9-32 白き黒幕
明くる日、炎天を鈍らせる厚雲たちこめる昼下がり。
時も場も、およそ密会の場としてはふさわしくない孤児院にて、ポーラが”お医者さま”と呼ぶ人物について、早々の議論が行われていた。
国王の主治医、ないしそれに近しい身分にあること。
ポーラ曰く、体を診察された直後から、魔力に変化が訪れたこと。
そして、メイベルとファウストに雰囲気が――より具体的には、魔力が――酷似していること。
共有された最後の項を耳にしたファウストが、協力者たるフレデリカとヘイゼルが辿り得ないひとつの可能性を悟り、ひとり眉根に険を纏った。
少女の言う魔力の雰囲気とは、膨大な量と種類の魔力を身に宿すがために生まれた、龍族の特徴のことに他ならないであろう。
それが真実であるのなら、その医者はかつて現れたあの兵と同様、装置の被験者である可能性が極めて高い。
より直接的な推察、すなわち、医者が龍族の一員である、という仮説については、ファウストはすでに棄却を済ませていた。
そもそも、現存する個体数がきわめて少ない龍族のことである。
担当地域と名のすべては女王が記憶しているうえ、その紐付けと成果を確かめるファウストの巡回調査は、”転移”の異能を持つ龍族サティによって抜かりなく補佐されている。
年単位で任地を離れようものなら、すぐさま調査され、特定され、なんらかの処分が下されることは明白である。
これらのことから、その線は、考慮の前段階にて否定されるべき選択肢である。
それが、医者の姿形すら不透明な現状、それでも導かれたファウストの結論であった。
「……さて、被害者とみるか、加害者とみるか……」
「え?」
「…………?」
複雑きわまりない胸中が言葉に変わり、音を帯びてファウストの口から滑り出す。小首を傾げたヘイゼルの横合い、フレデリカの目元が訝しげに引き締まるも、口に出しては何も触れられなかった。
「いえ、すみません、独り言です。ポーラ王女のお体ですが、私の見たところ、魔力に不審な点はみられませんでした。ひとまずは、彼女の身を件の医者から遠ざけることが先決でしょう。それには、アルフォンス第一王子の――」
誤魔化すように首を振ったファウストが、みずからの正体を告げることなく、当座の問題点を解決すべく口火を切る。
その、横合い。
「…………」
厳かに始まった会話に応じたふたりの視線に混じって、もうひとつ。
わずかに開いたままの扉の隙間、覗いた橙黄色の瞳が静かに、だが明瞭な好奇の色を帯びて瞬いた。
……
…………
………………
……………………
「……むー……」
院長室へと続く廊下の奥、扉に密着して聞き耳を立てていたポーラが、紅のさす頬を熟れた果実のごとく膨らせた。
やがて扉を揺らさぬよう身を離した彼女は、小さな体に似つかわしない大きな溜息を吐ききって、大人を真似たような大げさな仕草で肩を竦めてみせる。
「だめね。結界越しじゃ何言ってるかさっぱりわかんない。出直そっと」
すぱりと諦め、思考を切り替えた彼女の体が、振り返った直後に氷結した。
視線の先、今まさに駆けつけてきたのであろう、息を切らしたアルフォンスが、鏡映しのように足を止める。
「ポーラ……? そこで何やってるの?」
彼女自身のことながら、彼女自身の耳に入れることは決して許されない密談。ゆえの詰問めいた彼の気迫は、だが、世のあらゆる穢れを知らないポーラには通じなかった。
「盗み聞きしてるの。失敗したけど」
「…………」
「もう行っていい? 私が聞きたそうにしても誘ってくれないってことは、どうやっても教えてくれないんでしょ?」
「……うん……」
年相応の素直さだけにとどまらず、母譲りの快活さをもって会話を主導するその手腕に、アルフォンスが思わず道を譲るように後ずさる。
もはや今更隠すまでもない、とばかりに堂々と立ち去る小さな背が、開けた扉の前ではたと動きを止めた。
「いちおう言っておくけど、怒ってるわけじゃないからね? アル兄やお母さんが私のためを思ってくれてるってことくらい、ちゃんとわかってるから」
一気に言い切ったポーラは、返す言葉を拒絶するかのように「それだけ!」と続け、猫のようにするりと扉を潜り抜けていった。
「……もっと頼られるような立派な人間にならないとなあ……」
取り残されたアルフォンスは、息を切らすほど急いでいたことも忘却し、聖騎士を目指す決意を新たにした。
……
…………
………………
……………………
「ポーラちゃん、僕と遊ぼう!」
「やだ! おねえちゃんは私と遊ぶの!」
院長室の盗聴を断念したポーラは、院内にて待つことにどこか引け目を感じ、しかし正面玄関の先から漏れ聞こえる無邪気な笑い声に、はたと行き先を転じた。
アルフォンスに告げた言葉に偽りはなく、しかし子供たちと泥に塗れて遊ぶ心境でもなかった靴先が、自然と裏口の方角へと向かう。
ここならば、子供たちに見つかることはないだろう。
安易なその目論見は、忍び足とともに扉を閉めた二秒後に打ち砕かれ、彼女の身は十を数えぬうちに子供たちの輪の中に引きずり込まれた。
「わかった。わかったから、ちょっと離して。私、ほんと暑いのだめなんだって」
観念しなさい、とばかりに雲が薄れ、隙間から降り落ちた陽射しが、億劫に引きつった表情を皮肉にも明るく照らし出す。やがて素直に観念した彼女は、純白の地肌をじりじりと焦す光の親元を忌々しげに見上げながら、ぼんやりと伸ばした指先に意識を集中させた。
「ああ、もう。きょうは一日曇りだと思ってたのに……」
地下城塞である王宮にて生まれ暮らすポーラにとって、酷暑の季節の陽光はさながら天敵のような存在であった。
木陰にふらふらと身を寄せながら、自分と同じく陽光と馴染むはずのない氷の魔力を展開し、気休めながらも心地よい涼感に浸る。
その始終を見ていた子供たちの目の色が、地上の陽さながらにぎらりと輝いた。
「ポーラちゃん!」
「…………んあ?」
およそ王女とは思えぬ反応をこぼしながら、ポーラはふたたび輪をなしはじめた子供たちを訝しげに眺めやる。いつかポーラに押し倒された大柄な男の子が、白肌に寄り添う氷の結晶をぴんと指さした。
「それ、僕たちにもやってほしい!」
「え? 氷の魔法? 構わないけど、あなたたち、これくらいの暑さは平気なんじゃないの?」
「平気だよ。けど、近くで魔法を見るのが初めてだったから……」
「ふぅん……?」
渋るような声に反し、頼られたことに気を良くした頬がふにゃりと緩む。木の幹に預けていた体をすっと離し、期待にざわめく視線を背に感じながら、半円をえがく輪の外側に歩を向けた。
「んー……あ、あれでいいわ」
無意味に広い敷地に巡らせた視線が、ほどなくしてお目当てのものを見いだした。
建物と塀のちょうど中間地点、庭園とは名ばかりの何もない砂地の上に、ぽつりと残っていた切り株。境界線の影響が比較的軽微であった土地といえど、濃度を増した魔力に耐えきれなかったのであろうその名残に、すっと手のひらを翳す。
「離れてなさい」
すっかりその気になったポーラが、体中の魔力を手のひらに集約させはじめる。きょとんと小首を傾げた子供たちの瞳に、青白い蛍火を思わせる鮮やかな氷の魔力が映りこんだ。
魔力はやがて切り株の上に留まると、その形に添った木の輪郭を空へと伸ばしはじめた。朧気だった造型が、根から順に明瞭な線を描き、見透かせるほどに透明度の高い氷の樹木へと形を変えてゆく。
「わぁ……!」
ぐんぐんと生長を続ける樹木を前に、子供たちが好奇と驚愕の入り交じった歓声をあげる。それを耳に深まったポーラの笑みは、だが、すぐさま不審に歪んだ。
「……あれ……?」
すでにポーラは魔力の注入を終えていた。にもかかわらず樹木の生長は一向に勢い衰えず、かつての背丈をやすやすと越え、孤児院の屋根さえ凌ぐほどの大木となって、なお伸びていく。
五月雨の如く続いていた黄色い歓声が、やがて仄暗いどよめきに色彩を変え、ふいに響いた大きな破砕音に引き裂かれた。
みずからの重さに耐えきれなくなったのだろう。肥大化を繰り返していた氷の幹、その中心に、稲妻のような亀裂が走り抜けた。枝分かれをはじめた亀裂を追いかけて、枝葉を模した先端部が、細く脆い箇所から順に欠け落ち、破砕音のハーモニーを奏でてゆく。
「…………っ!」
次に起ることを悟ったポーラが、慌てたように駆け寄り、魔力を解き放つ。
倒れ伏そうと揺れる幹の表層を、さらなる魔力で覆う。その努力は果たして報われず、数秒ともたずに砕け落ちていった。
――せめて、子供たちだけでも。
そう願い、持ち上げた脚が、その場でがくりと脱力する。
魔力を過剰に浪費することによって起こる魔力欠乏症、その前兆ともいえる症状に襲われたポーラが、それでも地面に爪を立てて顔を持ちあげた。
「逃げてっ!!」
悲鳴まじりの声は、半ばで砕け折れた樹木の悲鳴にかき消され、居竦むばかりの子供たちの耳には届かない。みずからの虚栄心が招いた事態を前に、ポーラは静かに目を伏せ、背に迫る贖罪の時を静かに待った。
果たして、その瞬間が訪れることはなかった。
「…………え?」
閉じた瞼の向こう側、花咲き散った眩い光に、ポーラはおそるおそると目を開いた。聳えていたはずの大樹の姿はそこになく、代わって、名残を思わせる冷風に白衣をはためかせる男性の後ろ姿が目に留まった。
「無事ですか、ポーラ」
虚空へと手を翳していたその人影は、みじかい溜息をひとつ挟み、人のよさそうな穏やかな笑みをポーラに差し向けた。
「先生!!」
鮮やかな紅緋色が覗く細い目と、陽を跳ねて白銀に輝く、生気あふれる頭髪。父たる国王の主治医であり、魔力の指導を名乗り出てくれた医師の姿。
逆光のなか、見慣れたその風貌を確かめたポーラの表情が安堵に緩み、次いで弱々しく唇を閉ざした。
なぜ、どうしてここに、といったささやかな疑問に先んじた罪の意識が、彼女の二の句をかたく封じ込めたのだ。
「……よかった。どこにも怪我はないようですね」
慈しむような声に次いで、口惜しげに揺れた癖のあるグラデーションが、ぽん、と撫でつけられる。悲痛に顔を合わせたポーラの前で、先生、とそう呼ばれた白衣の男が、内心を読み取るかのように口元を綻ばせた。
「気に病まないでください。あなたはまだ、あなたの力を使いこなせていないだけです。失敗を重ねながら、ゆっくりと身につけてゆけばよいのですよ」
「……でも……」
「そのお手伝いをするために、私がいるのです。どうか顔をあげてください」
「…………」
居た堪れない様子をわずか解したポーラの前、ふいに眉を八の字に寄せた男が、自身の唇に人差し指を添えてみせる。
「それと、私がここに来ていたことはどうかご内密に。立場上、あまり白日の下で魔力を晒したくありませんので……」
「……わかった。ありがとね、先生」
「いえいえ。あなたが元気に育ってくれることこそが、私の喜びですから」
そう言い告げた男は、ちらりと孤児院を流し見てから、白衣を靡かせて颯爽と跳躍してみせた。高い壁の上で恭しく一礼すると、事もなげにひらりとその場を後にする。
人気のない路地の裏、軽やかに着地した男が、積み上げられた煉瓦壁をゆっくりと振り仰いだ。
「……人間はよいですね。愚かながら美しく、そして可能性に満ちている」
こぼした独り言は微笑をまとい、緩めた口元の角度は、ポーラに向けていた穏やかなそれを保っていた。
異なるところがあるとするのならば、ただ、ひとつ。
「やはり、僕たちは何も間違っていなかった。そうですよね、ファウスト主任……?」
煉瓦壁の向こう側、騒ぎを耳にして駆けつけたファウストの姿を、三日月によく似た双眸が確かに見据え、捉える。そこに宿る紅緋色に、ひときわ強い光が瞬いた。
巨大な氷の樹を瞬時に溶かしてみせた、燃えたぎる心を映すかのような魔力。
それは、復讐の炎のようにも見えた。




