第三話 入寮
昨日は宝石竜を無事冒険者ギルドへ預け。
今朝は錬金術師ギルドで野暮用を済ませてきた。
いつもなら午後は落ち着いて研究に没頭する所だが今日は学園に向かわなければいけない。
明日の朝には入学式があるのだ。
今日中に現地に到着している必要がある。
「ふぅ、こんなものか」
数年間お世話になった研究室を見渡す。
昨晩、ライフエリクサーを調合した直後に掃除をしたのでほこりひとつ落ちていない。
余計な荷物は元々存在しない。
宝石竜討伐に行く前に既に処分済みだ。
必要な全ての荷物は旅行カバンに収まっている。
準備は万端、見送りに着てくれた大家さんに鍵を渡し家を出た。
街門を出ると同時に箒に腰掛け空を飛ぶ。
空を飛ぶ際ほうきは必須ではないのだが……
長距離を飛ぶ際にはほうきを使ったほうが疲れない。
魔法使いが空の旅をするならほうきは重要だ。
生活の質が変わる。
風を切り飛翔すると、眼下にアトリアの街並みが広がる。
普段はそれほど気にもしないが、こうして見下ろしてみればなかなかどうして綺麗な街並みだ。
整然と計画的に建てられた家屋、大通りが十字を描く様にに掛かり、街を四つに分断している。
大陸西部の戦国時代っぷりに比べて、山脈を盾に引きこもり続けた結果が見て取れる。
戦争を頻繁にする国なら、この様に容易に攻め入る事が可能な作りにならない筈だからだ。
大分穿った見方をしたが、素直に見れば平和で穏やかに育まれた見目美しい街並みと言える。
西の方を見てみれば、老巨竜を初めとした凶悪な竜が住まう山脈が壁の様に立ちはだかっている。
今は春で日に日に気温の高い日が増えつつあるが、山脈は雪に染まっている。
まあ実は夏でさえ山頂付近は雪に染まったままなのだが。
そんな風景に背を向けて東南東に飛んでいく。
眼下にはなんて事ない平野が続いていたが、次第に木々が増えてくる。
そして本格的に鬱蒼とした森が広がり始めた。
嘘か真か「賢者の森」などと呼ばれている胡散臭い名称で呼ばれている森だ。
何千年も昔、人類が滅びかけた際に数少ない生き残りを纏め上げ、人類の再起を図った伝説の人物。
「はじまりの賢者」が隠れ潜んでいたのがこの森なんだとか。
そして、この森の何処かに。
その賢者が隠遁生活を送る為に作った「ひみつの迷宮」が存在していて。
その最奥には賢者が最後まで隠匿した禁断の魔法や強力なアーティファクトが存在するんだとか。
……そんな怪しげな噂があるらしい。
はじまりの賢者の物語において「敵」として描かれる存在は諸説あるのだが……
大体魔王とか、異世界の神々だとか、神をも越える大悪魔とか。
やたら現実味の無い相手な事が多い。
実際はどうであれ、はじまりの賢者がそれらの人外の化物達に最後までバレずに隠れ潜む事が出来たのだとしたら……相当高度な方法で、その「ひみつの迷宮」とやらは隠されている筈だ。
少なくても人間には数千年見つかってない……らしい迷宮。
本当に見つかっていないのなら、そんな噂が存在する事自体おかしいと思うのだが。
空を飛んでいる間、あまりにも暇だったのでどうでも良い噂話について考察していると、遠くに薄っすらと大きな湖のような物が見えてきた。
ようやく着いたか……と軽く独り言を零しながら、その湖の少し手前を目指して飛んだ。
距離が近付くにつれて、湖も含めた学園の敷地をぐるっと大きく囲む漆黒の長大な城壁が見えてくる。
本来、これだけの規模の建造物ならもっと遠くから視認出来そうなものだが、恐らく認識阻害系の結界魔法とかで上手く隠していたのだと思う。
そんな城壁に沿ってしばらく飛ぶと、銀色の大きな扉とそれに続く細い道が見えてきた。
恐らく、あそこが校門だろう。
着陸するのに失礼の無い間隔を空けて地に足をつけると、門の傍の小屋から人が現われ声をかけられた。
「新入生か?」
「はい、そうです。明日の入学式に参加する為に来ました」
「……随分とぎりぎりだな。他の生徒は昨夜引率の教員に率いられて入寮している」
どうやら自分以外の生徒は既に引率の教員に率いられて入寮手続きを済ませて居るらしい。
昨晩は一晩でライフエリクサー五十本作成とかいう拷問染みた苦行を行っていた。
どう考えても引率の教員に率いられてーなんて呑気なスケジュールが入る余地はなかったのだ。
「今朝まで用事がありましたので」
「そうか、まあいい。学生証を出せ」
「はい」
俺は羽織っているローブから一枚のカードを取り出し守衛のお兄さんに手渡す。
愛想抜群の笑顔で映ってる俺の写真と名前、生年月日や入校年月日と学籍番号が描かれたかなり原始的な学生証だ。魔法使いの学園の中ではかなり地味な類のものである(他校のものだと写真が動いたり、特殊な魔法を使うと空中に文字が浮かび上がったりと変な技巧をこらしてあったりする)
「トット・レッドラインか。ようこそ王立第三魔法学園へ。当校は君を歓迎する」
「はい、よろしくおねがいします」
なんかやたら笑顔で肩をバシバシ叩きながら歓迎してくれる守衛さんに苦笑いと共に会釈を返す。
こういう体育会系みたいなノリはあんまり得意ではない。
実際になってみるまでは冒険者もそういうノリなのでは?と思っていたが……
彼らは意外とそういうノリを毛嫌いしている者が多いし、辞めろと言われたらすぐに辞める。
騎士や傭兵崩れで冒険者をやっている人は結構多い。
そんな人達の中にはそういうスキンシップに嫌気が指して冒険者に鞍替えした者も居るのだ。
あとみんな武装しているので、相手を過剰に刺激したら最悪どうなるか……簡単に想像出来ると思う。もちろん、仲良くなって自然とそういうスキンシップを取る場合も無くは無いが。
銀色の重厚な扉が開かれると美しい景色が目に飛び込んでくる。
日の光を受けキラキラと湖面が輝く美しい大きな湖と、先程までは結界によって阻まれ視認出来なかった石造りの巨城。そしてそこへ続く舗装された石畳の道が延々と続いている。
「おや? 新入生さんかな?」
ぼーっと美しい風景に見入って居ると横合いから声をかけられた。
ぼさぼさの茶色い髪をした老人。高齢なのか腰を曲げ杖を突きながらこちらへ歩んでいる。
これからお世話になるかもしれないので出来るだけ愛想良く返事をしておく。
どうやら老人は校門から校舎──遠くに見えているあの城だ──へ送迎する馬車の御者らしい。
再び飛んで校舎まで飛んでも良かったが、折角なので送って貰う事にした。
本来はかなりの人数を同時に校舎へ運ぶのだろう。
大型の馬車に揺られつつも校舎への道を進んでいく。
人恋しいのか、それとも単純に世間話が好きなのだろうか?
やたら話しかけてくるので途中からは御者台に並んで話に華を咲かせた。
ガランとした馬車内が落ち着かなかったというのもあるが、御者の話術が巧みだった為もっと話したくなったという理由が大きい。最初は気乗りしなかった俺が自分から随分と話題を振りたくなるほどの上手さだった。
本人曰く成人して間もない頃からずっとこの役目を果たし続けて、多くの生徒を学園に送り届けて来たそうだ。自分のような小僧をその気にさせるぐらいわけは無いというわけだ。
◆◆◆◆◆◆
無骨な見た目をした巨城といった外観とは裏腹に、校舎の中は豪華絢爛な内装をしていた。
エントランスを明るく照らすのは吊るされた煌びやかなシャンデリア。
床には一面朱色の絨毯が敷かれていて、まさに「城!」という感じの華やかさだ。
吹き抜けになっている為二階や三階にも魔法使いらしいローブを纏った学生や教師が行き交っている姿が見て取れる。今日も在学生は授業があったのだろうか?分厚い教科書を手に持つ者が多い。
そんな中、教師らしい人を捕まえて入寮手続きは何処で行えば良いかと尋ねた。
教師は急いでいた所を呼び止めてしまったようで若干不快そうな態度ではあったが、職員室を指で示したのち足早に駆けて行った。
入寮の手続きは恐ろしい程早く終った。
書類に名前を書き入れると部屋の番号と注意事項について記入された紙を渡されて終了だった。
エントランスとは打って変わって蝋燭で照らされた薄暗い廊下を渡り寮へ向かう。
寮での注意事項について記載された紙をぺらぺらと捲ったが、常識的な事しか書かれて居なかった。
●寮での注意事項●
・寮内に於ける過度な魔法行使の禁止
・学内結婚をした際には速やかに申請を済まして男子寮内、女子寮内で勝手に同棲しない事
・深夜の男女寮内の移動は出来るだけ避ける事
・門限は存在しないが夜間に騒音を立てた場合は注意される事がある。複数回寮番から注意されても改善されなかった場合は退校処分を言い渡される事もある
・寮内に於ける魔法実験の禁止、過去に寮内での魔法事故がきっかけで男子が全員性転換する等の大事件も発生した為露見した際には厳罰とする
何度か見返した後、特に神経質になる必要性を感じなかったので旅行鞄に無造作に仕舞った。
よっぽどふざけたことをしなければ処罰されない。
そう理解していれば充分だろう。
指定された部屋はすぐに見つかった。
廊下の突き当たりにある為非常に分かりやすい。
扉を開け早速入室してみる。
化粧台や姿見と言った身嗜みを整える為の家具や書き物机に大きなベッド。
ソファーにローテーブル、魔石充填式のお風呂やトイレに台所。
人が最低限度暮らせる程度の設備は整っていた。
リビングの狭さがやや不満だ。
子竜の死体でも転がしたら部屋が埋まってしまう程度の広さしかない。
まあここは魔法使いの学園なので、同棲寮以外は全室個室にする必要がある為仕方が無いのだろう。家で秘匿している魔法技術が詰まった本などを所持している生徒が多く居る筈の当学園で、相部屋などという冒険者染みた暴挙は許される筈がないからだ。空間は有限な以上一室あたりが手狭になるのは必然であった。
部屋の窓から外を眺めてみると燃えるような夕焼けに照らされた森や湖が目に映る。
なかなか景観がいい。
俺は少しご機嫌になった。
指定の時刻に食堂へ向かえば夕食が用意されている筈だが……
連日の強行軍でやや疲労が溜まっている。
魔法や魔法薬で疲労から回復する事は容易だが、そこまでして夕食に参加する必要性を感じなかった。
風呂で汗を流した後、沈むようにベッドへ潜りこんだ。
変わった寝床の感触に違和感を覚える間もなく、俺の意識は闇へ溶けていった……