第二章 第十三話
アラーム音で目を覚まし、スイッチを押して音を止める。
目を覚まし時間を確認すると普段より長く寝ていたらしい。
体を起こすとたっぷり寝た事も有って疲れも感じず、気分も高くも低くも無い。
睡眠はストレス発散と言うが、本当らしい。
弁護士事務所との打ち合わせも出来ないし、そんな状態で迷宮に潜るのも余計な事件を誘発するだけだ。
昨日考えていた通りに日帰りで温泉に行く事にする。
取り敢えず日課のジョギングを熟して着替えやタオル等を旅行鞄に詰めてツナギに着替えて部屋を出る。
車に乗り込んで暖機をしている間に目的地の温泉旅館に問い合わせをして雪道に成っているか等を確認する。
どうやら今の所雪は積もっていないが、この後の天候は微妙だと回答を貰った。
道が凍結している可能性も有るので一度レンタル倉庫に向かいタイヤをスタットレスに交換してから現地に向かう。
タイヤ交換に一時間程使ったが、時間にも余裕が有る為に焦らず高速道路を走る。
道中、音楽を聴きながら日曜日の混み具合に混じって栃木・那須塩原付近まで軽快に走って行く。
走行中、遠くに見える山には所々白い帽子を被っているのが分かる。
高速道路を降りて県道を二、三十分走るとお気に入りの温泉旅館に到着する。
フロントに声を掛けて日帰り入浴の料金を支払ってから、道路を挟んで反対側に有る沢に下っていく階段を荷物片手に降りて行く。
石階段には雪は積もっては居ないが微かに湿っている為、足元に注意しながら慎重に下って行く。
五分程掛けて階段を下った所で渓流の水音が聞こえてくる。
夏場だと涼しげで心地良く聞こえるが、この季節だと肌を刺す様な寒さに身震いをした。
階段を降り終えて久しぶりに訪れた野天温泉を眺めて表情を緩める。
脱衣所で衣服を脱いで掛け湯をしてから温泉に浸かる。
少し熱めのお湯がチリチリと肌を刺激する。
足を延ばして運転と階段で強張った筋肉にも熱が伝わり弛緩する。
脱力感に圧されてか思わず吐息を漏らす。
「あぁ……温泉最高」
思わず漏れ出る言葉に苦笑しながら首を回して久しぶりの天然温泉と冬の渓谷の風景に再び溜息が漏れる。
十二月に入り既に紅葉も終わり山々は赤から茶と緑に染まっている。
「もう少し早く来たら良かったな」
紅葉を見逃したのが些か残念に思う。
吐く息が白く、温泉の湯気も白い。
顔は冬の空気で冷やされて、体は少し熱めの湯で温まる。
少し考えて思い至る事が有った。
「この贅沢感、何かに似てると思ったら「こたつアイス」だ」
そう思うと笑えて来て和んだ。
ここ数日のバタバタがどうでも良いと思える程和んだ。
「来て良かった」
湯船の淵の岩に背中を預けながら寛いでいるとゆっくりと白い雪が降ってきた。
渓流の音と温泉の熱さと雪の冷たさ、少しばかり情報過多なシチュエーションに小さく笑ってしまう。
本格的に降って来たら湯冷めして風邪を引くだろうから、この辺りで切り上げる事にする。
湯から上がって荷物からバスタオルを取り出して体を拭いツナギに着替えをして、また時間を掛けて階段を上る。
途中で数人と行き合い、お辞儀をしてすれ違う。
雪が降り始めているのだけれど、まあ宿泊客なら湯上りに温かい部屋に行けるから問題ないのだろう。
意外と石段が長いのでその間に薄着だと湯冷めしてしまいそうだけれど。
渓谷だから風は無いのだが、それでも空気は冷え切っている。
体力に物を言わせて一気に道路まで階段を駆け上がる。
道路まで出て脇の駐車場に停めた自分の車に急いで乗り込む。
冷え切った車内でも少しはましに感じるのは空気の流れが無いからか。
エンジンを掛けるとエアコンから冷たい風が顔に吹きかかる。
慌ててスイッチを切って風を止めた。
「今ので一気に冷えたな……」
溜息交じりに湿った髪を掻き上げると少しだけ固い手応えに苦笑を深める。
たった十数分の間に髪が微かに凍っていたらしい。
温泉で温まっても車に戻る頃には冷めてしまうのは本末転倒な気もするが、それでもこの温泉が好きだからまた来てしまうのは少しマゾい気もする。
まあ、趣味なんてそんな不便さや無意味さも丸ごと楽しむ物だと思って深く考えない事にする。
高速料金やガソリン代を考えたら都内の温泉宿の方が安上がりなのだが、それではこの渓谷の景色は楽しめない。
それに、大学にはこんな真冬でもサーフィンをしに海に行く奴も居るのだし。
そんな事を考えている内に車の暖気も済んだ。
時計を見ると午後四時を回っている。
取り敢えずエアコンのスイッチを入れて車を発車させる。
日が暮れると路面が凍結する為、この気候なら早々に家路につくのが賢明だろう。
山道を暫く走って高速の手前の牧場に立ち寄って自動販売機で牛乳を購入して車に乗り込む。
牧場を出てすぐ側のインターから高速道路に乗って東京へと車を走らせる。
オーディオから聞き慣れた音楽を流しながら走行していると冗談で入れたとある曲が流れる。
F1のテーマソングが流れた途端衝動的にアクセルを強く踏みそうに成る。
自制心を発揮させて法定速度で走行し、三時間弱の距離を走りきる。
途中で空腹を覚えてSAで夕食を食べていたのでそのまま家に戻った。
駐車場に車を留めて自宅に帰りつくとエアコンを入れてソファーに腰掛ける。
久しぶりに迷宮に行かず、休日らしい過ごし方をした気がする。
少しの間だけ一日満喫した記憶でニヤニヤした後、表情が引き締まった自覚は有る。
朝から時折視界の隅に点滅するメールの受信を知らせるアイコン。
不愉快ながら件数を見て予想は付いていた。
メールを開いてみると大量に送られてきた件のリーダーと襲撃者の親からのメールだ。
どうやら勝手に僕のメールアドレスを教えたらしい。
大した内容では無いがどれも猛抗議のメールだった。
泣き落としから脅迫紛いの文面まで有る。
どうやらもう一人居た仲間も共犯として拘留されているらしい。
親も親で穏便に済ませて欲しいと言う文面だけでは無く、報復も匂わせている文章も有った。
明日には弁護士に相談して対応を決めるが、取り敢えず今の僕には引く理由が無い。
講義の後弁護士事務所で打ち合わせの予定には成っているので、全てはそれからだ。
掲示板の書き込みも見てみるとかなり荒れている。
被害者、つまり僕が所謂「鎧男」で一連の被害者としてキチンと扱われている。
また、撮影角度から所員側からの流出だと言う言葉も有る。
撮影された動画が顔の動きに合わせて上下してカウンターや椅子が映っているのだから当然だろう。
書き込みは総じてシーカー全体に対する批判が多い。
実際武器を所持し、武器を扱い慣れたシーカーは一般人から見たら脅威なのも事実だ。
逆に件のシーカーに対する批判を必死で擁護する書き込みも有って失笑してしまう。
その必死さを見ていると関係者か、煽る為に穴の有る擁護をしているのかと疑ってしまう。
この段階まで来ると擁護すればする程事態は悪化する。
ザッと一連の書き込みに目を通して掲示板のウィンドウを閉じる。
今夜は特に動ける事も無いし、動く必要も無いと結論付けて寝る準備をして休む事にする。
ツナギの裏地を拭いて裏返しにしてハンガーで部屋干しをして部屋の電気を消す。
温泉の熱はもう抜けてしまったが、久しぶりに足を延ばして湯に浸かれたリフレッシュ感は残っている。
冷えた布団に潜り込んで思わず体を丸めながらも気持ち穏やかに眠りに就いた。




