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境界線上の魔王  作者: 羽山一明
第九章 『昏き追憶の水底にて』
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9-41 禁足地

 冬紛いの理不尽が降り落ちた王都と、同じ色の空を仰ぐ荒野にて。帳の落ちた惨劇の半ば、物言わぬ魔物と変わり果てた兵たちが、赤黒い魔力を引き連れた大波となって、北へと流れてゆく。

 人の形を模した災害。そう形容すべく他ない悪意の向かうその先に、紅い空色を浴びてなお蒼い修道服を纏った人影が、ひらり、舞い下りた。

 緩慢、ながら気迫を込めて姿勢を正したメイベルが、地を鳴らして迫りくる脅威へ視線を投げやる。臨戦を帯びた瞳の真芯、憂いの一雫が音もなく波紋をたて、すっと溶け消えていった。


「ごめんなさい。どうか安らかに」


 寂しげな吐息の余韻をその場に残して、メイベルは強く大地を蹴り出した。

 瞬間――かつての記憶がそうさせたのであろう――不自然なほどに整然と侵攻していた魔物の陣形、その前衛をなす一群が、身を引き裂かれながら空へと飛散していった。

 魔物の熱視線と血の雨を浴びながら、メイベルは初撃の戦果に舌打ちを放った。瞬きほどの間隙のち、覆いかぶさるように襲い来た魔物たちの爪牙を危なげなく躱し、ひらりと間合いを測る。


「…………」


 ゆっくりと整えた体勢の半ば、メイベルは咆哮する群れへ、次いで痺れた利き腕へと、ささくれだった視線を鋭く投げやった。

 五指に纏わせた、鉤爪を模した魔力。近接戦闘を好むメイベルの主力武器は、だが、莫大な魔力を身に纏う獲物の三体目までを引き裂いた直後に限界を迎え、その全てを半ばから欠損させていた。


 ――出し惜しみは、悪手だ。


 そう判断したメイベルは、使い物にならなくなった魔力の爪をみずからかき消し、新たなる武器を創造すべく、伸ばした手のひらに意識を集中させた。

 美しく瞬く魔力を誘蛾灯のごとく目掛け、かつてヒトであったはずの魔物どもが、獣性も剥き出しに我先へと飛びかかる。目を細めたメイベルの体が、赤黒い肉の壁に呑み込まれた、直後。閃光一閃、糸状に走り抜けた蒼白い光が、魔物の体を分け隔てなく両断せしめた。

 その向こう側、姿を晒したメイベルが、嫌悪に歪ませていた表情を艶美な笑みに変え、瞳に跳ねた白刃の輝きをしっとりと見つめた。


「ふふ、私も随分と未練がましいことで」


 自嘲をひとつ、嬉しそうに投げかけたメイベルが、創り上げた氷の鎌で確かめるように空を斬った。軌跡をなぞる粉雪のような魔力が、彼女の纏う修道服の群青を着飾る宝飾となり、散ってゆく。

 刹那的な美しさを誇るそのさまは、或いは、彼女自身がこれから向かう今際の命運を予知しているようにも見えた。


「……しかし、傍で見ている分には、使い勝手の悪そうな武器にしか見えませんでしたが」


 独り言ちながら、フレデリカの大鎌を再現したそれを、右へ左へと持ち替える。その動作を隙と見たか、単身飛び出した魔物の巨躯は、しかし紅緋色の視線を向けられることすらなく、一刀のもと斬り捨てられた。


「なかなかどうして、悪くない」


 理性を以て慈悲を棄て去ったメイベルが、浮かべていた笑みを悪魔さながらに歪めながら跳躍した。着地を待たずに振り抜かれた鎌が、白刃の線上にあった魔物どもの首から上を、路傍の雑草のごとく無作為に刈り取った。

 傾いだ胴体を横目に着地した足が、ひと呼吸の間もなくふたたび跳躍し、流れるような動作で薙ぎ払う。出血と汚泥と魔力をぶちまけたような戦地に群青が翻るたび、その幾十倍もの魔物が倒れ伏し、土に還ってゆく。

 相対することはおろか、姿を目にする頃を者を等しく葬り去るそのさまは、魔物たちにとってはまさしく死神の様相であった。


 それもそのはず、いかに境界線の魔力を浴びたとて、元はその大半が魔法の心得すらない一般兵である。同じ元人間とはいえ、種族としての地力のみならず、戦士として積み重ねた経験の差は、付け焼き刃で埋められるものではない。

 ゆえに、この場において彼女がもっとも怖れる敵は、かつてもっとも頼れる味方であった部下たちだけであった。


「……どこに潜んでいる……?」

 

 鎌をひとつ、切り返してもうひとつ。両断した獲物に阻まれた視界の向こう側をひと睨みして、すぐさま矛先を転じる。縦横無尽に戦場を駆り続けるさなか、メイベルは、脅威に向け研ぎ澄ましていた意識が杞憂にすり替わっていく気配を感じはじめていた。


 ――或いは、彼らは魔力の汚染から逃れ、単独で窮地を脱したのではないか?

 国軍ならば許されざる敵前逃亡も、傭兵である彼らならば、未曾有の事態を前に独断する可能性も十二分に考えられるのではないか……?


 甘い毒のような楽観が、電光石火の体捌きを微かに曇らせた、その直後。向きを転じたメイベルの瞳に、暗殺者の如く飛来した短剣の銀色がぎらりと跳ねた。


「――――っ!」


 瞬きにも満たない刹那、身を捩ったメイベルの目元を、殺意すら纏わぬ冷えた刃が掠める。赤々と噴き出す血に片目を細めながら身構えた眼前、他の個体を押し退け、悠然と歩を進め現れた一団の姿に、メイベルの表情が痛苦まじりの笑顔に歪んでいった。


「……無事、だったのですね……」


 意図した選んだ詮無い問いかけに、応じる声はない。

 だが、原型を失ったラフィア兵たちのなかにあって、今なお人の形をとどめるその屈強さが。そして何より、彼らの胸元に鈍色を添える、蜘蛛の巣をあしらった白銀の細工が、彼らの生前の身分を何よりも鮮明に語っている。

 傭兵の身でありながら、国家最強の名を独占していた異端児。かつてフレデリカも名を連ねていた少数精鋭部隊"蜘蛛の巣"の隊員たちが、指導を受けた過去をなぞるかのごとく、メイベルに得物の矛先を突きつけた。


 強者たれ、と、彼らを鍛え上げたメイベルにとって、複雑きわまりない皮肉。のみならず、自身の敗北が、ともに最前線を守り続けた彼らを逆賊に仕立て上げるという現状に対し、メイベルはただ厳然と鎌を掲げて応じた。


「やはり、神など信じるだけ無駄ですね」


 愚痴をひとつその場に捨て去り、メイベルは軽やかに地を蹴った。

 魔力の底を目前にした自身と、さらなる力を得た部下たち。彼我の戦力差を分析した脳裏に、玉砕覚悟の選択肢を滲ませながら。



……

…………

………………

……………………



 緩やかな曲線を描く回廊に、羽のような足音が忙しげに跳ね回る。

 王都の奥深く、山脈をくり貫いて築かれた王宮内部の、さらに奥。秘されたクラウディオの研究所兼邸宅を思うがままに駆け回る、小さな人影があった。


「どれにしよっかなあ……」


 薄茜色の照明が射す十字路で立ち止まった人影――ポーラが、嬉しそうに巡らせた視線をはたと止めた。ぽっかりと口をあけた通路の奥、何やら周辺とは異なる色を浮かべる灯に、好奇心が照準を重ねる。


「あれって……」


 甘い果実に引き寄せられる小動物のように、唇が声をこぼす頃には、すでに体は動き出している。

 橙黄色を浮かべる円い瞳が、近づくにつれ明瞭になってゆく紅色の光を反射して、怪しげな輝きをぎらりと湛えた。


 果たして辿り着いたその先に、ポーラのお眼鏡にかなうものは何一つとして見当たらなかった。暗灰色を基調とした壁面の一部が、断面の入った真っ白いそれに置き換わっており、その上部に赤々とした灯が据えられているのみである。


「…………?」


 大人が四人ほども横に並べば埋まるほどの、さほど大きくもない純白の壁。一見、何もないはずの光景を見やっていたポーラの瞳が、ふいに訝しげに細まってゆく。掲げられた灯の紅色を損ねることなく反射する表面加工に見覚えこそないものの、クラウディオから幾度も繰り返し釘を刺された場の特徴と一致していた。


「……やっぱり。これ、先生の研究室だ」


 ぽつりと呟いたポーラが、語られることすらなく禁じられていたその場所へ、ふらりと足を踏み出した。警戒心を刺激する赤を全身に浴びながら、壁の中心に刻まれた断面に、わけもわからず手を伸ばす。直後、断面の黒が両端から朱に変色したと思うと、行き止まりであったはずの壁が驚く間もなく左右に開いていった。


 その向こう側、口を開けた研究室内。見開かれた両の瞳を、ずらりと立ち並ぶ硝子の円柱たちが出迎えた。

 淡い逆光に照らされたその内側に目を凝らせば、何やら黒い影が蠢いているようにも見える。不審と不可解が交錯する状況に、ポーラがもう一歩、もう一歩と、越えてはいけない境界へと足を進める。


「なんだろう、あれ――」

「――どちら様ですかな?」


 横合いから投じられた低い声が、侵入を禁じられた敷居を跨ごうとしたポーラを静かに牽制した。震えて転じた視線の先、円柱の隙間に立っていた白衣の老人が、招かれざる小さな客をじとりと見据えている。


「っ…………!」


 跳ね上がった鼓動と後ろめたさを懸命に飲み込んだポーラが、薄闇に佇む男をきっと見つめ返した。


「……ポーチュラカ・フィア・ヴァーミリオよ。貴方は誰? ここで何をしているの?」

「ポーチュラカ……?」


 恐怖を包み隠した意地のまま、声を荒げて問いかける。だが、老人はさも聞こえていないかのように、傾げた小首もそのままに、ひたり、ひたりとポーラに歩み寄った。かと思えば、靴音高く立ち止まり、「あぁ」と、吐息混じりに頷いてみせる。


「第一王子ともども跳ねられていた、例の第十七王子か。ここにやってきたということは、やはり気が変わったのかね?」

「……は? 何を、言ってるの……?」


 第一王子。故人であるはずの兄と一括りにされたことが、自分の知らない何かを知られているのであろう気味悪さが、少女の虚勢をぐらりと揺るがせる。瞬くばかりのポーラの目を、爬虫類のようにぎょろりと剥いた老人のそれが捉え、射抜く。


「おや。おやおや。クラウディオを名乗るあの化物から、何も知らされていないのかね? それはそれは……」


 ――実に滑稽だ、と。

 ひそめた語尾に乗せられた嘲笑が不気味に反響し、立ち尽くすポーラの耳をざりざりと引っ掻いた。その内心など歯牙にもかけない様子の老人が、歪めた口元もそのままに、のそりと白衣を翻す。

 間際、かすかな憐憫を滲ませたその瞳で、思い出したかのようにポーラを見据えた。


「しかし……そうだな。君にはその秘密に触れる権利がある。後戻りの叶わぬ道であることを知り、それでもなお知りたいと望むのならば、好きにするがいい」

「…………」


 ひたり、ひたり、と。

 現れたときと同じく、滑るように足をもたげて遠ざかる老人の背を、ポーラはしばし無言で見つめ続けた。

 知らぬ恐怖と、知る恐怖。比べられるはずのない二択を前に、口惜しげに、しかしそれでも顔をあげた彼女が、薄れ行く後ろ姿めがけて床を蹴り出した。


 その背後、開いたままであった扉がそっと口を噤むと、辺りはふたたび闇のなかに閉ざされた。

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