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境界線上の魔王  作者: 羽山一明
第二章 『魔王』
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2-3 作戦開始

「何をやってるんだ、あれは……?」


 みずから回答を出すべき問いに白旗をあげながら、レオンは馬上で髪をぐしゃぐしゃとかき回した。つづく兵たちも、整然とした隊列を保ちながら、やはり動揺を隠せないように声をこぼしていた。

 ──宣戦布告とも受け取れるルーレイン軍出陣の報告を受け、フェルミーナ軍はつい先日、正当な防衛措置としての出陣を宣言した。用兵上、先手を取られる不利を承知のうえで、道中さまざまな状況を想定して指揮をしていたレオンであったが、国境線の向こう側に広がる光景をいざ目にした時は、発言の語尾に疑問符を飾らずをえなかった。


「さて、これはどうするべきなのか……」


 互いの首都から国境までの道のりには、さほどの距離の差はない。特段、編隊に苦難する地形などもなく、だからこそ、時間の上で利のあるルーレイン兵たちは、開戦に先んじて防衛線を築くなり、万全の体制でお待ちかねだとばかり思っていた。

 それがどうか。


「クリスティア。やつらは完全装備でピクニックにやってきたのか?」

「そのようですわね。お兄さま、あちらを」


 付近の小高い丘のうえでは、大規模な野営の設営がはじめられていた。水をくむもの、火をおこすものなどさまざまであるが、もはや戦ごとが目的ではないことは明白であった。クリスの指の先に視線を這わせたレオンが、毒気を抜かれたように脱力して、無言のままに納刀した。出立時は近寄りがたい雰囲気を放っていたクリスも、いまは気の抜けた表情を隠そうともせず、国境の向こう側を眺めやっている。


「レオン?」


 声につられてスライドしたふたりの視線の先に、不思議そうな表情を浮かべた女性があらわれた。淡い栗色の長髪をたなびかせ、ダークブラウンの瞳に疑問符を溶かし込んで、立ち尽くすふたりを眺めやっていた。

 歳は二十歳前後だろうか。クリスより若くも見えるが、レオンより年上に見えなくもない。黒と白を基調とした軍服と、幼さの残る引き締まった顔立ちが、ごく自然に調和していた。

 それが正装であろうことに疑念を感じる者はいないだろう。彼女、ルーレイン東方軍総司令官レフィリアは、それほどまでに軍人然とした人物であった。


「これは、クリスティア王女まで。なにかの演習か?」

「……久方ぶりですわね、レフィリア。お元気そうでなによりですわ」

「……扱いの差に悪意を感じるぞ、将軍閣下?」


 クリスとレオンが、さすがに警戒しながら口を開いた。ふたりの心中など推し量るべくもない、といった様子で、レフィリアは口角をかるく吊り上げて微笑んだ。


「王子と呼んでくれるなと、そう言ったのは君自身だろう? 過去の発言には責任を持ちたまえ、レオンハルト王子殿下?」

「わかった、わかった。それで、お前はここで何やってんだ?」

「それはこちらが聞きたい。演習にしては、いささか殺気を放ちすぎているように感じる。国境警備が不安がるぞ」

「ん?」

「え?」


 奇妙な沈黙がつづいた。じっとこちらを覗き込みながら首をかしげるレフィリアからは、不審な気配はみられない。

 そもそも、奇をてらうにしても、ルーレイン軍のやりかたは度が過ぎるというものだった。防衛戦の布石だったとしても、もう少し国境から離れて布陣するか、むしろこちらの領土に侵攻して、意志を明解に表明したほうがいい。これでは、国境警備隊に通報してくれと懇願しているようなものだ。


 ――ということは、やはり。


「おれたちと、事を構えようとしてるわけじゃないんだな?」

「……君にしては面白くない冗談だな。いまや唯一の盟友に剣を向けて、こちらにどのような利があるというのだ」


 レフィリアの語尾を金属音がさえぎった。おもむろに武具を外しはじめたレオンが、草の上に積み上げたそれに腰を落とした。杖がわりに突き立てた剣鞘にだらりと腕を引っ掛けて、子供のような笑みを浮かべてレフィリアを見上げる。


「やられた。お前んとこの使者団、なかなかの食わせ者だな」

「…………?」

「聖騎士がもたらす益の独占を、武力で牽制することも辞さないようなことを匂わせていったのさ。それも、クリスが帰還した直後にな。お前の作戦も、威嚇行為に利用されたんだろうな」


 使者団は、クリスの往来を入念に監視していたわけではなかった。レフィリアの作戦行動にあわせて、軍事衝突をほのめかすような発言をしていっただけで、そこにクリスの帰還時期が重なったのは、ただの偶然だったのだ。


「……そもそも、使者を派遣させた目的は、今回の作戦内容に戦意がないことを明示するためのものであったはずなのだが……ふむ。あわよくば私と君を正面衝突させて、削り合いをさせることが目的かな」

「なんだそりゃ……身内を弱体化させて、有事に戦力が不足したらどうするつもりなんだ」

「君と共謀して、私がよからぬことを計画していると思い込んでいる人間がいるらしくてな。共倒れにでもなれば、余計なことを考える余裕もなくなる、とでも考えているのだろう。しかし、なんだな……」


 顎のあたりに指先を這わせながら、レフィリアが意味深な笑みを投げかけた。


「小細工を匂わされた程度で、開戦を断定されるとは、私の信用も地に落ちたものだな。それとも、君が早とちりしただけなのか?」


 まったくもって、レフィリアの言うとおりであった。理解したばかりの状況を改めて正論にして突きつけられても、落ち度がなくなるわけではない。

 レフィリアを真似て顎に手をあててそっぽを向いたレオンの肩を、レフィリアが慰めるようにかるく叩いた。


「まあ、紛らわしいことをした我々にも非がないわけではない。だが約された和平を破るにも手順というものがある。その規則にまで目を逸らすほど、蛮人にはなれぬよ」

「戦争をするための規則か。遵守する機会には恵まれたくないもんだな」

「違いない。ところでどうだ、目標がなくなって手が空いているのなら、こちらの作戦に手を貸す気はないか?」

「作戦? そういえば、こんな所で何をしようとしていたんだ?」


 満面の笑みを浮かべたレフィリアは、名を呼ばれて振り返った。駆け寄った兵とみじかいやりとりを済ませると、ふたたびレオンに向き直った。


「これよりわが軍は、境界線の水を汲み上げ、その調査を行う」

「……境界線の、調査?」

「おやめください」


 得意げに、しかしさすがに周囲には聞こえないように言い放ったレフィリアに対して、レオンの反応は淡白なものであった。代わって、一歩後ろでやりとりを静観していたクリスが、つづく言葉を制するように身を乗り出した。


「あれは禁忌です。人知を超えた魔法が、大自然の皮を被って座しているにすぎませんわ」

「わかっている。境界線がもつ力と、それがもたらす恐ろしさを知った上で、私はここにいるのだ」

「境界線の恐ろしさは、この場の誰よりもわたくしが存じておりますわ」


 互いに、それ以上に言葉を交わす意思を失ったように口をつぐんだ。おとずれた沈黙とともに、場の空気が冷ややかに張りつめていった。視線の火花が、あわや剣戟のそれにとって変わろうという雰囲気のなか、蚊帳の外にされていたレオンが口を開いた。


「いいじゃねえか、クリスティア」


 ふたりの耳目がレオンに突き刺さった。目を輝かせたレフィリアと相反して、クリスは不満を隠す態度すら取り繕うことなく、実兄を睨みつけた。


「ここは国境の付近です。彼女が失敗すれば、フェルミーナにも累が及びます」


 わかっておいでですか、と、クリスの視線が不足した言葉を補完するようにぎらついた。


「安い決断や思いつきというわけじゃないだろう。遠からず、緋の国の国境の件で調査する運びにはなっていたからな」


 『緋の国』という言葉がレオンの口から発された瞬間、口を開きかけていたクリスがぴくりと動きをとめた。生まれた間隙を縫うように、レオンは剣鞘をつかんで立ち上がった。


「それに、今ここでいがみ合うのは、互いの兵たちにもよろしくない。話を聞くくらいの余裕はみせてやれ」


 既に作戦行動とやらに取り掛かっているルーレインの兵たちはともかく、今回のフェルミーナの行軍は大規模な侵攻を阻止するための合戦が終着点である。

 レフィリアの視線の奥には、殺気のともなう気迫を漂わせた、命令をじっと待つフェルミーナ兵たちが立ち尽くしている。今ここで、どちらかが決定的な行動をとってしまうと、表面上の亀裂は放射状に決壊し、この場の平穏はひと息のうちに過去のものとなるだろう。


 同時に、レオンは心の中で頷いた。なるほど、ルーレインの使者はここまで読んで、レフィリアの作戦を利用することを思いついたのだろう。

 この作戦を使者などに報告させれば、フェルミーナから反発されることは火を見るより明らかだ。最悪、作戦そのものが頓挫しかねないだろう。かといって作戦の委細を曖昧にして報告しても、それもまたよし。遠征したフェルミーナ軍が、ルーレインの作戦に他意がないと理解した時点で、ルーレイン軍に実害が及ぶことはない。

 仮にフェルミーナが問答無用で開戦を宣告すれば、規定に悖るのはこちら側となる。逆に協力の姿勢をみせれば、作戦失敗における被害を二国で分散させることができる。話を聞いて協力した以上、ルーレインに落ち度を求めることもできない。現に、その通りの方向でことが進んでいるのだ。


 ――だからといって、黙秘を決め込むのが正しいわけはない。後日、使者の画策に対してなんらかの手はうつべきである。


「……承知しました。お兄さまの一存なら、これ以上の異論はございませんわ」


 とても異論はないようには見えない様子で、クリスは身にまとっていた無形の剣をおさめ、唇をとがらせながらもレフィリアに頭をさげた。


「ごめんなさい、レフィリア。感情的になってしまいましたわ」

「いいや。その気迫も、今回の作戦に端を発する誤解によるものだろう。私のほうこそ、説明不足を謝罪する」


 ことさらにレオンを対象から外しながら、レフィリアもクリスにならって謝罪をした。


「それで、何をどうする、と?」

「ああ。まず、これを持っていてくれ」


 レフィリアは、腰に下げていた袋から棒状のものを取り出して、クリスに手渡した。


「……また爆発したりしないだろうな?」

「しないだろう。この間の作品とは力の入れ方が違うからな」


 食い入るように観察していたクリスが、無言で防護魔法を展開した。レフィリアは自慢げに咳をひとつ払って、手のひらをかざした。


『ルーナ・ウォルト』


 目の覚めるような水音が、ふたりの聴覚をくすぐった。青く透き通る水玉が、輪郭を不定形にゆらめかせながら、レフィリアの手のひらのそばに浮かんでいた。


「さて、これはただの水だ。いまは私の魔法で浮かんでいるが、魔力の供給をとめるとどうなる?」

「……地面に落下しますね」

「高価そうな靴がずぶ濡れになるな」


 どちらがどちらの発言かは言うまでもない。


「何もしなければそうなるな。では、手渡したものを掲げていてくれ」


 受け取った棒状のものを訝しげに観察しつつ、クリスは言葉に従った。


「これが、何だと──」


 返答は、行動によってなされた。顔を上げたクリスの視界に、腕を振り下ろしたレフィリアの姿と、彼女の手から離れて飛散する水が映し出された。


「おお……」


 いつの間にやら、ふたたび腰をおろして諦観を決め込んでいたレオンが、感嘆の声をこぼした。


「……なるほど、これが自信の根拠ですか」


 一度は宙に散ったはずの水が、クリスが掲げた棒状の道具の先端で、みごとな球状を保って静止していたのだ。その情景を物珍しげに眺めるふたりを横目に、レフィリアが胸を反らした。


「ふふん、どうだ。流動体を定着させる、術者の魔力消費を限りなく抑えた魔法具だ」

「今回は当たりだったか。名誉ある呼び名が泣くぞ」

「なんだ、その名誉ある呼び名というのは……?」

「水の都のポンコツおもちゃ箱とかいうのが、一部の界隈で──」


 口を塞がれたレオンと、耳まで真っ赤になったレフィリアの声にならない声が重なった。


「お前というやつは! どうしてそういつもいつも他人を──」


 そこから先の言葉は、およそ言語と呼べるものではなかった。毛を逆立ててまくしたてるレフィリアと、苦笑しながらそれをいなすレオンは、さながら機嫌を損ねた猫と飼い主のようであった。


「そんなことより、早く作戦の概要を教えてくれ。理由もなく留まるほど、うちの軍も暇じゃないぞ」

「…………」


 険悪とはかけ離れているものの不毛な応酬は、元凶の一言でひとまず終局をみせた。レオンがたくみな、だが底意地の悪い手口で会話の主導権を握ろうとする一方、その後方で、クリスが魔法具とそれに吸着されたままの水を興味深げに突っついていた。

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