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境界線上の魔王  作者: 羽山一明
第九章 『昏き追憶の水底にて』
207/212

9-48 人として

 沈黙が、揺蕩っていた。


 元凶であろう老人が死に絶え、被害者であるポーラが姿を消した地下空間は、人はおろか時にすら忘れ去られたかのように、空気さえも微動だにしない。そのなかにひとり取り残されていたヘイゼルもまた、廃墟に遺棄された人形が如く、血だまりのなかに身を沈め、焦点のない瞳で静かに虚空を見つめている。


 静謐は、突如として砕かれた。


 硬い床と硝子の破片を踏みつける不協和音に次いで、男のものであろう低い話し声がひそやかに飛び交う。自身の靴先すらも霞むほどの闇の中、鮮やかな緋色に輝いたふたつの双眸が、背景に溶けるように横たわっていたヘイゼルを確と捉え、射抜いた。


「ヘイゼル!」


 言うが早いか駆け寄ったファウストが、色素の薄い顔に焦燥を浮かべて、少年の身をそっと抱き起した。べったりとへばりついた生ぬるい血を拭い、力なく胸元におさまったその体へと、光り輝く治癒の術式をあてがう。

 その背後、光の魔法を掲げて現れたクラウディオが、凄惨たる様子の周辺をぐるりと窺い、線の細い眉を険しく細める。


「魔力欠乏症……でしょうか……?」

「わかりません。わかりませんが、それに非常に近い状態です。魔力があまりにも……」


 集中、ゆえの沈黙であろう、と。

 途切れた師の言葉を探ることなく口を閉ざしたクラウディオが、その横顔にふと違和を覚える。

 こみ上げた疑念が声に出るよりも早く、眉根を顰めたファウストがぎこちなく弟子を振り仰いだ。


「……なんだ、これは……?」


 独りごちたファウストの瞳がわずか細まり、瞬く。遙か遠い記憶のなか、幾度となく繰り返した無言の応酬を思い出したクラウディオが、師の意を察し、抱き起こされたままのヘイゼルの体を代わって支えた。直後。


「…………!」


 手を翳すまでも、魔力を発露させるまでもない。別人のそれと見紛うほどの変質を遂げたヘイゼルの魔力、その背景に人体実験を重ねたクラウディオが、思わずはっと息を吐く。

 瞬間、拾い上げた硝子の欠片を観察していたファウストが、訝しげな視線をじろりと転じた。


「……クラウディオ、貴方、何か隠して――」

「――いえ、違います、先生……」


 先生、と。

 ファウストを指してそう呼ぶもうひとりの儚げな声が、詰問を半ばで否定してみせた。

 朧気ながらも意識を取り戻したヘイゼルが、目を瞠るふたりの助力を手で制しながら、ゆらりと自立を果たす。クラウディオの掲げる光を眩しげに見つめる半開きの眼が、二度、三度、確かめるような瞬きを繰り返し、やっとのことで焦点を定める。


「クラウディオさんに悪意があるのなら、僕もポーラも無事では済んでいないと思います」

「? ですが、ポーラは……」

「……え? だって――」


 噛み合わない会話を受けて転じたヘイゼルの瞳が、映るべきものを見いだせずに静かに見開いた。信じられない、とでも言いたげにもたげた足は、だが、一歩を踏みしめることなく、体もろともふらりと平衡を失ってしまう。

 咄嗟に手を伸ばしたクラウディオが、周囲を愕然と見回し始めたヘイゼルの肩を二度叩き、口惜しげに結んでいた唇をすっと開いた。


「ヘイゼル君。きみがここに立ち入ったとき、背の低い老人はいなかった? ポーラを連れ去るとしたら、おそらく彼しか――」

「いましたけど、もういません。殺してしまいましたので」


 実戦経験すらない少年から飛び出た、あまりにも殺伐とした回答に、息を呑む音がふたつ応じる。


「僕から吸い取った魔力をポーラに移植しようとしていたので、体に刺さっていた管を入れ替えて、逆に僕がポーラの魔力を引き受けたんです。そうしたら、その人、僕を本命にして、ポーラは死んでもいい、なんてことを言い出して、それで僕、頭が真っ白になって……」


 倒錯も相まっているのだろう。訥々と降る雨のように辿々しく言葉を紡ぐ少年、その全身から、殺意を帯びた魔力がじわりと零れ落ちる。

 その変化を漠然と感じ取っていたふたりが、より鮮明に、なお確信を帯びて、ひとつの結論に辿り着いた。


「気がついたら、装置も壊れていて、その人も……」


 ヘイゼルの魔力が、実験を経て、不完全ながら人外の――龍族の境地に比肩する力を得たのであろうことを。


「……わかりました。では、ポーラは自分の意志でこの場を去ったのですね」


 辺りを取り巻く重苦しい沈黙を、重苦しいファウストの溜息が破った。起き上がろうとするヘイゼルの肩をとんと押さえ、クラウディオに彼の身を任せる旨、目配せをしてみせる。


「そう、だと思います。僕がここに辿り着いた頃にはすでに彼女の意識はなかったので、僕がいたことにすら気がついていなかったのだと思います」

「わかりました」


 苦い了承を重ねたファウストが、ぽっかりと口を開けた奥の通路へと向き直る。掌に浮かべた光の魔力が照らす先、足跡のように微かに残る「ポーラによく似た」魔力に、細い眉を険しく寄せた。


「ポーラは私が探します。君はまだ新しい魔力に馴染んでいないでしょうし、何より出血が多すぎます。ここで安静にしておいてください」

「いえ、僕も――」

「だめです。ポーラのためを思うなら、今は我慢してください」

「…………」


 押し黙った弟弟子に次いで、ファウストは兄弟子へと改めて目を向けた。ヘイゼルに向けられていた治癒の光が、動揺をしめすようにほのかに明滅し、揺れる。


「経緯と事情は、後ほどしっかり伺いますからね」


 言うなり、ファウストは返答も待たずに走り去っていった。

 何かを言いたげに、開いたまま硬直するその口元を見上げたヘイゼルが、血が張り付いた唇をひとつ舐め、彼がひた隠してきた根幹へと手を伸ばした。


「……あの。クラウディオさんは、この国で何をしようとしていたんですか?」


 問いかけを覚悟していたのであろう。自身の胸に空いた風穴に目を落としたクラウディオが、吐血まじりの深呼吸をひとつ挟み、重い口火を切った。


「何をしようとしていたんでしょうね。本当に……」


 はぐらかすような言葉選びも、灰色の憂いを映す瞳も、嘘偽りのない本心の現れであろう、と。

 彼に命を預けているからこそ実感できる複雑な吐露に、ヘイゼルは黙してただ続きを待った。


「最初は、主任の研究成果を否定されたくない一心だけでした。大勢の人の命を救うために開発されたはずの装置が、あろうことか生物兵器を生みだすために用いられ、ひとつの国を滅ぼすこととなった事実を否定したかった。ただそれだけだったんです」


 クラウディオは、ヘイゼルがファウストの過去やシルヴィアの事情を知らないことを心得ている。同様に、ファウストが彼に事情を語らない理由も、どことなく察していた。


 ゆえに、彼は巧みに言葉を選んだ。

 例の装置のこと、化物と成り果てた国王のこと、そして自身が被検体となったことを経たヘイゼルが、今この状況下をさすものであると、違和なく誤認できるように。


「……ですが、現実はご覧の通りです。境界線の被害に遭った王家を救った結果、装置の特性を勘付かれ、治癒の名目でまんまと利用され、ポーラやあなたを危険な目に遭わせてしまいました」


 薄い溜息が掠れて消えると、治癒の光もまた明滅し、溶けるように見えなくなってゆく。魔力の光彩を失ったクラウディオの掌が、親が子をあやすかのように、塞がったヘイゼルの傷痕をそっと撫でた。


「名誉を挽回するどころかなお傷つけて、おめおめと今日まで生き延びてしまいました。さしずめ、境界線への復讐心を利用されただけの、哀れな化物といったところですね」

「…………」

「さ、体の具合はどうですか? 今日の怪我だけと言わず、体全体を可能な限り治療したつもりですが」

「あ、っ……、大丈夫です、ありがとうございます」

「いえいえ。名目上とはいえ、国王の専属治癒師として活動していたわけですから、これくらいは」


 押し黙るばかりの自分を気遣うようなクラウディオの言い回しに、ヘイゼルがぎこちない返答をこぼした。

 おさまらない流血が続く大怪我ゆえか、はたまた別の理由からか。同じくぎこちなく微笑んだクラウディオが、ただ……、と言葉を結ぶ。


「あの装置によって変質した魔力までは、力及ばず、もとに戻すことはできなくて。すみません」

「そんな。命があっただけ――」


 気遣いに重ねようとした気遣いは、思考に介入した強い懸念によって阻まれ、半ばでぱたりと事切れる。とかく遠慮がちで受け身なヘイゼルだが、この時ばかりは、と、過った疑念もそのままに口を開いた。


「……あの。ポーラと僕は、人間ではなくなってしまうのですか?」


 ぴくりと眉を寄せたクラウディオが、わずかな沈黙ののち、自身の胸の風穴を照らすように魔力を翳した。

 滲みだした薄いオレンジ色の光が揺れ、頼りなげに明滅する。不安定なその魔力に、照らし出されたクラウディオの作り笑顔に、ヘイゼルは無意識に燃えて尽きる蝋燭のような儚さを連想した。


「いえ、心配には及びません。私たちが『龍』とそう呼ぶ人工生命体の定義は、人体の構成要素の過半を魔力が占めた場合にのみ満たされます。ヘイゼル君の魔力は変質と増大こそみられますが、私たちほど尋常を外れてはおりませんので」


 私たち、という言い回しに違和を覚えながら、ヘイゼルは軋む半身をぐっと前傾させた。


「みられる、ということですが、今ここにいないポーラが大丈夫だという保証はどこに……?」

「……君は、ポーラのこととなると、遠慮が鳴りを潜めますね」


 真剣な問いかけに思わぬ反撃を被り、ヘイゼルがかあっと赤面する。

 「すみません」と小さく繰り返したクラウディオが、緩めた頬はそのままに、弾むような語気をすっと改めた。


「通常、龍となる条件を満たすほどの莫大な魔力が身体に入り込んだ場合、その人間が従来保持していた魔力になんらかの異常が発生し、深い昏睡に陥ります。そして、互いの魔力が馴染めず、身体そのものが人間の姿形を保てなくなった場合、国王のような人ならざる者に変異するのです。装置の管理下にすらないポーラが自力で目を醒ましたのならば、体内に入り込んだ魔力は龍に至るほどではないはずです」


 何より、私がポーラへの手出しを許可しませんでしたので、と、結ぶクラウディオの満足げな様子に、ヘイゼルが思考の方向性を転じる。


「では、僕が昏睡すらしなかったのは……?」

「それは、ポーラひとりから魔力を取り込んだからですね。体に入り込んだ魔力が馴染む難度と時間は、取り込んだ魔力の種類と量に正比例します。君たちが血の繋がった兄妹であることも相まって、副作用がごく軽微に済んだのでしょう」

「……なるほど。では、そもそも龍と人は何が違うんですか? 話を伺っている限り、ただ単に強い魔力を持った人間、というだけのような気がして……」

「それは、これからお見せできると思います」


 流れる水のように、とめどなく重ねられていたヘイゼルの問いかけが、淡々と放たれた一言に凍結させられた。疑念を滲ませたヘイゼルは、直後、脳ではなく視覚をもって、その意味を否応なく理解した。


 破砕音ひとつ、クラウディオの胸に空いた風穴を中心に、血のように赤々とした亀裂が放射状に広がった。

 石壁に描かれた絵画を砕くかのように、ひとりの人間が漠然と崩壊してゆく光景に、少年は何をすることも、声をあげることすらできず、ただただ呆然と硬直してしまう。

 その様子を見つめるクラウディオは、まさに今際の際を迎えた老人のごとく微笑むと、いびつにひび割れた口元から、遺言を思わせる掠れた声をこぼした。


「魔力とは、じつに不可思議な存在です。不可視であり、不定形でありながら、宿主と共生するのみならず、その意志を理解、尊重する性質をもつ。もはや、我々の理解を超えた、極めて微少な生物なのかもしれません」


 ひらり、声とともに広がりゆく亀裂から魔力が千切れ、風に吹かれた花弁のように、周囲を彩ってゆく。


「そんな彼らからすると、魔力と肉体の割合が逆転した私たちは、もはや仲間の枠組みに収められるのでしょうね。老化や負傷といった人体の規則にすら反し、死に瀕すると、滅び行く肉体を棄て、強固な魔力の宝玉と化して宿主を守る。そして、時が来るまで深い眠りにつくのです……」


 変異した生体が持ち得てしまった不死の特性と、彼らを生物兵器として転用した人の業。

 龍という存在が抱える悲惨な歴史を知ったヘイゼルの内側に、自分と同じ人に対する烈火と恥辱がじわりと発露した。


「……ごめんなさい。人間ではなくなる、なんていう言い方をしてしまいました。説明を聞いた今では、クラウディオさんたちのほうが、よっぽど人間らしい存在のように思えます」

「いいえ、君が気に病むことなどなにもありませんよ。過程を重んじるべき時もあれば、結果を重んじるべき時もあります。悔いて恥じるばかりの過去ならば、いっそ忘れてしまうのも手ですし、未来に希望が持てない時に、過去の教訓が活きることもあるでしょう。拘りを持つことは大切ですが、拘りに囚われてばかりもいけません。大切なのは、時間経過に対する主観と客観のバランスだと、私は考えます」


 もはや保てなくなった光の魔法に代わり、クラウディオ自身から舞い散る魔力の欠片が、鮮やかな薄紅色の光を以て、周辺を淡く優しく照らし出す。至る最期の瞬間をすら、他人のために尽くすその笑顔を直視できなくなったヘイゼルは、赤らむ顔を隠すように静かに俯いた。


「……クラウディオさん。僕、今からでも龍に……」

「だめです。不老長寿になどなってしまえば、時間の有り難みや生死の境界すらも曖昧になってしまいます。人としての普遍的なその感覚をどうか大切に、ポーラとともに健全に生きてください」


 師によく似た、柔らかな拒絶の言い回しに、ヘイゼルの喉奥がぎゅっと閉塞する。


「これから先、龍の歴史が続くとしても、兵器として認識される未来は変わらないと思います。君のような人間には、その認識を是正するために頑張って貰いたいのです」

「……はい……」


 涙を滲ませる返答に微笑んだクラウディオが、ふ、と天を仰ぐ。

 口内と亀裂の識別すらかなわない隙間から、安堵の溜息と、そして最期の一声を放った。


「……ふふふ、やはり、人間は美しいですね。罪を重ね続けた私に、こんなことを願う資格なんてないのでしょうけれども……」


 直後、がくりと頽れた全身を、ヘイゼルが寸でのところで受け止める。

 自身の魔力に照らされたクラウディオの瞳は、生気も魔力も、焦点すらも失いながら、何かに焦がれるかのように空を見上げていた。


「……せめて、死の在り方だけは、人として……」


 消え入るような声を聞き届けたヘイゼルが、魔力の宝玉へと変異するのであろう掌を繋ぎ止めるかのように、ぎゅっと握りしめる。瞬間、辺りに揺蕩っていた魔力の欠片たちが、ぴたりと動きを止め、ぼんやりと繰り返していた瞬きをも硬直させた。


「えっ……?」


 零れた動揺に応じて動き出した魔力たちが、宿主であるクラウディオではなく、かたく結ばれたヘイゼルの掌へと、蜜に誘われた蝶のように集い始める。

 じわり、と。触れては溶けゆくクラウディオの魔力が、拒絶や違和どころか、安堵をもたらして体内に馴染んでゆくそのさまに、ヘイゼルは説かれたばかりの魔力の性質が真実であることを確信した。


 そして、その宿主の意志も、また。


「クラウディオさん……?」


 宝玉と化することなく、眠るように動かなくなった体を、ヘイゼルが覗き込んだ。

 おそるおそる手放した掌が、暗闇に包まれた瞼をそっと閉じ、ぱたりと項垂れる。


「…………」


 ひとり悲哀の宿命に抗い、死に場所を求め続けた龍。

 その意志に、その最期に触れた少年が、ひとり静かに咽ぶ。


 闇の中、かすかな魔力を纏って零れ落ちた一雫は、さながら宝玉のようにも見えた。

 魔力は、微少な生物に喩えられる。

 龍の定義は、不老不死であると据えられる。

 ……やはり、人間こそがもっとも難解な生物なのかもしれない。



 ――滅亡したラフィア王宮内某所、廃研究所にて発見された資料より

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