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境界線上の魔王  作者: 羽山一明
第九章 『昏き追憶の水底にて』
208/212

9-49 日蝕

 ラフィア王都セント・ルドヴィックには、山脈を仰ぐ北部を除く三方に門が据えられている。

 ひとつめは言わずもがな、大陸の隅に位置する小国に絶大なる繁栄をもたらした大動脈、南門。

 ふたつめは、その繁栄を堅持する鉱山からなる広大な工業区と、それに比肩する規模の軍管区を有する東門。

 そして、最後に。


「……ちっ。きりないわ、ほんま」


 ここ、深緑と湖水を随所に抱える丘陵地帯へと繋がる、西門である。

 境界線がまだ人々の生活に欠かせない大河であった頃、 軍力と工業力の革新を推し進める剣呑から無縁でいられる憩いの場として、時節や貴賤の分け隔てなく親しまれていた。


 だが、去る大厄災の日、掌を返したように人間に敵対した境界線によって、王族を含む四千の臣民が即死、異形化。爆発的に同胞を増加させた元人間たちは、帰巣本能に従うかのように、開放されていた西門を難なく突破。想定外の脅威に不意打ちを被ったラフィア王都は、物的と人的の両面において、半壊の憂き目に遭うこととなった。


 事態沈静後、玉座に返り咲いた先王の命により封鎖された西門は、憩いとはまるで無縁の防衛線へと、その役割を急転させた。癒しと安らぎをもたらした風光明媚は、魔物どもの跳梁跋扈する不可侵領域と化して、栄華を取り戻した今もなお、忌まわしき脅威としてそこに君臨し続けていた。


「……南部より、こっちのが激戦区ちゃうんか?」


 愚痴とともに、一閃。咆哮とともに跳躍した魔物の巨躯が、大鎌のひと振りをもって斬り捨てられた。

 水平の軌跡を飾る氷の魔力たちが、紅に染められた空の色に抗うかのように周囲を濯ぎ、するりと溶けてゆく。


「いや、ちゃうな。あたしが衰えてるだけか。に、しても……」


 前言撤回を交えた溜息を吐いた彼女は、掲げた得物もそのままに、ちらりと周囲を眺めて――


「やっぱ、援軍は見込めんか」


 ――もうひとつ、盛大な溜息を吐き出した。


 ……メイベルたちと別れたフレデリカは、乱雑に封鎖された西門からほど近い、魔窟を監視するように据えられているはずの防衛線を目指した。

 が、辿り着いたそこで目にしたのは、見る影もなく廃墟と成り果てた詰所と、そこに配属されていたのであろう、歪んだ装備を身に貼り付けた化け物どもの姿だけであった。


 わずかな望みを期待通りに絶たれたばかりか、斬り捨てるそばから湯水の如く湧き出す敵手。

 紛れもなく死と隣り合わせである上に、命を預けた相手は国家でも軍でもなく、龍族を自称する人ならざる生物であったという。


「……ま、ええか。これはこれで……」


 常人であれば、身を挺する甲斐も意義も見失う苦境のさなか、しかし彼女はふいに口元を緩めた。

 こぼれた笑みに次いで溢れた魔力が、大きく振りかぶった鎌の青白い輪郭線を、光彩とともに膨張させてゆく。

 事もなげに無防備を晒すその胸元めがけ、歪な魔力を纏う爪牙が、まさに触れんとした、刹那。


「思いっきりやれるっちゅーことやしな!」


 橙黄を誇るフレデリカの虹彩が、凍てつく蒼白を放つ得物の光彩を浴びて、獣じみた輝きを放った。

 快晴を思わせる声とともに振り払われた刃が、群れなす魔物どもの命を、瞬きのうちに刈り取った。半月を描いた軌跡を追いかけて迸った暴風が、その延長上にて息づいていた残党と、歪に肥大化した大自然のすべてを氷結させてゆく。


「はぁ……」


 宣言通り、遠慮はおろか慈悲すらなく放たれた一撃の成果に、フレデリカは張り詰めていた気をようやく緩め、一息を吐いた。

 防衛戦としては決して褒められたものではない、後先を度外視した魔力の過剰投資。その真意は、爆発的な魔力をあえて示すことで、溢れる魔物どもの関心を自身へと引き付けることと、もうひとつ。


「……うし、この感じでいこか。あとはあっちで上手いことやってくれるやろし」


 龍族を自称する人ならざる生物へと示された、彼女なりの信頼の証であった。


「まあ、そもそも長期戦になるんやったら、どのみちあたしが粘ったとこで――」


 直後、軽やかな語尾が轟音に、振り仰いだ視界が白煙に、一息のうちに飲み込まれた。

 白昼夢が如く、あまりにも呆気なく崩落をはじめる西門。守るべき後背からもたらされた異常事態を目前に、フレデリカはわずか硬直し、ややあって凍り付いた樹木の陰に身を隠す。


「……なんや……?」


 西から東へ。肥大化した困惑はそのままに急転させた意識が、白煙の先に不可解な魔力を察知する。

 眇めた目が捉えたのは、白煙の向こう側で揺らぐ巨大な影、ではなく。その奥から弧をえがくように飛び出した、小さな小さな人の影。背を向けるその手に握られたままの鎌をみとめた瞬間、彼女は得物を投げ棄てて地を蹴った。


「ポーラっ!!」


 慣れない風の魔力を荒々しく練り上げ、みずから裂かれることも厭わず、足元へと放り投げる。

 乗るのではなく、巻き込まれるかのように。暴風に押し上げられた彼女の体が、叫んだ愛娘の体に触れ、確と掴んだ。


 それだけであった。


 取り繕われただけの風の魔力は、受け止めた勢いを緩和させることすら叶わず、音もなくかき消された。

 宙空で制御を失ったフレデリカは、魔力を込める暇がないことを静かに悟ると、最後の抵抗とばかりに、ただ、ぎゅっとポーラの身を引き寄せて。


「……っ……!!」


 みずから創り上げた氷の大地へ、無慈悲に叩きつけられた。

 勢いのままに、したたかに。氷上を跳ねた体から鮮やかな紅が噴き出して、一面に広がる青と相反する彩を飾り付ける。二度、三度、執拗に繰り返された衝撃は、半身を失った木によって四度目で静止を迎えた。


「……あー……くそ……」


 霞掛かった意識を覚醒させたのは、魔物と化したハンスから逃げ落ち、崖から飛び降りた、遙かの記憶。未熟なままに、一か八かを賭けることしかできなかった無力感が、忌まわしい痛覚とともにフレデリカの脳裏をじくじくと刺激していた。


「現役ん時やったら無傷やったな……鈍っとるわ、ほんま……」


 色濃い血の味を噛み締めながら、ふらりと目を落とした先。意識こそ窺えないものの、確かにそこにあった体温と息づかいに、フレデリカは全身をわずかに脱力させて。


「……さて、と」


 遙か仰いだ西門をいよいよ全壊せしめた巨大な魔物へと、突き刺すような視線を投げかける。おさまりを始めた白煙によって露になったその正体は、何と言うことはない、まだヒトの姿形を色濃く残したままの、ただの魔物の集合体であった。

 何を目的とするわけでもなく、ただ、本能のままに故郷を破壊するだけのその生命体に、氷のようなフレデリカの目つきがなお鋭く引き締まってゆく。


「やるしかないなあ……」


 意を決したような短い溜息をひとつ挟んで、フレデリカはゆっくりと立ち上がった。ポーラを抱えたまま、片方の手でナイフを取り出すと、傍らの木に無言で剣閃を走らせる。ウロのようにぽっかりと口を開けたその中にポーラを隠すと、数拍の逡巡を挟んだのち、眠るその体に小さな防護魔法をほどこした。


「……あんまよくないねんけど、寝込みやられるよりまし、よな」


 無防備な人間に、不出来な魔力を向ける危険性。

 ラフィアが迎えた危機の原因をなぞるような行為に、自嘲めいた首肯をひとつ投げかけて、フレデリカはさっと踵を返し、駆け出した。

 喩えるのならば、人間を模した土人形を手で丸め、無理やりに造型したような。近づくほどに吐き気を催す巨大な魔物の片足めがけ、すれ違いざまに大鎌の一撃を見舞う。だが。


「…………!」


 魔物は、足首の半壊に構うどころか反応すらみせず、西へ向けていた歩を無造作に進めるのみであった。千切れ掛けた部位も、噴き出した臓物が蛇の如くうねり、絡み合い、瞬く間に再生を果たしてしまう。


「(そこらの魔物みたく、人を食うのが目的やないんか……?)」


 人と見れば、影にすら噛みつくような。刻まれた本能に導かれるがまま喰らい、我が身危うさも厭わず殺戮を断行する化物。

 それが魔物という生き物である、と。一般的な認識としての魔物の習性にまるで合致しない目の前の個体に、フレデリカははたと手足を止めた。


「……いや、ちゃうな……どうしよか……」


 西側には境界線が、そして何よりポーラがいる。今この瞬間こそ、天災のごとく漠然とした脅威であれど、手をこまねいて傍観することが最善であるという裏付けにはならない。その一方で、漠然では済ませられない実力差があることも、また事実である。


「……うし。それでいくか」


 みじかい逡巡を経てひとつ頷いたフレデリカが、無言のままに鎌を魔力に戻す。

 身軽になった体を駆り、魔物の真正面、進行方向へ。ポーラを背にして立ち塞がった。


「…………」


 地鳴りとともに緩慢に進む魔物に一瞥をひとつ、瞼を閉じて、静かに意識を集中させる。体の奥底から湧き上がる魔力が、熱を帯びた感情によって零度を纏い、フレデリカを中心に冷気となって具現化をはじめた。霧状であった冷気は、旋風のなかで身を寄せ合い、やがて粉雪を思わせる真っ白な粒状に成長を遂げた。

 一歩、二歩、と。迫り来る魔物との間合いを測っていたフレデリカが、薄氷に覆われた全身を奮い立たせ、そして。


「……ふっ!!」


 彼女を中心に舞い遊んでいた雪の群れが、短い吐息に呼応してぴたりと動きをとめ、一匹の蛇さながらに魔物へと躍りかかった。鎌首をもたげた氷の魔力は、主へと向かう両の脚にしゅるりと絡みつくと、陽を浴びた雪景色のような美しい輝きだけを残して、瞬く間に固形化してゆく。

 迸る魔力すら意に介さず歩を進めていた魔物は、だが、不意の吹雪に見舞われた獣のごとく、緩慢な動きをさらに鈍らせていった。脚を凍りづけにした氷の蛇は、そのまま脚を這って胴体へと巻き付き、生命が生命たるに必須である体温のすべてを奪い去ってゆく。魔力の切れ端をすら使い切ったフレデリカが苦しげに見守るなか、半身を氷の棺の内側に封じ込められた魔物は、最後にひとつ、頭部から巨大な白煙を噴き出て、ぴくりとも動かなくなった。


「やっ――」


 ほう、と安堵を吐き出したフレデリカの頬を、音高く破砕された氷の破片が掠めた。伝った血の一雫が、呆然と硬直した主と同じく、解放された氷の魔力によって、傷口ともども薄氷の下に封じられてゆく。

 逃げ出す力すら使い果たしたフレデリカは、無傷のままに氷から脱した魔物を仰いだまま、もう一度、ほう、と重い溜息を吐き、自嘲めいた笑みに表情を歪めた。


「……ごめんな、ポーラ」


 その一言を最後に意識を失い、前のめりに倒れた母の体は、だが、地面と抱擁することなく、半ばで静止した。


「大丈夫だよ、お母さん」


 雪景色を掻き分け姿を現したポーラは、母の体をそっと地面に寝かせると、動き出した魔物をきっと睨み付けた。瞬間、母の全力を遙かに凌駕する烈風が氷雪を連れて吹き荒れ、巨大な竜巻と化して、魔物の体躯を瞬きの内に覆い尽くしてしまった。


「お母さんの代わりに、私がみんなを守るから!」


 そう呟いた彼女の笑顔が、風景のすべてを霞ませる豪雪のなか、なお際立つ陽光となって輝いた。



……

…………

………………

……………………



 ――ひとりの少女がいた。


 人類史における暗黒期とも呼ぶべき時代、伏魔殿と比喩された王家で育った彼女は、元傭兵である母親、そして父親代わりの龍族に加護を受け、無形の暴が飛び交う日常のなかにありながら、きわめて健康的な幼少期を過ごした。


 歴史を学ばぬは愚者である。その一方で、未来のために葬るべき歴史があることもまた事実である、と。図らずも一致した母と義父の見解により、陽光めいた快活さを持って生まれた彼女は、埃のごとく、叩く度に舞うあらゆる闇に対しても、また無垢であり続けた。


 故に、彼女は侵した。

 人が魔物と成り果てる要因が魔力である事実を知る一方、魔力の発露をともなう身内の訓練を見て育った知見上、人の魔力が人を魔物化させることはない、という誤認を。


 故に、彼女は知らなかった。

 母の元へ駆けつける道中、ふいに現れた巨大な魔物は、彼女自身の魔力に冒され変異を果たした人間たちであったことを。

 元人間だと知る故、殺める選択肢を避け、氷の元に封ずることによって無力化を図ったその行為が、むしろ無関係の人間をも巻き込んでいたことを。

 母のように、と。いつか見た夢を実現させた自身の魔力が、龍となるための実験を経て、人に仇なす人ならざる質と量を得ていたことを。


 故に――


「やっ……た……!」


 空間すら凍らせるほどの莫大な魔力の消費、その果てに、山と見紛う巨躯がついに膝を付き、倒れ臥す。

 重荷に過ぎる初陣を、見事なまでに勝ちきったポーラが、朝日のような笑みを浮かべたままに振り返り。


「お母さん! 私……!」


 目にした光景に、宵闇のごとく表情を暗転させた。


「……お母、さん……?」


 ――彼女は、知ってしまった。

 無垢なままに全力を尽くしたその魔力を以て、いま、実の母をも変異させてしまったことを。

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