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境界線上の魔王  作者: 羽山一明
第三章 『亡国ラフィア』
21/212

3-4 戦いのあとに

 魔物の輪郭に、騎士の姿が隠れる寸前。

 漸くすべてを理解した騎士が、抵抗を諦めかける直前。


「ギイイアアアアア!!」


 突如、魔物から耳を覆いたくなるような絶叫があがった。

 閃光が糸状に走り抜けて、切断された魔物の腕が、騎士の体を掴んだままぼとりと地上に落ちた。弾かれたように動いた数名の騎士たちが、人の胴体ほどもある太い指を力づくで引き剥がし、囚われていた騎士の体をすくい上げた。

 その目の前に、クリスが立ちはだかった。腕を鞭のようにしならせて、剣に付着した血を振り払う。


「防護魔法を展開できる者は、全力で張り続けてください。他の者はその補助を」


 語尾に、腹の底を震わせる地響きがつづいた。声を失って寄り添う騎士たちを取り囲むように、同型の魔物が数体、迫っていた。窮地のなか、防護魔法が覆う狭い空間の内側で、過半数の騎士たちは状況の打開を半ば諦めてしまっていた。人の世の頂点に近い実力者であっても、化物どもの前では被食者に成り下がる。そのことを、身をもって理解しはじめていたのだ。

 その判断は概ね正しかった。ただし、捕食者が被食者に成り果てることも、大自然の環境下ではよくあることなのである。

 魔物たちの体がわずかに微震した。意味の持たないうめき声を漏らしながら、人の何倍もの体躯がふわりと空に浮き上がった。それを見たクリスが、かるく息を吐いて剣を納めた。


「……みなさん、もう大丈夫です。魔法を解いてください」


 乾いた音をたてて、何重にも重ねられた防護魔法が解除された。張り詰めていた緊張感が途切れて、騎士たちは力の抜けた身体を剣鞘で支えた。


「驚いたな。こんなのが人の世に侵入してくるのか」


 オレンジ色の光を剣先に灯して、レオンが空を舞う魔物たちの姿を闇の中にうつしだした。

 華奢な二本の足と、それに見合わない巨大な上半身。半ば強引に植えつけられたような四本の腕が、頭部のあるべき場所で力なく空を掻いていた。

 魔物の大多数は、その成り立ちに依存するように、既知の生物の外見に似通う例が多い。が、目の前で身を軋ませる魔物は、どう贔屓目に見ても生物のかたちをしていなかった。


「……ふむ、どうもただ事ではないようだな」


 化け物を無力化した鎧剣士に、一同の視線が集中した。ざわめく受験者たちに見せつけるように、鎧の関節を揺らして剣を掲げる。


「クリス、もうよいか?」

「あ、一体だけここまで降ろしてくださいますか?」

「一体だけだな。心得た」


 言葉遣いだけでも魔王らしく振る舞っているつもりなのだが、不審な点は露見していないだろうか。

 不安になりながら、ひとまずそれっぽい魔法の使い方を見せるべく、剣を地面に突き刺す。


「魔王らしさ、魔王らしさ……」


 声に出せるはずのない独り言を口の中で反芻しながら、指を音高く鳴らしてみせる。


「おぉ……」


 レオンを筆頭に、騎士たちから感嘆の声があがった。一体の魔物の身体が降下をはじめ、二足歩行の体勢のままゆっくりと接地した。


「……さて、そちらのあなた」


 クリスが手のひらを差し出して、折れた剣を握りしめたままの騎士を指名した。


「同じように斬りかかったのにもかかわらず、なぜあなたの剣は折れ、わたくしの剣は魔物を貫くことができたのでしょうか」


 理解して実践できるなら、とっくに聖騎士になれているだろう。などとはさすがに言えなかったので、当人の解答を待つことにする。


「は。剣に付随した魔法の速度が、剣速に追いつかなかったことが原因かと考えております」


 はっきりと断言した騎士の声に、満足そうにクリスが頷いた。納めたばかりの剣をゆっくりと抜きはなって、片手で中段に構えてみせる。


「魔力を使った攻撃は強力ですが、その中でも魔法剣術は身体の動きとの釣り合いが何よりも重要です。あなたは剣術のほうが得意なようですので……」


 そんなときは、と、クリスが指先を踊らせた。その先から火の玉がゆらりとあらわれて、クリスの真正面でぴたりと止まった。ひと呼吸おいて、クリスの剣が火の玉を両断するように空を斬った。振りかぶる前はただの白刃だったはずの剣が、一瞬のうちに緋色に染まる炎刃と化して、周囲に陽炎をゆらめかせている。


「このように、剣の目標点に魔法を添えておくようにすれば、綺麗な魔法剣を付随させることができます」


 聖騎士は、余暇は教導官として騎士たちの指導にあたる。ややもすれば、剣や魔法も教え慣れるというものだろうが、この行動力と快活さは天性のものだろう。技術そのものの高さも相まって、これでは慕う騎士も多いわけであった。


「……なるほど。ご指導、感謝いたします」

「はい。では、さっそく実践してみましょうか」

「え?」

「魔王さま、この魔物を縛る魔法を解除してくださいませ」


 前言撤回。行動力がありすぎるのも問題である。

 みずからの剣を鞘ごと抜き取りながら、さも当然のように狂気を口走りはじめた。


「クリス、さすがにいきなりは……」

「何かあれば手を出しますよ。せっかく難敵が来てくれたのですから、経験を積んでみなくては!」

「まあ、それはそうかもしれないが……?」

「もちろん、あなたの意思を尊重します。ですが、やられっぱなしは癪でしょう?」


 これで悪気がないのだから、なかなかいい性格をしている。突き出された剣を受け取って、騎士は覚悟を決めたように、あるいはたがが外れてしまったかのように、不敵な笑みを浮かべた。


「さ、あなたもですよ」


 片割れの騎士にも剣を押し付けて、動揺で震えるその肩を優しく叩いた。


「大丈夫です。あなたたちの力は、この魔物たちにも十二分に通用する水準にありますわ」

「……はい。お願いします」


 ふたりの騎士が剣を構えるのを見届けて、セイジは魔物の体を覆う魔法を解除した。透き通った防護壁が砕けて消えて、魔物がふたたび自由の身になった。

 二度三度、かるく身じろぎをして、体が動くことを理解したのだろう。ごく当たり前のように、真正面に立ちはだかった騎士ふたりへと、風をきって突進した。

 襲い来る四本の腕を左右に跳んでかわすと、ひとりはそのまま反転して、横合いから斬りかかろうと地を蹴った。反応した魔物が身をよじった瞬間、その背に火球が炸裂した。


「ギッ……!!」


 攻撃としての威力は期待できない程度の火球だったが、背を押すように炸裂する衝撃はそれだけで十分に気を引くことができる。魔物は目立った反応こそみせなかったが、感情を持ち合わせているならさぞ腹を立てていることだろう。


「やられると嫌でしょうね、あれ」

「完全に嫌がらせだからな」


 勝機を見たのか、正面から迫った騎士が勢いのまま加速し、剣を振り上げる素振りを見せた。身構えた魔物との間合いが交差する直前、騎士の体が大きく跳ね上がった。

 動きを追って空を見上げた魔物の頭上で、騎士が剣を振り上げた。その背後で炸裂した火球が騎士の体を押し出して、魔物との間合いを瞬きのうちに消し去った。


「「上手い!」」


 クリスとセイジが、思いがけず感嘆の声を揃えた。

 魔物が腕をふるう前に、無防備な胴体に炎刃が触れた。一瞬の抵抗ののち、剣は吸い込まれるように目標を両断した。抗うように全身を微震させた魔物だったが、剛剣一閃、背後に迫っていたもうひとりの剣士の追撃を浴びて、今度こそ動かなくなった。

 戦果を確認し終えたふたりの騎士は、剣に付着した血をぬぐい取って納刀すると、親指をたてて勝利を讃え合った。

 嬉しそうに、ちいさく手を叩いて笑うクリスを横目で見やった。


「勝つと確信していた、という顔だな」

「そんなことはありませんわ。勝負に絶対はありませんから、ただ……」


 歩み寄ってきた騎士たちに微笑みかけて、クリスは途切れた言葉を結んだ。


「一度阻まれた壁に立ち向かい、乗り越えた実感は、必ず本人の力になりますから」

「そうらしいな」


 表情こそ引き締めながら、高揚した内心を隠しきれない様子の二名の騎士が、剣をうやうやしくクリスにさしだした。

 魔法にも稀に見られるが、精神状態が理屈を越えて実力の天頂を突き抜けることがある。この騎士たちはいままさにその状態で、もうあの魔物相手に不覚をとることはない、とでも言うような、自信に満ち溢れた闘志が全身から立ち上っていた。


「その剣はそのままお使いください。明日からの戦いに響くでしょう?」

「しかしそれでは、ご自身が──」


 勢いよく跳ね上がった前髪に視界を広げられて、騎士は呆気にとられたように語尾を飲み込んだ。風の魔法を手のひらで踊らせて、クリスは底冷えするような笑顔を浮かべた。


「……失礼しました」


 言葉を越えた圧力で、クリスの魔力が反論を封じ込めた。このうえ、どのような二の句を口にしろというのか。騎士が少し不憫に思えたので、機会を利用させてもらうことにした。


「待て、クリス」


 ファルマーから託された双剣を鎧の留め具から外し、突きつけるように差し出した。こちらの顔と剣の間を、繰り返し忙しげに視線を泳がせて、思い出したかのようにちいさく声をこぼした。


「どうした。お前の剣だぞ」

「わたくしの……剣……?」


 やけに鈍い口調とはおそらく無関係に、クリスは剣を受け取った。使い慣れた愛用品であるように、鞘を腰に差し込んで白刃を抜き放つ。

 鬼人ファルマー渾身のひと打ち、二代目"飛天龍"の初披露だった。クリスの右手に収まった緋龍は、銘を表す紅水晶を溶かし込んだような深い緋色の刀身で、相方の蒼龍はそれに相対する、星のない夜のごとく濃い紺色を帯びている。どちらも、おれの魔法具である愛剣、鈍色蛍には及ばないものの、見る者が見れば隠しきれない魔力を纏っていることがよくわかる。むろん純粋な剣としての出来も言及するまでもない、この世にふたつとない業物だろう。


「…………」


 星空の下、誇らしげに我が身を輝かせる剣をよそに、主人になるのであろうクリスは放心したように言葉を失っている。ふいに、刀身に重ね続けていた表情のない目元に、じわりと涙が滲み上がった。


「ありがとうございます。この剣に恥じぬ活躍、約束いたしますわ」

「……ああ、期待している」


 ふと、涙をきって面をあげたクリスの後方で、何名かの騎士が落ち着かない様子でこちらを窺っていることに気がついた。視線に気がついたクリスが振り返るのと同時に、騎士のほうから先に声があがった。


「あの、魔王さま……でよろしいのですよね?」

「クリスからはそう呼ばれておる」

「その、魔王さまは、クリスティア殿下よりお強いのでしょうか?」


 子犬のような目で、とんでもないことを言い出した。聖騎士を目指すための場で、聖騎士の地位を下げるようなことが言えるはずもなく、助け船を求めてクリスに視線を流した。その判断は、すぐさま真逆の方角に報われた。


「もちろんですわ! わたくしの剣の師のような方なのですから!」


 なぜかクリス本人が胸を張り始めた。性格上、素直に答えることは危惧していたものの、右斜め上の回答を口走るのはやめていただきたかった。


「なるほど……それはお強いわけですね」

「ええ、魔法に至っては、技量を比するまでもありませんわ。ね、魔王さま」


 一緒になって喜ぶあたり、この騎士はクリスと同族なのだろう。胸躍る事態を前にしては、人の言うことに耳を傾けることができなくなるタイプの人間だ。心なしか、精神年齢もいくらか下がっているようなはしゃぎようである。


「おい、クリス……」


 制止むなしく、クリスが勢いよく振り返って、輝かしい眼光を放ってきた。自分の好きなものを語り始め、それを頑と信じて疑わない目であった。もはや説得のおよぶ心境ではないだろう。


「ふ、ふふ、ははは……!」


 ──あとになって考えてみると、この時のおれはどうかしていたのだろう。当たり前のように魔王を自称することが板につき、それらしく振る舞うことを懇願されることに慣れ、挙げ句に説得する気力をへし折られて、判断力を亡失してしまっていたのだ。

 思い起こしても恥ずかしい。外套を勢いよくはためかせ、前置詞代わりに雷の魔法を囚われの魔物たちに突き立てた。すさまじい音と衝撃がこだまするなか、雷光にうつしだされた全身を誇らしげに、仰々しく剣を構えなおした。


「思い上がるでない、小さきヒトの子らよ! 未開の地の果て、万里の領地を、世の理とともに統べる―――」


 本当に、どうかしていた。


「我こそは、魔王ぞッ!!」


 演劇の悪役のごとく、降り注ぐ雷を背景に大見得を切ってみせた。規模の大きな魔法を操って、巨大な魔物を一手に屠ってみせれば、なんとか役に嵌りきれるものだと、我がことながら、そう思ったらしい。


「……ふっ」


 五秒後、音と光のさざなみをかき分けるように、レオ兄が噴き出した。


「まあ……なんだ。強者にも愛嬌というものは必要だしな……」


 恐らくフォローしてくれたのであろうレフィリア将軍も、口元を抑えて肩を震わせていた。それを皮切りに、目を逸らして失笑をこぼす者、どうしていいかわからない、といった表情で呆然とする者、そしてクリスを筆頭に、畏敬というよりかは憧憬の念に瞳を輝かせる者、それぞれの反応が、妙な方向に突き抜けたおれの役者心を現実に引き戻した。

 後日、試験に参列した騎士たちによって、異界からあらわれた「魔王」の名は、あの仕草とともに無事に人の世に流布した。

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