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境界線上の魔王  作者: 羽山一明
第九章 『昏き追憶の水底にて』
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9-31 潜む影

「ただいま戻りました、ファウストさま――」


 長く厳しい任期を終え、孤児院へと舞い戻ってきたメイベルの声が、不意にぷつりと途切れた。

 汗水と土埃にまみれていた視線が、ファウストと肩を並べるもうひとつの人影をみとめて、純白の輝きを取り戻す。


「ヘイゼル!」

「おつかれさまです。おかえりなさい……で、いいんでしょうか?」

「よろしいんじゃないでしょうか」


 気恥ずかしげに迎え入れたヘイゼルに、ファウストがくすりと同調をしめした。嬉しそうに歩み寄ったメイベルが、はたと足をとめ、室内をぐるりと見回す。


「あれ……? おひとりですか?」

「はい。はじめはお母さんに魔法を教えてもらっていたんですけども、あまりうまくいかなかったので、最近はこんなふうに先生に教わっているんです」


 ぴんと伸ばしたヘイゼルの指先、生まれた青白い魔力が膨張し、みるみるうちに部屋いっぱいを埋め尽くす球体と化した。ファウストの結界を思わせるその出来に、メイベルが両手をあわせて喜色を弾けさせた。


「ここまでの結界を、これだけの短期間で……!」


 短期間、と、こぼした言葉を耳にしたファウストが、ひとり眉を寄せる。

 直後、メイベルの感嘆を裏切るかのように結界の膜が弾け、やや遅れてがくりとヘイゼルが肩を落とした。


「はい、落ち込まない。あと一回、同じ要領でやってみましょう」

「はーい……」


 苦々しげに応じたヘイゼルの額に夥しい量の汗が滲み、数条の雫が頬を伝って垂れ落ちる。努力の結晶たる煌めきを見つめていたメイベルが、何かを思い出したように首をかるく振り、緩んでいた口元をきゅっと引き締めた。


「……ではなくて! ひとりでここまで通っているのですか?! 護衛も――」


 跳ね上がった声は、慌てて身を乗り出したヘイゼルの手のひらによって中断させられた。

 ほぼ同時に結界を展開したファウストが、わずかに生じた外界との隙間、飛び込んできた雑音にふと顔をあげる。つられてヘイゼルが、やや遅れ、口を塞がれ赤面していたメイベルが、それぞれファウストの視線を追いかけた。


「……何かあったようですね。少し様子を見てきます」


 手でふたりの会話を制したファウストが、ひとり足早に外へと駆けていった。

 残されたふたりは、かすかに聞こえる子供たちの甲高い声に顔を見合わせ、不穏な面倒事の類ではないことを頷き合ってから、その後を追いかけた。


 果たして、騒動は孤児院の庭園で起こっていた。

 駆けつけた三人が目にしたのは、芝の上を走り回る子供たちの群れのなか、貴族令嬢然とした小柄な女の子が、見上げるほど体格の異なる男の子に向けて体当たりをした、その瞬間であった。


 不意を突かれたのか、はたまた女の子が予想を超えて逞しかったのか。男の子は突撃されるがままに横転し、女の子ともども二度三度土の上を転がり回った。

 見るからに上物の衣服を泥だらけにしながら、馬乗りになった女の子が晴天を思わせる笑顔を浮かべる。


「捕まえた! 私の勝ち……よね……」


 勝利宣言の半ば、目を瞬かせ立ち尽くす三人の存在に気がついたのだろう。張り上げた声を引っ込め、緩めた口元を噤んだ女の子が、何事もなかったかのようにすっと立ち上がった。


「……君は……?」


 見慣れないその子に首を傾げる大人たちをよそに、女の子はヘイゼルにずいと身を寄せ、呆然と見つめ返すばかりの鼻先をまじまじと眺めやる。


「あなた、ヘイゼル・ベルリッツ……で、間違いないわよね?」

「え、うん……?」


 答えるや否や、ヘイゼルの腕が泥だらけの掌にがしりと捕えられる。力強い握手の奥、感覚だけが掴んだ懐かしい魔力の気配に、少年はひとり先んじて彼女の正体を知った。


「……君、もしかして、ポーラ?」

「正解よ。お久しぶり、でいいのかな、お兄ちゃん?」


 嬉しそうにはにかんだポーラの横合い、ふらりと割って入ったファウストが、額に当てていた掌を、発言の許可を求めるかのように持ち上げてみせた。


「失礼、王女殿下。どなたの案内でこちらまで……?」

「案内なんかいないわ。抜け出してきたんだもの」

「抜けっ……!」

「お勉強ばかりで退屈だったんだもん。あんな穴倉みたいなところでじっとしてたら、頭からキノコが生えてきちゃうわ」


 だから、また会いに来るわね、と。

 護衛はおろか、案内すらなくこの場を突き止めてみせた才女は、絶句する一同の前であっけらかんと継いだ。


 教育上という名目のもと分かたれた、実質上の人質。

 その檻からあっさりと抜け出してみせた幼子の姿に、ファウストはいつかのフレデリカの姿を悩ましげに重ねた。



……

…………

………………

……………………



「五勝十敗、かあ……」


 溜息がてら、剣帯を脇に置いたアルフォンスが、投げやりな様子で地面に大の字になった。そのすぐ横合い、膝を立てて座り込んでいたフレデリカが、戯れ合う子供たちに向けていたはにかみを、意地悪そうな苦笑に差し替えた。


「なんや最近悔しそうやな。負けてもしゃーない、みたいな顔しとった最初の頃からはえらい違いやね?」

「…………」


 からからと笑うフレデリカを見つめる瞳に、距離感に関しては、あなたも人のことは言えませんよ、と言いたげな色がぱっと仄めく。

 反論を紡ごうとしたアルフォンスは、しかし口先での分の悪さを思い出したか、不満げに口を閉ざした。


 ふ、と。彼女から逸れた瞳が、何も映さない天をむなしく仰ぎ見た。何かを言いたげに口を噤むそのさまに、フレデリカも笑いをおさめ、沈黙が破れるその瞬間をじっと待った。


「……フレデリカさん、僕、聖騎士資格試験を受けようと思うんです」


 待ちわびたはずの言葉は、だが、フレデリカの聴覚にすんなりと受け入れられることはなかった。

 数秒の間をおいて反芻を終えた表情が、険しく歪んでいく。


「聖騎士……って、あの……あれか?」

「はい。時に国王すら凌ぐ特権を与えられる、騎士のなかの騎士に与えられる称号です」

「そんなこと知っとるわ。あたしが言いたいのは、その前段階、試験のほうや!」


 聖騎士資格試験。

 華々しい特権に先んじて、受験者の数割が再起不能、ないし命を落とす、という悪名が先行するこの試験は、別名“死の試験”とも揶揄される、人類史上最悪の試験とうたわれている。

 王宮暮らしである自分ですら耳にするその実体を、受験を志す者が知らぬはずがない。そう思い至り声を荒げたフレデリカを制するように、アルフォンスが重々しく口を開いた。


「……このままではいけないのです。陛下が病に臥せられて久しく、フェルミーナがますますの隆盛を迎える今、現状維持はすなわち衰退を意味します。そして私は第一王子です。我が身を可愛がるあまり、選びうる可能性から逃げだすような臆病者に、民の信頼が向けられることはないのです」

「…………」

「お願いします。非才なこの身には分不相応な挑戦であることは自覚しておりますが、どうか師として送り届けてはいただけないでしょうか」


 目下であろうと、礼を失したと知れば素直に頭を下げる。そんな王子が、重ねた視線を離すまいと見据え、青い瞳に焔を灯して唇を引き結んだ。

 まさしく一世一代の決断を腹に据えるそのさまに、フレデリカが荒々しく髪をかき乱す。


「……その話、あたしが止めたら諦めるんか?」

「その時は、改めて実力を磨き、あなたの意志決定を実力で覆してみせます」


 淀みない王子の返答に、フレデリカの口元がいつもの調子を取り戻した。


「言うたな? 血反吐のひとつやふたつ、覚悟せえよ?」

「はい。ただし、もし私が合格した、その暁には……」

「おかーさーん!! 私とも手合わせしてー!」


 不意に割って入った愛娘の声に、フレデリカがぱっと視線を転じる。

 力尽き、腰を下ろしたヘイゼルのそばにいたポーラが、嬉しそうに剣を抜いた母親に向けて腕を交差させた。


「剣じゃないの! あれ使ってほしい!」

「……あれじゃわからへんよ。何?」

「メイベルが言ってたやつ! お母さんがもともと使ってたっていう……」

「あ? 鎌か? いうて手元にはあらへんし、そんなんいきなり言われても――」


 瞬間、フレデリカの拒絶を、凛とした鈴の音が断ち切った。

 頭上へ翳したポーラの手のひらが、眩い魔力の閃光を放った。数度の瞬きののちに燐光と化したそれは、やがて形を変え、フレデリカの脳裏を投影したかのような巨大な氷の鎌を象った。


「これじゃだめ?」


 にべもなく掲げられた氷と同じく、六条の視線が零度を伴って突き刺さる。

 ひとり平常を保っていたポーラが、立ち尽くす母親に「どう?」と鎌を差し出した。


「……ああ、うん。ええ感じやな……。けど、ちょっと休憩してからでええか?」

「もちろん。じゃあ、それまではお兄ちゃんに相手してもらおうかな?」


 くるりと振り返ったあどけない笑みに、息も絶え絶えであったヘイゼルが短い悲鳴をあげる。

 駆けていく小さな背を見据えたフレデリカが、肩を並べたアルフォンスをさりげなく見遣り、すぐに視線を戻した。


「……なあ、ポーラの検査結果って……」

「……魔力量は特筆すべき数値ではなかった……はずですが……」


 フレデリカにとっては遙か過去、なれど、未だ鮮明に思い出せるほど記憶に刻まれた、不気味な魔力を纏う兵との出会い。

 半ば強引に引き離されたポーラのその後について、一同がもっとも危惧していたのは、彼女がその兵士のように人体実験の標的にされる可能性であった。


 元凶たる装置は破壊されているものの、実験そのものが中断されているとまでは言い切れない。

 それが、一同が共有する現状認識であった。


 そこでアルフォンスは、彼女自身の周辺にではなく、彼女がいずれ連れて行かれるであろう、魔力量を検査する機構の側に手を加えた。

 麾下の人間のみならず、存在すら秘匿されている密偵部隊を送り込み相互監視をさせ、さらには彼女の検査予定日に視察を重ね、偶然を装って立ち会うという徹底ぶりであった。

 結果、誰よりも早く末妹の資質をその目にした彼は、資料の捏造を要さなかったことに人知れず胸をなで下ろした。


 凡才な魔力量に興味を失したか、彼女の拘束は目に見えて緩み、周囲に怪しい影が現れることもなかった。

 自立心とともに芽生えた好奇心からなる脱走劇を皮切りに、ポーラは自由を取り戻し、当座の不穏は朝日の下で霧消を遂げたかのように見えていた。


 その安寧にふたたび影を落とす光景に、心をすり減らした当人たちが納得するはずもなく。


「……アルフォンス、次、いつ会える?」

「……急ぎ、調整します」


 言外に孤児院での密会を仄めかしつつ、あくまで平静を装いながら、無邪気に互いを高め合う子供たちをじっと見据える。

 そんな親たちの内心を知る由もないポーラは、晴天の如く曇りのない笑顔をヘイゼルに投げかけてみせた。


「お兄ちゃん、いつまで休んでるの? 早く立ってよ!」

「いや、まだ動けないから……というか、なんでポーラはそんなに元気なの……?」

「なんでって言われても……。あ、でも、お父さまのお医者さまに体を診てもらってから、体が軽くなった気はするかも?」


 事もなげに滑り出した回答に、疲弊に項垂れていたはずのヘイゼルが弾かれたように顔をあげた。


「……ポーラ、どこか体が悪いの?」

「ううん。でも、お父さまに『折角だから診てもらいなさい』って……」


 聞き終えるよりも早く、ヘイゼルの鼓動がひときわ大きく高鳴った。


 ──陛下は、長らく昏睡状態にあるはずだ。


 アルフォンスから聞き及んでいたはずの状況と、嘘偽りの欠片すら見えないポーラの発言。噛み合うはずのないふたつの要素に、ヘイゼルが息を詰まらせた。

 何やら様子がおかしい、と、駆け寄る大人たちの足音を背に、ヘイゼルは最後の質問を投げかけた。


「その人の、お医者さんの名前は……?」

「……んーと……名前はわからないけど……」


 重苦しい沈黙の渦中、じっと俯き考え込んでいたポーラが、得意げに顔を持ち上げ――


「雰囲気は、メイベルとかファウストにそっくりだった!」


 ――小さな唇の隙間から、極大の火種を投下してみせた。

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