9-43 王家の真実
「……お父さま……?」
沈黙を破って飛び出したポーラの声は、半ばで掠れながら、どこか確信めいた色を帯びていた。
一歩、二歩。頼りなげに歩みを進める少女。蒼白いその横顔が発した一言に、老人の口髭がぐにゃりと歪んだ。
「自力で父だと察したか。流石に、一族随一の魔力を持つと評されるだけは――」
皮肉を込めた評価は、だが、澄みわたった魔力の音によって両断された。ポーラの周辺にあらわれた氷の短刀たちが、主人の志を語るかの如く、研ぎ澄まされたその刃先を老人に向けている。
「お父さまに何をしたんですか……?」
横目で老人を睨めつけたポーラの声が、気迫を越えて殺気を纏う。返答次第では容赦しない、と、操る刃にもまさる鋭利な視線が、続く言葉を明瞭に補完していた。
緩い笑みから一転、不服そうに口元を引き締めた老人が、ややあって肩を竦める。
「何もしておらんよ。私は……」
「答えて!」
直後、余裕を吐いた喉元と、危機感さえ窺えないその全身に、数十もの短刀の切っ先が触れた。赤みがかった白銀の頭髪の数本が、ゆったりと纏う白衣の端々が、音もなく裂かれて舞い落ちる。
もはや掛ける言葉もなく、ただ鋭い眼光を差し向けるだけの少女に対し、老人は深く長い溜息にて応じた。
「こやつは龍になり損ねた。ただそれだけのことよ」
「……龍……?」
馴染みのない単語を繰り返したポーラが、脳裏にクラウディオを、ファウストを、そしてメイベルを思い浮かべる。咄嗟に首を振って否定したその所作を隙と見たか、持ち上がった老人の手のひらが、周囲に浮かぶ短刀のひとつを無造作に掴みとった。
「なっ……!」
驚愕の声をあげたポーラの想像は、だが、すぐさま裏切られた。
魔力すら纏わない老人のしわがれた手指が、鋭利な氷の白刃を、さながら飴細工のごとく呆気なく握りつぶしてみせた。
「いかにして魔物がこの世に生まれ落ちるか、君はその経緯を知っているかね?」
警戒心のままに魔力を滾らせたポーラの眼前、老人が塵でも払うかのように手のひらを振るってみせた。事もなげなその仕草に対する怒りを懸命に抑えこんだポーラが、意図の見えない問いかけにそっと焦点を重ねる。
「……ええ。許容量を越える魔力を浴びた生物が、もとの姿形と理性を失ったなれの果て、それが魔物でしょう?」
生物、と。この場において、誘導されているのであろう人間という表現を、ポーラは意図的に避けた。
その意を知ってか知らずか、老人が手の甲で硝子の壁をかるく小突く。応じたように身を捩った化物――国王が、ポーラの身長ほどもある巨大な爪で、硝子の内面をぎりぎりと擦りはじめる。
「そうだ。しかし、それに対し、我々ラフィア王家は疑念を抱いた。なぜ、例外なく獣じみた姿形に成り果ててしまうのか。人間の姿形と理性を保ったまま、この強靱な肉体と魔力を手にすることはかなわないのか、とな」
「……それ、耳障りだからやめてくれます?」
演技じみた言い回しを添えた老人が、"失敗作"とでも言いたげに硝子を小突き続ける。父を貶すかのようなその態度に明確な苛立ちを覚えたポーラが、眼光と声をもって牽制を放った。
「くだらない。黙って聞いてたら、結局、兵力欲しさのための人体実験、という話じゃない」
「兵力? 何の話をしているのかね?」
「惚けるんですか? 出兵した兵たちのなかにいた、他と違う赤黒い魔力を持った人。元を辿れば、それもあなたが仕組んだことなのでしょう?」
「……ああ、その件か」
第一王子アルフォンスの死を、さながら好機とばかりに利用した宣戦布告。国王たる父をも巻き込んだ人体実験は、国王みずから身を捧げた富国への歯車であったのだろう、と。
状況証拠を踏まえたポーラの推論は、しかし気の抜けるような老人の態度をもって、呆気なく否定された。
「順序が逆だな。我々がこの実験に踏み切ったのは、あの者たちの異変あってのことよ」
「なに……?」
掠れた疑念の声に、硝子が軋む音が続いた。身を起こした国王の人ならざる偉容を一瞥した老人が、改めてポーラを見据える。
「あの者たちは、もとは病や怪我で戦線を離脱した兵たちだ。そして、君がここで目にした硝子の容器は、治癒魔法では完治の望めない体を治療しうる道具、その試作機というわけだ」
「……医療器具、ということですか?」
「本来の用途はな。だがある時、無視すべからざる重大な副作用が発覚し、計画が頓挫したのだ」
「なるほどね。それが、兵士たちが強力な魔力を得た理由の正体というわけですね?」
「その通りだ。ようやく要領を得てきたようだな」
老人が、どこか誇らしげに口調を和らげる。その向こう側、硝子を擦る国王を苦々しげに視界にみとめたポーラが、自身の推測を遂に確信に変えた。
「あなたたちは、その副作用を怖れるあまり道具を封印したと見せかけ、地下に隠蔽して私物化した。そして、その副作用を利用して、強大な魔力の使い手を意図的に生み出すため、犠牲を厭わず実験を続けていた……そういうことね?」
「ほお……?」
薄い笑みに歪んでいた老人の表情がふいに引き締まり、同情と憐憫を帯びていた眼差しが、淡い賞賛の色を浮かべる。
すべてが掌の上、とでも言いたげなその余裕と、肉親の犠牲すら事もなげに片付けるその態度に、ポーラの胸の内が色濃い嫌悪感で塗りつぶされてゆく。乱雑に掻きむしった頭髪が、目を背けたくなる事実を眩ませるかのように、その視界を覆った。
「わからない。本当に、わからない。人々の、家族の身を賭してまで、いったい何のために力を得ようとしているの?」
「知れたこと。境界線を破壊し、在るが侭の世界を取り戻す。我らが悲願はただそれだけよ」
「……それはまた、ご大層なことですね。ですが、夢を見る前に現実を見たほうがよろしいのでは?」
生まれた時から世界の一部であった境界線、その破壊。大言壮語としか評することのできない老人の発言に、ポーラが思わず鼻白む。
「非現実的であろうと成さねばならん。その大願の前では、国や民などという線引きはただの個人的な拘り、些事に過ぎん」
「些事ですって……?」
老人の言葉に顔を跳ね上げたポーラが、疑問符の末尾に凍てつく魔力を滾らせる。示された敵意に眉を顰めた老人が、枯木を思わせるその体をひと息に包み込む、眩い炎の魔力を放った。
青と赤、相反する色に染まりゆく冷気と熱波が、向かい合うふたりの王族の決裂を具現化したかのようにせめぎ合い、淡い照明をかき消す光彩となって辺りを包みこんでゆく。
「あなたたちは、叶いもしない夢物語のために、臣民の平穏を蔑ろにして、あるべき王族の役目を放棄したというの?」
「……言いよるわ。今日の今日まで、事実の欠片にすら辿り着けんかった小娘が」
感情をあらわにした老人の声に、濡れた枝葉が折れるような嫌な音が入り交じる。老人を見上げていたポーラの丸い瞳がふと懐疑に細まり、次の瞬間、大きく見開かれた。
「ならば問う。貴様の言う臣民の平穏とはなんだ? あの光の壁が絶えず生み出す魔物に脅かされる日々をただ耐え、十九年前の悲劇の再来にただ怯える不安定な日常を指すのか?」
苛烈な変調を仄めかせた声の半ば、老人の側頭部から、赤黒い血を纏う円錐状の角が飛び出した。それを皮切りに、ゆったりと身を包んでいた白衣が千切れ飛び、人間のものであるはずのない、歪に隆起した浅黒い筋肉が露出する。
「貴様の言う王族の役目とはなんだ? 境界線の脅威に今なお喘ぐ世界から目を逸らし、庇護下の民草だけを懸命に愛でることが義とでもいうのか?!」
「…………っ!」
「あれがこの世に聳える限り、真の安息など絶対に訪れん! 破壊こそが唯一絶対の選択肢であり、共存策に延命以上の価値などない!」
しわがれた声が怒声に、そして咆哮と変わり果てる。骨と肉の混ざり合う音をたてながら肥大化した身体は、腰の曲がっていた数秒前の面影を完全に亡失し、ポーラの身の丈の倍はあろう巨大な化物へと変異を遂げていた。
まさに目の前で魔物が生まれゆく異常事態と、外見と相反する理性をまとった反論に、ポーラが言葉を詰まらせ――
「選択の善悪の話はしていません! あなたたちのやり方が強引に過ぎる、という話をしているのです!」
――それでも、恐怖に震える拳を握りしめ、決死の思いで顔を持ち上げた。
「確かに、あなたの理論は正鵠を射ているのかもしれません。ですが、我が国の戦線は今なお強固であり、他国もまた勢力図を取り戻しつつあります。魔物化などという賭博に頼らずとも、人間の力をもってして抵抗を続ければ、いずれ好機が――」
「その強固な戦線とやらが、人間の力によるものでなかったとしたら、どうだね?」
「……え?」
振り絞った少女の反論は、しかし、半ばで断絶された。
人を統べる身分として、せめて最後まで人を信じるべきである、と。その前提を根底から覆す老人の言葉に、微かな意地だけで直立していたポーラの抵抗心が、音もたてずにむなしく折れた。
「我が国最大の戦功者とうたわれる傭兵メイベルのことは知っているな? 彼女こそ、我々が再現を目論む実験の成功例であり、龍と呼ばれる人智を超えた生命体だ」
「…………!」
今や人であることを辞めた老人が、唯一の面影を残す瞳に寂寥を浮かべ、何かを察したポーラに同情めいた一瞥を投げかける。
「わかるかね? 彼女の存在は、戦線維持の助力などといった生やさしいものではない。人が迎えている苦境は、今や人の能力の限界を疾うに超え、人外に頼らなければ立ちゆかないのが現実だ。そんな我々に、人外たる力を否定する資格などありはしないのだよ」
「そんなっ……! ですが、隣国フェルミーナは聖騎士の活躍によって戦線を維持させているではありませんか! よもや、彼らもみな、こうした実験によって力を得ているとでも言うのですか?!」
「力を得る過程と代償が異なるだけだ。現に当代の聖騎士は、その資格と引き換えに精神を病み、以降、表舞台に姿を見せておらん」
「…………」
「龍であれ聖騎士であれ、力に相応する何かを賭して生きていることには変わりはない。君の言う平穏を謳歌する、ただそれだけのことにも代償を支払わねばならん。世はすでにそうした逼迫の渦中にあって、綺麗事で解決に至る段階にはないのだよ」
嘲笑とともに言葉を切った老人が、丸太の如く腕をもたげ、立ち尽くすばかりのポーラの肩をぐっと掴んだ。布一枚隔てて感じる槍のような爪が、身じろぎひとつかなわない膂力が、言外に対話の終わりを告げていた。
「……さて、我々の事情と覚悟は示した。君はどうかね?」
「あ……っ……」
放たれた言葉の意味を理解したポーラの体が、思い出したかのようにこみ上げてきた無力感と恐怖にわなないた。その肩を掴む老人の爪が、震えることすら許さぬ、と言わんばかりにぐっと力を増す。
「引き返す機は二度与えた。何も知らず生きる道は示した。その上で、君は王族の誇りを選んだ」
老人の視線がふっと逸れ、細まる。体躯に比例して巨大化したその瞳に、硝子の光が薄っすらと反射した。
瞬間、ポーラは、自身に待ち受ける命運と、自身が触れた真実の重みを静かに悟った。
「さあ、禁忌に踏み込んだ覚悟を見せてもらおうか」




