第五章 第二話
「……フッ!」
振り払われ、弾き飛ばされた見酒さんと現原さんを尻目に、茨木童子に斬り込んだ。
今まで何度も斬り付けたが、皮膚が固くて刃が思う様に通らない。
薄皮を裂いて血を滲ませるのが精々だ。
間合いが遠い。
この鬼を斬る為には必死の間合いが必要だ。
足の指に力を入れ、足の裏を地面に押し付ける。
怖い。
手の、その一振りで車に撥ねられた様に仲間が宙を舞った。
それでも踏み込まなければならない。
恐怖心から無自覚に距離を取ってしまう半歩。
その半歩が刃筋を鈍らせる。
頬を汗が伝う。
奥歯を食いしばって踏み込んで一閃。
脛の辺りまでが地面と同化した様な感覚。膝から腰、背中、肩、肘、手首までを一つの動作に結び付けて水晶刀を振るう。視界に血飛沫が舞う。今度こそ刃が入った。そのままの流れで腰を斬り斬り上げる。切っ先を一撃目に作った切り傷を逆さまに駆け上げる。硬い皮膚も硬ければ筋肉も硬い。それでも斬れない訳では無い。その事実で、その認識で刃に鋭さが戻る。余所見をする余裕は無い。羽生の呼吸音、厦海さん、現原さんの呼吸音で三人の攻撃のリズムを計り、その合間に斬り付ける。斬り付け、鬼の爪で切り付けられるのを柄頭で往なして、返す刀で斬り付ける。柄頭で、水晶刀の鎬で、そして籠手で打ち払い攻撃を続ける。鬼の爪を、鬼の牙を叩き落として、呼吸が続く限り斬撃を繰り返した。
着物が裂け、傷口が覗く。
徐々に手傷は負わせている。
片足を削られた影響が出ている。
横薙ぎの攻撃は後ろに飛び退き、縦の攻撃は腕を叩いて軌道を逸らす。
逸れて態勢を崩した所を攻撃し続ける。
爪が不快な音を立てながら現代具足の装甲を削っていく。
「きゃっ!」
茨木童子は僕を無視して、現原さんの薙刀を掴み振り回して彼女を打ち据えた。
「みんな退いて!」
その言葉に反応して見酒さんと茨木童子の道を開ける。
空気を切る音と一緒に薙刀が真っ直ぐ茨木童子に飛んでいく。
薙刀を投擲したのか。
美しい一本の線と成って刃が駆ける。
その美しさは茨木童子の手の中に納まった。
あのタイミング、あの速度に反応して茨木童子は薙刀を受け止めていた。
拙い、そう思った。
あの俊敏性、あの膂力に長柄の薙刀を持たれたら太刀打ち出来ない。
体を真下に沈める様にして初歩最速の踏み込みを行って間合いを詰める。
薙刀の水晶の刀身を握るその手を、その手首を目掛けて全力で太刀を振り下ろした。
音も無く、手応えも無く、刃は通った。
そして薙刀を握ったままの右手がゆっくりと地面に落ちた。
茨木童子は突然見えなくなった自らの手を見つめて小首を傾げた。
そして薄っすらとほほ笑んでいたその表情は破顔した。
美しいその顔が満面の笑みを浮かべて僕を見た。
「綱……綱……綱っ!」
便宜上茨木童子と呼称しては居たが、その言葉が“渡辺綱に手首を斬り落とされた茨木童子である”と主張している。
茨木童子は甘く、蕩ける様な声で僕を見つめて「綱、綱」と繰り返した。
不快感が最高潮に達したのが自分で分かった。
斬る度に、手傷を追う度に甘く喘ぐ鬼と言うだけで気持ちが悪いのに、他人様を他人と間違って迫ってくる化け物。
その気持ちの悪さ、気色の悪さに吐き気すらする。
潰された間合いを更に詰められ、その膂力に圧し負けて背中から転倒してしまう。
「くっ!」
華が咲いた様な笑顔で、残った左腕を振り上げて、そして振り下ろしてくる。
マウントポジションを完全に取られてしまった。
その態勢から茨木童子は左腕を振り下ろしてくる。
慌てて腕で防ぐと音を立てて籠手の装甲が削れた。
「綱……綱ぁ……」
恋人の名を呼ぶ様な声色に怒りを覚える。
「綱……綱……」
茨木童子が繰り返し甘く囁いた。
「んぐっ……、黙れ……、誰が渡辺綱か……」
組み伏せられてしまうと刀身の長い太刀では抗う事も出来ない。
諦めて太刀を手放した。
右手が無くても左の爪と牙は健在だし、その膂力は物凄い物がある。
絶体絶命な態勢に追い込まれてしまった。
焦りと恐怖心が胸中を溢れそうだ。
抗う術を必死に考えていると華の様な笑顔で茨木童子は爪を再び振り下ろしてきた。
左腕を掲げてそれを防ぐ。
焼ける様な熱を感じ、それから腕の中から激痛が走った。
痛みに歯を食いしばって視線を向けると、その鋭く長い爪が籠手を貫通して腕に食い込んでいるらしい事が分かる。
「綱……、やっと逢えた……綱……」
そう囁くと手首の無い右腕で僕の面頬を愛おしそうに撫でてくる。
「人違いだっ!」
叫びながら右手を腰に走らせて、脇差を片手で抜いて茨木童子の胸元に突き立てた。
切っ先が深く肉に食い込んでいく感触が手に伝わってくる。
一瞬押し戻された様な感触の後、更に深く潜り込んでいく。
「綱……、やっと逢えた……綱……」
最後に同じ言葉を微笑みと共に呟いて、そして動きを止めた。
首筋に見酒さんが薙刀の刃を走らせて刎ねる。
断たれた首からは血が溢れて僕の顔を濡らした。
そして茨木童子の体は力無く僕の上に重ってくる。
体に掛かる体重は、人と大して変わらなかった。
痛みと、異様さと、首の無い死体を至近距離で見つめている状況に意識が遠くなりそうだった。
「これは……」
自衛隊に提供した鼻背デバイスの動画を、食事会で皆に見せた。
その結果、棗は呻き、他の皆は絶句していた。
改めて見ると自分でも酷い状況だったのが解る。
「奉君、この鬼はなんなの?」
元原さんの問いかけに首を横に振る。
「分かりません。喋る迷宮のモンスターなんて初めてで混乱もしてる。でも、すべき事は変わらないので」
我ながらブレないと言うか何と言うか。
渡辺綱の名で呼ばれる不愉快さが先立っていたけど、よく考えると異常事態だ。
迷宮そのものが異常事態なのだけど、それでも迷宮が出現して十年経つ。
十年間無かった事がここに来て発生した。
それでも、だ。
僕が考えるべき事は単純だ。
モンスターを殺し、迷宮を鎮静化させ、氾濫を防ぐ事。
全ての日本人を守る、なんて傲慢な事は考えてはいない。
ただ、僕達の敵を排除しなければ脅かされる。
だから戦うし、殺す。
それだけだった。
「祟目さん、腕の怪我はもう大丈夫ですか?」
綵の悪企みで御呼ばれしていた帳曖さんが動画を見て、改めて訊ねてくる。
「もう大丈夫ですよ、傷は塞がりましたから」
茨木童子の爪で抉られた左腕を上げて見せた。
奥の方はまだ時折引き攣る様な痛みも有るが、茶碗を持つ位は出来る。
それよりも、問題は元原さんと帳さんが揃っている事だ。
そして、ブラコン気味に妹も居る。
少しでも返答を間違うと修羅場に発展する事は僕にでも分かる。
有り難い事に、二人の気持ちは理解している。
理解しつつ、応える準備が出来ていなかった。
いや、今でも出来ていない。
迷宮の鎮静化は僕自身の望みだったが、鎮静化させた後の失業は手痛かった。
そんな時に応じるなんて出来る筈も無かった。
フランスに行ったのは苦肉の策だったが、貯蓄を作っている間に再び迷宮が活動してしまった。
そして最深部の茨木童子。
その手強さは想像を超えていた。
左腕を抉られただけで済んだとは言え、あの膂力と素早さは脅威だった。
間違いなく死闘だった。
後六ヶ所。
羽生と成湖さんの空気を見ている分、今も向き合うのは難しい。
煮え切らないと自分でも自覚しているのだが、誠実で在りたいとも思う。
そんな煮え切らない僕の背中を押すつもりなのか、面白がっているのか、綵が色々と声を掛けて回ったらしい。
大きなお世話である。
「なあ、奉? 途中から斬れる様に成ったみたいだが、これは?」
「ああ、半歩。半歩踏み込んだだけだよ」
棗の疑問に率直に答える。
その半歩が死線だったニュアンスを乗せて。
それだけで伝わったらしく棗は表情を硬くする。
流石に元シーカーだ。
モンスターと間合いを詰める事の意味を即座に理解した様だ。
「あまり無茶はするなよ?」
「無茶はしないよ。必要な事を必要だと思った時にやるだけだし」
そうは言う物の、自分が無茶をしていないなんて思っても居ない。
それどころか、迷宮絡みでは無茶しかしていない自覚がある。
二人がシーカーを引退した時も、概念武器を試した時も。
そして仕事を辞めて専業シーカーに成った時も。
迷宮に籠る度にどこかしら怪我をし続けていた時も。
それでも譲れなかった。
きっと僕自身が迷宮に関わらなくても誰かが同じ役割を担ったと思う。
我を張った結果、日本のフロントランナーと成っただけだ。
偉くも無ければ、凄くも無い。
勿論、特別でも無い。
ただ、僕の我儘に仲間達が付き合ってくれているだけだ。
一緒に迷宮に飛び込んでくれる羽生や厦海さん達。
装備のメンテナンスに関わってくれる棗や元原さん達、背中を押してくれる人達全員の顔を思い浮かべて苦笑する。
「なんだよ、気持ち悪いな……」
「いや、シーカー生活していて、色々な人に支えられてるな、と思ってね」
少しだけ照れくさくて“ありがとう”と呟く。
いつだって僕はその大事な言葉を堂々と言えないでいる。




