第五話 体験授業
「素晴らしい、入学してすぐに申請して正解だったな」
俺は自分の勝ち取った研究室を見回して悦に浸る。
自然と頬が緩むのも無理が無い、それほど素晴らしい部屋が取れたのだ。
研究塔の最上階。
その角部屋に当たるこの一室はとても広かった。
受験の際訪れた講義室並みに広いと言えばその破格さが伝わるだろうか?
それだけのスペースを個人で占有出来るのだから俺の興奮も当然だった。
旅行鞄から錬金釜やローテーブル、ソファー等を取り出す。
この旅行鞄は魔道具で、見た目に反してちょっとした小屋程度の収納空間が存在する。
ただし、非常に壊れ易い為戦闘を伴なう冒険をする際には不向きなのが玉に瑕だが。
ソファーに腰を下ろしこの部屋をどう研究に適した環境にするか考える。
何が足りないか?
ずばり棚だろう。
魔法薬の素材を収納する素材棚が欲しい。
そして魔法薬を詰める薬瓶を詰める棚も欲しい。
それが無ければ何も始まらない。
どこかで買ったり貸して貰ったり出来ないものだろうか?
俺はそれを確かめる為再びヒストリア先生の下へ向かった。
◆◆◆◆◆◆
結論から言うと棚は簡単に貸して貰えた。
がっしりとした大きな棚だ。
旅行鞄を使い何度か往復し必要数を研究室に持ち込ぶ。
その後、旅行鞄に詰め込まれた素材の数々を棚に並べていく。
種類毎に分類し分かり易く配置する。
どのように配置するか時折悩みつつも時間はあっと言う間に過ぎていって。
気付けば陽が落ちるどころか陽が昇り始めていた。
しかし、その甲斐もあって持ち込んだ素材を全て棚に収納する事に成功した。
このまま作業を終えた達成感に浸りたい所だが……
身嗜みを整えた後に朝食を取り速やかに体験授業に行かなければならない。
幸い参加する授業はざっと当たりをつけている。
後ろ髪を引かれる想いではあったが俺は身嗜みを整える為に寮へと急いだ。
王立第三魔法学園は単位制の学園である。
週七日の内三日間。
一日に一コマ九十分の授業を最大六コマ、計十八コマまで受ける事が出来る。
それ以外の四日間は名目上は休息日という事になっている。
当然そんな訳は無いのだが。
授業内容は様々だが魔法薬や魔道具の作成などの錬金術師向けのもの。
戦闘向けの魔法の理論や実技など軍や冒険者を志す戦闘魔法師向けのもの。
魔物や魔法生物などの神秘的な動植物について理解を深める、どちらかと言えば研究者向けのもの。
そして恋愛学や魔法貴族社会においての一般常識などの教養学を学ぶ魔法貴族向けのもの。
大別するとそんな感じの学科が数十科目。
その中から十八という限られた数を選出する。
十八科目、三日間全てのコマを埋めずに授業選択をする事も可能ではあるが……
学期末の試験で単位を取り損ねる危険性も鑑みれば、大抵の生徒が全ての時間に授業を入れる筈だ。
まだ入学したてで単位の余剰も無く要領も把握していない新入生なら尚更である。
『初級魔法戦闘学』と『初級魔法薬学』の授業は抜け道があるのでどうしようか少し悩んだ。
というのも、冒険者ギルドでCランク以上だと『魔法戦闘学』を。
錬金術師ギルドでCランク以上だと『魔法薬学』の授業を受けずに単位を取得する事が可能なのだ。
これはギルドで技術を体験し修めているにも拘らず、再び履修するのが無駄な為取られている措置だ。
冒険者として魔物をばったばったと塵殺しているのに今更魔法戦闘について学ぶのは無駄。
錬金術師として平均以上の実力と実力主義の錬金術師ギルドで評されて居るにも拘らず、今更錬金術の基礎的な事項を学ぶのは時間の無駄という事だな。
結局『初級魔法戦闘学』は免除して貰って、『初級魔法薬学』は受講する事にした。
俺は魔法戦闘にこれ以上注力するつもりは無い。
逆に魔法薬の生成に関しては自分のやり方が少し特殊な事もあって、真面な錬金術師が行う手法を改めて学びたかった為受講する事にした感じ。
俺が魔法薬学の授業が行われる地下室に行くと担当教員はあからさまに驚いていた。
俺の耳に輝く白金のイヤリングが錬金術師ギルドのAランクである事を示しているからだ。
ちなみに教員はBランクだった。
ただ錬金術師ギルドにいた人たちと違い、あからさまに侮蔑の目線を向けたり特別扱いせずに、自然に接してくれたので助かった。
というより、これが普通だと思うのだが。
俺の常識は数年のアトリア生活で大分歪んでしまった気がする。
全ての授業が興味深かったが……
その中でも個人的にお気に入りだったのが『迷宮探索学』だった。
迷宮の浪漫とその有用性。
そして待ち受ける魔物や罠の危険性を実例と共に学ぶ授業だ。
この授業、まさかの実技付きなのも興味深い所だ。
何と学園の敷地内に四つの迷宮が存在し、その内部を冒険するんだとか。
その内のふたつは歴代の生徒や教師はもちろん冒険者ギルドから認可を受けた冒険者も未だ最深部まで到達した者がいない未踏破迷宮なそうだ。その迷宮を踏破する事、それを目指してみるのも案外悪くないかもしれない。
俺には冒険者生活における師匠と呼べる存在がいた。
今もこの大陸の西部で活躍している筈だ。
別れる間際にAランク、最上位冒険者に昇格した本物の天才だ。
俺は冒険者になった当初は迷宮というものにそれほど興味が無かったが……
師匠にいろんな迷宮を巡る楽しさ。
冒険者の魅力って奴を随分と深く教え込まれた。
そのおかげで今はその魅力に惹かれる人が居るのも無理は無いなと理解している。
だからといって冒険者として生涯を掛けて冒険の日々を送るつもりは無かったが。
俺には魔法使いとして目指すべき大きな目標がある。
迷宮へ侵入する機会が今後あるとしても、あくまで魔法薬の生成を成す為の素材採取が主目的となるだろう。
色々寄り道しながら達成出来るほど自分の見据えた目標は低くなく。
簡単に到達出来るなどと楽観視していない。
だが、あくまで授業の一環としてなら多少の寄り道も許されるだろう。
誰も成したことがないという学内迷宮の最深部。
そこを最終目標として十年間の授業を受け続けるモチベーションを燃やすのも悪くない。
何の目標も無しに漠然と授業を受けるのも味気ないからな。
小目標として掲げておこう。
体験授業期間が始まって三日。
俺は受講したい授業はひと通り回り終え問題なさそうだと判断した。
週の初めに入学式があった為残りの体験授業期間は三日ある。
体験授業期間中に出席する授業は単位と無関係なので残りはサボっても良かったが……
折角いろいろな授業を見て回れる機会なので、本格的に受講するつもりの無い授業にも顔を出してみる事にした。
『占星術』、『魔法の禁忌と教訓』、『召喚魔法と死霊魔法』……どれも興味深かった。
自分で使った事のある魔法について語られてることもあって「客観的にはそのように言われているのか……」と自分以外の視点で解説される内容に新鮮さを感じてみたり。
十八コマという制限が無ければ是非受講してみたい授業がいくつもあった。
自分で選択した授業に不満は無いが、折角面白い授業をしているのに学べないというのは少し寂しさを感じる。せめてそれらの授業で抱いた「学んでみたい」という衝動を消化する為に、放課後は学園の大図書館で関連書籍をいくつか探して目を通したりして過ごしていた。
そんなこんなで体験授業期間も気付けば最終日。
もう期間の終わり際という事でほとんどの授業はお試し授業を終えている。
なので選択出来る授業は自ずと限られてくる訳で……
「あと残ってて少し気になるのは……『恋愛学』くらいかぁ」
『恋愛学』とはそのものズバリ恋愛について学ぶ授業である。
魔法使いの社会においてある意味「恋愛」ほど無縁で神秘的な要素はこの世に存在しないと言っても過言ではない。
というのも、大抵の魔法使いの家は血統を重視して次世代に魔法使いとしての力を受け継がせる為に、強力な魔法使い同士を結びつかせようとする。
恋愛結婚とは無縁の、政略結婚が主流なのだ。
当校の生徒も大体が婚約、または結婚済みな筈だ。
また、相手がいない魔法使いは学生期間中にパートナーを見つけて婚約たは結婚するのが半ば義務となっている。
だからこそ「同棲寮」というモノが存在するし託児所があるのも必然と言える。
そんな魔法使い達の社会において恋愛とは、お見合いや親同士の話し合いでパートナーを得られなかった独身魔法使いの最後の手段。
そして家同士の取り決めで大した想いも抱いていない相手と結婚する予定の夢見る男女からすると憧れの対象でもある。
……ちなみに俺──トット・レッドラインは家を捨てこの大陸に流れ着いたので必然的に独身であり婚約どころか女の子と手を繋いだ事すらない。
それどころか女の子の顔見知りすらも冒険者ギルド・アトリア支部の受付嬢エリーぐらいである。
流石に錬金術師ギルド・アトリア支部のギルドマスター、イリア婆ちゃんは対象外だろう。
あんなのと結婚するぐらいなら他所の大陸に移り住む覚悟を決める所存である。
ギョロッ!
『恋愛学』の授業が行われる講義室に入ると共に数多の視線が俺に突き刺さる。
えっ、なにこれ、怖ッ……。
不躾な視線が身体中を舐めるように這っていく。
そしてその中でも特に注視されているのが首から掲げているドックタグと耳を飾るイヤリング。
つまりギルド証だ。
特に錬金術師ギルドのAランクを示す白金のイヤリングを見て喉を鳴らす女子が多い。
男子も何人か居る……おい、お前達は何を探しに来てるんだ。
それにしても『恋愛学』の教室なのにまず見られるのが身分を証明する為のギルド証って言うのが何というか……身も蓋も無いというか。
恋愛とは何だったのか?
まあ生活を保障してくれる男とそうでない男では興味の持ちようが違うのかもしれない。
魔法使いの社会において男性は外に出て働くモノ。
女性は家の仕事や先祖伝来の魔法を探求するモノ。
そういう認識を持っている傾向が他と比べて高いと言われている。
何故そうなるかというと男性の方が将来的に魔力の量が多くなる傾向があるからだ。
幼少期から思春期にかけてはむしろ女性の方が魔力が多い傾向があるが、十八歳前後の身体能力が安定し始める時期からじわじわとその差異が逆転していき……
大よそ三十代前後からはその格差は圧倒的になってくるそうだ。
要は女性は早熟。男性は大器晩成っていう感じ。
ただ、これはあくまでもそういう傾向があるというだけで絶対ではない。
思春期からずっと男性よりも魔力が伸び続け、死ぬまでそれが続くような天才的な魔法使いの女性も歴史上存在する。
逆に若くして女性より豊富な魔力を持ち将来を期待されていたにも拘らず十代後半から伸び悩み停滞する男性もたくさん居る。
結局素質なんてものはその程度のものなのだ。
あくまで歴史上経験則的にそういう事が多いとされているだけである。
で、魔法使いとして職に就く場合どうしてもその当たりを鑑みた裁定を下される事が多いわけで。
必然的に魔力量の優れた男性が働き、食い扶持を稼ぐ事が多いわけだ。
共働きも無くは無いのだが、魔法使いの家には大抵世間には秘匿している先祖伝来の魔法や魔力運用に関する知識について書かれた魔法書が伝わっている事が多い。
なので家を長期間夫婦揃って空ける事を嫌う傾向がとても強い。
祖父や祖母と同居して居る場合は一見問題無さそうだが……
家を継いだにも拘らず祖父母に頼りきりの魔法使いは「ダラしない」と批判される。
半ば半人前のような扱いにされてしまうわけだ。
魔法使いは閉鎖的なコミュニティーを築きがちなので村社会に似た閉塞感が付き纏う。
そうなると一家の収入を司る夫の手腕を気にするのは魔法使い女子からすると当然な訳で。
咎められる可能性すら気にせずギルド証や身なりなどを見て所得水準を測ろうと小賢しい真似をしていたのだろう、多分。知らんけどな。
夢も希望も無い話だが彼女達からすると死活問題なんだろう。
恋愛という字面が与える甘い幻想をぶち殺す打算的な行いではあるが……。
一瞬「もう帰ろうかな……」とげんなりした気分に陥ったものの。
どうせこれから一年間ずっと受講するわけでもないので意を決して一番後ろの窓際。
一番視線が飛ばないであろう位置取りに腰を下ろした。
「ねえ、となりいいかな?」
座ってから大した間もなく声を掛けられる。
というより、俺が席に向かい出すとほぼ同時に斜向かいから歩いてきていたのを知っていたので、なんとなくこうなるのは予想出来ていた。
本音を言えばこれほど都合の良い展開もなかなか無いと思えた。
他の女子なら適当な理由をつけて追い返すところなのだが。
俺もまた彼女と接点が欲しかったので好都合だったのだ。
──カリーナ・ハイデルベルク。
俺が目をつけていた生徒のひとりと俺は意図せず出会う事となった。