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境界線上の魔王  作者: 羽山一明
序章 『再会』
2/212

0-2 ふたつの人影

 遠く聞こえる喧噪が、どこか別世界のようにすら思える裏路地。木漏れ日のように頼りない光が、湿り気の帯びた空気をほのかに温めた。

 時を止めたような空間の奥、屋根の隙間の向こうで楽しげに舞い踊る銀髪を追いかけて、セイジは疾駆していた。


「くそ、魔法使ったら目立つしな……」


 縮まっては遠ざかるその距離に、さながらどこかへと誘うような気配を感じ取って、風に煽られて揺れ動くフードを煩わしげにおさえる。

 埒のあかない状況に、人目を気にかけた前言を撤回しようとした逡巡の、その直後。


「おわっ?!」


 道ともいえないほどの隙間からあらわれた衛兵と衝突しそうになって、セイジは地面を思い切り踏み込んだ。同時に気がついたのであろう人影が屈んだその頭上を危なげなく飛び越え、着地と同時に振り返る。


 勢い余ってフードが外れると、生気あふれる黒檀の頭髪と、どこか幼さを感じさせるセイジの素顔があらわになった。


「すみません、大丈夫ですか?!」

「いえ、あの、こちらこそ……」


 涼しげな青の制服を纏った若い衛兵が、セイジの声に辿々しく言葉を返した。

 かけるべき気遣いの先手をとられて見つめ返すまっすぐな瞳が、呆気にとられたように見開かれている。


 衛兵の無事を確認したセイジが、安堵の吐息もほどほどに勢いよく振り返った。入り組んだ屋根の奥、きょとんと首を傾げてこちらを覗き込むマリーの姿をみとめて、今度こそ深く息を吐ききった。


「ごめんなさい。自分の不注意でした」


 事態を飲み込んで姿勢を正した衛兵が、深々と下げた表情をわずか曇らせて、二の句を言いたげにセイジをじっと見つめた。

 まさか衛兵の目の前でフードを被り直すわけもいかず、しかし食い入るような目を続ける衛兵に耐えかねたように、セイジは湿り気の帯びた視線を投げ返した。


「……何か?」

「いえ、失礼ですが、こんなところで何をされているのかな、と」


 自身に対する興味ではなく、職務をただ全うしようとする姿勢であることを察して、セイジは全身に纏っていた緊張をほぐした。


「観光で訪れたのですが、相方とはぐれてしまいまして。何かあったら城下の門で待ち合わせということにしていたので、近道を、と思いまして」

「……なるほど、そうでしたか。本通りに向かわれるのでしたら、もう間もなくパレードでごった返しになりますので、お気を付けください」

「ああ、ありがとう。じゃあ僕はこれで」

「はい。どうぞよい旅を」


 衛兵に向き直っていたセイジが踵を返すと、その視線の斜め上で風に揺れていた銀髪が、燐光を残してふわりと遠ざかっていった。

 その色を追って疾駆をはじめた背に向けて、衛兵は何かを思い起こすように小首を傾げていたが、ややあって「まさかな」と小さく呟き、本通りへと舞い戻っていった。



 緩やかな曲線を描く道幅が徐々に広くなっていく。

 マリーの姿を仰ぎ見ながら走るセイジの目の前に、陽光をたっぷりと浴びて輝く本通りの景色が飛び込んできた。


 屋根が途切れる直前、マリーが軽やかに石畳に降り立ち、眩い光を背に意味ありげな微笑を浮かべた。訝しむ暇もなく、するりと姿を消した小さな背中を追いかけて、セイジはまだ人の気配が薄い本通りへと飛び出した。



……

…………

………………

……………………



 予想通り、人出は先の広場に集中しているようで、石畳のうえを行き交う人影はまばらだった。

 ひとまず目立つ懸念を避けられたことに安堵しながら、淡い色合いで統一された街並みをぐるりと見回す。

 探し求めた後ろ姿は、呆気ないほどすぐに見つかった。


「……何やってんだ、あいつ」

 

 生誕祭にあわせて出店された屋台の奥、軒を連ねる煉瓦造りの、その一点。熊のような大柄な店員と談笑しながら、風に吹かれる銀髪を指で梳くマリーがそこにいた。

 訝しみながらも歩み寄ると、マリーに先んじて気がついた店員が、肉汁のしたたる串焼きを差し出しながら、マリーに何やら声をかけた。


「早かったですね」


 振り返ったマリーが、串焼きを見せびらかすように掲げながら駆け寄ってきた。早くも祭の雰囲気を満喫しはじめたことに言及すべく、鈍色の視線を突き返す。


「誘い出すような動きをしてたのはそっちだろ」

「もちろん。見失われては困りますから」

「いや、おれがお前を見失うわけないだろ……」

「……それ、どういう意味?」


 ふいに声の調子を変えたマリーが、何やら気迫めいたものを滲ませながら、じっと目を見つめてくる。無言の圧力からつい目を逸らすと、肘をついたままこちらを眺めやる店員の姿が見えた。


「そのままの意味だよ。財布借りるぞ」


 精算をする直前だったのだろう、マリーの小脇に挟まっていた財布をするりと抜き取って、何故か頬を緩めていた店員に軽く頭を下げる。


「すみません。精算ってまだでしたよね?」

「いらねえよ。お前さんがた、見たところ観光客だろ?」

「え? いや、そういうわけには……」

「いいんだよ。生誕祭の日にくらい気前よくしねえと、商売の神様に怒られちまうよ」


 そう言って笑い飛ばした店員が、太い腕をずいっと持ち上げて通りのほうを指さした。


「ほれ、そろそろパレードがやってくる頃合だ。それ食って腹ごしらえして、最後まで楽しんでってくれよ」

「……ありがとうございます。でも、ここはお言葉に甘えずに!」

「あっ、おい!」


 代価を押しつけて逃げるように身を翻し、呆然と口を開いた店員に向けて、マリーと一緒に手を振った。


「火傷すんじゃねえぞー!」


 背中に聞こえてきた悔し紛れのような店員の声に、マリーと一緒に思わず笑みがこぼれる。


「あそこ、座って食べようか」


 見渡した景色の一画、ちょうど二人分だけ空いていたベンチを、繋いだ手を持ち上げて指し示してみせる。

 焼きたての串焼きを持ち上げ、顔を見合わせたマリーと息をあわせてかぶりついた。


「お、美味い」

「ほんとだ。柔らかい……けど、これ、味付けはなんだろ……香草かな……?」


 口元をおさえたマリーが、頬を緩めながらも真剣に味の分析をはじめた。


「うちにあるものでもできるかな?」

「セイジがそうしてほしいなら、やってみせますよ?」


 そう言って自慢げに胸を反らしたマリーの頭を撫でてやると、真っ白な頬がみるみるうちに朱色に染まっていった。

 目を細めながら、もっと、と言いたげに身を寄せてきたマリーの向こう側。ゆるやかな傾斜の奥から、喧噪の渦巻く人波がやってきた。パレードのおでましだ。


 あの聖騎士を先陣として列をなした人々と、その両脇を支えるように整然と配置された衛兵たち。

 雑然と統率を両立させる人波にどう割り込むべきか、と隙を窺っていると、横合いから白く小さな手が差し伸べられた。


「はい、今度はちゃんと捕まえててくださいね?」

「…………」


 色々と言いたいことを押し殺し、おとなしくその手をとると、やわらかな手指の感触がぎゅっと握り返してきた。視線を落とすと、目深に被ったフードを指先で持ち上げたマリーが、紅緋色の虹彩にやわらかな笑みを湛えて、嬉しそうに見つめ返してきた。

 こみ上げた気恥ずかしさから目を逸らすかのように、触れた指先を強く握り返して、活気づく人波の勢いに飛び込んだ。



……

…………

………………

……………………



 傾き始めた陽の光が、流れ行く人たちの背を鮮やかなオレンジ色に染め上げる。


 国の中心を貫く本通りを進むパレードは、見目麗しい聖騎士の姿をひと目見ようと、代わる代わる詰めかける人波に揉まれて密度と熱量を増していった。

 人混みに巻き込まれないように足並みを緩めると、前後左右を埋め尽くす人通りが次第にまばらになっていく。人波を遡上して吹き抜けた夕暮れの風が、ほどよく汗が浮かんだ肌を心地よく吹き抜けた。


「あ、そろそろパレードが終わるみたいですね」


 右に左に、落ち着きを取り戻した景観を忙しげに眺めやっていたマリーが、ぐっと背伸びをして、伸びた坂の奥を見晴るかす。

 視線の端、城下の最北端に見える城壁の手前側。広場の中心に据えられていた円形の噴水を取り囲むように輪をなす人たちの姿が目にとまった。

 色とりどりの服装に身を包み、思い思いに騒ぎ立てながら、視線だけは一様に噴水へと向けられている。


 さながら何かを待ちわびるかのようなその光景に、マリーと顔を見合わせて同時に首を傾げた。


「……なんだろ。まだ何かあるのかな?」

「剣戟ですよ」


 ふいに、後背から声がかかった。

 振り返ると、先程路地裏で言葉を交わした衛兵が、真新しい軍帽を脱いで会釈を施してきた。


「あ、さっきの……」


 明るい場所で改めて見ると、思っていたとおりまだうら若い。ふわりと揺れる黄金色の長髪と、曇りも陰りもない深い色の碧眼からは、いかにも将来を嘱望された青年、といった印象を受ける。


「どうも。見覚えのあるお姿でしたので、探し人に協力を、と思い声を掛けたのですが……」


 衛兵はそこで言葉を区切り、ちらりとマリーに目を向けて「解決したようですね」と口元を綻ばせる。それに気がついたマリーが、指先でローブの端をちょんと摘んで、かるくお辞儀を返す。

 黄昏に照らされて鮮やかに輝く銀髪を揺らして、マリーは持ち上げた顔をことりと傾げた。


「……剣戟、ですか?」

「はい。クリスティアさま自身のご提案で、生誕祭初日の最後を剣戟で飾られるのだそうです」

「えと、聖騎士って英雄なんですよね? 並び立てる方がいらっしゃるのですか?」

「いえ、いません。ただ……」


 こちらに視線を流しながら呈されたマリーの疑問に、衛兵は困ったような笑みを浮かべて軍帽を被り直した。

 わずかに生まれた沈黙の隙間を、広場から聞こえてくる雑音が緩やかに埋めていく。案の定、ごった返しているのであろう、前を行く人たちの足取りが速度を落としていった。


「ただ?」

「今回、凱旋なさったクリスティアさまの本来の目的は、"境界線"の向こうで消息を絶った先代聖騎士さまの捜索であったと聞き及んでおります。本当は、先代とともにこの場に立つおつもりであったのでしょう」

「…………」


 隣から聞こえる声に滲む郷愁のような感情が、耳の奥に突き刺さった。


 なんとも数奇な、というより因果な巡り合せでしかない。色気を出して買い出しになどと考えついたばかりに、不意に出くわした祭にて、こんな事実を耳にするとはまさか思わなかった。

 このさいは恥を忍んでやり過ごし、本来の目的である買い出しにうつるべきだろう。



 間もなく辿り着いた噴水広場は、冷え込みはじめた空に逆らうような熱気にすっぽりと覆われていた。

 出発地点である王宮近くの広場と同様、足の踏み場もないのは相変わらずであった。どうやってか軍事施設の屋根まで観覧席と化しているありさまに、衛兵は「こうなっては持ち場も何もありませんね」と苦笑を浮かべた。


 付近の塀に腰を据えた頃合、さざめいていた喧噪がにわかに勢いを増した。


 輪の中心、据えられた彫刻が影を伸ばす噴水の上空に、聖騎士クリスティアがふわりと舞い上がって現れた。馬上にて輝いていた鎧姿はそこにはなく、濃紺を基調にした涼やかな旅装が、空を駆ける風に揺られてはためいている。

 腰の両側には、細身の体に似つかわしくない長剣が二振り携えられていた。


「さあさ、お集まりし皆様方! 晴天に恵まれました今宵、生誕祭を締めくくる演目は、題して『風と魔法の剣戟』にございます! どうぞ終幕までのひととき、瞬きをお控えくださいますよう――」


 凜として、しかし楽しげに放たれた言葉の語尾に、すらりと抜き放たれた白刃の金属音が続いた。

 身構えたクリスティアの眼前が蜃気楼のように歪み、そのなかから薄く細い煙が立ち上った。音を立てて収束した煙は、じわりとその彩を変化させてゆき、やがて異なる色のローブに身を包んだ三人の魔導師をかたちどった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 一体何がマリーに起きたのか?いよいよ物語が動きますね。
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