9-37 血染めの再会
孤児院に舞い戻ったメイベルは、一息吐く間もなく、フレデリカの安否確認を提案した。頷いたファウストが浮かべた険しい顔つきは、だが、向けた視線の先で手を振る親子連れをみとめると、すぐにいつもの穏やかな笑みを取り戻した。
見計らったかのように現れたフレデリカは、子供たちの輪へと我が子らの背を押すと、緩めていた口元をすっと引き締め、疲労の色を見せる龍たちにするどい視線を投げかけた。
「……で? どやった?」
多くを語るべくもなく切り出された問いは、むろん戦争の趨勢と帰結についてである。応じようと口を開いたファウストは、しかし目にした状況を適切に説明する術を見いだせず、目を瞬かせながら口ごもる。
「ひとまず、中に入って一息つきましょう」
疲れを隠せないメイベルをちらと見やったファウストが、急くようにフレデリカを促した。
扉を押し入り、廊下を抜け、螺旋階段を経て奥の自室へ。無言で突き進むその背を、メイベルが苦しげに、フレデリカが訝しげに追いかける。
「ようわからんけど、なんか色々あったみたいやね」
結界の展開を見届けたフレデリカが、手慣れた様子でケトルを取り出す。慌てて立ち上がったメイベルを手で制するそのさまを見やって、漸くファウストが安堵の溜息を吐いた。
「……ええ、まあ。フレデリカさんもお変わりないですか?」
改まった、というよりは慣れないその言い回しに、フレデリカが八重歯をのぞかせ破顔する。
「なーんも。退屈なもんやで。強いて言うんやったら、魔法に飽きたんか知らんけど、ポーラが近接戦闘の手ほどきをせがむようになってきたくらいやなあ」
結界に秘された場に和やかな日常を投じた唇が、ぱたりと無言を継ぐ。封緘されたかのように閉ざされたそれが、ふたりの龍をじっと見据える瞳が、はぐらかされた質問の回答を声なく要求していた。
「……此度の戦争は、フェルミーナのある兵の活躍により、大事には至りませんでした。赴いた兵も損耗なく帰投する見込みです」
観念したファウストが、灰色の吐息まじりに結論を述べる。
深刻な事実を予想していたフレデリカが、むしろ明るくすらある報告に面食らい、ことりと首を傾げてみせた。
「……ええことなんちゃうん? 何かまずいことでもあるん?」
「はい、断定はできかねますが、よろしくないです。まず、ラフィアが出兵に至った最大の要因として、聖騎士資格試験での出来事が挙げられますが……」
「…………」
聖騎士資格試験。
表立っては、憂国を胸に試験へ挑んだ王子の悲劇、とされている歴史の真相を、ふたりは彼女にだけ明かしていた。
正規兵の暗躍、もとい暴走。濁した言葉の先の真意に思考を重ねたフレデリカが、弟子のように懐いていた在りし日のアルフォンスを脳裏に浮かべ、口惜しげに黙する。その内心を察したファウストが、多くを語らず焦点を先に進めた。
「遠目からにてこちらも断定はできかねますが、戦争を止めたのは、資格試験唯一人の生き残りである青年です。試験での暴挙の火種が、国力の低迷に対する悲観、ひいては成長を果たす他国に対する嫉妬であったのならば。それを命じた、ないしその思想を育んだのが、国家の意思であったのならば……」
「……今回の事態が、次の暴挙に繋がってもおかしくない、ってか……」
ファウストの懸念を正確に推量したフレデリカが、知りたくなかった、と言わんばかりに髪を掻き回す。
「いうて、こっちから打てる具体的な手はあるんかなあ?」
「……亡命……とか……?」
独り言を思わせる小さな声が、口を閉ざしたふたりの耳目を引く。
神妙な面持ちをもたげたメイベルの、神妙の一言ではすまないその提案に、さすがのフレデリカも色好い反応を示すことができなかった。
「……亡命、なあ。現状の推論が証明できれば妥当やねんけど、現状は、情報を持っとるあたしの特権でしかないしなあ。受け入れる側としても、あんまり大手振って歓迎できん状況やろし……」
「宣戦布告を受けた直前とあっては、なおのこと難しいでしょうね」
――或いは、レオンハルト王子に打診をすれば。
一瞬、その思考を巡らせたファウストは、だが口に出してはむしろ否定的な意をしめした。
人という種を守るため暗躍するべき身である龍が、縁を得た一個人を庇う。国家間戦争の切っ掛けにすらなりえるその選択は、思慮に至れど提示すべきものではない道であったのだ。
訪れた沈黙に、木の軋む音が滑り込む。
跳ね上がった六条の視線が、風に吹かれたかのように控えめに開いた扉、その隙間から覗く瞳へと向けられた。
「ポーラ? どした?」
「…………」
名を呼ばれ、おずおずと姿を見せたポーラが、駆け寄った母にただ無言でしがみついた。触れた体から伝わる小刻みの振動に、快活を絵に描いたような愛娘の異変に、フレデリカが眉根を寄せる。
「お母さん……」
次いで舞い込んだヘイゼルの声も同じく震え、仄暗い冬空を思わせる蒼白が、幼いその表情を支配していた。
「空が、変なの……」
ゆっくりと持ち上がった指先が、奇しくも会話の焦点である南方を壁越しに指し示す。怖気まじりの違和に立ち上がったファウストが、みじかい詠唱とともに結界を閉じた。
直後、防護の魔力に守られていた大人たちが、慄く子供らの所以を身を以て理解した。居竦む一拍を挟んで、ファウストが、次いでメイベルが、弾かれたように部屋を駆け出してゆく。
押し開いた正面玄関の先、遙か仰いだ南の空が、ちぎれ雲ひとつに至るまで、胸焼けを催すような赤黒い色に汚染されていた。
「……これ、魔力の気配やんな……?」
やや遅れて駆けつけたフレデリカが、ふたたび開いてしまったのであろう戦端を想像する。その一方、ふたりの龍は、遠い南の地で引き起こされた事態を、肌に刺さるような魔力から否応なく掴み取っていた。
「境界線……っ!」
憎々しげにこぼれたファウストの声は、彼自身が鳴らした靴音によってかき消された。戦場へと向かうその背を目で追ったフレデリカは、しかし、押し潰されそうな魔力に気圧され、踏み出そうとした足を静かに下ろす。
失意に顔を伏せるその姿に、メイベルが後ろ髪を引かれるように立ち止まり、振り返った。
「リカ……」
「…………」
母の左右に立つポーラとヘイゼルが、悲しげに言葉を失うふたりを交互に見つめる。寂しげに揺れる子らの髪をそっと撫でたフレデリカが、どこかぎこちない笑みを友に差し向けた。
「また、会えるよな?」
「……そう、ですね……」
超長距離を高速で駆けぬける飛翔魔法の連続使用。
一度ですら疲労感に支配されるそれを重ねた先、想像すら及ばない数の魔物との戦闘が待ち受けていることは、想像に難くない。
龍たる身をもってしても見当たらない命の保証に、メイベルが言葉を詰まらせる。
「リカ、安全といえるかはわかりませんが、ひとまず王宮に身を隠していてください。私たちがなんとか凌いでみせますから」
再会の約束を濁らせたメイベルが、追及を怖れるかのように踵を返す。
遠ざかっていくその足音が、騒然とする街の音に溶けて消える頃。ゆっくりと顔をあげたフレデリカが、守るべき我が子らの手を握り、帰るべき王宮へと足を向けた。
「おかあさん、よかったの……?」
その道半ば、小さく、ながらも明瞭に。意欲ではなく失意によって歩き続ける母の内心を、ポーラが正確に射抜いた。
動揺をしめすように足並みを乱したフレデリカは、しかし前を向いたまま頑と口を噤む。むっと頬を膨らせたポーラが、かたく握られた母の手を振りほどき、慌ただしく流れる人波にも構わず足を止めた。
「おかしいよ! なんで平気なフリするの? もう会えなくなっちゃうかもしれないんだよ?!」
クラウディオとの別れを思い返したポーラが、悲哀に歪むフレデリカの目をきっと見据える。小さなその背を避けて割れた人波が、降り注ぐ色濃い紅色に霞み、立ち尽くす三人の姿だけが切り取られたかのように色濃く浮かび上がった。
「……お母さん、僕も同じ気持ちです。僕たちを気遣ってのことなら、なお構わず会いに行ってください。降りかかる火の粉は自分で振り払ってみせますので」
涙と気迫を滲ませて感情を晒すポーラと対照的に、ヘイゼルが年齢不相応な冷静さをもって、気丈に振る舞う母の本音に触れる。
子ではなく人としての、対等な助言。成長を見せつけた子らに感化されたフレデリカが、みずから檻に閉じ込めた未練に手を伸ばした。
「……ごめんな。気ぃ使わせたんはあたしのほうやったな……」
「謝っているヒマがあったら追いかけてください。そして、メイベルさんに『あたしも一緒に戦う!』と啖呵を切って我を通してください。傭兵のときのお母さんなら、絶対にそうしていましたよ」
謝罪を拒絶したヘイゼルが、涙を切ったポーラが、母を激励するようににっこりと微笑む。今度こそ何も言えなくなったフレデリカは、次いで小さく苦笑すると、両腕を伸ばしてふたりを強く抱き寄せた。
「ありがとうな。お母さん、またこの国守ってくるわ!」
焔を取り戻した双眸が、晴れやかなその表情が、異様な空色を吹き飛ばすかのように振り返った。巻き起こった風に髪を流されたポーラが、一足飛びで遠ざかって消えた母の背をぼうっと見つめた。
「……ねえ、お兄ちゃん。兵隊さんをしてたときのお母さんって、やっぱりかっこよかったの?」
フレデリカの言い残した「また」の意味を、そうした生き方をしていた母の過去を知り得ないポーラが、隣り合った兄に問いかける。
「そうだねえ。あの時のお母さんは、格好よくて、いつも生き生きしてて、今みたいに、考える前に体が動いちゃうような人だったよ」
「……そうなんだ。じゃあ、お母さん、あたしたちのせいでいっぱいガマンしてたのかなあ……?」
「そうかもしれないね。だから……」
大人びた自省を呟いたポーラの前でしゃがみこんだヘイゼルが、風に流されて荒れたままの髪を優しく整える。
「お母さんの楽しい思い出は、これから僕たちで一緒にたくさん作っていこうね」
途端、ヘイゼルに誘われるようにぱっと笑顔を咲かせたポーラが、整ったばかりの髪を揺らして頷いてみせる。
母に次いで忙しなさを取り戻した妹の様子に、ヘイゼルが苦笑まじりに立ち上がった。
「さ、そろそろ帰――」
差し伸べた手のひらは、だが、背中を包む言いようのない怖気にびくりと引きつり、次いで弾かれたように体ごと振り返った。
視線の先、通りの奥。違和の源泉であろう、白衣銀髪という一風変わった出で立ちの男が、薄らと開いた紅緋色の瞳のなか、確かにこちらの姿を捉えていた。
「先生!」
庇い立てるように伸ばしたヘイゼルの腕を掻い潜ったポーラが、嬉々としてその男のもとへ駆け出した。声を掛けられた男もまた、三日月を思わせる薄い笑みを浮かべながら、両腕を広げて彼女を迎え入れる。
「ポーラ、心配しましたよ。大事ないですか?」
「? なんともないよ? どうして?」
「いえ、あなたの魔力は、周囲の環境に特に影響を受けやすいですから、気になって飛び出してきた次第でして」
王女たる身分の愛称を事もなげに口にしたその男は、飛びかかったポーラをまるで自身の子かのように抱きすくめ、抱え上げる。
愛おしげな仕草と穏やかな口調。清廉を印象づけるそれらを塗りつぶす形容しがたい魔力に、ヘイゼルはひとりその場で身震いした。
「えっ? じゃあ、あたしたちを迎えに来てくれたの?」
「いえ、そういうわけでは……。そもそも、ご家族とご一緒では?」
「ううん。お兄ちゃんはそこにいるけど、お母さんは戦いに行ってくるって」
「戦いに……? よくわかりませんが、とりあえず、今はお兄さんとおふたりなのですね」
流れるように繰り広げられた会話の句切りに、男が困った様子で斜め上を見上げる。
視界の端できらきらと輝くポーラに気圧され、やがて男は観念したように小さな溜息を吐いた。
「……ううん。君たちだけにするのも気が引けますね。私の仕事場にならお招きできますが、それでよろしければ――」
「――行くっ!!」
気後れしたような男の回答を聞くや否や、ポーラが体当たりのごとく勢いで飛びかかる。飼い主に甘える猫を思わせる動きをひょいと躱した男が、ヘイゼルの視線をなぞるように歩みを寄せる。
「はじめまして。私、治癒師のクラウディオと申します。以後、お見知りおきのほどを」
クラウディオ、と。そう名乗った男が、白衣をはためかせながら、立ち尽くすヘイゼルに手を差し伸べる。
慄然と見開かれた瞳のなか、血染めの色を纏って微笑むその姿は、或いは、生贄を見いだした死神のようにも見えた。




