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境界線上の魔王  作者: 羽山一明
第九章 『昏き追憶の水底にて』
205/212

9-46 この世ならざるモノたち

 龍族。

 天空の支配者たる両翼、あらゆる装具をも切り裂く爪牙と、あらゆる兵器をも寄せ付けぬ鱗。さらには言語を操る知性をも携えた、まさしく万物の頂点に君臨するに相応しい、空想上の生物。


 ……の、存在に着想を得て名付けられた、人工生命体である。


 彼らは、増上慢極まる同胞の過ちによって生みだされた過去を教訓に、種の歴史を補佐し是正するため、ひいては第二の龍族が生み出される危険性を徹底的に排除するため、ありとあらゆる種族の住処に身を偽って潜り込み、その文明の行く末に目を光らせ続けた。


 当初こそ厳格に貫徹されていた信念は、だが、目に見えた契機を要することなく、緩やかに形を変えていった。


 時が遷れば、情もうつろう。

 友好を図ろうとする原住民たちに対し、当初こそ適度な距離感を保持していた龍族であったが、裏表なく向けられる好意にしだいに心を許し、手を取り、果ては恋経て子を授かる者までもが現れ始めた。


 超然たる力を持つ龍族といえど、もとは人間である。

 必然、彼らの逢瀬は、亜人と呼ばれる新たなる種の発芽をさせ、必然、様々な厄介事の温床を生んだ。

 その最たる例――のちに一族半壊の危機をもたらした事件――を受け、ある日、ファウストは女王に対して同胞へのさらなる厳命を願い出た。


『あら、喜ばしいことではありませんか』


 微笑みを以て応じられたファウストの提言は、やはり微笑みを以て終着を迎えた。

 短くも厳しい諫言をすら、頬を撫でるそよ風のごとく受け流した女王に、ファウストはただ唖然と二の句を待つことしかできなかった。


『人間としての情がふたたび彼らに芽生えたのならば、むしろ歓迎すべき変化でしょう。万全を期してなお想定が外れることなど、研究者であった私たちにとってはごく普遍的な日常であったのでしょう?』

『…………』

『私たちは機械ではありません。龍族としての命を受けた彼ら彼女らも、その思い人も、みな等しくひとつの生命です。ならば時に恋に落ち、それが時に諍いを生むこともあるでしょう。生命体としての不完全性を不都合と捉えるか、可能性と受け止めるか。それだけの違いだと思いますよ』


 喪ってしまった人間時代の記憶を持ち出し、情に訴えたかと思いきや、続けざまの理路整然。外見と口調に似つかわしくない女王の話術に、ファウストは完全に沈黙し、渋面を保持したまま前言を撤回した。

 過度の干渉を禁止する姿勢は据え置きながら、あくまで各個人の意志を尊重する。示された女王の意志を受けた龍族たちは、驚きつつもこれを歓迎し、抑え込んでいた個性を喜び勇んで解放させはじめた。


 その風潮がやがて常識に馴染む頃には、レベッカのように人の世にて与えられた仮名をそのまま名乗る者や、メイベルのようにみずから最前線に立ち、他国にまで勇名を轟かせる者など、任務はもはや潜入の体裁までをも変化させていった。

 必然、彼らが見舞われる問題事は増加の一途を辿ったものの、それを遙かに上回る成果を前に、ファウストの身を蝕む苦悩は、あくまで彼ひとりだけの所有物にとどまった。


『ほら、ね? 言ったとおりでしょ?』


 予想を覆す現状の報告に参じたファウストに、やはり女王は柔らかに微笑み、小首を傾げ、不満げな元恋人の顔を嬉しそうに見上げてみせた。

 あらゆる清濁を身を以て知りながら、あらゆる邪気とは無縁を保つ女王、アルティア。異端ともいえるその魔力をもとに蘇った事実を根拠として信じられた性善説は、その後も裏切られることなく、分刻みで東奔西走するファウストの献身も相まって、監視対象の発展に少なからずの貢献をもたらした。


 過ぎたる力は災厄である。

 後世、ひとりの青年が懸命に抗うことになるこの定説は、その最たる例であるはずの龍族たちによって、期せず、ひっそりと、だが確かに抵抗を示されていたのである。


 ――この日、この瞬間までは。


「滅ぼしましょう、こんな国」

「……えっ?」


 前例を尊ぶべき立場のファウストが口走った、前例を破壊するその一言に対し、随伴を誓ったばかりのクラウディオが思わずその足を止める。構うことなく歩を進めたファウストが、顰めていた表情から一転、人間として名乗りをあげる際の柔和な――この場においては、ひどく歪な――笑みを浮かべて見せた。


「国王よ。境界線の破壊が目的ならば、私も協力しますよ?」

「なに……?」

「主任?!」


 まさに不意打ちの如くもたらされた提案に、国王は剥き出しの警戒心を、クラウディオはいよいよ隠しきれない錯乱をあらわにしながら、一息で場の支配権を手中におさめたファウストの二の句を待つ。


「なに、単なる利害の一致ですよ。私たち龍族も、あの光の壁のない世界を望んでいますので――」


 言いながら、ファウストはおもむろに懐をまさぐった。自室で捜し物をするかのような、事も無げなその仕草に青筋を立てた国王が、操る触手たちの先端を無言でもたげる。


「……貴様、何が狙いだ」

「狙いもなにも、言った通りですよ。お友達になろうと提案しているわけじゃなし、意味もなく邪険にしないでください」


 訝しげに細まっていた国王の目は、だが直後、ファウストの手におさまった光り輝く宝玉を捉えた瞬間、はっと見開かれた。興味を引きつけるがごとく動きで腕が振られると、溢れんばかりの虹色が掌の隙間から零れ落ちて、宵闇に似た空間に七色の流れ星が瞬いた。


「これは、龍族のとある者が持つ不可思議な能力によって宝玉化させた私の魔力です。私自身が用いれば魔力補給に、そして第三者が用いれば、その者に私の魔力を分け与えることができます。ご興味があるのならば、お譲りいたしますが」

「…………」


 戦地に見合わぬ朗々とした口ぶりで説明を終えたファウストが、宝玉をすっと掲げてみせた。麗美なその球体が纏う禍々しいまでの魔力が、真意をひた隠す持ち主の笑みを補って余りある蠱惑的な輝きを放っている。


「ありますよね、興味?」


 応じるは沈黙。ながら、突き刺さって離れない視線が、龍の力を欲する国王の意志を雄弁に語っていた。

 その軌跡をなぞるように差し出された宝玉は、だが、半ばで腕ごと制止させられた。


「……何か?」

「っ……!」


 腕を掴まれたファウストが、声と口元に偽りのない殺気を乗せて振り返る。

 味方であるはずの師から差し向けられた気迫に、まるで読めないその意図に、クラウディオの喉が強く狭窄した。


「主任、その男は、国を生贄に目的を達成しようとしているのです。協力すべきではありません!」


 それでも絞り出した弟子の言葉は、師のみじかい溜息ひとつによって、呆気なく棄却された。


「クラウディオよ、我が弟子よ。私の意見を否定するということは、この事態を犠牲無くして解決する代案があるのですね?」

「……それは……」

「では聞き入れることはできません。綺麗事に目を惹かれる気持ちは理解できますが、綺麗なだけでは意味はありません。他に何か言いたいことはありますか?」

「……いえ……」


 にべもなく一蹴されたクラウディオが、縋るように掴んでいた手の力を緩める。その手を振り払ったファウストは、項垂れる弟子をもはや一瞥すらもせず、静かに国王へと向き直った。


「私利私欲はおろか、命すら惜しまない覚悟。そうしたある種の狂気を貫ける者でなければ、境界線の破壊など夢見ることすらできないのですよ」

「当然だ。国王が国を賭すことの意義、そこの半端者ごときには理解できんだろう」

「素晴らしい。目先の被害ばかりに判断を委ねず、大局を見据え、合理的な選択を断行するその判断こそ、王の器にふさわしい叡智の賜といえるでしょう」


 大仰な台詞から、大仰な足取りへと。演劇めいた所作で歩を進めたファウストが、同じく見せつけるように宝玉を掲げる。今なお警戒心を見せつけながら、龍の力への興味を隠しきれない様子の国王が、もたげた触手の束をもってそれを掴み取った。


「……これを飲み込めばよいのか?」

「いえ、自身の魔力と宝玉の魔力を馴染ませるように、ゆっくりと体に押しつけてください。抵抗感や痛みが伴うかと思いますが、根気よく取り込めば問題ありません」

「くだらんな。肉体的な痛みなど、人であることを棄てた日に消し去ったわ」

「…………」


 満足げな師と王の横顔を見つめるクラウディオが、無力感のあまり握りしめた拳から血を滴らせる。


 ……国王の真意が奈辺にあれど、境界線という悪魔が全生命の怨敵であることに反論はない。

 またひとつ国を滅亡せしめんとするこの脅威に対し、今なお傍観を是とする意は、まさに対岸の火事を眺める日和見主義者の楽観的見解に過ぎない。そこまでは理解できる。

 だが、境界線の破壊を成功させた国王が力に溺れ、境界線に変わるさらなる脅威と成り果てる未来予想は、果たして杞憂と断言してよいものであろうか……?


「……主任、あなたは何を考えているのですか……?」


 ひび割れた床に零れ落ちた懸念が、それに幾倍する水音に乱された。

 身構えながら跳ねた視線の先、巨体をとめどなく痙攣させた国王の穴という穴から、尋常ではない量の血が滲み、溢れ、噴き出している。

 歪んだ笑みから一転、みずからの紅色で全身を塗りつぶされた表情が、苦悶に藻掻き苦しみながら、天を仰いだ。


「がっ……! あ……っ……!?」


 胸元に捧げられた宝玉が、心の臓に代わるかのように脈を打つ度、国王の全身が濁流めいた出血に彩られてゆく。それが元凶であることを悟ったのであろう、痛苦を堪えながら手を伸ばした国王が、剥き出しの皮膚と半ば同化していた宝玉を確と掴む、が。


「おや、いけませんよ。まだ終わっていないじゃありませんか」


 狙いを見越していたかのように渦を巻いた魔力が、その手を腕ごと切り落とす。

 赤黒い血に視界を濁された国王の双眸が、事もなげに佇むファウストを捉えた。


「……ぎ……っさまぁ……! なに゛……何をし゛ッ……あ゛ぁッ!!」

「? 何をした、とは……?」

「……ふざけ……っ! 私を……謀ったの……だろうが……!」

「いえ、なにも。その宝玉に込められているのは、正真正銘、貴方がお求めの原初の龍の魔力、そのものですよ?」


 言い放つなり軽やかに地を蹴ったファウストが、切断された国王の手を鬱陶しげに振り払い、その先で光っていた宝玉をなお深く押し込んだ。手負いの獣のごとく暴れ始めた国王は、だが、光る縄のようなものに全身を拘束され、為す術無く床に押しつけられてしまう。


「……貴方、何か勘違いをしていませんか?」


 屈辱と砂礫に塗れた尊顔に靴先を乗せながら、ファウストがにこりともせずに言葉を続ける。

 それは敗北者に向けられた――正確には、初めから国王を脅威とすら認識していなかった、超然たる生命体の姿であった。


「龍とは、今のラフィアを超える魔法技術をもっていた当時のシルヴィアをして、御することのかなわなかった人工生命体ですよ? ほぼ全ての被検体が死に絶え、ほぼ全ての生存者が記憶を失うほどの魔力を、多少の苦痛程度で我が物にできるとでも思っていたのですか?」


 色彩と温感のないファウストの語気が、禁忌の追憶を辿るたびどす黒く強まってゆく。

 噴水の如く返り血を浴びながら、無情にも力を込めるその変貌ぶりに、安堵したはずのクラウディオの心理がふたたび不穏を纏った。


「ほら? ねえ? 国民の犠牲を正当化しうる崇高な覚悟とやら、今ここで見せてくださいよ?」


 嗜虐性を見せつける師と、固唾を呑むことすらできずに立ち尽くす弟子。

 もはや趨勢を見守るまでもない光景のなか、光の届かない床に頬寄せていた敗北者の目が、怪しげな輝きを取り戻した。


「主任!!」


 異変を察知したクラウディオの声に先んじて、ひそやかに地を這い集結していた触手の群れが、無防備なファウストの背へと一斉に襲いかかった。殺意に平静を失っていたファウストは、回避はおろか勘付くことすらできず、針の山と化したそれに全身を貫かれた。


「ふ……はは、ははははは! 油断したな、化物め――」

「――貴方が、それを言いますかね」

「……は?」


 反転攻勢、踏みにじられていた半身を起こしながらの国王の笑みが、余韻すら与えられず絶望に染まる。


「化物になることも顧みず力を欲した結果が、今のその姿なのでは?」


 それは、寿命を迎えて萎びた花が、色づく栄華の頃を思い出したかのように。

 クラウディオを襲った不意打ちに幾倍する猛襲をすら意に介さず、ファウストが涼しげに顔をあげた。


「それとも、真の化物を前に、今更にして人の体が恋しくなりましたか……?」


 訥々と語るファウストの周辺に、魔力を帯びた半透明の時計が無数に浮かび上がる。絶句する国王の眼前、静かに時を刻んでいたその針が軋み、緩やかな遡行をはじめた。


 異変は、すぐさま具現をなした。

 ファウストの腹部から突き出た触手たちの動きが、時計の動きに同調するかのように鈍り、終にはぴくりとも動かなくなった。

 その奥、穿たれていたはずの傷口はおろか、衣服に滲んだ血の跡さえも、まさしく時に逆らうかのように消えてゆく。


「まあ、今となってはどうでもいいですか」


 ゆらりと伸びた掌が、今なお国王の胸部で瞬いていた宝玉を、さながら花を摘むかのように取り上げた。半ば同化していた肉が嫌な音とともに剥がれ、チーズのごとく容易く引きちぎれて、枯れたはずの国王の喉がふたたび絶叫をあげる。付着した国王の肉を振り払っていたファウストが、視界の隅で響いたその音に、さも不快そうな溜息を投げかけた。


「……いちいち煩い人ですね。貴方がその力を得るまでに、その痛みを強要された大勢の被検体が居たこと、気にも留めなかったのですか?」


 言いながら、ファウストは宝玉をぺろりと飲み込んでみせた。じわ、と滲みだした魔力のほんの欠片を、悶え苦しむ巨躯めがけ、虫でも払うかのように放り投げる。

 やがて国王の眼前に具現化した時計の、幻影めいた文字盤の上。秒を刻んでいた針の動きが、見せつけるようにその動きを緩めていく。


「貴方には、龍になる資格も、その覚悟もありませんでした」


 緩慢から、無へ。

 ファウストとともに国王を睥睨していた針の運動が、やがて零に至ったその瞬間、尽きぬ暴を尽くしていた国王の全身が、かちりと自由を失った。


「……ッ……!」


 呪詛を吐くはずの喉は、掠れた呼気をただ虚しく零すのみ。

 ただ、首から上を蝕む痛苦だけが、ひどく鮮明に、国王の感覚を支配していた。


「そして、国と臣民を棄てることを選んだその日、貴方は人として生きる道までをも棄てた」


 魔力による不可視の束縛ではない。ましてや物的な拘束であるはずもない。

 理さえも覆す龍族の力を身を以て味わった国王は、漸くにして、己が手を伸ばした禁忌の禁忌たるやを思い知った。


「お前は、何者にもなれなかった」


 汚物を見るような目で吐き捨てたファウストが、音高く踵を翻す。その仕草に紛れて揺れた指先から風が迸り、国王の頭上、辛うじて均衡を保っていた天井をかるく小突いた。途端、頽れるように崩落を始めた天井が、大小無数の石礫となって、かつての主へと降り注いだ。

 自身の暴虐によってもたらされた脅威を目前に、しかし国王は魔力を滾らせることはおろか、身構えることすらかなわない。不可思議な力によって自由を奪われた四肢は完全に硬直し、塞ぐことも逸らすことも許されない目が、訪れる死との直面を強制させられていた。


「この世ならざるモノよ。せめて最期は潔く死を受け入れ、今際の際で己が罪を省みるがいい」


 一拍、余韻、そして響いた重低音が、かつて王であった生物を血塗れの肉塊に変えた。

 その光景からすでに関心を失っていたファウストが、事の成り行きを見守っていたクラウディオに向け、ぎこちない笑みを投げかけてみせる。


「すみません、杞憂させてしまいました。我ながら、回りくどい手法を……」

「主任!」


 続く言葉は、我を取り戻したクラウディオによって、物理的に阻止された。

 

「急ぎましょう! でないと――」


 肩を鷲掴みされたファウストが、続いた言葉に落雷めいた衝撃を浴びた、同刻。

 王が臥した王宮地下から続く、不可侵の研究室、その最奥部にて。


「……今、なんと言ったかね?」


 青白い光に照らされた、巨大な硝子の円柱。

 据えられた操作卓を撫で回していた老人が、熟れた手つきをぴくりと止め、しわがれた首から上を後背に向けた。

 視線の先、淡い影の中。相対していたヘイゼルが、自身の胸に掌を添えて、もう一度、と、大きく息を吸いこむ。


「僕が……僕が、彼女の代わりに被検体になります」


 震えながらも迷いのない一言は、眉をひそめた老人の聴覚を揺さぶった一方。

 命を燃やすかのような輝きに満ちた瞳は、老人の奥、硝子の内側。


 夥しい量の管を胸元に繋がれ、操り人形のように生気なく座り込む少女へと、確かに注がれていた。

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