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境界線上の魔王  作者: 羽山一明
第九章 『昏き追憶の水底にて』
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9-28 遙かなる因果

「ばかな……っ!」


 動揺もあらわに、ファウストは勢いよく卓上に手を突いた。鈍い音が響き渡る部屋の壁面、張り巡らされた青白い結界の表層に稲妻のような亀裂が走り抜け、溶けるように消えてゆく。


「あの実験に関わった者は、ひとり残らず……」


 背景を染色する蒼白に照らされたファウストの横顔が、朧げな、しかし不穏な独り言を紡ぐ。不可解なその言葉に、そこに映る表情に、自身と異なる反応を垣間見たメイベルが、確かめるようにゆっくりと首を傾げた。


「……あの実験? よもや、女王さまからの密命と仰っていた、例の装置と関係があるのですか?」


 おそるおそる、といった様子で探りを入れたメイベルの問いは、だが、ファウストの耳に届くことはなかった。取り乱す内心もいよいよ剥き出しに、透き通る白髪を容赦なく掻き毟る。


「どこかから情報が漏れたか……? いや、しかし、資料はすべて地下シェルターに――」

「――ファウストさま!!」


 呻き声を凛とかき消したメイベルの声に、ファウストははっと息を呑み、沈めていた顔をようやく持ち上げた。

 直後、喉まで込み上げていたメイベルの気遣いが、灰色の絶句にとってかわった。


「…………っ!」


 雲のように掴み所のない振る舞いと、中性的かつ若人然とした見た目に反する威圧感。相反するそれらの特徴を併せ持つファウストの風貌はそこになく、今際の際の老人のごとき虚空を見つめるその瞳が、メイベルの背筋に氷塊を滑らせた。


 動揺を超え錯乱に至る変貌に息を呑んだメイベルは、打ち震える拳に爪をたてて懸命に堪えると、左右に傾ぐばかりのファウストをふわりと抱きすくめた。生ぬるい体温を肌に感じながら、不自然なまでに浅いその呼吸を妨げてしまわぬよう、そっと身を寄せる。


 掛けるべき言葉を見いだせず、二度、三度、かるく背中を叩いたその直後、胸元に感じていた呼吸の波が変調を迎えた。次いで零れた声にならない声に、メイベルはゆっくりと身を離し、ふと目を落とす。


 憂いを帯びた視線の先、やはり俯いたままのファウストの顔色は、不調をしめす薄い灰。

 その一方、寄る辺を見失っていた焦点はそこになく、淡い紅緋色の双眸が力なく、だが確かにメイベルを捉えていた。


「……すみません」


 頬に滲む汗を振り切るように顔をあげるそのさまに、矜恃ではなく意地を見たメイベルが、不安げに歪めていた口元をきゅっと引き締めた。


「お見苦しいところを晒してしまいました。急ぎ、密書の続きに――」

「――ふざけないでください!」


 声を荒げて提案を遮ったメイベルは、ファウストの両肩を押し込むようにしてソファに座らせると、困惑に瞬いたその瞳を真正面から見据える。


「説明どころか誤魔化しにすらなっていません。そんなことで私が『わかりました』と納得し、何事もなかったのように話を続けられると、本当にお思いですか?」

「…………」

「確かに私は若輩者です。知識も経験も実力も、ファウストさまと比べるべくもない末席に過ぎません。ですが、私なりに意地も見栄も、もちろん覚悟も持ち合わせ、龍としての使命を全うしているつもりです。せめて、せめて……!」


 激昂に始まった声が、言葉を追うごとに途切れ、掠れ、悲哀に変わってゆく。

 雫の伝う頬が傾ぎ、無言を紡ぐファウストの胸元に飛び込むように縋り付いた。


「もう少し、頼ってくださってもいいじゃないですか……」


 涙色に塗れた声に気圧されていたファウストは、やがて観念したように小さな吐息をこぼし、次いで白旗を掲げた。


「……つまらない話ですよ?」


 直後、彼は五秒前の自身の甘さを呪った。


「……言いましたね?」


 咽び揺れていた金色の旋毛がぴたりと動きをとめ、ファウストの胸元を添うようにして持ち上がる。その先に広がっていた雲ひとつない表情を目にして、ファウストは漸く自分が泣き落としにやられたことを悟った。

 呼び止める間もなく身を起こしたメイベルは、そのまま対面のソファへと飛び込むと、膝に手を置いて、いかにも嬉しそうにファウストの言葉を待つ。


「あなた、ここのところ妙な知識ばかり身につけていませんか?」

「リカに教えて貰ったんです。男の人には『ここぞ』というときに見せる涙ほどよく効く、と」

「……その知識、龍族に必要ですかね……?」

「龍族だって生きているのですから、処世術のひとつやふたつくらい必要ですよ。さ、観念して口を割ってくださいな」

「…………」


 苦言を呈したい思いを堪えながら、ファウストはふっと天を仰ぎ、ややあってメイベルに目を向ける。

 視線の先、雪肌に浮かぶ無垢は、母親に物語をせがむ少女の如し。みずから明かす"妙な知識"によって、そのさまが穢されゆく未来を思い浮かべたファウストは、だが、躊躇いながらも彼女との約束を果たすことを決意した。


「……わかりました。ただし、大切なのは現在と未来で、過去はあくまで二の次です。すべての経緯を説明すると複雑かつ長くなりますので、事実だけをさっと説明しますが、それでもいいですね?」


 ぱあっと顔を輝かせたメイベルが、忙しげにこくこくと何度も頷き、ぴょんと浮かせた腰を忙しげに据える。それを横目に結界を再展開したファウストが、遠き過去に紡がれた記憶と、現代にまで至る因果の始点を苦々しげに思い起こした。


「そう、ですね。まず、密書に書かれていた男の言葉は妄言ではありません。我ら龍族は、みなあの装置――いまは亡き国家シルヴィアが秘密裏に開発した機械によって産み出された人工物です」

「……えっ……?」

「切っ掛けは、魔力という不可解な力との出会いでした。境界線の発生によって人里に流入したといわれている魔力は、過去を辿れば、今や境界線と呼ばれている河川の向こう側ではごく普遍的な技術のひとつにすぎませんでした。ゆえに、河川を跨ぐ国土を所有していたシルヴィアの学者たちは、他の三国に先んじて魔力の存在を感知し、新たな研究対象として心血を注ぎ始めたのです。それがおよそ――二百と五十年ほど前のことですね」

「…………」


 紡がれた話と現状の繋がりを想像だにできず、メイベルが愕然と硬直する。

 質疑を投げかけようと開いた唇は、しかし過去を見つめるような瞳に映るただならぬ感情を前に、静かな開閉を繰り返すことしかできなかった。


「ほどなくして、彼らは今でいうところの治癒魔法の効果をもつ装置の開発に成功しました。装置の内部に患者を格納し、体内の魔力組成を分析。そこから患部と原因を突き止め、装置を介して魔力を流し込み治療する、といったものなのですが……」

「……うまく、いかなかったのですね?」


 困惑のさなか、過去と現代にて語られた“装置”を線で結んだメイベルが、力なく途切れた声を補完してみせる。

 応じた頷きはなお弱々しく、ふたりを纏う灰色の雰囲気はいっそう色濃く室内を塗り替えていった。


「はい。ご存じの通り、人が持ち得る魔力の性質はそれぞれ微妙に異なります。当時のシルヴィアはまだその解析にまで至ることができず、ゆえに、治癒後に発生する不可解な後遺症の原因を突き止めることができませんでした。しかし、その利便性がゆえに需要は絶えず、然らば、装置の改善と実験は断行されました」

「……何故、シルヴィアはそこまでしてその装置に拘ったのですか? 現代のように魔法技術を広く流布させ、文明として習熟させてゆけばよいものを……」


 至極もっともなメイベルの疑問は、だが、厳かに首をふったファウストによって即座に否定された。


「シルヴィアは、二百五十年前から滅亡に至るまで、魔力の存在を頑なに公表しなかったのです。むろん、魔力の存在に気がつく者や使いこなす者も少なからず現れてはいましたが、彼らはいわゆる『呪術師』や『まじない師』と呼称され、あくまで得体の知れないものとして扱われていたのですよ」

「…………!」


 罪を告白するような語り部を噛み砕いたメイベルが、絶句のちに長く重い溜息を吐き出した。


『――シルヴィアが滅びんかったとしても、あの国であたしとヘイゼルが幸せになれる未来はなかったと思うわ』


 かつて、フレデリカが遠慮がちに語った、故郷での苦々しい経験。

 立場を異にする親友の苦悩が、自身の生い立ちに強く結びついていた。その歪んだ事実に辿り着いた瞬間、情報に翻弄されるばかりであった彼女の不安が、焔のごとき紅緋色の感情に塗り替えられていった。


「理解できません。いずれは時が明るみにするであろう事実を、それでも執拗に秘匿するだけの明確な理由があったのですか?」

「確かなことは言えませんが、おそらくは、魔力の有用性を加味したうえで、不透明な危険性を割り切れずにいたのでしょう。それゆえ、そのふたつを切り離すという目的の達成に至るまで、秘匿を断行し噂の火種を消して回ったのだと思います。完全なる解析のち、理論に基づいて設計された装置を適切な管理下に据える。それが叶うのならば、限りなく安全に魔力の恩恵を世に広めることができる。そう考えたのでしょう」


 結果は見ての通りですが、と、皮肉めいた呟きを吐きながら、ファウストが肩をすくめた。


「少し脱線してしまいました。シルヴィアとしては、装置の実験は続けたい。しかしながら魔力の存在は秘匿したい。そうしたことを踏まえ、研究者たちへひとつの命令が下されました」


 勿体ぶるようなファウストの語り部に、躊躇いを帯びるようなその瞳に、メイベルの脳裏に目にしたばかりの言葉が蘇る。音に出すことも憚られる彼女の予想は、果たして無情にも正鵠を射貫いていた。


「……それは、研究者たちのなかからひとりを選び、装置の欠点である不可解な後遺症を特定、改善に至るまでの被験者とせよ、というものでした。宣告された人体実験に項垂れた人の輪のなか、当時、私の恋人でもあったひとりの女性研究者が名乗りをあげました」

「……私の、恋人……?」


 掠れたメイベルの独言を、ファウストは今度こそ確と拾い上げた。


「はい。被験者となり、怪奇な後遺症の末に人ならざる身となった彼女こそ、先代龍族女王アルティアさま、その方です。そして――」


 震える声を決死に絞り出していたファウストが、ひとつ大きな呼吸を挟み、まっすぐにメイベルを見据えた。

 ふたたび蒼白を纏いはじめた指先で、とん、と己の胸元を指し示してみせる。


「――ここにいる私こそ、彼女を追うようにみずからを実験台とし、同じく人であることを辞めた責任者……。世の幸せを愚直に願い、その果てに世のすべてを危険に晒した愚か者です。要するに、龍族が世界を守る理由とは、その身に宿す遙かなる因果を拭うための、ただの贖罪なのですよ」


 厳かに語り終えたファウストが、ひどくぎこちない笑みを浮かべる。

 希薄に過ぎる表情と感情、その理由の水底を知ったメイベルには、或いはそれは泣き顔のようにも見えた。

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