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境界線上の魔王  作者: 羽山一明
第九章 『昏き追憶の水底にて』
188/212

9-29 龍と人と

 贖罪なのですよ、と――。

 誤魔化すように両手を持ち上げたファウストが、戯けるような笑みを塗り重ねてみせる。

 重苦しい空気を晴らすための不器用な気遣いは、果たして正逆の効果を招いた。


「その話、仔細を窺っても?」


 話は終わりです、と言いたげなその態度めがけ、殺意すら仄めく質疑が投じられる。

 返した視線に紅緋色の輝きを突き返され、ファウストは『簡略的に』と断っていた前言をあえなく撤回させた。


「……概ね、想像の通りだと思いますよ。被検体となった彼女は、あらゆる痛苦と治療を繰り返されるだけの道具として扱われました。実験のサイクルを早めるため、どこからか、数え切れない数と種類の魔力が仕入れられ、無造作に彼女へと投じられました」

「…………」

「不運であったのは、常人ならば発狂しうる実験に耐えるだけの魔力を、彼女が生来持ち合わせていたことです。この頃、私は『情を挟む』という理由から現場を外されましたが、残された誰一人として、彼女の異変に気がつくことができませんでした……」


 罪の自白にも等しい回想を句切ったファウストが、歳経てなお燻る後悔を溜息に変え、吐き出した。そのさまを見つめる焔の瞳のなか、立ちこめていた殺意の片隅に、小さな憂慮がじわりと宿る。


「そしてある日、ついに彼女は人ならざる存在へと覚醒を遂げました。傷は刻まれるそばから癒え、地を蹴れば空を舞う。魔力の化身ともいえるそのさまに周囲は歓喜し、装置の改善という本命をなげうって、花を愛でるかのように彼女を丁重に取り扱いました。しかし、ようやく再会を許された彼女は、私のことを含むさまざまな記憶を亡失していました」


 沈み行くファウストの口調に、曇天をしめすその表情に、メイベルは続く回想に一片の救いすらないであろうことを察した。

 秘され続けた情報の、秘される所以。それを知った彼女の心が、庇護対象であるはずの人間に対し、感じたことのない怒りと喪失感を纏い始める。


「表向き憂いて同情していた周囲の人間たちでしたが、その裏では他国侵略のための兵として彼女を利用する案を計画し、それをそのまま実験成果というかたちで上役に提出しました。見返りとして富や名声を求めた周囲をよそに、私はひとり、装置の研究継続許可を願い出ました。その後、自身を被検体とした私は、偶発的にですが人ならざる力を得ることに成功しました。生まれ変わった私は、研究所を破壊したのち、囚われの身にあった彼女を攫い、新天地を求めてシルヴィアを飛び出しました……」


 闇と汗血に塗れた記憶を語り終えたファウストが、ソファの背にゆっくりと体重を預けた。静かな空間に刻まれた木の音が、得も言われぬ緊張感をともなって残響する。


「ここまでが、私が口にできる龍の歴史です。河川地下の拠点の建設、繁栄と没落の経緯など、以降のお話については、私自身の記憶にかなりの欠損がみられますので、どうかご容赦ください」

「……容赦など……」


 笑顔で締めくくれるはずのない身の上話を、ファウストはそれでも笑顔で飾りつけた。

 裏切られ、命運をねじ曲げられ、生き抜いた永い時の果て。なお努めて人間を守ろうとするその清廉な意志に、メイベルは個人的な感情を奮い立たせていた自身を恥じた。

 若く青く、ゆえに逸れた目線に、ファウストの頬が嬉しそうに緩む。取り戻せない過去に思いを馳せていた瞳に、未来を描く後進を見守る親の如きほのかな温度が灯った。


「ヒトのように感情的になってしまうことは、決して恥ずべきことではありませんよ。彼らは完全ではないからこそ手を取り合い、営みのなかに研鑽を見いだす強さと美しさを秘めているのですから」


 揺れる心を言い当てられたメイベルが、紅の差す頬もそのままに、勢いよく顔を跳ね上げる。


「申し訳ありませんが、今のお話を耳にしてなお人間に美しさを見いだせるほど、私はお人好しではありません」

「いいえ。他人のために怒りを顕わにできるあなたは、とても美しく優しい心根をお持ちですよ。数多の生命と交流を続けている私が言うのですから、間違いありません」


 決死の反撃を満面の笑みでもって弾かれたメイベルが、もはや目を逸らすだけでは誤魔化しきれない赤ら顔を、ベールを引いて恥ずかしげに覆い隠す。

 揺れて落ちた前髪の向こう側、羞恥の滲む上目遣いが槍の如く気迫を帯びて、上官へと差し向けられる。


「今のセリフ、捉えようによっては殺し文句ですよ。他の女の人の前では絶対に言わないでくださいね?」

「……おや、それはつまり、自分にだけなら……と?」

「~~~~~~っ!!」


 揶揄うような切り返しに赤面したメイベルが、いよいよ手を出すぞ、と言わんばかりの勢いで立ち上がった。それを見たファウストが、さっと両手を持ち上げ、いとも簡単に降参の意をしめす。


「すみません、少々戯れが過ぎました。ですが、口にしたことについては偽らざる本心です。むしろ、個々が飾らずに生きてゆけることこそが、龍族の最終目標でもありますので」

「最終目標……? ですか?」


 火照った身体をソファにおさめたメイベルが、もたらされた言葉に、こてん、と小首を傾げる。


「ええ。魔力をもとに生まれる龍族は、その性質上、女王さまの影響を少なからず受けるはずなのです。しかし、先ほどのあなたのように、若い龍の振る舞いはとても感情豊かです。ともすれば、装置の後遺症を起源とする歪な影響が、時とともに緩和されているとは考えられませんか?」

「はあ……。そうかもしれませんが、それが、何か……?」

「同じように、ヒトの魔法技術も時と共に磨き抜かれています。フェルミーナでは、すでに空を自在に飛ぶ者が現れていると聞きますし、近く、龍族に匹敵する力を持つ人間が現れてもおかしくはありません」

「…………?」


 熱の籠もる怒りから一転、表情と仕草いっぱいに疑問符を浮かべるメイベルの変わりように、ファウストがくすりと笑んだ。


「人間と龍を隔てる垣根がなくなる時代が、もう間もなく訪れるかもしれない、ということですよ。そうなれば、一方的に手を差し伸べる必要も、過剰に気を使う必要もなく、それぞれの生き方を全うすることができるでしょう?」

「……あ……」

「私は、女王さま――アルティアが失ったささやかな幸せを、彼女の恋人として叶えられるはずだった未来を、もう一度取り戻したいのです。いまは持つ力の強さゆえ慎ましい生き方をせざるを得ませんが、いつか龍族の力が世界にとって特別ではなくなった暁には、ぜひともみなさんに様々な経験をしてほしいのです。たとえば、世界中を旅したり、何かを創ってみたり、恋に溺れてみたり……」

「恋……」


 開いた唇の隙間から、無意識に音が零れ落ちる。ぎゅっと瞑った目を開いた先、口元を緩めるファウストに心を見透かされたような気がした彼女の体温が、またしても急激な上昇線をえがいた。

 次いで浮かんだ表情を首を振ってかき消すと、メイベルはそそくさと密書へと手を伸ばした。


「……ファウストさま、そろそろ密書の続きに移りましょう?」

「わかりました。あ、でも、その未来が訪れる頃には彼もよい歳になっているでしょうから、世間体の心配はいらないと思いますよ」

「…………」


 隙あらば飛び出る軽口に旧友の影響を垣間見たメイベルは、噛みつくだけ労力の無駄と割り切り、溜息ひとつ、癖のついた密書の端を伸ばし始める。

 唇を尖らせるそのさまを嬉しそうに見つめていたファウストが、緩めていた姿勢と表情をふいに引き締め、浅い呼吸を挟んで口を開いた。


「メイベル」

「? はい、なんでしょうか――」


 密書に向けられていたメイベルの視線が水平に浮き上がり、静止した。

 両膝に手を突き、深く頭を下げたままの姿勢で、ファウストが言葉を続ける。


「身の上話を聞いてくださってありがとうございました。ひとり抱え続けるべき罪であることは承知していましたが、この因縁を共有することのかなわない苦しみに苛まれる時期も確かにありましたので……」

「そんな、私のほうこそ……っ!」


 直後、慌てて身を乗り出そうとしたメイベルの動きと言葉が、落雷を浴びたかのように打ち震えた。


「もしかして、このお話って、他の誰にも……?」

「はい。あ、ノインには核心に触れる直前まで話しましたが、気遣ってくれたのか、真実に踏み込むところまでは至りませんでしたね」

「……よもや、女王さまや、アイゼンさまにも、ですか?」


 言外に「信じられない」との意思表示をしたメイベルの瞳のなか、見開かれた紅緋色の湖面に、弱々しい笑みが反射する。


「あのふたりには尚更言えませんよ。魔力は所有者の記憶を含むあらゆる情報を保持する性質を持っていますから、龍の出生を担う者には絶対に教えてはならないのです」

「記憶を……?」

「はい。魔力とは見えない血液、ないし内臓のようなものであると、私は考えています。少量のやり取りであれば人体への影響は皆無ですが、仮に許容量を大きく超える魔力を強制的に注ぎ込まれてしまえば、その魔力が秘める膨大な情報に内側から飲み込まれてしまうのです」


 新たに明かされた真実と、産まれながらにあらゆる知識をもつ龍族の性質。

 ふたつの点を線で結んだメイベルは、この後に及んではあえて遠慮を避け、浮かんだ疑問をそのまま声へと変換させた。


「にわかには信じがたいのですが、記憶が魔力を媒介して他人へと流れうる、その根拠などはおありで……?」


 不可視の概念に根拠を求める意地の悪い疑念を前にして、ファウストは顔色ひとつ変えなかった。回答がわりと言わんばかりにみずからの側頭部を小突いてみせたその姿に、察したメイベルがはっと息を呑む。


「私自身、そして女王さまが身を以て掴んだ事実です。脳の中に膨大な量の知識を詰め込まれるあの感覚は言語化しがたく、もと研究者としては遺憾ながら、根拠の証明もまた不可能です」

「……ならば、女王さまも経緯をご存知なのでは?」

「いいえ。彼女は私と異なり、人間であった頃の記憶を完全に失っています。おそらく、被検体となる過程で、膨大な記憶に自我を追いやられ、文字通り龍族として生まれ変わったのだと思います」

「…………」

「仮に私が龍を産みだしたとするならば、その龍は私と女王さまの出生に連なる事実を知ることになります。そうなれば、その龍は人を守るどころか、親の敵とばかりに復讐に走りかねませんからね」

「ですがっ……!」


 立ち上がり開いた口は、しかし実のある反論を見いだせず、メイベルは静かに腰を下ろした。口惜しげに握りしめた拳から、無念をしめす赤々とした雫が垂れ落ちてゆく。


「……いえ、否定はできません。私自身、いま、ファウストさまに命を下したその者たちの子々孫々を見つけ出し、一人残らずこの世から消してやりたい気持ちでいっぱいですから」

「……すみません……」


 項垂れたメイベルに掛けるべき言葉を見いだせず、ファウストが小さく悔恨を呟く。


「謝らないでください。贖罪、と仰っていましたが、むしろ戦争を未然に防いだ功労者ではありませんか。この上、責を問われる必然がどこにあるというのですか」

「……しかし、最善を尽くしたとは言いがたく……」

「あの時ああしていればよかった、という類の後悔は、後の時代の者が俯瞰して初めて言えることです。誰しもがその時々の最善を選び抜けるのであれば、この世に後悔という言葉は存在しませんよ」


 窘めるような、慰めるような。そんな複雑な内心を込めたメイベルの声に、ファウストが入れ替わるように黙して伏せる。それを見たメイベルは、徐に立ち上がり、沈み行くその顔を覗き込むようにして隣に腰掛けた。


「ね、ファウストさま。私、今日こうしてお話くださったこと、本当に嬉しかったんですよ」

「……何故ですか?」


 鎌首をもたげる蛇のごとく、のそりと顔を持ち上げたファウストが、重々しい声をなお続ける。


「知らなくてもよいことを知る行為は、時に大変な危険を伴います。今回のことなど――」

「内容そのものではありません。私を信頼し、打ち明けてくださったその意志が、です」

「意志……」


 続く言葉をぴしゃりと遮られたファウストが、結界の蒼白を映す瞳を訝しげに開閉させる。

 朧気な反芻に首肯で応じたメイベルは、ソファに力なく項垂れたままの手のひらを両手で掬い、そっと包み込んだ。


「確かに、龍族は万能といえる存在かもしれません。ですが、与えられただけの膨大な知識と魔力に頼るあまり、すべてに対して単独で立ち向かおうとしてしまうでしょう?」

「……そうですね。しかし、少数精鋭にならざるを得ない現状、致し方ないことでしょう」

「でも、あなたは私を頼ってくださった。それは、人間として生きていこうと願う意志の片鱗といえるのではありませんか?」

「…………」

「龍と人、その間すべてに線引きをする必要はありません。時にはこうして手を取り合えばよいではありませんか」


 小ぶりなメイベルの両掌が、少し大きなファウストのそれをするりと引き寄せ、愛おしげに胸に押し当てる。

 じわりと伝わる熱と鼓動に、久しく感じる人の温度に、茫然自失のまま凍てついていたファウストの心が融けて――


「……あの……」


 ――手に感じるやわらかな感触に、彼の中の羞恥心が花咲いた。

 変わりゆく頬の色を一瞥したメイベルは、意地悪げに緩んだ口元を満面の笑みで誤魔化しながら、むしろ体ごと距離を寄せる。


「何か?」

「思わせぶりなのはお嫌いなのでは……?」

「女の子の思わせぶりな態度で、男の人が損をすることはないそうですよ」


 返す刀に二の句を両断されたファウストが、空いた右手で何度目かの降参の意をしめす。


「……わかった。わかりました。必要な時は頼らせていただきますし、そのことに引け目を感じたりもしませんから」

「ふふふ、わかればよいのですよ」


 嬉しそうに離れたメイベルの手が、卓上で放置されていた密書に伸びる。

 冷めやらぬ熱に、静まらぬ鼓動に、ファウストはみずからの中に残されていたヒトらしさを垣間見た。


 ――自分自身の、ヒトとしての幸せ。


 義務のように抱えていたヒトへの愛着を、自身の意志をもって確たるものとする。

 自己否定と宿命、それだけを掲げ生きてきたファウストが、新たなる生き甲斐を見いだした。


 ……だが、この時の彼は、まだ知らなかった。

 裏切られ、なおヒトを信じた自分の甘さを。


 底知れぬ欲の業火が、時の概念をも越え、訪れる好機を待ちわびていたことを。

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