第六話
全世界の迷宮でモンスターの改変が発生して一週間が経った。
あの日から三日で自衛隊の調査の結果が発表された。
モンスターの注意喚起と防具着用の義務が発布されたが迷宮の封鎖は解除された。
世界中のシーカー情報を調べてみると例外なく狼系のモンスターが発生しているらしい。
ただ、各地で微妙に差異は有り、大陸狼やコヨーテ等迷宮の所在地と狼の分布でモンスターが違う事が判明している。
そして日本では特異な例として絶滅種がモンスターとして出現した事から、モンスターが既存の動物とは別の存在で有る事が改めて認知された。
動物愛護団体が「絶滅種が復活したのにモンスターとして駆除する事に反対する」と声明が出されたが、
「氾濫が発生した際の犠牲に対する責任は取れるのか?」の声には答えなかった。
それでも迷宮の付近で横断幕を広げて抗議する連中は居るらしい。
懸念だった兎型のモンスターも少数は確認された為、世界的な餓死者は出ないと予測もされた。
今の所、狼と兎は半々で出現するらしい。
解禁された迷宮に入って犬に酷似した生物との戦闘に嫌悪感を抱き、シーカー活動が出来なくなる人間が少なからず出た。
今もTVのコメンテーターが無責任に迷宮の研究を叫び、逆に氾濫の危険性を口にする人間は本当に少数だ。
一部、口の悪い毒舌芸で有名なお笑い芸人がシーカーを「モグラ、モグリな連中でしょ」と言い放ち炎上した事もある。
即座にその発言は削除されたが、普段から嫌われていた事もあって炎上は鎮火しそうにも無い。
「シーカー活動をしない芸能人は好き勝手言うよね、本当に」
呆れて独り言を呟くと鼻背のデバイスのTVを切る。
「芸能人なんてそんなもんだろ? 大学教授ですら的外れな事言うのに、奴等が危機感を持った台詞なんか言える訳が無い」
僕の言いたい事を察したのか棗も辛辣な返答が返ってくる。
近年の、メディアとネットの情報乖離の深刻さを目の当たりにする世代特有の毒舌かも知れない。
「悪いね、手伝って貰えて助かるよ」
綵は一抜けでシーカーから抜けたが、棗は僕の防具の材料が揃うまで付き合ってくれる事に成った。
「俺も綵も抜けるんだ、お前が万全で動く準備位は、な」
シーカーの減少を政府が防ぐ為にあれこれ対応する事を発表し、そのいくつかは僕が予想した案だった。
その発表に僕の身を案じて早急に狼の皮を集めるのに駆けつけてくれた。
シーカーが迷宮で手に入れたドロップアイテムを販売した場合、税金の控除を受けられる事に成った。
兎の肉や狼の毛皮の販売額も若干引き上げられた事も有り、シーカーが職業として成立した事に成る。
残念ながらまだ生命保険にシーカー特約が無い為に、危険な自由業の色の濃い状況だが。
氾濫が起きて、政府や世間が今以上に危機感を抱いたら年金は付く様に成るかも知れない。
そして案の定、政府はシーカーの減少を危惧したのか、シーカー登録した番号に電話が個々人に掛かってきた。
継続の意志の確認と、辞めようとする人間には優遇措置を細かく説明する事までした。
綵はシーカーを辞める旨説明し、棗は家業を継ぐまでの短い間だけ継続する事を答えたらしい。
僕の所にも当然電話は着た。
継続を明言しないで居ると優遇措置の説明をし、かなり長時間粘着質な応答を繰り返す羽目になった。
シーカーの少ない東京ではかなり粘って交渉をしていたのだと思う。
条件が変動する事は無かったが、切々とシーカーの必要性を説かれた。
優遇措置で一番大きかったのは迷宮内での怪我で障害を負った場合の年金額が臨時国会で法案として提出されている事だった。
政府としてもかなり深刻だと認識しているのが窺える。
「さて、準備して行こうぜ」
視界の端に表示されている時刻は九時を回った所だ。
棗に促されて、両腕と両足にサッカーのプロテクターをステンレステープで巻いて固定する。
ステンレステープは防御力としてはほぼ無いが、それでもアルミテープよりはましと判断して採用した。
複数枚のプロテクターを使っている為に、隙間無く簡易籠手、簡易脛当てには成るだろう。
先日の戦闘時の経験で、狼型の咬合力はプロテクターを砕く程の力は無かったと判断した。
「じゃ、二人だけしか居ないから、戦闘が始まったら背中合わせで戦うって事で」
「そうだな、そう言えば迷宮の狼って群れるのか?」
「迷宮庁のHPだと最大で十頭確認されてるらしいよ」
「倒されたら大怪我確定だな、そりゃ」
倒されて全身に喰い付かれる自分を想像したのか、若干声が強張っている。
その声に腹を食い破られる情景を思い浮かべて身震いをする。
「取り敢えず、どちらかが倒れたら必ずフォローするって事で」
「そうだな、出来るだけ群れは相手にしない様にしような」
結局慣れるまで迷宮の浅い所で毛皮集めをする事に成った。
躊躇で重くなる足を叱咤し、岩肌のごつごつした迷宮に足を踏み入れる。
それぞれが小太刀と剣鉈を鞘から抜いて重心を下げて進んで行く。
迷宮内のカビと苔の臭いに顔を顰めつつ、デバイスを操作して暗視画面を網膜に投射する。
入り口から順々に小部屋を回ってみたが狼は出ずに、緊張と安堵を往復していた。
「次は大部屋か、出るかな?」
棗がデバイスの迷宮内MAPアプリで迷宮内の構造を見ながら呟く。
「どうかな? 正直狼の生態なんて知らないから、どこに居るとか分からないし」
本来、山は森林に生息する狼と迷宮に出現するモンスターとどれだけ違うかも判然としない。
ましてや、日本では狼は絶滅した生物なだけに知識としても大きく欠落していると思う。
恐らく、大陸狼がまだ生息する地域のシーカーは有る程度即効性の高い準備が出来るのだろう。
準備と言う単語が思い浮かんだ所で、一つ危険な事案が脳裏を過ぎった。
狂犬病だ。
日本国内では犬にワクチン接種が義務付けられているが、日本人で狂犬病ワクチンを受けている人間は少ないと昔ニュースで見た記憶が有る。
「棗、少し嫌な予感がする、いったん出ない?」
「どうした?」
「いや、噛み付いてくるモンスター相手なのに狂犬病の備えが無さ過ぎる事に気が付いた」
「狂犬病ってどんな病気だ? 犬に噛まれたら移るんだったか?」
「しかも発症した場合の致死率は九十%を超えてた気がする」
僕の言葉に表情を強張らせて棗は頷いて体を翻す。
二人揃って全速力で迷宮の入り口に走り出す。
足音を気にする余裕も無く、全力で駆け抜けると入り口最寄りの小部屋から三頭の狼が駆けてくる。
「行きは良い良いってヤツか?」
「二人の時に三頭って、なかなか厳しいね!」
そう言い合って狼に向き合うと先頭の一頭が飛び掛かって着た。
赤い咥内と白い牙が迫ってくる。
上下の牙を見詰めながらそこに小太刀を突き出す。動体視力も向上しているのだろう、狼の動きもキチンと視認出来るし、反応も出来る。肉と骨を掻き分ける様な感触と同時に、首の後ろを貫通して血で染まった切っ先が覗いた。一瞬痙攣をした後に力が抜けて右腕に狼の体重が掛かる。五十㎏を超える荷重に眉を顰めて小太刀を振るって払い落とす。払い落として直ぐ様構え直す。いきなり仲間が死んだ事で残りの二頭は警戒したのかその場で止まって唸る。棗も剣鉈を構えて油断なく腰を落として戦闘姿勢を取っている。二頭が体を低くして唸っているとジワジワと離れて僕等を挟み込む様に移動を始めた。僕等もそれに合わせて背中合わせに立ち位置を調整する。深く腰を落として低い正眼に構えて相手の出方を窺う。息を深く吐き出して筋肉を自然と引き締める呼吸法を繰り返して、全身をいつでも動かせる様にする。狼がジリジリと横移動をしながら人間の隙を窺う様は、まさしく野生の獣だと感心する。一つ唸ると棗の足に噛み付こうと一瞬で間合いを詰めるのが視界の端で見えた。もう一頭は後退したり左右に飛び跳ねたり、こちらを翻弄しようと動き続けている。背後では鈍器で殴り付けた様な音と狼の悲鳴が響いた。恐らく鉄板の入ったエンジニアブーツで棗が蹴りつけたのだろうと判断すると同時に、目の前の狼が飛び掛かってくる。鋭い牙の並びに恐怖心が沸き起こった。右に一歩ずれ、腰を切り、凄まじい勢いで迫る牙の並びに沿って小太刀を横薙ぎに切り付ける。刃が皮膚を、肉を、骨を切り裂いていく感触が手に伝わってくる。小太刀が空気を切った所で、狼は上顎と下顎から頭部を斬り飛ばされて地面に落ちた。絶命を確認する必要も無い程決定的な一斬が決まった。
棗の方を振り返ると踏み付けた狼の頭を剣鉈で叩き割るのが視界に飛び込んでくる。
緊張で跳ね上がった呼吸を落ち着かせながら声を上げた。
「まさか噛まれてないよね?」
「怖い事言うなよ、無傷だ」
棗の言葉に安堵しつつ狼の遺骸が毛皮に変わるのを待つ。
この一戦で身体能力の向上で、狼との戦闘も大群で無ければ問題無い事が確認出来た。
これまでの期間で硬度の上がった小太刀も頼もしさを増している。
動物の肉と骨を切り裂いた刀身には、骨で擦れた傷も無い。
個人的にはシーカーを続けて行く自信が付いた。
無論複数の狼を単独で対処するには装備面での不安は有るが。
それはこの狼の毛皮で防具を作って育てて行けば良い。
そうこうして居る内に狼の毛皮が三枚現れたので、拾って迷宮を急いで出る。
数分の間、迷宮内の通路を全速力で走り抜ける。