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境界線上の魔王  作者: 羽山一明
第九章 『昏き追憶の水底にて』
198/212

9-39 覚悟の形

「――それ、どういう意味?」


 不意に投じられたのは、説明ではなく釈明を求める一言。

 沈黙を埋めるように吹いた風は、冷えた無形の蛇となって、立ち尽くすふたりの龍をざらりと撫でつけた。


「……リカ?」

「フレデリカさん。違うんです。今のは……」

「今のは?」


 蒼白を浮かべるメイベルを庇うように、ファウストが一歩を踏み出す。

 不意を突いて出た声は、だが、微笑みの欠片すらない無機質な鸚鵡返しにかき消され、呆気なく続きを断たれてしまった。


「なあ、それ、院長先生も関わってたってことでええねんな?」

「はい。むしろ、私が主導している問題なの、ですが……」


 一体、何からどのように伝えればよいのか。

 龍族のもつ膨大な知見の泉を以てして、解決の見当すらつかない事態。表舞台に立たずして人を支える、と志す龍族の信念が完全に裏目に出た状況に、ファウストはただ焦燥を示すことしかできなかった。


「……はあ。もうええわ……」


 埒のあかないその態度に、フレデリカが明瞭な溜息を返す。金の長髪をがしゃがしゃと掻き回す落胆の仕草に、閉ざされていたメイベルの唇がはっと息を呑んだ。


「リカ、待っ――」

「ほんで、あたしは何すればええん?」

「……え?」


 呼吸を整えたフレデリカの口調が、ふいにいつもの色彩を取り戻す。

 呆れるままに身を翻すものであろう、と声をあげたメイベルが、先ほどまでと異なる理由にて言葉を失った。


「いや、え? やなくてやな。ようわからんけど、時間も余裕もない感じやねんやろ? あたしはついてったほうがええんか? それとも相応しい役どころが別にあるん?」

「……いや……ええ?」

「あの、私たち、本当に人間ではないのですよ……?」


 記憶を失ってしまったかのような切り替えの早さに、むしろ真実を告白した龍たちが困惑をしめす。

 自嘲と自省を含むその反応に、フレデリカの表情が露骨な不満に歪んだ。ファウストの横合いを荒々しく通り過ぎると、声と顔を落としたメイベルの頬を両掌で掴み、無理やりに引き上げる。


「人間やなかったら何かまずいことある? 黙っとった理由が趣味嗜好とか、もっと言うたら悪意からとか、そんなんやったりするんか?」

「いえ、断じてそのようなことは……!」

「じゃあ、打ち明けられへんかった理由が別にちゃんとあるんやろ? それ、今ここでああだこうだ言うて、なんか解決すんの? せえへんよな?」

「……はいぃ……」


 経緯や理由を知らないはずのフレデリカが発する正論の豪雨を前に、メイベルが萎縮と肯定をただただ繰り返す。出会った頃から変わらず若々しいその頬を解放したフレデリカが、今か今かと機を窺っていたファウストに視線を転じた。


「で? 主導してた院長先生から見て、あたしはこっからどうするべきなん?」

「……正直に申し上げますと、これからの戦いに同行するには、戦力不足は否めないかと」

「ほんまに正直に言うやん……まあ、引退してだいぶ経つし、予想はしとったけど……」

「すみません。この期に及んで嘘偽りを重ねるほど、怖れ知らずではありませんので」


 苦笑したフレデリカに苦笑を重ねたファウストが、「ただ……」と二の句を継ぐ。


「この事態は、おそらく境界線の暴走によるものです。小規模な例が過去にも確認されているのですが、いずれも原因となった地点のみならず、川沿いすべてにおいて魔力量が増大し、結果的に魔物が版図を広げる運びとなりました。ひいては……」

「……軍が出張っとる今、王都の防衛が足らん、言うことやな?」

「待って!」


 苦笑から不敵へと、表情の色を変えたふたりが顔を見合わせる。

 すべきことは終えた、と言いたげに踵を返したフレデリカを、意思決定に介入することのかなわなかったメイベルが呼び止めた。


「……お別れの挨拶を、とかいう話やったら受け付けへんで?」

「あっ、えっ……?」

「そんなん口に出して言わんほうがええやろ。縁起でもない」

「…………」


 機先を制され、挙げ句に正鵠を撃ち抜かれて、メイベルが伸ばした手をぱたりと落とす。


「これが、今生の別れでも、ですか?」

「いや、そうかもしれんけどやな……」


 返す言葉をこぼしたフレデリカが、斜めに伏せたメイベルの顔に光るものを見いだして、続く声を溜息に変えた。


「……ほんまにどうしたん? 生きるか死ぬかの戦いくらい、昔は日常やったやん? 何で今になって……」

「その日常は、貴女があってこそ輝くものだったのですよ。少なくとも、彼女にとってはね」


 流れるように仲介したファウストの穏やかな声に、メイベルがこくこくと応じた。幼さすら窺えるその仕草に居たたまれなくなったか、そっと身を寄せたフレデリカの手が、項垂れる肩にそっと手を添える。


「んな大げさな……他に仲良い隊員、いっぱいおるやん」

「いえいえ。仲が良いと呼べる方は他にもいますが、身の上を語ることのできるほど方と巡り会えたのは、メイベルはむろん、私とて初めてのことですよ」

「ほんまに? 同じことみんなに言うて回ってるんちゃうん?」

「……勘弁してください。きちんとした理由があるんですよ」


 聞こえの悪すぎる嫌疑に面食らったファウストが、さもそれが真実であるかのように言葉を詰まらせ、痛めてもいない喉を指でおさえてみせた。


「そもそも、魔法という概念が人の世に浸透したのはここ数年の話です。それより以前から魔法を使いこなしていた私たちは、良くて『神様』、悪ければ『人の皮を被った化物』といった扱いを受けてきました。いずれにせよ、人と龍はおよそ友人と呼べる関係性にはなりえなかったのですよ」

「ああ……」


 故郷であるシルヴィアにおいて、同様に忌避されていた過去を思い出したフレデリカが、溜息まじりの声とともに重く頷く。

 落差を見せる彼女の経歴を知り、そしてみずからが遠因であることを自覚していたファウストが、重ねる瞳に憂いを浮かべる。


「その昔、それでも人間との交流を選んだひとりの龍がいました。しかし彼女は、情に絆され、力を悪用されてしまい、結果、国がひとつ滅ぶ戦争の発端となってしまいました。以降、龍族は、人間への過度な干渉は控えるべき、という方針を固めたのです」

「初対面で命救われた挙句、その流れで傭兵に勧誘されてんけど」


 鮮やかな切り返しに続く言葉を切断され、ファウストが苦々しく肩を竦めた。


「……はい。私の方針は、若い世代の龍たちにはあまり好まれなかったようです。私としては、もう少し慎重を期して接すべきであると考えていたのですが」


 諭すようなファウストの言葉に、メイベルの体が小さく震える。その肩をとんと叩いたフレデリカが、咄嗟に脳裏にひらめいた違和の言葉を、みじかい逡巡の末そのまま声に載せた。


「……そっちの事情はよう知らんけど、『人が』とか『龍が』とか、いちいち気にしすぎなんちゃうん?」

「? 気にしすぎ、とは……?」

「いや、現にあたしが終始気ぃ付かんかったんがもう答えみたいなもんやん。食事も睡眠も普通に取るし、泣くし笑うし落ち込むし、正直、人間と何がちゃうん?って思ってまうんやけど」

「…………」


 人間と変わりない、と。

 心の奥底、閉じ込めていた願いに触れた親友に、メイベルが潤む目を差し向ける。


「力が悪用されて、って言うてたけど、そんなん言い出したら人間も同じちゃう? 良い面もあんのに、それ無視して悪い面ばっか引きずってたら、反発されんのも無理ないやろ」

「……それは……そうなんですが……」


 ファウストもまた、苦悩として抱えていた『龍としての正しさ』に対し、俯瞰的かつ理性的に投じられた一石を前に、心をぐらりと揺るがされる。

 ふたりの龍の思いを掻き乱したフレデリカが、背筋をぴんと伸ばし、今度こそ、とばかりに、メイベルに向き直った。


「よしゃ。言いたいことは言うたし、あたしはあたしの仕事こなしてくるわ。ベルも頑張ってな」


 八重歯を覗かせてはにかむフレデリカに、気を使わせまいとするその気配りに、メイベルの体が無意識に前傾する。両腕を広げながら倒れ込んだ全身が、驚きつつも危なげなく直後、堪えるような声とともに打ち震えた。


「リカ、ごめんなさい。今まで黙っていて、騙すようなまねをして、本当に、ごめんなさい……」

「いや、だからそんなん……」


 熱を灯すメイベルを胸元に、フレデリカが詰まらせた照れ隠しを飲み込んだ。言葉の代わりに手を伸ばし、眼下に揺れる群青のフードをそっと捲って、流れるような白銀の髪をさらりと掬い上げる。


「ベル」


 囁くような呼び声に、伏せていたメイベルの顔がゆっくりと持ち上がった。

 悲哀に細まったその目は涙の薄膜を湛え、人外たるを象徴する虹彩の色をひどく曖昧にさせていた。


「あたしも気付けんでごめんな。辛い思いさせてもうたよなあ……」

「いえ、そんな、私……っ!」


 何かを言いかけたメイベルの声が涙色に揺らぐ。恥じらいのままに逸れた顔を追いかけたフレデリカの指が、頬に伝う雫をそっと拭ってやった。


「大丈夫。大丈夫やから。怖がりもせえへんし、嫌いにもならへんよ」

「…………っ!」


 頬に触れた指が、震える肩をゆっくりと引き寄せる。胸元におさまった耳に掛かった吐息まじりの声に、堪えていたメイベルの感情が決壊した。


「リカ……っ! リカぁっ……!」


 赴く先、漠然、ながら確かに感じる境界線の魔力。龍族をして立ち向かうことのかなわなかった暴力に抗う戦いは、自然発生する魔物を駆除するだけの日々と一線を引く、命の駆け引きであった。

 溢れる涙は恐怖ゆえか、はたまた告白を受け入れた友の気遣いゆえか。フレデリカの名を呼ぶ声は、その繰り返しの半ばから、ただ感情を内に秘めるだけの音に変わっていった。


「……こうして見ていると、なんだか母娘みたいですね」


 静かに泣きじゃくる娘と、それを労う母親のような。そんな光景に微笑ましさを覚えたファウストが、抱いた傍目からの印象をそのまま口にする。

 まじまじと見られていたことに赤面したメイベルの一方、フレデリカは余裕綽々といった様子でにやりと口角を緩めた。


「そらそうやろ。ヘイゼルを貰ってくれるんやったら、ベルはあたしの義理の娘ってことになるやろし、なあ?」

「へっ……?!」

「何や? ウチの息子になんか不満でもあるんか?」

「……いえ……」


 丸め込まれた、というよりかは畳み掛けられたメイベルが、また異なる意味でこくりと俯く。初心なその反応にますます調子づいた義母が、湯気すら浮かびそうな熱っぽい背をばしばしと叩いた。


「な? これで今生の別れとか言われへんなったやろ?」


 言いながら、フレデリカは乱れたメイベルの髪を手早く整え、フードをもとの位置に戻してやった。

 紛うことなき命がけの戦いに臨む現実を前に、それでも明るく前を向き、あまつさえ他人への心配りも忘れない人間の強さに、塞がっていたメイベルの唇が苦笑をこぼす。


「……ふ、ふふ……本当、そうですね」


 まだ少し濡れそぼった声を連れて、メイベルがゆっくりと顔をあげる。

 そこに広がる眩い笑みに、同じく満面の笑みを返したフレデリカが、拳をすっと眼前に掲げた。


「またな、ベル」

「……またね、リカ」


 応じて突き合わせた拳を体ごと翻し、メイベルがファウストにちらりと目を配らせる。

 頷いた全身から巻き起こった光の渦が、降り注ぐ魔力の紅色に逆らうかのように勢いを増して、別離の瞬間を静かに演出した。


「あと頼むわな、先生」


 呟かれた声は、決意の中に秘められたメイベルへの憂慮か。はたまた、迎える運命に向けた彼女なりの覚悟か。

 真意を知らずとも意図を汲み取ったファウストが、無力感を押し殺して口を開いた。


「はい。フレデリカさんも、ご武運を」


 ふたりの龍の輪郭が完全に光に飲み込まれ、直後、軌跡だけを残して彼方へと飛び去っていった。

 遙か伸びる銀糸を見送ったフレデリカは、消えゆく光の跡に背を向け、踏み出した足に力を込めた。

 瞬間、揺らいだ目線が北の方角、もうひとつの心残りへと向けられる。


「…………」


 王宮へ戻り、庇護するべきふたりだけをただ守り抜くという選択も、確かにあった。

 だが、ただひとりの人間として意思を汲み、送り出してくれた子らの姿勢に、心を偽って向き合うべきでない、と。

 すべての始まりを与えてくれた友人とともに、今、ふたたび、命を賭けて戦いたい、と。


「うし、じゃ、抗ってみよか」


 見上げた西方、遙か聳える境界線に向け。

 ……来る最期の時に向け、フレデリカは軽やかに地を蹴り出した。

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