」
人気のなくなった空間に、マリーの独り言がぽつりとこぼれ落ちた。
本当に、これが最後かもしれない。旅路という意味だけでなく、国境に辿り着いたとしても――
「!!」
落ち込んだ肩が、体ごと竦み上がった。マリーの切れ長の瞳が鋭く研ぎ澄まされ、全身が野生動物さながらの気迫に満ちた。それも束の間、ひと呼吸の空白ののち、クリスと反対側の扉を蹴り破る勢いで飛び出していった。
「……マリーちゃん、まだですの?」
間をおいて様子を見にきたクリスの呼び声が、誰もいない炊事場にむなしくこだました。
……
…………
………………
浮かび上がった汗が目に染み込んで、ちくりと刺すような痛みが走った。つまり、これが嫌な夢でないことは確かなんだろう。
改めて全身を観察するまでもない。間違いなく、おれが倒したはずのあの龍だ。
内心を見抜かれないよう、喉奥に舌打ちを押し止める。『戦闘不能』の定義をただの生物と同一視した、おれの失策だった。
「……セイジといったか?」
魔力を纏って牽制していると、口を開いた龍が気の抜けた声を発した。あと数秒、言葉が遅れていれば、口の中に何かの魔法を投げつけるところだった。
「……なんだ」
「人間の国に、おまえより強い者は他にいるか?」
「知らんな。それがどうした?」
にべもなくあしらう。
魔力に淀みがなさすぎて、思惑もなにもわからない。なまじ普段から相手の魔力を読んで立ち回っているせいで、龍という生き物はおれにはひたすら気味が悪く思えてしょうがない。いまのリュートのように、無言で突っ立っていようものなら、もはや生死の判別すらつかない有り様だ。
「警戒されているようですが、そもそも私たちが本気であなたに襲いかかっても、私たちに勝ち目はありませんよ」
「勝ち負けはどうでもいい。要件を先に言ってくれ」
「いや、本当に話をしたかっただけでな……」
これでいいですか、と言わんばかりに、龍が四肢を投げ出して横たわった。姿勢に難があったのか身体をばたつかせるが、胴体に対して短すぎる手足が空を掻いただけだった。
「…………」
目の前のあまりにも気の抜けた光景に、リュートとの初対面の記憶が重なった。同時に、おれが魔王としてクリスと出会ったときのことを思い出して、妙な罪悪感にかられてしまった。
──そうか、あのときのクリスも、得体の知れないおれが怖くて剣を突きつけてきたのか。
そう思うと、龍という生き物はなかなか不憫なものなのかもしれない。ひとまず魔力で牽制するのをやめて、停戦の意をしめした。
「わかった、話は聞く。ただし目的は聞かせてもらうぞ」
「目的、ですか」
龍とリュートがゆっくりと目をあわせ、互いに頷いた。
「わかりました。あなたになら話しても許されるでしょう。あの少女にも同席して欲しかったのですが──」
ふいに言葉が放棄された。会話の隙間を埋めた地響きのような低音が、音量をあげながら小刻みに近づいてくる。
「足元……?」
リュートの声に追随するように、セイジがあわてて右手を掲げた。喉まで出ていた魔法が言葉になるより早く、硝子の割れるような澄んだ高音がひびきわたった。砕けた防護魔法の欠片が、舞い上がった上空で最後の光を放って、黒々とした夜の背景に溶けて消えた。
「セイジ!」
まだ光ったままの右手を力なく垂らしたセイジを庇うように、マリーが階段から飛び出してきた。
「マリー、お前さ……」
「下がってください。もう魔力もあまりないでしょう」
魔力がなくなったように見えるのなら、それにとどめをさしたのは、いましがたマリーに魔法をぶっ壊されたことにあるわけなのだが。
「なくていいんだよ。そいつらは敵じゃねえ」
いちおうな、と小声で補足しながら、マリーの腕を掴んで引っ張り上げる。握りしめた小さな拳から、赤々とした雫が滴り落ちているが、当人は意にも介さず、子を守る親のように龍を睨み上げている。
「お前ほんと、たまに無茶苦茶するな」
「防護魔法、割れましたね……」
リュートが独り言のような感想をこぼした。無表情でいることの多い顔つきが、呆れたような、困惑したような、表現しがたい反応をしている。
「こいつは例外中の例外だ。力押しで割れる想定なんかしてねえよ」
掴んだままのマリーの腕に手をかざして、水の魔法で血を洗い流す。露出した傷口に不慣れな治癒魔法をあてがうと、光に照らされた傷がもとの肌色を取り戻した。
「……ありがとうございます」
頭に昇った血もおさまったのか、時間をおいたからなのか、マリーが平静を取り戻した。改めて見上げた龍に対して、かるく頭を下げて謝罪の意をしめす。
「話、続けてもよろしいです?」
リュートたちからすると、敵意むき出しのおれとマリーに立て続けに会話を中断させられたわけだった。龍は感情の寒暖差がないそうだが、それとやりづらさはまた別の話だろう。
「悪い、話してくれ」
「はい。では、私たちの目的……いえ、龍のことについてからお話ししたほうがいいですね」
「そうだな。我々に対しての知見は、伝承上の生物、という程度だろうからな」
「……すみません、私は席を外したほうが?」
勘違いによる気恥ずかしさもあっただろうか、傷口を眺めていたマリーがいそいそと踵を返した。
「いえ、同席願います。特にセイジさんとあなたには聞いてほしいことなので」
「? そういうことでしたら……」
おれとマリーだけに聞かせたい話といわれても、心当たりなどあるはずもない。
顔を見合わせて、互いに首を傾げるばかりのおれたちをよそに、リュートはゆっくりと言葉を紡ぎはじめた。




