第四章 第五話
腰を落とし、上半身の体重を自由落下に近い形で真下に引き込む。左脚を蹴り出し地面に着いた瞬間に右足を蹴り出す。一歩目からの最速。縮地。十年以上剣術を学んできたが、生まれて初めて成功させた。巨大な幽体の横を通り過ぎる様にして小太刀で横薙ぎを放つ。間合いを取りながら先ずは十を超える幽体の腕を切り刻んでいく。立ち位置を変えながら何度も水晶刀を振るう。
十、二十、百を超えた辺りから数えるのを止めた。
息が上がる。
苦しいし、喉が痛い。
脇腹が締め上げられる。
剣撃の切り返しで手首と肘の疲労が溜まる。
全身が熱い。
身体が、頭の中が白熱している様だ。
目に映る、振り回される幽体の腕を後ろに下がって躱し、間合いを詰めて斬り付ける。
「祟目っ! 代われ!」
羽生の声に反応して後方に数歩飛び退いた。
僕の間合いより数十センチ離れた所から羽生の突きが撃ち込まれる。
片膝を着いて、跳ね上がった息を落ち着かせる。
意識していなかったが、全身が汗で濡れていた。
ヘルメットのバイザー越しの羽生の顔を見詰める。
口を大きく開けて激しく呼吸しているのが分かる。
「羽生!」
僕の声に反応して羽生も後ろに飛び退いた。
飛び出して羽生の反対側に陣取り巨大幽体に斬り付ける。
二、三手斬り付けると羽生から僕にターゲットが切り替わったのか、こちらに間合いを詰めてくる。
前後左右に位置を替えながら我武者羅に両手の水晶刀を振った。
全身の関節が熱い。
頭の中が熱い。
繰り返し、何度も羽生と入れ代わりで攻手を交代してきた。
何周目かは数えていない。
と言うか数えたら疲れが倍増しそうだ。
羽生も僕も疲労が既に表面化している。
攻撃の手が甘くなっているのが分かる。
「がっ!」
そんな中、幽体の手が羽生の足首を掴んだ。
低い位置だった為に見落とした。
羽生はその激痛に全身を強張らせて棒立ちに成ってしまう。
慌てて肩に体当たりをして羽生を戦線から離脱させる。
あの足ではもう羽生は戦線離脱が確定した。
と言うよりも、あの足では撤退も無理だ。
更に言えば、僕自身の体力だって既に怪しい。
呼吸もまともに出来ている気がしない。
僕自身も逃げ延びられる可能性は無いと思う。
左右の水晶刀を振るいながら、熱を持って纏まらない思考でも分かった。
勝つ以外に生き延びる道が無い、と。
戦闘の最中に覚悟を決める。
この巨大幽体を殺す、と。
視界がチカチカする。
息苦しい。
「奉っ! 奉っ!」
羽生の声がする。
全身が熱い様な、冷たい様な良く分からない。
さっきから羽生の声が五月蠅い。
声を出そうと口を開けると、喉が猛烈に乾いているのが分かる。
舌先が前歯に張り付いていた。
焦点が定まってきた所で羽生が僕の顔を覗き込んでいる。
なんで僕は横たわって天井を見てるんだろう?
あの巨大幽体はどうなった?
差し出されたペットボトルを握ると全ては終わった後なのかと覚る。
「な――にが――どう――成――った?」
乾いて縺れた舌を動かして訊ねる。
「お前がぶっ通しで戦い続けて、幽体を消滅させて、それで倒れたんだよ、馬鹿」
どうやら、羽生を弾き飛ばしてからずっと戦い続けていたらしい。
体を起こして、ペットボトルの水を口に当てて面頬と兜が無い事に気が付く。
失神してる間に外されていたらしい。
咽ながら500ミリの水を飲み干して一息吐いた。
「ほらっ」
唐突に羽生が投げて寄越した物を両手でキャッチする。
重たい、握り拳大の金塊だ。
あの巨大幽体が落とした物らしい。
周囲を見回すが岩壁の広間が広がっているだけで、特徴も何も無い。
いや、僕がへたり込んでいる所の傍に何だろう、水溜まり? 湧き水? が有る。
巨大幽体にばかり目が行っていたから、気が付かなかった。
何となく気になって観察するが特に変な所は無い。
リュックの中にはまだ水が有る筈だし、こんな所の水を飲むのは怖い。
怖いが、引っかかる物が有った。
羽生が持って来てくれたリュックからスポーツ飲料を出して水分補給をする。
倒れた拍子に零れた水晶刀を拾って鞘に納めようとした所で刀身が砂まみれに成っているのに気が付いた。
汗で濡れて、そこに砂が付着したらしい。
このまま鞘に差せば傷が付いてしまう。
ガタガタと震える膝を叱咤して湧き水の所まで歩いて行って、湧き水で刀身の砂を洗い落とした。
「ん?」
なんだ?
水が減った?
湧き水の中で、手杓で水を掛けたのに水が激減する事なんてあるのか?
不思議に思いながらもう一刀の砂も洗い落とすとやはり水が激減する。
「羽生、君の水晶刀も洗っておこう」
深い意味は無いがそれが良いと思い声を掛ける。
水晶刀・太刀を受け取って水を掛けてから羽生に返す。
リュックに括り付けていた水晶刀・打ち刀と脇差を鞘から抜いて水に浸す。
残り少なかった水が完全に消え失せた。
暫くして唐突に、本当に唐突に地面が光り出した。
「「なっ⁉」」
変遷の時よりも強烈な発光現象を起こし、変遷時と違い一瞬で収まる。
「このタイミングで変遷?」
眩んだ眼を瞬かせ、慌てて水晶刀を全て引き上げて鞘に納めて周囲を見回す。
……変化は無い。
音も僕等の呼吸音以外には一切しない。
「今のは……なんだ?」
「分からない、変遷の時より短かった気がする、位しか……」
このままここに留まっている訳にはいかないが、体力的にまだ動けそうに無い。
明らかに脱水症状で丸一日歩くのは無理だ。
「あの幽体がもう一度出ても困る。休むなら通路まで戻ろうぜ」
羽生の提案に頷いて、荷物を背負い歯を食いしばって歩き始める。
膝がガクガクする。
脚に力が入らない。
上半身も支えられずに左右に大きく揺れるのが自分で分かる。
通路に戻り、真ん中辺りまで歩いた所で限界が着て座り込んでしまう。
「防具外して、そのまま寝てろ。三時間したら起こす」
「ごめん、よろしく……」
羽生の言葉に頷いて現代具足を外し、そのまま地面に崩れる様に横に成る。
「奉、起きれるか? 奉?」
肩を揺らされて目を覚ます。
「ああ、起きる……」
回らない頭を振って意識をハッキリさせる。
何度か深呼吸をして自分の体の調子を確かめる。
少しの頭痛と口の中の渇きから脱水症状は完全には解消していないが、それでも大分マシに成ったのが分かる。
エネルギー・バーを平らげ、水分補給をする。
「どうだ? 行けそうか?」
「うん? 羽生は休まないの?」
「ああ、寝ては無いがずっと座ってたし、休憩は十分だ。手当もしたしな」
巨大幽体の後半からは戦闘に参加していなかったとは言え、休みとは違う気がするのだが。
それよりも早く脱出したいらしい。
ここから半日以上、来た道を戻る事に成る。
考える事が多過ぎて、頭がいっぱいに成りそうだ。
「一番奥に居た巨大幽体、枯れた瞬間に発光現象を起こす湧き水……」
あれはいったい何だったのだろうか。
「奉、あれは何だったんだ?」
出発の準備が出来た羽生が答えようの無い問いかけを投げかけてくる。
「分からない。巨大幽体も湧き水も。どちらも一番奥に存在する何らかの理由が有る、って事しか分からないさ」
今思い出してもあの巨大幽体は恐ろしい。
どの位のインターバルでアレが出現するか分からないが、通路の向こうを向くと悪寒がする。
早くこの場から立ち去りたいと思う。
立ち上がると、手足は重たいが何とか動けそうだった。
握力はまだ怪しいと感じて水晶刀は小太刀を一刀だけで扱う事にする。
移動を開始して三時間。
二人共体力を消耗し過ぎていて細かく休憩を入れながら移動を続ける。
「あのさあ、変じゃない?」
「ああ、変だな……」
移動を開始してから一度も幽体と遭遇していない。
歩いていれば一時間に三体程度は出現するはずなのに、一度も行き当たらない。
違和感を通り越して異常事態なのでは無いだろうか?
まるで普通の洞窟の様に、何も起きなかった。
羽生と首を傾げながらもゆっくり進んでいくと前方から声が聞こえた。
「誰か⁈」
一瞬言葉の意味が掴めずに戸惑っていると相手の一団の服装から自衛隊の誰何だと判った。
「シーカーの祟目奉と羽生夾介です」
名乗りを上げると相手は銃を下ろして警戒を解いた。
どうやら発光現象を観測して調査に来ているらしい。
念の為、迷宮の一番奥に行った事、一番奥から現在地まで一度も幽体と遭遇していない事を告げる。
自衛隊の面々も幽体と遭遇していなかった様で、特に驚いた様子は無かった。
彼等はそのまま奥まで調査するらしく、早々に別行動と成った。
迷宮を出て、青空の下に出ると安堵の溜息が漏れる。
暗闇の中、いつ幽体が出現するか分からないというのは相当な緊張を強いられる。
あまり自覚していなかったが、精神的にはかなり疲労していたらしい。
奥歯を噛み締めて、地面に座り込むのを耐える。
途中から歩くのが困難に成った羽生を治療所に届けて、荷物を持って買い取り所のシャワー室を借りる。
熱いお湯を被り、全身の不快感を洗い落としていく。
脚の力が抜けてそのまま崩れる様に腰を落とした。
「幽体が出なくなった……、迷宮を殺した、のか?」
半信半疑ながら、幽体の出現が完全に止まった事に喜びを感じた。
もう何日か様子を見ないと断言も出来ないし、確証も得られないけど。
それでも今出現しないのは、あの巨大な幽体を駆逐出来たからだと思う。
「勝った――んだよね? 迷宮に」
自分の声に頬を熱く濡らした。




