2-7 疑念
「ぜっ……たい! 何か隠してるよ、あれは……っ!」
甲高い音をたてて、空のグラスが卓上に叩きつけられた。無言でそれを引き寄せ、林立したボトルのうちからひとつを抜き取って、そっと傾ける。グラスをもとの位置に押し出すと、レオンは頬を机にこすりつけたまま手を伸ばし、ひと息に飲み干してしまった。
「そのくらいにしておけ。酒は強いほうじゃないだろう?」
言いながら、じつはラベルだけが酒瓶のそれで、中身はただの水に入れ替えてある。広々とした室内はすでに酒の匂いで充満しており、本人もこの様子では、もはや何を飲んでいるのかもわからないのだろう。案の定、もう一杯、とグラスを突き出されて、またもや机に顔を突っ伏した。
「……なあ、レフィリア」
「はいはい、どうした?」
「お前から見てさ、セイジはどういう人間に見えた?」
昏睡寸前であろうレオンの口調が、気のせいかするどく研ぎ澄まされたように聞こえて、レフィリアは延ばした手をぴたりと止めた。動揺の所作をみとめたはずのないレオンが、畳み掛けるように言葉を継ぎ足した。
「こっちに居た頃はさ、あいつはそれこそ化物みたいに強かった。でも、お人好しでお節介焼きで、ちょっとだけ人見知りのする、気のいいやつだったんだ」
「…………」
レオンが言わんとすることは、それとなく推測できる。私に言わせようとしている言葉と、その目的がちらちらと見え隠れして、ちょっとだけ腹が立ったので、沈黙を決め込んだ。
夜更けに似つかわしい静かな時間は、しかし長くは続かなかった。何かを思い出したかのように立ち上がったレオンが、よたよたと部屋の扉へと足を向けた。
「待て、どこへ行く?」
「……トイレにまで同行するつもりか?」
酒のせいか、態度の問題か、うんざりとした声を残して、レオンは部屋の扉に手をかけた。むろん、泥酔者の意思など尊重されるはずもなく、レフィリアは無言でその後を追った。
長く広い回廊は陽の光とともに寝静まっており、寄り添うふたりの足音のほかは、等間隔に照らされた灯りがゆらゆらと踊っているだけであった。案の定、足取りの不安定なレオンに肩を貸して、トイレに放り込んだ。わけのわからない言葉を発していたあたり、長丁場になりそうだ。
「……ふう」
横顔に月光を浴びて、ふと空を見上げたその時であった。横合いから、人の気配と衣擦れの音を感じて、反射的に、そばの柱と調度品の隙間へと滑り込んだ。隠れる必要などどこにもない、と改めるまでもなく気がついた頃には、足音はもうそこまで迫っていた。
わずかな隙間からのぞき見えたのは、国王ジーン・フェルミーナその人であった。公務とは違った出で立ちであるものの、身に纏う雰囲気までは隠せるものではなかった。
『……そなたも月夜見か?』
背を薄氷が滑り落ちたような、言いようのない怖気を感じ取って、レフィリアは視線を転じた。
『これは国王陛下……環境が違うからでしょうか、寝付けずに体を起こしてしまいまして』
酒の場で繰り広げられていた話の渦中にあった、セイジ・ルクスリアが、まるでずっとそこに佇んでいたかのように、姿をみせた。
さすがに外していたあの鎧の下の体躯は、薄明るい月光と燭台の灯りの下で目を凝らす限り、レオンとそう変わらないであろう背格好であった。体格はがっしりしているが、筋骨隆々とまではいかない。覗き見える横顔はあどけなさすら感じ取れるが、まだ未成年であるらしいことを考えると年相応であろう。
外見からは、とても国を代表する戦士であろうことなど想像はつかないだろうが、昨日の鬼神のような戦いぶりを見たあとでは、さすがにそのような軽口は冗談でも抱けなかった。
『慣れぬ寝床のうえ、もう何年も肌に馴染んでおらぬ空気だ。致し方なかろう』
『申し訳ございません。部屋のご用意まで頂いておきながら……』
『……ふむ、セイジよ。そなたはちと真面目が過ぎる。であるからこそ、人の世に身を寄せぬ理由は深く、詮索を寄せ付けぬものがあるのだろう』
『…………』
『言ったとおりだ。そなたの意思が、そなたの心の内を吐露したいと、そう思ったときに打ち明けてくれればよい』
『……なんと申しあげますか、国王陛下も、クリスティアさまに引けをとりませんね』
一言を噛みしめるような重々しい雰囲気は、表情をやわらげたセイジのちいさな笑い声で、ひと区切りをみせたようであった。
『王たるもの、慧眼は人一倍と自負しておるぞ?』
『おそれいります……さて、私はそろそろ失礼いたします。お送りはよろしいですか?』
『いらん、いらん。我が家の中を散歩しているだけだ。気配りなどいらん世話よ』
『承知しました。では……』
深く頭をさげて、セイジは踵を返した。それを見た国王もまた、セイジに背を向けて歩き出した。
「ふむ……?」
レフィリアとセイジは、あまり面識がない。フェルミーナ王国の上位騎士ともなれば、合同の演習や訓練などで他国へ足をのばすことも少なくない。が、セイジの場合、聖騎士の称号を得るまでの昇級速度が異例に過ぎて、その機会すらままならなかったし、レフィリアは当時、フェルミーナとは反対方面の軍拠点を預かっていたので、互いに接点を持ち得なかったのだ。
セイジのことは、風の噂やレオンからの口伝で、優秀な騎士としての評判を耳に挟んでいた。いま、実際に目にしてみて、物腰やわらかで真面目な青年という前評判が確かであることがわかった。しかし、それにしても……。
「レオンは、あの騎士の何を危惧していたのだ……?」
気配も音もなく、夜闇から溶け出したように現れたことには、確かに言いようのない不安を覚えた。だが、ああまで徹底して気配を殺さないといけないほど、彼の地は厳しい世界なのだろう。
酒にあてられて、小骨のようなわずかな違和感が口に出てしまっただけなのか。
それとも、言葉にしない根拠を隠しているだけなのか。
人気のなくなった空間でひとり黙考を繰り広げていると、レオンを詰め込んだトイレの扉がおそるおそるといった様子で揺れ動いた。
「出てきて大丈夫だぞ、レオン」
音をたてないように、後ろ手に扉を閉めたレオンと顔を合わせる。
「私をダシに使って、盗み聞きしていたな?」
「……そういう風に思わせることができれば、色々やりやすくなるんだよ」
深刻な顔つきのまま、レオンは両手をあげて頭を振った。
「今回はたまたまだ。たまたま具合が悪くなって、たまたま親父とセイジの会話が聞こえた。それだけだ。常に何か企んでるとか勘ぐるのはやめてくれ」
それで? と、レオンは切り返しの口火をきった。
「改めて聞くが、セイジの印象はどうだ? 何か思うところはなかったか?」
こいつ、やはりさっきは酔ったフリをしていたな。と声に出したい思いを、レフィリアはぐっとこらえた。
「いや、君が思うような不審な点は感じなかった。魔力の力強さと静けさが、凄まじく高水準に整っているな、というくらいしか」
「そうか……」
納得したような言葉と裏腹に、レオンはいかにも不満げに髪を引っ掻き回した。
「しかし、なんだな。部外者が耳にするにしては、少々立ち入った話のように聞こえたのだが……」
「情報共有の義務化とかいうものがあるらしくてな。秘匿主義者は逆さ吊りにされてしまうそうだ」
まじめくさった声色に反して、表情はいかにも笑いこらえるように、意地の悪そうに引きつっている。
「あの件は悪かったと思っているが、何もかも抱え込みすぎるのは君の悪い癖だ。私でよければ、愚痴くらいなら聞くぞ?」
「…………」
適当な言葉を思いつかなかったのか、レオンは照れくさそうにレフィリアの頭に手をあてて、開いた扉に身を滑り込ませた。くすりと笑って、レフィリアもそれに続いた。
開いて閉まった扉の向こう側、静寂を取り戻した回廊の一角、掲げられた燭台の灯りがひときわ大きくゆらめいた。
誰もいないはずの暗がりの奥、立ち去ったはずのセイジ・ルクスリアがひとり、闇夜の奥を見透かすようにして佇んでいた。
オレンジ色の灯りをうつしこんだその瞳の奥にわずかに、だが確かに、紫色の光が音もなく蠢いていた。




