3-8 生と死の依頼
知らぬ都市の知らぬ道の先、少女ははるか先を無機質に歩いていた。
案内人を自称していたのもどこへやら、追いすがったおれたちが肩を並べても、一瞥してすぐに視線を逸らされてしまった。
「……で、おれたちは何をすればいいんだ?」
「あー、奥にあたしらを助けてくれたまとめ役みたいなのがおるんやけど、そいつが魔法に強そうな人間がきたら教えてくれ言うとったんや。あたしは戦闘以外の魔法は詳しないから、悪いけどそいつに聞いてくれんか?」
おれの知り合う女性というものは、どうも慕ってくれるか辛辣かの二極になるようだ。両派代表のマリーと顔を見合わせ、少女に付き従って歩を進めた。分岐路のあった場所からさらに本筋を進むと、素人目にも創意工夫の凝らされた扉があらわれた。
少女が無言でノックをすると、扉がひとりでに開いた。仕組みを解明したい欲求にかられて扉を見上げていると、マリーに急かされるように肩を突っつかれたので、しぶしぶ進入する。と、肌を撫でる魔力の気配が確かに変化して、思わず身体が強張った。
「玉座の間、か……?」
「昔はな。いまはもう誰のもんでもないから、好きに使わせてもろてるんや」
その空間は、風化の過程にあってなお、息の詰まるような雰囲気を保ったままにあった。
壁面に立ち並ぶ像は銅製だろうか。大きさもさることながら、まとう鎧は本物をあつらえる徹底ぶりである。構えた剣が指差す見上げた天井には、こちらは銀だろうか。今もなお鈍い光彩を放つ装飾がほどこされており、広々とした空間でありながらいちいち圧迫感を覚える。
「フェルミーナとは真逆ですね」
「だな……」
フェルミーナは新興国であり、当時は王宮を豪奢にする貯えなどなかった。国王陛下はそれを取り繕うことなく、必要十分ですませた経緯があってのことだが、それにしてもこれはやり過ぎである。そびえ立つ石柱に据えられた燭台まで金でできている有様だ。
「普通の人が入れるようなとこちゃうのに、ようやる思うわほんま」
「あんな門にした手前、引くに引けなかったんだろうな」
山の内部を要塞にするあたり、凡庸な折衷案で妥協できるような規模の話ではないのだろう。景観を咀嚼していると、長い赤絨毯もようやく終わりが見えてきた。が、視線の先には空の玉座はあれど人の姿はない。
「あれ、どこいってんやろ……」
小首を傾げた少女の語尾に、何か重いものを引きずるような音がつづいた。六条の視線が、玉座の奥側に黒い口をあけた通路に突き刺さった。
「………!」
声もなく、誰からともなく互いに間合いをとる。石柱に背を預け、身構えながらも息をひそめて、きたる瞬間に意識を集中させた。
正体不明の音はとどまることなく、ゆっくりとではあるが確実に接近している。
魔力の気配は感じられない。それがかえって不気味に過ぎる。まだ新しい剣に慣れていないだろうからと、クリスに鈍色蛍を預けたままにしていたことを少しだけ後悔した。
「人の声です」
向かい側に隠れたマリーが唇で言う。魔力に頼れない状況下では頼りきりになってしまうが、こればかりは致し方ない。倣って聴覚を研ぎ澄ませていると、ようやく人の、それもかなり悲痛な呼び声を聞き取ることができた。
「……ポーラ………いるのか?」
「兄貴?」
「ちょっと……手伝って……くれないかな」
今更ながらに知ったこの少女の名はポーラというらしい。怪訝な表情を浮かべながら、猫のようにするりと飛び出していった。
「……なにやってん?」
開口一番、ポーラの声から棘が抜け落ちて、語尾に重い溜め息がつづいた。どうやら危険はなさそうだ。
溜飲が下がり、変わりに好奇心が浮き上がって、思わず石柱からそろりと顔をのぞかせてしまった。
直後、視界が無意識のまま揺れ動いた。体を支えるためだけに持ち上げた指先が、手離したばかりの脇差を抜き放ち、浮き上がった足が石柱を踏み台にして、まっすぐに地を蹴った。
「──セイジ!」
マリーの声が聞こえて、ふと朧げになっていた意識が鮮明になった。
剣を持ったままの右腕が、振りかぶる半ばでマリーに腕ごと制止させられていた。その奥では、驚愕しつつも身構える幼げな印象の青年と、青年に寄り添うように這う見知らぬ魔物の姿があった。
「腕、離しても?」
嗜めるような口調のマリーの声で、漸く現状が把握できた。噴き出した汗が、どろりとしたいやな感覚とともに肌を湿らせ、頬を伝って床に落ちていった。
「……おれは、剣を抜いたのか」
「はい。それも、殺意を纏っていたように見えました」
マリーの手が離れる前に、全身から力が抜けていった。剣を受け取って鞘に戻し、座り込んだ姿勢のまま、膝に拳をあてて頭を下げた。相手の身なりも目にしないままであるが、このさい先に示すべき態度があった。
「初対面でのご無礼、誠に申し訳ない。その、なんと言えばよいものか……」
「セイジもやったか。そらやるわな」
「……なんだそりゃ。おれと同じようなことしたのか?」
「ちゃうちゃう。さっき国境で会ったとき、あたしもセイジに斬りかかったやろ?」
「? ああ、それが……?」
「殺らな殺られる思たからやったんや。今のんも同じやろ。それよりやな──」
呆れて笑った少女のおだやかな瞳が、ひと呼吸のうちに激昂の色を帯びた。
「浮き世離れも大概にせえや。この子がセイジ止めてへんかったら、あんたら今頃お迎えきとんで?」
「いや、うん……客人が見えたらどうもてなそうと、ヘイゼルと……な?」
首から上しか見えていなかった魔物が、人の握り拳ほどもある牙の並んだ口をぱくぱくと開閉させ、なんとも歯切れの悪い釈明をはじめた。
「で、そのいらん話の結果どうなった?」
「…………」
ポーラが『兄貴』と呼んでいた青年は、クリスと同じくらいの年齢だろう。随分と歳の離れた兄妹ということになるが、有無を言わせぬ言葉の刃の前に、魔物と一緒になって縮こまるばかりである。
「……で、その、魔物か? なんなんだ?」
「ああ、なんて言うたらええんやろ……」
ふいに背筋に怖気が走って、その魔物から射止めるように視線を重ねられていることに気が付いた。
これだ。この、あらゆる魔法石を混ぜて溶かしこんだような、心の底まで重圧を覚える鮮やかな色の瞳。物静かな圧力と、まるで読めない魔力の強さが、化け物としか形容できない巨大な体躯から、ほんのわずかに滲み出ている。それ以上、何も感じ取れないのだ。
「はじめまして、お客人。私はリュートと名乗る……まあ、魔物といってよいでしょう。お客人は、彼の地のことについて、どれほどご存知でしょう?」
通路の暗がりに巨体のほとんどを隠したまま、リュートと名乗った魔物が問いかけを放った。
「どれほどと言われると困るけど、丸一年くらい滞在してるな」
「一年! では、ヒトでも亜人でも魔物でもない、龍という生命体の存在を耳にされたことは?」
「龍……って、あの龍か?」
彼の地の経験もなにもない。
龍。神の遣い。天使。歴史の編纂者。最高次元生物。史上の道標。
用いられる二つ名こそ多様な表現をされるが、姿形はなぜかどれも似た造形で描かれる。人を丸呑みにするほどの巨躯、磨き上げられた盾のような鱗の並ぶ体表、宝石のごとく美しく透き通った双眸、空を我が物にする強靭な翼。神話だの伝承だのでは神と並ぶ頻出ぶりで、まさに神々しく描かれるその描写のない書物を探す方が困難だ。
「――ええ、私がそうです」
「……え? いや……え?」
言い方は悪いが、とても神の遣いなどと呼ばれる存在には見えない。伝承には尾ひれがつきものとはいえ、もう少し夢を見せてほしいものである。
「……ごめんなさい。私たちは限りなく全知に近い存在ですが、全能ではありません。ですから、狭い通路でもとの姿になって通れなくなることも、幼子に説教されることもあるのです」
超生物の口から、穏やかに情けない言葉が飛び出してきた。
「実際こいつ、言い伝えほど万能ちゃうで。どっちが怖いか言うたら、あたしはセイジのほう選ぶわ」
「同感です。もう少し、外に溢れる魔力を抑えたほうがよいでしょう」
「……あんたは喋ってんと、はよそっから抜け出して本題に入りいや。遊覧で来てもろとんとちゃうんやで」
「はい……と言っても、ヒトの姿に変わるくらいしか、もう……」
「…………」
ポーラに無言で凄まれて、自称龍の語尾が弱々しくかすれた。間をおかず、挟まっていたらしい体躯が泡のような燐光に包まれはじめた。輪郭線が青白い光で滲んで、次の瞬間、ぐにゃりと形を歪めた。
「ええと、初めまして。私はヘイゼル・ヴァーミリオ。ポーラの兄で、ここの取りまとめ役のようなことをしております」
「先程は……」
間を埋めるようにして自己紹介を始めた青年に、改めて頭を下げる。ポーラの乱入で有耶無耶になってしまったからだが、かえって気を使わせてしまったようであった。下げた視線の先に手をさしだされ、体を支えるようにして握手を求められた。
「いえ、私たちのおふざけがすぎました。真っ向から『彼が龍です』と申し上げても、信用していただけないかと思い至りまして」
「それは……そうですね。私はセイジ・ルクスリアです。フェルミーナ国より第二聖騎士を拝命しています」
ヘイゼルの体がぴくりと震えた。手のひらに感じる力と熱が変化したのは、おれの気のせいではない。
「ここを訪れたのは国家の正式な任あってのものではありません。ですが、そうお望みであるのなら、あなた方を国境まで送り届けようと考えています」
「……ここでは、自給自足の生活は困難を極めます。城の備蓄も、つい先月尽きました」
どちらかといえば白い顔つきの青年に、後ろ暗い陰がさしこんだ。ポーラは何かを言いたげな様子で、口を紡いだまま佇んでいる。
「地上の濃い魔力では種子が発芽せず、農耕は断念しました。食用になる動物もおらず、今は山を通る河川から、わずかな水と魚を得てただ延命しているだけの毎日なのです」
ひと呼吸おいて、ヘイゼルはふたたび頭をさげた。ゆっくりと離れた手が垂れ下がるさまが、ヘイゼルの内心を表しているようであった。
「お呼びだてしたのは他でもありません。どうか私達に、人間の生活を取り戻す機会をください」
ふたり合わせて三十歳にも満たないだろうこの兄妹が指導者然としているのは、おそらく魔力が使えるからなのだろう。なるほどこれは、ポーラも大人びるというものだ。
身を護る魔法を使えなければ、この城の外に出ることすらかなわない。過去に、境界線から溢れ出した魔力の濁流に飲み込まれる人の山を目前にしていようものなら、なおさら出歩こうとは思わないだろう。意にそぐわないことはいくつかあるが、ひとまずこの重圧から解放することが先決だった。
「聖騎士の名において、人道に悖るつもりはありません。この身にできることであるのなら、助力を約束します」
「ありがとうございます! では――」
「人道ではないけれど、私からもひとつ、よろしいですかな」
ぱっと顔を赤らめたヘイゼルが、肩に手をかけられて言葉を中断させた。まだ淡い光を全身の輪郭に帯びながら割って入った龍の姿形は、なぜかヘイゼルと瓜二つであった。返答を待たずして、リュートは口を開いた。
「決定事項ではないのですが、道中、同胞から襲撃を受ける可能性がありまして」
「同胞……?」
「ちょっ……! いきなり何を──」
ヘイゼルが血相を変えて、リュートの手を振り払った。意に介した様子も見せず、リュートは軽やかな口調をつづけた。
「追い払うとあとがめんどうです。ひと息に無力化するのが、このさい正答であると考えておりまして……」
口を開閉させたセイジの後ろで、ポーラが目を覆って天を仰いだ。リュートだけがひとり、淡々と言葉を紡ぎ続けた。
「そうだ。なんなら私もろともでも構いません」
……落盤した坑道の復旧。高難度魔法の集団教習。毒に冒された河川の修復。砂漠に落とした指輪の捜索。ひどい例では、活火山の噴火阻止。生きるため、そして自身の力を磨くため、彼の地でセイジがこなしてきた依頼はじつに多岐にわたり、苦心を重ねながらも、しかし全てやり遂げてきた。
他者を殺める仕事とは無縁であったのは、或いはそれまでが例外であり、幸福であったのかもしれない。そしてそういったものは、得てしてある日突如、簡単に崩れ去るものなのである。
「同胞を……龍を、殺してください」
――龍。
神の遣い。天使。歴史の編纂者。最高次元生物。史上の道標。
ゆるやかな口調で、にこやかに放たれた依頼。それは紛れもなく道理に背き禁忌に楯突く『神殺し』の依頼であった。




