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境界線上の魔王  作者: 羽山一明
第九章 『昏き追憶の水底にて』
193/212

9-34 時至りて帳落つ

 夕から夜へ、時が音もなく流れてゆく。

 光の降らない魔境の奥、揺蕩う夜風が氷点を纏い、堅牢な基地の隙間を蛇のように吹き抜けた。


「ラフィアの正規軍が、アルフォンス王子殿下の命を……?」


 温く重いレオンの言葉が、足元を撫でる夜風を凌ぐ悪寒となって、メイベルの身震いを誘う。


 ――あの兵士と同じ魔力を持つ者ならば、或いは。


 不出来な龍の魔力を身に宿した兵、その死に至る始終の奇怪な言動を思い返したメイベルが、口を噤んで思慮に耽る。その沈黙の理由など知る由もないレオンが、まだ少し荒れていた呼吸を静かに整えながら、溜息とともに頷いてみせた。


「はい。アルフォンス王子を守ろうとしていない、という表現のほうが的確かもしれません」


 懐から取り出した紙面に資格試験の概要を走り書きしたレオンが、そこに記されていた三つの国名を丸く縁取った。


「聖騎士に与えられる特権の最たるものとして、境界線を越えること、つまりその先の世界を調査する権限があります。引いては常在戦場を生き抜くための能力を受験者に問うため、最前線であるこの森が試験会場に選ばれたのですが……」


 くるりと踊ったペンが、三つの枠のうち『フェルミーナ』と『ルーレイン』の二箇所を交互に叩く。


「この二国の正規軍は、評価点の動かない時間帯は徹底して受験者を守っています。常在戦場といえど、不眠不休で何日も戦い続けるわけではありませんし、試験の規則に反していない以上、むしろ当然の措置といえます。その一方で……」


 レオンの指先が、摘まんでいたペンをぱっと解放した。『ラフィア』の受験者をしめす小さな円めがけて突き刺さったペン先から、黒々としたインクがじわりと滲み、円の形を歪に塗り潰してゆく。


「ラフィアの正規軍は、アルフォンス王子の護衛の役目を果たすどころか、自身に襲い来る魔物をも王子に誘導していました。自国の聖騎士候補を合格させるべく同行する人間の行いとしては、不自然どころか異常です」

「……わけがわかりません。次代の国王を害することで、彼らになんの有益があるというのでしょうか」

「ありません。少なくとも、政治と金銭の両面においては裏をとりました。後者はフェルミーナとルーレインも併せて怪しい点は見当たりませんでしたし、前者に関しては第十七王女ポーラとの継承者問題がありますが、本人はまだ幼いうえ、実親は権力欲にきわめて無頓着なお方ですので、その線も考えにくいかと思います」

「はい、それは私が保証します」


 フレデリカに向けられたレオンの評価は、期せずメイベルの高揚と信頼に繋がった。語らずも同行と協力を心に決めた彼女が、最重要ともいえる鍵を求めて口を開いた。


「そのラフィアの正規軍ですが、何か特徴はありませんでしたか? たとえば身体的であったり、或いは魔力であったり――」


 あえて焦点をずらしたメイベルの問いかけは、言葉よりも迅速に回答を得た。生気に溢れた琥珀色の瞳の奥、流れ星の如く瞬いて消えた動揺の色を、メイベルの紅緋色が捉えて察する。

 気付かれたことに気がついたレオンが、脳裏に過った恐怖を誤魔化すかのように、荒々しく髪を掻きむしった。


「ラフィアの連中が宿していたあの魔力、あれは人間に……いや、生物が持つべきものじゃなかった。喩えるのなら……」

「……何十人、何百人もの魔力を無作為に混ぜたような、異様な魔力でしたか?」


 言い淀んだレオンの比喩を、メイベルが淀みなく、かつ正確に継ぐ。

 確信を確固たるものにするためのメイベルの問いに、レオンが身を跳ね起こした。


「あ、ああ。貴女も、奴らと接触を……?」

「はい、それはもう。あの魔力のことは片時も忘れたことがありません」


 応じて笑んだ首から上と、膝の上で軋んだ拳が、白黒のコントラストを描く。

 静かに首飾りを手繰ったメイベルが、その細い指先で、沈黙を貫く銀の装飾をそっとなぞった。


「……ぜひに協力させてください。これは私たちの問題でもありますので」


 前半はレオンに向けて、後半はファウストへの牽制に。

 ふたつの意味をもって協力を申し出たメイベルの目の前で、レオンが嬉しそうに立ち上がる。

 握手を求めて差し出されたその手は、だが、ふたたび舞い込んだノックの音に引きつり、体ごと動きをとめた。


「メイベル、少しいいですか?」


 扉越しに響いた問いかけに次いで、施錠していたはずの扉が音もなく押し開かれる。滑り込むように現れたファウストが、不機嫌をあらわにしたメイベルを手で制しながら、呆気にとられるレオンに向き直った。


「レオンハルト王子殿下、ひとつお伺いします。今宵ここにいらしたということは、今現在、なんらかの試験が行われているわけではないのですよね?」

「……え? ええ、本日は各々で魔物に対処するのみですが、それが、何か……?」

「たった今、その試験会場で動きがありました。急いだほうがよいかもしれません」


 眉を顰めたファウストがもたらしたその情報に、レオンが言葉を亡失する。

 掛けられた彼の外套を手にとったファウストが、立ち尽くす彼を催促するかのようにそれを差し出した。



……

…………

………………

………………………



 インクをぶちまけたような墨色の夜を、小さな光点が縫って舞う。

 決意を秘めた色濃い紅緋色がふたつ。やや遅れて、薄い困惑を浮かべた琥珀色がひとつ。深く暗い森の中を、一路、西へと突き進んでいた。

 先陣を切るファウストの背を視界におさめたレオンが、おそるおそるとメイベルに近寄った。


「……メイベル隊長、ひとつお伺いしても……?」

「はい?」

「喫緊ゆえ触れませんでしたが、あちらのお方は一体……?」

「……あー……えっとですね……」


 懐疑が二割、混乱が八割。そんな目の色を滲ませるレオンの様子を窺いながら、メイベルが必死に言葉を模索する。

 だが彼女は、彼女自身が自覚している以上に不器用で、そして何より嘘のつけない性格をしていた。


「私がお世話になっている孤児院の院長先生です」

「……孤児院の……?」

「あっ! でも大丈夫です! 私より強い方だと思うので……!」

「…………なるほど?」


 ラフィア最強の戦士と謳われるメイベルを凌ぐ、孤児院の院長。

 混乱を避けるために問いかけた質問に混乱させられたレオンは、ひとり静かにラフィアの複雑な事情を悟り、思考を停止させた。


 やり取りを静かに聞いていたファウストが、口下手なメイベルに向けた苦笑をふいに消し、いよいよ光芒を増す景色を前に足を緩めた。


「お二方とも、間もなく目的地です。十秒後に魔力を断って、私の傍に来てください。境界線近くですので忍ばずともよいでしょうけれども、念のため、ここから先は結界を張って接近します」


 場を引き締める声に無言を返したふたりが、きっかり十秒後にその元に身を寄せる。一息ののち展開された青白い薄膜が、圧迫感すら覚える魔境の空気から三人をやわらかに隔絶した。

 間もなく木々の数が薄れ、聳え立つ境界線の光が視界を晴らしてゆく。その先に散らばっていた野営と戦闘の痕跡に目をやったファウストが、不審げに片眉を吊り上げた。


「……これは……」


 応じたふたりの纏う気迫が、補足の要がないことを密やかに語る。

 やや距離をおいて設営された、各国の野営跡。三角を描く陣形の周辺は見晴らしもよく、有事には互いに背を預けて戦うのであろう光景が容易に想定できた。

 だが、なぎ倒された大木も、陥没した地面も、両断された岩石も、激しくも生々しい戦闘の跡のすべては、その陣形の内側に広がっている。


 仄暗い三人の憶測は、目を凝らした先に散らばっていた。

 戦闘において破損したのであろう、地に転がる壊れた装具の数々。異なる意匠がほどこされたそのなかに、ラフィアのものはひとつたりとて見当たらない。


「…………」


 三人の足取りが、同じくする内心を現すが如く、荒れた地を重く擦る。

 やがて辿り着いた境界線の眼下、支え合うように倒れ伏した大木。研ぎ澄まされた三人の聴覚が、その奥から漏れ聞こえた話し声を同時に捉えた。


『片は付いたか?』

『ああ、一人残らず始末した』

『ふふふ、この魔力の前では赤子も同然よな』


 瞬間、レオンが剣鞘に手を添えた。飛びだそうと跳ねたその肩を押さえたファウストが、口惜しげに首を振って静観を促す。


『最終試験として境界線に身を投じた受験者全員が死亡。その結果に憤った関係者が殺し合い、同じく一人残らず死亡』

『そしてひとり生き残ったレオンハルト王子に罪を着せ、かの国の成長を鈍らせる。代償は無力な王子ひとり。この脚本は――』

『――我らの死によって、完結する』


 語尾に、白刃を抜く澄んだ金属音が続いた。


『国王陛下よ、永遠なれ!』


 朗々たる三重奏と、重い物が崩れ落ちる音。

 事態を察したファウストがゆっくりと顔を覗かせ、ややあってふたりに追従を促した。


「……間違いありません。ラフィアの試験監督者と、それに追随していた者たちです」


 まだ血の気のある死体を前に、レオンが掠れる声を懸命に絞り出す。

 掛けるべき声を失った龍たちに一瞥すらくれず、震えるその両脚は、なだらかな傾斜の先にある光の壁へと向かった。

 自殺を図るかのようなその行動は、だが、道半ばに身を乗り出したファウストに行く手を阻まれた。


「通してくれ」

「できません」

「頼む。親友がこの先にいるんだ。調べもせずに諦めるくらいなら、せめて責任を――」


 丁重な言葉遣いを投げ棄てたレオンの悲痛を、清かな水音が濯いだ。

 よもや、と耳目を集めた光の壁の、迫り来るような純白の一点に、紛れもなく人間のものであろう輪郭が滲む。

 そして見開かれた三人の双眸が、黒い外套に身を包んだひとりの少年の姿を確かに映した。


「――セイジ! 大丈夫か?!」


 ファウストを押し退けて川辺へと駆けたレオンが、頼りなげに歩み寄るセイジの両肩を力強く掴んだ。指先に伝わる体温に脱力したのも束の間、後続のない水音にはっと息を呑む。


「……リズベットは? アルフォンス王子は? 他のみんなは……?」


 非情、なれど切実な問いに顔をあげたセイジが、ひび割れた唇をゆっくりと開く。声にならない声に代わり、深淵を映したような黒い瞳が、そこに滲んだ透明な雫が、すべての答えを黙して語っていた。


「……メイベル、こちらへ」


 居竦むメイベルの肩を叩いたファウストが、静かに踵を返す。

 無力感に苛まれながら、しかし何をすることもできない彼女は、泣き崩れるふたりに頭を下げてその場を後にした。


「私はこれからフェルミーナとルーレインに向かい、戦争に至らぬよう手を尽くします。貴女はラフィアに残り、各国の最前線にて諍いが起こらないよう、同じく最善を尽くしてください」


 淡々と、粛々と。

 何の変調もなく告げられた命令に、悲哀から一転、メイベルの瞳が烈火を灯した。


「承服できません。これだけの非道を尽くされ、私たちはなお傍観することしか――」


 歯を食いしばって顔をあげたメイベルが、冷徹に聞こえたその実、燃え盛る激情を堪えたファウストの様子に気圧され、口を噤む。


「もう一点、これは命令です。例の魔力を纏うラフィア兵を見かけたその時は、貴女の全霊を以てして、この世から抹消してください」


 命令、と。

 国を守ることに先んじて下された役目に、メイベルがおそるおそると問いを投じた。


「……捕縛ではなく、抹消、ですか?」

「はい、私が許可します。奴らが無辜の人々に対しそうしたように、不出来な龍の魔力をもって人に害なす不届き者どもを、一人残らず殺してください」

「承知しました。ご武運を」


 新たなる任と確固たる意志を胸にしたふたりの龍は、その会話を最後に背を向け、それぞれの向かうべき先へと旅立っていった。

 そのおよそ三ヶ月後、ラフィアが二国に向けてアルフォンスの死に責を問う趣旨の声明を発表。聖騎士候補者、ならびに国内きっての実力者たちを喪った二国もまた、この意に対し徹底抗戦する姿勢を示した。


 厳冬を前に冷え込んだ国家間の関係は、人智を超越した彼ら彼女らの奮戦むなしく悪路をひた走った。

 そして声明からおよそ一年半後、ささやかな諍いに乗じて産声をあげた憎悪の芽は、ほどなく戦争という忌むべき果実を産み落とした。

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